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深い深い森の中、一軒の塔が立っていました。幾重にも巻きついた蔦は窓にも絡み付き、一階は全く中が見えません。
「…あのぅ、」
そんな中、少女がその塔の扉を叩きました。扉の横には今にも落ちてしまいそうな木の看板があり、そこには“希望製作所”と書かれています。
少女は希望を求めてやってきた一人のお客でした。
「はぁーい…」
ノックの音に導かれるように、中から気怠げな、それでも若い少年の声がしました。がたがたと喧しい音が近付いてきたかと思えば、扉が外側へゆっくりと開きました。
埃っぽい、湿った空気と共に現れたのは一人の少年です。声の通り若く、まだ10歳そこそこに見える彼の眠たげな双眸が、同じく10歳そこそこの少女を捉えました。
「…お客さんかな」
「はいっ! わたしに希望を売ってください!」
「いいよ。君が僕のキボウに選ばれたらね」
少年はにっこり笑います。
目の前の少女は言われた意味がわからず、困った顔をしていますが少年には知った事ではありませんでした。
「僕はシュロ。シュロネル・シュロート」
「…リアン・エルテッロ」
「じゃあリアン。どうぞ中へ」
シュロと名乗った少年はそう言って、少女を塔の中へ招き入れました。
招き入れられたリアンが連れてこられたのは、汚い作業机の前でした。たくさんの本やフラスコなどで満たされた空間は不思議な輝きを反射していて、神秘的です。
シュロとリアンは机越しに向かい合わせになると、椅子に座りました。のんびりとリアンを見つめていたシュロは、そのままボソボソと話し出します。
「それで…どんなキボウが欲しいの?」
「幸せになる希望!」
「…抽象的だ。そんなんじゃキボウは売れない」
呆れたように言うシュロ。リアンは首を傾げてシュロを見つめました。
「どうして? 私は幸せになりたい」
「そりゃ自分から好き好んで不幸になりたい人はいないよ。それに君には僕のキボウは必要なさそうだけど」
その言葉にリアンは椅子から立ち上がり、シュロに詰め寄るように顔を近付けました。驚いたシュロが少し身を引きますが、リアンはお構い無しに近付きます。
「な、なに…」
「どうして私には希望が必要ないの!?」
「君には行動力もあるし、自分で希望を掴めるからさ」
「でも私は今、幸せじゃない」
自分の胸に手を当ててそう言うリアン。シュロはその胸元をちらりと見つめ、頷きました。
「そうみたいだね。でも絶望もしてない。きっと自分で希望を掴める」
「むむむ…」
リアンは唇を尖らせて、シュロを睨みました。それでもシュロの眠たげな双眸は変わることなく、リアンを見つめています。しばらくの間、目線が絡まりあった後、リアンは溜息をつきながら言いました。
「…わかった」
「そう? じゃあ…」
「私、ここで働くわ!」
「はぁ!?」
突拍子もない事を言い出したリアンに、シュロは驚いて大きな声を上げました。
リアンは名案だ、というように胸を張ります。
「私は幸せになる希望が欲しいの。でもシュロはそれを売れないんでしょ?
だから売れるようになるまで、ここで働くわ」
「何言ってるの。雇いません」
「掃除も洗濯もするわ」
「いや、僕もしてるよ」
「これで…? おつかいもするわ」
「荷物はここまで届くから大丈夫だよ」
「そうなの!? 凄い! …じゃない、お料理も得意だわ!」
リアンの言葉に、シュロはぴたりと止まりました。それを見たリアンはここぞとばかりに言葉を並べ立てます。
「パンも焼けるし、パイやキッシュも得意よ。クッキーやマフィンだって作れるわ」
「………マフィン」
「美味しいって評判だったのよ、私のマフィン。ねぇ、どうかしら。全部やるわ。だから私を雇ってちょうだい」
「はぁ、わかったよぉ。でも、君のキボウが見つかるまでだからね」
余りに必死にお願いをするリアンに、ついにシュロは根負けしました。飛び上がって喜ぶリアンに、シュロは溜め息をつきます。
予期せぬ助手の誕生でした。
…決してマフィンにつられた訳ではありません。