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海辺にて 

 正確には分からないが、おそらく島に流れ着いてから二週間は経過している事だろう。

 ネイトは毎日休む事なく木を狩り、利用出来そうな漂流物を回収し、蔓で繋ぎ合わせる作業を続け、イカダ造りもいよいよ佳境を迎えていた。

「おぉー良い感じじゃねぇか! それっぽいそれっぽい!」

 最初に作った丸太を並べて繋ぎ合わせただけのチャチなものと比べれば、大分立派なイカダが出来上がったように思える。

 単純かつ重労働の連続は堪えたが、努力が形として現れるとそれまでの苦労も吹き飛ぶような達成感で心が満たされ、ネイトは思わず口元が緩む。

「さて、早速進水させてみるか。いくら見た目だけ良くても、浮かばなけりゃ意味ないしな」

 そう言って砂浜の上から波間まで押して移動させようとするネイトだったが、丸太を十本以上使ったイカダはかなりの重量を誇り、中々前に進まない。

「ぎいぃ、この……!」

 歯を食いしばって押し続けるも、疲れ果てた体に加えて踏ん張りのきかない砂の上にいる事で力が思うように入らず、いつまで経っても海に近づかない。

 イカダは進まないまま、汗が体中から噴き出て疲労ばかりが溜まっていく中、ネイトはふと背後に突如何者かの気配を感じて咄嗟に体を反転させる。

「だっ……おぉ、ヒナかよ」

 ネイトの傍に現れた気配の正体は、今日もいつも通り槍を手に弓を背負った狩りの装いをしたヒナで、突然振り向いたネイトに彼女は僅かに目を見開いてから、

「なんだ、そのつまらない感じの、顔は」

「安心したんだよ、またオオトカゲが俺を食いに来たのかと思ってな」  

「カーダルが人を襲う、自衛と縄張りを守る時。海辺には棲んでいない」

「そうなのか? それより見てくれよこれ、やっと出来上がったんだぜ!」

 描いた絵を自慢する子供のように、ネイトは目の前にある渾身の力作であるイカダを両手を広げてヒナに見せつける。

「……見た目は、ちゃんとイカダ、だ」

「そうだろ? あんたに教えてもらった造り方を参考に、浮きやすい物を組み合わせた努力の

 結晶だぜ。老後は木こりにでもなった方がいいかもなぁ」

「自惚れ、まるで一人で造ったような言い方、生意気だ」

 ヒナの言うとおり、このイカダは材料の選定やサイズの調整、強固で解けにくい結び方まで

彼女に口を出してもらって形になったもので、おそらくネイト一人ではここまで完成度の高い代物には出来上がらなかっただろう。

「まぁそう言うなって、あんたの手を借りた分、俺も真剣に作ったからよ……ふんっ!」

「何を、している」

「見たまんまさ、海に浮かばせようとしてるんだよ」

「……さっきから、進んでいない」

「手を込んで作った分、重さも相当なもんでな……んぬうっ!」

 両手でイカダの端を掴んで体を傾け全体重をかけて押すも、じりじりとかろうじて移動するだけで海への距離は縮まる事なく、もどかしくて仕方がない。

 それを傍目に見ていたヒナは、やがて呆れたように小さく嘆息すると、無言のままネイトの隣に並んでイカダに片手を触れさせる。

「……浮かばせる?」

「? そりゃ浮かばせねぇと、脱出の手段に使えねぇしな」

 ネイトは何気なく答えたが、気のせいかヒナの表情が引き攣ったように見えた気がした。

「……すぅ、ハッ!」

 そして彼女は深呼吸した後、気合のこもった声を発すると、今まで頑なに海へ近づく事を拒んでいたイカダがタイヤでもついたかのように突如軽やかに砂の上を滑り始めた。

「うおぉ!? マジかよ、あんたやっぱすげぇ力なんだな」

「喋ってる場合、違う。お前も、ちゃんと押せ」

 言われるがままネイトも再度イカダを力を込めて押し、やっとの事で波間にまで移動させることが出来た。

「おーしこのまま……って、あれっ」

 勢いがついてきて一気に海に浮かばせてしまおうと調子が乗ってきたネイトだったが、急にイカダが動かなくなり、思わず体勢を崩して前のめりになってしまう。

 隣のヒナがイカダから手を離したせいで急にイカダが重さを増したように感じられ、それでも止まるとまた動かすのに苦労しそうなため、ネイトは強引に押し切る事にした。

「ぎぃぃぃ! う、おぉ……!?」

 イカダは減速しながらもなんとか海面に底部を浸すところまで進み、水の浮力でじわりと浮かび上がる感覚が腕に伝わってきて、進水に成功した事実に頬が綻ぶネイト。

 だが次の瞬間、無理な体勢でイカダを押していたネイトの体はイカダが海に浮いた事で抵抗力が弱まった拍子にバランスを崩し、ぬかるんだ砂浜のせいで踏ん張る事も出来ず、そのまま盛大に前のめりの状態で海面へとダイブしてしまった。

「うぶっ、うおぉい! 最悪だマジで!」

「何、してる。情けない」

「あんたが手離したからこうなったんだよ! また乾いたら服が塩塗れになっちまう、パリパ

 リだと着てて気持ち悪いんだぞ?」

「そう、なのか? いや、私が悪い、違う。勝手な事、言うな」

「分かった分かったって……ん」

 遠浅とはいえ海水に浸かった状態から起き上がるのは結構力がいる、イカダを完成させようと追い込んで作業した疲労がまだ残っている今のネイトには、不可能ではないにしても気だるさの方が勝って中々体を起こそうとは思えなかった。

「どうした、早く、起きろ」

「んぁー、なんていうか、だるいって言うか……」

「だるい? 面倒臭いと言いたいのか? 軟弱な奴め」

「んあー……」

 灼熱の日差しで暖められて生温い海水がやけに心地よく、仰向けになったまま起き上がろうとしないネイト。

 それを見かねたのか、ヒナは口を尖らせながら、槍を背中に戻して手を伸ばしてきた。

「早く、手を出せ」

「あ、あぁ、悪い……」

 さすがに無下には出来ないと思い、ネイトも手を差し出すが、ふと彼の脳裏に唐突にある思惑が浮かび上がってくる。

 あれだけ重いイカダを押した後なのに欠片も疲れた様子はなく、涼しげな表情で余裕そうな彼女を見ていると、その双眸が崩れる様を見てやりたいと思えた。

 そう、先日彼女が一度だけ見せた、カエルに驚いて取り乱したような年頃の少女らしい姿、理由は分からないが前触れなく見たいという欲求にかられたのだ。

「ふんっ!」

 そして気づいた時には引っ張り上げてくれている彼女の意に反するように、起き上がりかけた体を再び海面に向けて倒れる形で力を入れていた。

「は、お前何を、わぁっ!?」

 引っ張っているつもりがまさか逆に引っ張られるとは思っていなかったであろうヒナは、しかしネイトなど軽々蹴り飛ばす位の馬鹿力で抗ってきた。

「んんっ……あ」

 どちらも譲らず引っ張り合ったせいで今度は二人共体勢を崩し、そのまま浅瀬に倒れ込んで盛大に水飛沫を散らしてしまった。

「くっ……お前、何をする!」

 海水塗れになったヒナは怒りを露わにして肩を掴んできたが、顔を真っ赤にした彼女の表情は普段の冷静な表情と対照的でとても愛くるしく見え、にやついてしまうネイト。

「なぜ、笑っている!」

「いやぁ、あんたもそういう顔が出来るんだなって」

「っ、黙れ!」

 黙らせようと手を口元に伸ばしてくるヒナから逃れようとネイトはバタバタともがき、しかし頭に血が昇った彼女もやめようとはせず、長時間海水や砂を撒き散らして喚きあう二人。

「あ! ちょっと待ってくれ!」

「そうやって、話逸らそうと……!」

「ちげぇよ! そうじゃなくてイカダは……!?」

 そもそも自分はイカダを進水させようとして、そして倒れながらもなんとか成功した。

 なら今そのイカダはどこに、ふと思い出したネイトは圧し掛かってくるヒナを制止しながら顔を海面の方へと向けた。

「あぁヤバイ! 流れていってんじゃん!」

 顔を向けた彼の目に映ったのは、波に揺られるがままゆっくりとだが確実に沖合の方へ流されていく、ネイト渾身の傑作であるイカダの姿であった。

「どけって!」

「え、あ」

 呆けているヒナを押しのけて、ネイトは猛然とイカダに向けてダッシュ、もといクロールで接近していくが、思いの外潮流が早くて追いつくのに時間がかかってしまった。

「ふぅ~……さっきまであんなに海に入るのを嫌がってたくせに、気が変わったんですかねこ

 のイカダ様は」

 脱出には絶対必要な乗り物をなんとか取戻し、両腕で乗りかかるような形で立ち泳ぎしたまま、安堵の溜め息をつくネイト。

「お、おい! お前、どこに行く!」

 と、砂浜の方からヒナが焦った様子で声を上げている。

「あぁ、すぐ戻る……って、待てよ、そういやオールってまだ作ってなかったのよな……」

 造り上げたイカダはちゃんと浮かんでいるが、漕ぐためのオールや風を受ける帆はなく、海面を移動するにはただ流れに任せる以外にない。

「押して戻れってのか? あぁくそ……」

 面倒だなと思いながら押そうとするが、その前にバシャバシャと何かが海面を泳いで進む音がして、動きを止める。

 音の主はやはりヒナで、背中に槍と弓を背負った状態でこちらに向けて泳いできていた。

「どうしたんだ? てかあんた、変な泳ぎ方だな」

「おい、早く、それに上がれ!」

「え? なんで」

「うるさい、早くしろ!」

 ややデタラメにも見える泳ぎ方でやってきたヒナに促され、とりあえず丸太のゴツゴツした表皮で出来たイカダの上に乗る。

「結構揺れるなこれ……うお」

 続いて上がってきたヒナはやけに慌ているように見えて、四つん這いのまま数度深呼吸した後、水浸しの体をバタリとうつ伏せにて倒れ込んだ。

「どうしたんだよ、わざわざ飛び込んでこなくても……」

「オランボードー! 生身で海、泳ぐな! ヒューズに食われる!」

 ヒナはくわっと目を見開くと、乱れた息のまま突然大声で怒鳴りつけてきた。

「ヒューズ? 食われるって、もしかして鮫の事言ってんのか?」

「ヒューズ、鋭い牙、俊敏な動きで海を駆け、目についた生き物を容赦なく襲う凶悪な存在。

 ハウロア様の島から離れる事、ヒューズの餌食になるのと同じ! なのに……」

「いや大丈夫だって、鮫って結構ビビリだって話だし、ちょっとの距離を泳いだくらいで襲わ

 れたりはしねぇって」

「くっ! ヒューズの恐ろしさ、村の伝承でも示されている! 誤って岸から落ちたロアの民

 が殺された。だから心配してやったのに……!」

 ヒナの怒りは凄まじく、本気でネイトが鮫に襲われるのではと危惧していたのが分かる。

 それに海には危険な鮫がいると知っていたのなら、ネイトの身を案じて自らも泳ぐために海に飛び込むというのはかなり勇気が必要だっただろう。イカダに上がった後の疲労具合と激しい動揺の仕方はおそらく恐怖に耐えていた証拠だ。

「あ~……心配してくれたんだよな、悪い。下手な泳ぎまでさせて……」

「っ、心配してる、違う! 目の前で人間が死ぬ、見たくないだけ! それと、下手な泳ぎ言

 うな! 海で泳いだ事ないから、慣れていないだけ!」

 怒りの表情を若干照れの混じったものへと変化させ、さらに取り乱して大声を上げるヒナ。

 強がってはいるが、海水に塗れ普段の凛とした姿に比べるとやつれ気味になった彼女の今の姿は、それだけ冷静さを欠いてまでネイトが鮫に襲われるのを案じて海を泳いできてくれた証拠であり、嬉しい以上に愛おしいとさえ思えた。

「いいから、早く岸へ戻れ!」

 濡れた髪を振るって海水を振り払い、ヒナは砂浜の方を指差してそう命令してくる。

 そうだなと呟いたネイトは、ふと今自分の乗るイカダがちゃんと波間に揺れながらも沈まずに浮かんでいる事に気がついた。

 戦艦に乗っている時とは違う独特の揺れに戸惑いつつも、自分が今海の上にいるという事実を肌身に感じられて無性に興奮を覚え、槍をオール代わりに漕ごうとしていたヒナを反射的に制止していた。

「何をする、早く戻らなければ……」

「まぁ待てよ、イカダはちゃんと浮いてるんだし。それに勿体ないと思わねぇか?」

「は、何が」

「こうやって海の上で漂うのがだよ。この島に来て、獣とか敵とかに怯えなくて良い時間って

 全然なかったからな」

 この未開の地に辿り着いてから、凶暴な動物に襲われないように気を張ったり、またロア族の狩人に遭遇して捕えられたりしないか警戒しながら必死で食料探しとイカダ造りに没頭してきた。寝る時でさえ気が抜けなくて、心休まる時など皆無に等しかった。

 それだけに、こうして島から僅かに離れている今はとても気持ちがリラックスしていて、この特別な時間を簡単には終わらせたくなかった。

「しかし外から見ると本当でけぇんだな、あんたの住んでる島って」

「フン、当然だ。ハウロア様は母なる大地、ロアの民の育みを、古から支え続けてきた。時に

 は天災に見舞われ姿形を変化させる事もあった、それでもハウロア様は我々に命を与えてく

 ださり、生きる場所を守り続けてくださった。その姿、立派に見えて当然」

「あんたは外から島を見た事あったのか?」

「ない。それでも分かる、毎日生き物を狩るために駆け、大地の大きさ、険しさ、体験してき

 た。ロアの民、あの大地がなければ生きていけない。命に感謝する度、自覚している」

「本当、尊敬してんだな。ハウロア様ってのを」

「当然だ。我々ロアの民の誇りだから」

 信仰する神の話を少し饒舌な口調で語るヒナは楽しそうにも見え、ネイトもつられて頬が綻びそうになる。

「早く岸へ戻れ。ヒューズにいつ狙われるか、分からない」

「鮫は下から見て魚や亀に見えるものを襲うんだ。サーフボードのサイズならともかく、この

 大きさのイカダを狙ったりはしないだろうよ」

「根拠、あるのか。そんなの、お前の勝手な想像、違うか?」

「怖がり過ぎは良くねぇぜ、鮫の怖さはジョーズでとっくの昔から教え込まれてるからな」

「ジョーズ……? お前の世界でのヒューズの事、か?」

 聞き慣れない単語に、目をきょとんとさせるヒナ。

「あぁ、えーっとどう説明しようか……映画っていう、機械が保存した映像を見せる物語みた

 いなのがあってだな……」

「エイガ? キカイ? 保存とは、肉を乾かして長持ちさせる意味の同じか?」

「あーなんて言えばいいか……写真を連続で、ってこれもまず分からないか……」

 説明しようとして余計にヒナの知らない言葉が増えて彼女を混乱させ、会話がこんがらがって話に終わりが見えずにグダグダになってしまった。

「ふふ、ははは。お前の世界、本当に、私の知らない事ばかりあるんだな」

 やがて、ヒナは少し呆れるように静かに吹き出して、ネイトを見ながらそう言った。

 今まで常に氷のように険しく落ち着き払った表情ばかりだった彼女が初めて見せた、優しげな笑顔にドキリとして、ネイトは思わず息を呑んだ。


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