作戦前の夜
漆黒の闇に染まる海を割くようにして、複数の軍艦が最低限の灯りを点けて進んでいた。
数時間後、敵軍が支配する島に上陸し制圧するという任務を遂行するために夜の海を行く艦の中では、敵陣への突入という死期を待つ大勢の軍人の男達の姿で溢れ、ある者は神に祈り、ある者は仲間との談話に興じるなど、各々作戦までの時間を潰している。
「マジかよ、ハンナ・ジェファソンって結婚してんの? 誰と?」
「ティム・アレックス。三年前スパイ映画で共演してただろ?」
「ティムって、映画界随一のプレイボーイって言われてるあいつ? うわぁショックだわー」
部屋の隅では数人の若い兵士達が銃を肩に担いでしゃがんだまま、他愛のない会話にふけっている。ハイスクール時代からの付き合いである彼等は何度か戦場を経験し、怪我をしたり死にかけたりしながらもなんとか今まで生き延びてきた。今回も命を張った作戦に友人と参加する事に緊張こそあれ、いつものようにやるだけだと割り切ってその時を待っていた。
作戦が始まれば死にもの狂いで動く事を求められる。だから今だけは平時と変わらないようリラックスして過ごそうという、彼等の任務前のいつもの光景であった。
だからこそ、作戦開始まで一時間を切ったところで、彼等を含む上陸部隊が乗る艦隊が事前に作戦の情報を得ていた敵軍艦隊から奇襲を受け、砲弾の雨を浴びせかけられた時、彼等が予期せぬ事態にどう対応すればいいか分からずパニックに陥っても何も不思議ではなかった。
暗闇の中で砲撃のフラッシュが絶え間なく輝き、遅れて響く爆音と共に海面から水柱が噴き上がり、いくつかの砲弾は戦艦に直撃して凄まじい轟音をこだまさせる。
並走していた隣の戦艦が被弾し、乗っていた兵士達の悲鳴や怒声が夜風に乗って耳に届き、先程まで談話していた若い兵士達は酷く取り乱し、自身の隊長に指示を仰ごうとするが、隊長もまた一人の兵士であり、無闇に動き回るなと繰り返し叫ぶ以外に出来る事はなかった。
そうして混乱する最中、彼等が乗る戦艦にも砲弾が直撃し、艦全体が大きく揺れると同時に兵士達が入っていた部屋の壁が勢いよく吹き飛ばされ、兵士達の多くが衝撃で床や壁に体を叩きつけられてしまう。
「がぁっ! ……、おいジャック! ブライアン!」
爆音で耳鳴りがする中、一人の青年が痛む体を起こしながら先程まで会話をしていた友人の名を呼ぶが、返事はない。
代わりに視界に映ったのは、砲撃によって大破し外の海が丸見えとなった部屋の壁と、爆発で瀕死の重傷を負って動かなくなった仲間の血まみれの姿であった。
「く、くそっ!」
この状況では手当をしている時間もない、もどかしさだけが生き残った彼に募っていく。
中心部に直撃を受け、艦はバランスを崩して傾き始めている。このままでは海に沈むのを待つだけだと危機感を覚えた彼は銃を担いだまま立ち上がり、状況を確かめるため壊れた壁から外に身を乗り出し確認しようとする。
目視でも確認出来る程近くの距離で複数の敵軍らしき戦艦が砲撃を続けており、友軍の艦は次々と炎を上げ、既に沈みかけている艦も見られる。視界の利かない夜の闇で砲撃の光と炎が瞬く異様な光景に絶句し立ち尽くしてしまう青年。
「なんだよこれ……こんなのありかよ!」
受け入れがたい現実に体が硬直し、精神が正常を保てなくなりそうになった時、背後に何者かの気配を感じて、ハッとして振り返る。
「ネイト……海に、飛び込んで、逃げろ……!」
「隊長……! 何を……!?」
「五体満足なのは、お前だけのようだ……生き残れるなら迷わず行け!」
ネイトと呼ばれた青年にそう指示したのは、彼が属する部隊の隊長。
爆発で飛んできた破片で腹部を負傷しており、地面に倒れ込んだ状態で声を振り絞るようにしてさらに続けた。
「でっ、ですが、それだと任務放棄に……敵前逃亡になります!」
「こんな状況で任務もクソも……あるか! 俺達兵隊は国のために戦うが、国のために死ぬつ
もりで参加した訳じゃないだろう! 生きれるなら生きろ! 他の奴の分まで!」
ネイトの仲間は半分以上が既に骸と化し、残った者も大怪我によって悶え苦しんでいる。
こんな地獄の状況の中で幸運にもまだこの場から逃げ出す事の出来るネイトには、沈むのを待つ墓標と化したこの戦艦と袂を分かつチャンスが残されているのだ。
「そんなっ、隊長も、ジャックもブライアンも、皆置いていけって言うんですか……!」
「そうだ!」
仲間を見捨てたくないと反抗したネイトだが、隊長は一喝して彼を黙らせる。
「現実を、受け入れろっ……! 必死に足掻いて、生き残って見せろ……!」
瀕死の重傷で喋るのも苦しそうな筈の隊長は、それでも気力だけで声を張り上げて、ネイトにこの凄惨な戦場から生き残る事を使命として突き付けてきた。
その直後、鼓膜を突き破るような爆音と共に船体が一際大きく揺れたかと思うと、ネイトは自分の足が船の床から離れるのに気付くと共に、ふわりとした浮遊感に襲われた。
それが自分の乗る戦艦にもう一発敵の砲撃が着弾し、その爆発で吹き飛ばされたのだと彼が気付いた時には既にコールタールのように濃い黒に満たされた夜の海に落水していた。
爆発の衝撃によって遠のく意識の中、海水でぼやけた視界の遠くで、仲間達の乗る戦艦が紅蓮の炎を上げているのが見え、無力な自身を呪いながらも果てしない絶望感に打ちひしがれ、ただただ夜の海に沈んでいくのであった。