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少女と犬と少年と  作者: 九里瑛太
4/5

それぞれの事情

 薫子が転入して以来、数日が過ぎた──


 けれど、相変わらず薫子は級友達の中に溶け込もうとせず、浮いた存在となっていた。誰とも話す事なく、彼女はただ、孤独の中に身を委ねるばかりであった。

 今までがそうだ。薫子の日本人離れした瞳や髪の色を、みんなが忌み嫌い、彼女に近付く事をためらわせたのである。

 だからこそ、薫子も敢えて他人との接触など望まず、孤独と言う闇の淵でたゆたう事を選んだ。

 だが、そんな中にあっても良大だけは違っていた。

 席が隣同士と言う事を差し引いても、良大は気さくに薫子に話し掛けた。

 不思議と鬱陶しさはない。でも何故、彼が自分と一緒にいるのか疑問は尽きなかった。

「良大、あんたぁ、うちとおって楽しいん?」

 ある日の帰り、薫子が不意に良大へ尋ねた。彼女から質問とは、何とも珍しい展開だ。

 帰り際、二人の間に会話らしい会話もほとんどない。只々一緒に歩いて帰るだけである。

 そんな事で楽しいのか、率直に良大に聞いてみたかったのだ。

「め、迷惑…かな?」

 遠慮がちに良大が尋ね返す。

「別に…」

 薫子が一言返すと、二人の間にまた沈黙が続く。

 いつもこんな調子で、果たして良大は楽しいのか、薫子は不思議でならない。

 人によって、それぞれ価値観は違う。もしかして良大にとって、今のこの一時は楽しいのかも知れないと、薫子は自分に納得させ、この問題を彼女なりに自己完結させる事にした。

 ──ところがである。

「か、薫ちゃんは、ぼくとおって楽しくないんかな?」

 直後、自己完結させたはずの問題を良大が蒸し返す。

 正直、答えなどどうでもよかったのだが、わざわざ問い返されると、少々鬱陶しいものだと薫子は思ってしまう。

「えぇんよ。良大が楽しいんじゃったら、それで…」

 薫子は、当たり障りのない言葉を選んで返答する。それが、最も面倒の少ない言葉だと、彼女も理解していたからだ。

 二人はそのまま、特に会話を交わすのでもなく、いつものように家路に就くのだった。


 帰宅後、良大は考えていた。

 薫子は帰り道、何故、とうとつにあんな質問をしたのか。彼女の問い掛けが気に掛かり仕方がなかった。

『一緒にいて楽しいか』と、問われ、良大は改めてハッとする。

 裏を返せば、薫子は自分といても楽しくないのかも知れない。

 そうした仮説が成り立つ。

 もしそうなのだとしたら、薫子は自分といる事を迷惑だと思っているに違いない。きっと、そうに違いない。

 とたん、良大は自分に対する嫌悪感に押し潰されそうな程、落ち込んでしまう。

「ぼくは、どうしてこんとに気が利かんのじゃろう…」

 考えれば考える程、無限ループに陥る。

 そんな時だった。階下から母の呼ぶ声が聞こえて来た。

「──良大!夕飯が出来たけぇ、早よう下りて来んさい言うとるじゃろうが!」

 考え込んでいた為か、華子の声に気付かなかったのだ。

 良大は急いで階段を下り、食卓へと就いた。

「あんたは、さっきから何度も何度も呼んどるんに、ほんまにトロい子じゃねぇ…」

 母の小言が容赦なく良大を責め立てる。何とも、やるせない気持ちで一杯になった。

「早よう食べんさい!片付かんのじゃけぇね!!」

 さらに、嫌味たっぷりな言葉が良大の胸を突く。

 正直、良大はこの食事の時間があまり好きではない。

 いつの頃からだろう、母は顔を合わせれば小言ばかりで、良大にとっては針のむしろである。

「ごちそうさま…」

 食事を済ませると、そそくさと退散するように良大は食卓を後にする。

「はぁ…」

 同時に、何とも言えない疲労感がドッと押し寄せて来る。

 良大にとって、自宅と言う場所は、もはや安息の地ではなくなってしまったのかも知れない。

「──薫ちゃん、どうしてるじゃろうかねぇ…」

 自分の部屋に戻って寝転がり、まるで現実逃避するように良大は薫子に思いを馳せる。

 そして明日、薫子に謝ろうと、ぼんやり考えるのだった。


 さて、一方の薫子はと言うと、夕飯を済ませ、自分の部屋で宿題に取り掛かっていた。

 自分の部屋と言っても、薫子は親戚の家にお世話になっている。

 幼くして両親を亡くし、つい先だっても、身を寄せていた祖母を失い、今はこの家に引き取られ、暮らしているのだ。

「薫子!あんたぁ、うちの鉛筆を知らんね?」

 けたたましく怒声を上げ、部屋に現れたのは、この家の一人娘である峰子であった。

 彼女は、薫子と同い年であり、従姉妹同士なのだが、少々ヒステリックなところがあって、薫子は普段から鬱陶しく思っている。

「………」

 なるべく峰子と関わりたくない薫子は、当然のように彼女を無視し、(だんま)りを決め込む。

 しかし、その済ました態度が、逆に峰子の怒りを買う。

「何ねぇ!黙っとらんで謝ったらどうなん!?あんたが盗ったんは、分かっとるんよ!!」

 口がすべったのか故意なのか、それは分からないが、峰子はすでに薫子を盗人扱いである。

 ヤレヤレと言った表情で、薫子は一つ溜め息をつく。

「証拠がありもせんのにようも、うちが犯人じゃて言いよんねぇ?どうせ、あんたが何処かで、なくしたんじゃろう?」

 あくまでも冷静に反論する薫子だったが、冷静さを欠いた峰子にそんな言葉が届くはずもない。

「証拠があろうが無かろうが、あんた以外に誰が、うちの鉛筆を盗るんね!?」

 峰子のおよそ論理的とは程遠い物言いに薫子はただ呆れ返る。

「あんたぁ、よいよ(全く)異な気な(変な)事を言いさるんじゃねぇ?」

 まるで、嘲笑するように薫子の口角が上がった。

 バカにされていると感じ取ったのだろう、峰子は即座に憤慨してみせる。

「バカにしんさんな!この薄気味悪い化けもんが!!」

 峰子の言動が、薫子のオッドアイを指したものである事は言うまでもない。

 確かに薫子は、互いに色の違う瞳や日本人離れした髪色の為、様々な辛酸を舐め続けた。

 それこそ、自分の容姿に対する悪口は散々聞かされて来た。今更である。

「ほんまに冴えんねぇ…」

 小声でつぶやき、薫子は机に向き直ると、再び宿題を始めた。

「何が“冴えん”じゃ!どう言う意味ね!?」

 スイッチの入った峰子は、ヒートアップするばかりで、もう収集が付かない。

 すると、騒ぎを聞き付けて峰子の母である花江が現れた。

「あんたら、どうしたん?」

 尋ねる花江に、甘え声で峰子がすり寄る。

「お母ちゃん、聞いてくれんね!薫子が、うちの鉛筆を盗みよったんよぉ…何とかしてぇね」

 峰子の言葉を受け、花江は薫子を睨み付けた。

「薫子!あんたぁ世話になっとる分際で、峰子の物を盗むとはどう言う了見ね?」

 親子揃ってこの有り様だ。最初から、何の根拠もなく薫子を疑っているのだから始末が悪い。

 そんな叔母を、薫子の深く碧い左の瞳が捉えていた。

「何ねぇ?公平気(生意気)な目で見よって!!」

 ──と、叫ぶなり、花江は薫子の左頬に強烈な平手を一つ見舞った。

 とたん、激しく張り詰めた音と共に薫子が勢いよく椅子から転げ落ちた。

「ハハ…えぇ気味じゃ!こんとな大じなくそ(嘘吐き)もっと、しごぉして(しばいて)よ!!お母ちゃん」

 畳の上に倒れ込んだ薫子を蔑むように峰子が叫んだ。

「──じなくそは、そっちじゃろうが…」

 ゆっくりと起き上がり、口許に滲む血を拭い去って、薫子は再び叔母親子に碧い瞳を向けた。

「何ねぇ?まぁだ、そんとな目ぇをしくさるんかね…」

 薫子の異質な左目が怒りを駆り立てる。次の瞬間、花江は再度、薫子の左頬を激しく(はた)いていた。

「雅彦は、どうして外国人の女と駆け落ちした上、こんとな気味の悪い娘を一人残して死んでしもうたんかねぇ…!?」

 言い知れぬ怒りが、ふつふつと沸き上がる。その澱んだ思いを吐き出すかのように花江は容赦なく自分の感情を薫子にぶつけた。

 二度目の平手打ちは余程利いたのか、今度は薫子も中々起き上がる事が出来ない。

 ようやく顔を上げ、薫子は何とか立ち上がると、無感情のままに部屋の出口へと向かった。

「こら、薫子!あんたぁ、何処に行きよるん!?話はまだ、終わっとらんのよ!」

 呼び止める花江の叫び声をかいくぐり、薫子はそのまま階段へと足を踏み出す。すると、階段の中段、その隅の方に何処からか転がって来たのだろう、峰子の鉛筆が落ちていた。

 薫子は、鉛筆の落ちている場所を指差し「階段…」とだけ叔母達に告げると、階下に下り、表へと出て行くのだった。

 外すっかりと黄昏時を迎え、群青色に染まる満天には、きらきらと星が瞬く。

「ほんま、たいぎぃ(ウザイ)ねぇ…よいよ、たいぎぃよ」

 まるで、世の中全ての煩わしさから逃れるように薫子は共同井戸へと進む。

 井戸に辿り着くと、ハンカチを取り出して薫子はそれに水を浸し始める。

「今日のは、またえらくはしった(痛かった)ねぇ…まだ頭がガンガンするわいねぇ…」

 つぶやきながら、薫子は腫れ上がった頬と唇をそっとハンカチで冷やす。

「はぁ…」

 その冷たさが、ひんやりと傷口に染み渡る──




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