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変化

 ロアの民の狩りはいつも夕暮れに空が包まれた頃に終わりとなる。

 村の広場では狩人達が今日の成果を見せ合い、自慢したり悔しがったりする男達の喧騒で賑やかになっていた。

 ヒナはそんな男どものむさくるしい空間の中へ、狩人達の中で一番最後に村に戻ってきて、

両手に抱えていた今日の獲物を地面の上に置いてみせた。

「おぉ、ヒナ! 今日は久しぶりに大量じゃねぇか!」

「うん、皆があんまり心配してきたから、たまにはね」

「やっぱヒナは別格だわ! ハメス、お前は確か今日が今までで一番の成果だって言ってたよ

 な? 比べてみろよ!」

「やめてくださいよ、俺今日カダールの子供一匹なんですよ? ヒナちゃんは片手だけで俺が 

 獲った分の倍くらいの量あるじゃないですか!」

 村一番の狩り名人ヒナの本来の実力に年上の狩人の男達も安心したようで、さすがだと満足そうに歓喜の声を上げる。

「お、おいヒナ! 今日はちゃんと狩りしてきたんだな! 良かった良かった」

「うわ、来た」

 そして離れたところにいた兄のミハロイがやってきたところで、ヒナはすぐに笑顔を消して露骨に顔を背ける。

「なんだよー、今日は俺も大物のバビフタン獲ったのに、ヒナの方が量が上かよぉ!」

「うるさいなぁ」

「おい! なんだその態度はぁ! 一番になったからってまた偉そうにぃ……!」

 いつも通り絡んでくる兄を無視し、周りの男達がかわいそうにと兄を笑う。

 これが本来狩りを終えた後のロアの民の村の普段の光景であった。

 ひとしきり談笑を終えた後、夕食の時間となり各々自分の家へ獲物を抱えて戻っていき、ヒナもミハロイと共に自らの家に帰り、母に獲物を手渡し調理してもらう。

 母は言葉は少ないが家事の腕は良い、ヒナの捕らえた獲物は数も大きさもバラバラだというのに迷いなく処理を初め、全てが料理として出来上がるのに時間はさほどかからなかった。

「おぉヒナ、ルサンを獲ったのかい。今は繁殖期で気が立っておらんかったか?

「……そんなには。でも、ちょっといつもより暴れられたかな」

「そうかい、これからはルサンでも噛みついてくるけんのう、気をつけえよ」

 ルサンの肉を香料と共に炙ったものをゆっくりと咀嚼しながら、ペレが注意を促し、ヒナも軽く頷いて応える。

「そんなに危険なのかよ、婆さん。あいつらすぐ逃げて、かなり臆病に思ったぞ?」

「何言うとるか、臆病な生き物ほど怒らせたら危険なんじゃ。お前さんはまたノロマなバビフ

 タンだけ狩ってきおって、たまには獰猛な相手に挑戦せんか」

「いや婆さん、バビフタンだって十分美味いだろ?」

 狩りの成果に納得がいかないペレに駄目だしを受け、当のミハロイも言い訳を返す。

 ちなみにバビフタンはこの島に生息する野ブタのような生き物である。

「男なんじゃけしっかりせんかい、力だけならお前の方が上なんじゃけ」

「分かってるって! 分かってるけど、上手くいかないんだよぉ」

 兄は他の狩人達に比べれば狩りの腕は中の上といったところだが、ヒナには遠く及ばない。

 本人は真剣らしいが、獲ってくる動物の量も大きさもヒナに勝つ事はまずありえず、結果的にこの家の食事は大半がヒナの腕にかかっている事になる。

 まだ若い妹に食料の確保を託している形の現状をペレもミハロイもあまり好ましく思ってはいないようだった。

 ちなみにヒナの父親は数年前に狩りの際に高所から転落して亡くなっており、現在彼女の家族は民の長である祖母のペレと母、そして兄の四人であり、他の家系に比べて男手が少ない。

 それもあって子供達への負担は大きいが、ヒナは今まで気にした事はあまりなかった。

 むしろ当たり前のように狩りを今日まで続けていた、それこそ義務のように淡々と、日課としてこなしてきた。

(当たり前に、か)

 ルサンの背の部分の肉の塊を一口かじって、ヒナは歯型のついたそれに視線を落とす。

 今まで数えきれないくらい繰り返してきてとっくに慣れていた、生き物を狩るという行為がどれだけ覚悟のいる事なのか、余所者の男ネイトによって教えられた気がする。

 自分はもう怯える事はないが、やはり命を奪う重みというのは生半可なものではない、それを彼の言動によって思い出した。

 生きるための狩り、それは自分や家族の糧を得るための狩りであり、ネイトに教える事でヒナもまた大切な行為をしたというのを実感し、仄かに高揚感を覚えていた。

(これ、あいつが仕留めて、私が捌いたんだよね?)

 口に含む度に数時間前の事実が思い起こされ、いつも通りの母の味付けなのに不思議と美味しさを噛み締めてしまう。

 違う世界からやってきたあの男と行った狩りは、教える事が多すぎて正直煩わしくて苛々したが、終わった後の達成感はいつもの倍以上だった。

(嬉しかったっていうの?)

 そんな風に今日のネイトとの狩りを思い返しながら黙々と食事を続けていると、不意に強い視線が向けられている気がしてハッと顔を上げるヒナ。

 それは隣に座る兄ミハロイによるもので、彼は手を止めてじっとこちらを凝視していた。

「な、何」

「お前なんでさっきからにやついてんだぁ?」

 開口一番、そんな事を言われてヒナは咄嗟に肉を片手に持ったまま、もう一方の手で自らの頬に手を当てた。

「別にっ、笑ってなんて、ないし」

「笑ってたじゃねえかよ、ずっとニヤニヤして。そんなに俺が婆さんに説教されてるのが面白

 かったのかあ? 珍しい」

「知らないから! 別に今日の成果だって、満足はしてないし!」

 柄にもなく兄の前で取り乱してしまった、触れた際に手についていた肉の油で頬が汚れているのも気にせず、ヒナはミハロイに背を向けて再び肉を頬張る。

「……そういやぁ、あの余所者ってどうなったんだろうなあ」

 するとミハロイは唐突に、このタイミング村から数日前に去って行った男、つまりはネイトを話題に持ち出してきた。

「は、はぁ? なによいきなり」

「あの野郎は確か、島に流れ着いたんだったよなぁ? じゃあそう簡単に島から脱出は出来な

 いと思うんだが、ヒナはどう思うんだぁ?」

 なぜだろう、兄の自分に向ける視線が幾分鋭くなったような気がして、ヒナは口の中の肉を喉に通してから息を整え、努めて冷静に答える事にする。

「なんで急に、あいつの話するのよ」

「もし脱出してないんだったらよ、まだこの島にいるって事になるよなぁ?」

「そうだとしたら、なんだっていうのよ」

「なんだも何も、いたらダメだろう! 余所者が住みついてるんだぞぉ!」

 バンと草の絨毯を手で叩き、怒気を含んだ声を上げるミハロイ。

「うるさいなぁ……気にし過ぎだし、私達とは、関わって、ないんだから」

 実際にはヒナとネイトは何度も顔を合わせている、村の人間には秘密にしているため嘘をついたつもりだったが、意識し過ぎて不自然に声を詰まらせてしまった。

「……ヒナ、お前なんか変わっただろ。あの余所者に会ってから」

 その戸惑いに気付いたのか、ミハロイは身を乗り出すようにしてヒナに顔を近づけ睨みつけてきながら、睨みそんな言葉を口にしてきた。

「は、はぁ? 何それ、てかさっきから何なのよ、面倒臭い」

「その後くらいから、狩りの調子も悪くなっただろ? 何か関係あるんじゃないのかぁ?」

「……ある訳ないし。適当な事ばっか言わないで」

 ミハロイはただでさえ気になった事はしつこく聞いてくる性質だ、淡白に対応しなければ話がややこしい方に向かってしまうのは目に見えている、ヒナは普段通り感情を押し殺したように話すよう心掛けた。

「何もないならいいんだがよぉ……けどやっぱ島の中に余所者がいるって思うだけでなんか気

 分悪くならないかぁ?」

「さぁ、気にし過ぎでしょ」

「一緒に狩りした野郎共も何人か言ってたぞ、もし遭遇でもしたらどうするんだって」

 その危険性はヒナも気にしてはいた。ネイトが居を構えている場所は島の西部、ロアの民の生活圏からは離れた地域であるものの、狩りに集中して森を進んでいった狩人と彼が出会ってしまう可能性はないとは言い切れない。

 実際ヒナがネイトに初めて会ったのも、獲物を求めてジャングルの中を彷徨っているうちに偶然であってしまったのだ、同じように誰かがネイトを見つける事だって十分ありえる。

「……会っても、無視すればいいじゃん」

 それでもネイトはあくまで村から追放され、彼もロアの民に近づこうとするつもりはない、

ならば互いに不干渉を貫いていれば、トラブルが起こることはない筈だ。

(ま、気にして会いに行ってる私が言える事じゃないかもしれないけど)

 我ながらよく他人事の様に言えるなと、滑稽に思いながら食事を続けるヒナ。

 そんな時だった、今まで聞き流してきた兄の言葉で、その一言だけ明確に聞こえたのは。

「うろちょろされたら邪魔だろ。お前がしたように、ぶん殴って動けなくしてもいいかぁ?」

「ふざけないで! あいつは私のなんだから、勝手な事しないで!」

 気づいた時にはヒナは立ち上がっていて、ミハロイに向かって大声で、それこそ幼い頃に殴り合いの喧嘩をした時以来の怒りの叫びを放っていた。

 突然の豹変ぶりにミハロイは勿論、食卓を囲んでいた母や祖母のペレまでが目を丸くして驚愕し、ヒナを見上げていた。

「やっ……あれは私が捕まえた、私が村と関わって欲しくないから追い出したの。なのに余計

 な事しないで! 私の判断無視するなんて、馬鹿にしてるんでしょ!」

「い、いやそこまでは言ってないけどよぉ……」

「少し狩りの調子が落ちたからって好き勝手言って……ほんと最悪!」

 タガが外れたように兄への不満を吐き出すと、ヒナは食べかけていた肉をむさぼった後乱暴に骨を皿代わりの葉の上に叩きつけてから、小屋の外に向かって歩き出す。

「おい、どこ行くんだ! まだ話は……」

「ミハロイ! 食べてる途中に立つんじゃない!」

 痺れを切らした母の怒号でミハロイはこれ以上の追及するのを渋々やめたようで、とっととその場から立ち去り興奮し切った体を夜の空気に晒す。

「ふーっ! もう、なんで怒っちゃうのよ……!」

 自分でもよく理由は分からないが、ミハロイがあの余所者の事に対する言葉を口にするのを聞いていると無性に腹が立ってきた。

 兄相手に本気で怒鳴るなんて情けない、ヒナは数回地面を蹴りつけて、夜風で頭を冷やしながいつも通りクーの家へと足を進める。

「でも、やっぱりあいつに何かされるのは、嫌かも」

 ネイトの動向が気になって、狩りの合間にヒナは何度も彼に接触してきた。

 ちゃんと脱出しようとしているか、監視のつもりだったのだが、そのうち彼の性格や素性が垣間見えた気がして、彼に対する印象が徐々にだが変わってきた。

 この島の外に世界がある事、外の世界では透明で柔らかい容器を初め様々な未知の物体がある事、ネイトという男が人間同士で殺し合う異様な世界で生きてきた事、色んな情報を彼の口から聞いているうちに、彼を単なる異邦者ではなく一人の人間として捉えるようになった。

 得体の知れない不気味な相手なら、どうなったって構わないと今でも思っていただろう。

 だがネイトもまた、只の一人の人間なのだ。生きた世界が違うだけの、ヒナと同じ人間だ。

「外……」

 島の外には世界があり、見た事のない物も会った事のない人間もいる。 

 今まで存在を考えた事すらなかった未知の世界、そこで生きてきたネイトという青年、異界の何かに接触したいという気持ちが、彼女の心のどこかにいつの間にか現れていたらしい。

 今まで日が昇っている間は狩り以外にやる事はなかった、だが今は狩りで村から出る度に、彼の行動を確かめたいと思うようになり、狩りよりも優先したい事が出来た。

 島の外への関心、それがヒナのロアの民の娘としての行動に変化をもたらした要因だ。

(……あまり島の奥まで入って出しゃばらないよう、言っておかないと)

 認めたくはないが、ないといえば嘘になる、ネイトという青年への興味。

またクーに自身の変化を悟られないよう、興奮状態の体が十分に冷めるのを待ってから、ヒナはクーの家に向かって歩みを進めた。


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