夜、一人
「おぉ、結構それっぽい味になってるな」
夜風吹き込む洞穴の中、頼りないながらも燃え続けている焚き火の前に腰を下ろしていたネイトは、昼間ヒナの助けもあって狩る事に成功した鹿の肉を火で炙ったものにかじりついた直後、一言感想を呟いていた。
ナイフで切り分けた肉の塊を木の棒で突き刺して焚き火にかざしただけの簡単な料理だが、香ばしい匂いを漂わせるそれはこの島に来て一番のご馳走になった事は間違いない。
「あのゴムみてぇな硬さのトカゲ肉に比べれば、フィードロット産の高級な牛同然だぜ」
そう言って鹿肉を噛み締めながら、金さえ払えばこの肉よりも遥かに上質で柔らかくジューシーな肉を食べられた日常を思い出して、無性に物悲しくなってしまうネイト。
「やっぱ戻らないとダメだよな、しっかりしろよ俺」
いくら戦争の絶えない世界でも、ネイトはその中で生きてきた。例え戻ってまた戦場に駆り出される生活が訪れるとしても、同時に家族や友人との関係もまた取り戻す事が出来るのだ。
溜まっていた疲労と脱出の可能性の不透明さで、想像以上にネイトの精神は弱っていたらしいが、ヒナがそこに喝を入れてくれたお陰で事なきを得た。
「あいつがいなきゃ、多分俺、おかしくなってたぞ」
危険な獣や無数の虫に溢れ、常に厳しい暑さに見舞われるこの島で、長期間孤独な生活を続けていて、正気を保てていたか自信はない。
ヒナという、狩りやイカダ造りを手伝ってくれたり言葉を交わしてくれる相手がいた事で、精神的に余裕が生まれ、脱出への意欲を失わないでいる。
何より、何もない文明未開のこの地では、話の通じる彼女と接している時がネイトにとって唯一心を弾ませ笑顔になれる時といって過言ではなかった。
「……脱出する時、あいつは喜んで俺を送り出すんだろうな」
ネイトはロア族にとって余所者でしかない、それはヒナにとっても同じ事だ。
彼女はロア族の住む島に異邦者が関わる事を嫌がっていた、だからネイトが困っている時に手助けをしてくれるのだろう、本人もそんな趣旨の発言をしていた。
イカダに乗って島から出る自分を嬉しそうに見送るヒナ、その姿を想像するとなんだかむかついて、そして虚しいような気持ちになってしまった。
それは彼女に追い出される事への嫌悪感か、それとも彼女と別れる事への拒絶反応か。
「脱出したら、もう戻ってはこれない、よな」
この島が太平洋のどこに位置し、どういう航路で辿り着けるか分かる訳がない。たまたま流れ着いただけで、本来なら現代社会と交流すら持たない孤島なのだから当然だ。
ならば無事に島から脱出して本土に生還したとしても、もうこの島の存在を確認する事は記憶以外では不可能に近いだろう。
それは同時にロア族と、ヒナと二度と会えなくなる事を意味していると言っても良い。
今まで生きて元の世界に戻る事ばかりを目的に行動してきたためあまり気にしていなかったが、いざ脱出した後にヒナと会えなくなる未来を考えると複雑な心情に見舞われた。
(あいつと話せるのは、島を出る時まで、って訳ね)
漂流してしまったのは最悪だったに違いないし、今も毎日生きるのに必死な生活には苦労して体が悲鳴を上げそうだが、ヒナという協力者に出会えた事だけは幸運だったと思える。
素っ気ない態度ながらも面倒を見てくれたり、激を飛ばしてネイトの脆い心を奮い立たせてくれたり、彼女の存在は島での生活を続けるネイトには欠かせない存在となっていた。
あくまでネイトにとっては、だが。
「あれ、俺、あの子供の事ばかり考えてるのか」
成人のくせして、あんな少女に特別な感情を抱いていると認めたくないネイトは、首を左右に振るってみせる。
だが彼がヒナの事を考える度に胸が熱くなっているのは、紛れもない事実であった。
一人でこうして食事を摂る度に、島に流れ着いた初日に彼女と共にトカゲ肉を食した時の、気まずいながらも寂しさを感じなかった空気を思い出しているのは、ネイトにとって彼女の存在がとても大きい影響を及ぼしている何よりの証拠だ。
島を脱出したい、そのために生き長らえて実行に移す、今はそのためだけに行動する。
分かってはいるのだが、冷静になった彼の頭の片隅には常にヒナという少女の姿がちらついて、成功するかも分からない島からの脱出を達成した後に訪れる彼女との別れを想像してむずがゆい気持ちになるのを繰り返さずにはいられなかった。
「あー、くそ!」
むしゃくしゃ気分を振り払うように、ネイトは焼けた肉をガツガツと噛みついては喉を通す行為に没頭し、胃袋を久しぶりに満たしてから床につくのであった。