異端者
良大の学級に転校生が来るのだと言う。
担任の来島教諭が、その事を生徒達に告げ、続いて転校生が呼ばれた。
すると、教室に現れたのは、つい先程登校中に再会したばかりの薫子であった。
「あっ!?」
思わず、良大は驚きの声を上げてしまう。
どうりで、近所に住んでいるらしいはずの薫子を学校では見掛けない訳だ。
「そがぁにいがって(大きな声を出して)どうした?新井」
「い、いえ、何でもなぁです…」
来島教諭に問われ、消え入るような小声で良大は答える。
気の弱い彼にとって、大人の男性である来島教諭は、それだけで苦手意識を抱く存在だった。
ところが、薫子はそんな二人のやり取りなど全く気にした様子もみせず、無反応に教卓の横へ歩み寄り生徒達へと向き直る。
とたん、今度は級友達が薫子の姿を見てざわめき始めた。
疎開により、生徒達の少なくなった教室を必要以上に騒がしくさせているのは明らかに薫子の異質な容姿にあった。
これから、新たに学友として迎えるべき存在の薫子。
その彼女の頭髪や目の色、特に両の目が互いに色違いであるオッドアイは、歳幼い生徒達には珍しく、彼らを騒然とさせるには十分すぎた。
ある者は好奇の眼差しで、またある者は不安と拒絶の反応を薫子に示している。
だが、薫子はそんな生徒らの反応に些かも動揺した素振りをみせず、ただ平然と教卓の横に佇んだままだった。
「こら!お前ら何をそがぁに騒いどる!?静かにせい!!」
来島教諭がざわめく生徒達を注意し、まるで腫れ物にでも触るように薫子へ自己紹介を促す。
この事からも、彼女が異質な存在なのだと十分にうかがえた。
「──村井薫子です。呉から来ました…」
薫子の素っ気ない自己紹介に、教室は凍り付いたようにシンと静まり返る。
その容姿と相まって、まるで何者をも寄せ付けない雰囲気が彼女から漂っていた。
「ほ、ほいじゃあ席は新井の隣を使いんさい」
年齢不相応に落ち着き払った薫子の態度に、来島教諭も些か気後れしているように見える。
薫子は来島教諭の指示に従い、一番後ろに座る良大の隣の席へ歩み寄り、そのまま着席した。
「む、村井さん、これからよろしく…」
──と、おもむろに隣の席から遠慮がちな挨拶が飛ぶ。
「あんたぁ、確か…良大。ほう!新井良大じゃったねぇ」
お互いに名乗り合ったのは、つい先程、登校途中での事だ。
良大は内心、薫子がその事を覚えているかハラハラとした気持ちでいたが、どうやらそれも杞憂であったらしい。
しかし、良大が気をよくしたのも束の間であった。
薫子は別段、それ以上の言葉を発する事なく授業はそのまま始まりを迎えた。
その後も良大は、薫子の事が気になり授業に集中できずドギマギとするばかりだった。
対する薫子はと言うと、そんな良大を全く気に留めた様子もなく淡々と授業を受けていた。
そして、一時限目の授業が終わった──
「む、村井さん、転校生じゃったんじゃねぇ」
笑顔で話し掛けて来たのは、言うまでもなく隣の席に座る良大であった。彼らしく、何とも素朴で飾り気のない笑顔だ。
「そんとに畏まらんでも、薫子でえぇよ」
スッと視線を向け、素っ気なく答える。まだ、出会って間もない薫子の何とも意外な言葉に良大は只々たじろいでしまう。
「ほ、ほほ、ほいじゃあ、薫ちゃん…て、呼んでも…えぇじゃろうか?」
当然、良大が女子を下の名前で呼ぶ事など今までの経験であろうはずがない。
淡々とした薫子の態度とは対照的に、良大が舞い上がってしまうのも無理のない話だ。
「良大が、ほう呼びたいんじゃったら、うちは別に構わんよ」
相変わらず抑揚のない口調だったが、内心、薫子は何ともこそばゆい思いがしてならなかった。
他人から親しく名前を呼ばれるのは、いつ以来の事だろう。薫子は記憶を辿ってみる。
思い起こせば、それは薫子が、まだ幼い頃以来かも知れない。
そんな心地よい懐かしさが、彼女の脳裏を不意によぎった。
「…か、薫ちゃん?」
良大の呼び掛けで、薫子は我に返る。同時に、何とも言えない冷たく渇いた空気感が周囲から伝わって来るのを感じた。
「ふぅ…」
薫子は、おもむろに溜め息をつき、教室の中をゆっくりと見渡して行く。
案の定、級友達が嫌悪の眼差しで気付かれないように、それとなく薫子を注がれているのがうかがえた。
その原因が自分自身の容姿、オッドアイや頭髪の色にある事を薫子は十分知っている。
故に彼女自身、今までうんざりとする程味わって来た状況と全く同じだった。
「よいよ(全く)…」
薫子は小さくつぶやき、辟易とした気持ちを抑えつつ、席を立ち上がり、廊下へと歩み出た。
「薫ちゃん?どうしたん」
とっさに呼び止めるも、薫子はすでに廊下へと姿を消していた。
良大も急いで彼女の後を追い、廊下へと飛び出す。
「いきなり教室を出て、どうしたんね?」
薫子の背中に良大が疑問を投げ掛ける。
「あんたぁこそ、何でうちの後を付けて来たん?」
振り向き様、薫子はそう尋ね返すが、良大自身にもその理由が分からない。
生来、引っ込み思案な性格の良大は他人と接する事を極度に恐れていた。今までの良大なら、まず間違いなく薫子の後など追うはずもなかったろう。
「どうしてじゃろう?僕にも、よう分からん…ほいでも、何とのぉ薫ちゃんの後を追ってしもうてじゃ」
他人に対し、こんなにも積極的になった事などなかっただけに良大自身、困惑せずにはいられない状況だった。
「ふふ…やっぱり、良大は面白い事を言いさるんじゃねぇ」
薫子はクスッと一瞬笑い、窓際にもたれ掛かると良大から視線を反らして、そのまま窓の外を眺め始めた。
「──僕が面白い?」
朝の登校時にも言われたが、良大は今一つ、薫子の真意を掴めずにいた。
何が彼女にとって面白いのか、良大にはさっぱり分からない。
「やっぱり、良大は気付いとらんのじゃねぇ…」
再び軽く笑みを浮かべ、薫子は含みのある文言を口にする。
深く碧い左の瞳が、良大を捉えていた。嘲笑まじりの口許が、彼女を一層と怪しく際立たせる。
良大の感性ならば、魅力的に映る薫子の容姿も、他者から見れば単なる異質な存在でしかない。
薫子は、その望まぬ容姿の為に今まで散々誹謗中傷の的となり、周囲から忌み嫌われ続けて来たのだ。
独自の感性が故に良大は、そうした薫子の境遇にまで思いが及ぶ事はなかった。
他人とは相容れないと分かっているからこそ、薫子は特にその事に対し、理解を求めたり落胆する事もない。
所詮は今までと同じ、何の代わり映えもなく日常が続くだけだと彼女は割り切っていた。
「良大も無理して、うちとおらんでもえぇんよ」
最後に薫子は、無感情に言葉を締めくくった。彼女なりに良大を思いやっての事であろう。
窓の外を眺める薫子は、淡々としてはいたが、良大には何処となく物憂げな表情を浮かべているようで儚くみえた。
しばらくして、次の授業の鐘が廊下に鳴り響く。
すると、薫子は良大に構う事なく速やかに教室へと戻った。
その後も、一種独特な雰囲気の中、授業が進んで行く。
生徒達は勿論、大の大人である来島教諭でさえ何処か落ち着きを欠いた様子だった。
良大も、薫子に話し掛けるきっかけが掴めず、そのまま放課後を迎えた。
やはり、薫子は人目を避けるように帰り支度を済ませ、そのまま一人足早に教室を抜け出す。
それを追って、良大は反射的に教室を飛び出した。
「薫ちゃん、もしえぇんじゃったら、一緒に去のう(帰ろう)」
精一杯の勇気を込めて、良大は口にする。
その言葉に引き止められ、薫子は歩みを止めて振り向いた。
「うちと一緒に?」
表情を崩さず薫子が尋ねる。
次の瞬間、溜め息まじりに彼女は言葉を続けた。
「無理せんでも、えぇ言うてじゃのに…」
そう言い残し、薫子は再び歩き出す。
「去ぬる道も一緒じゃし…あの、その…」
消え入りそうな声で、良大はさらに言葉を絞り出そうとするが、その先がどうにも続かない。
「ほうね。去ぬる道も一緒じゃけぇ、良大が好きなようにしたらえぇよ…」
振り返らずに言うと、薫子はそそくさと廊下を進んで行く。
ここで薫子は、いくつかの疑問が浮かんだ。
今まで、誰もが薫子の特異な容姿に尻込みをし、近寄ったり話し掛けたりする事などなかった。
そればかりか、薫子は何処にいても、みんなから常に疎外される対象だった。
その度に薫子は、自分が忌むべき存在である事を否応なく思い知らされて来たのだ。
だからこそ薫子も、他人との接触は極力避け、他者に何も望まないようにしていた。
ところがどうだろう。良大だけは、そんな様子が全くと言っていい程うかがえない。
それどころか、薫子の領域に極々自然と入り込んで来る。
良大特有の“何か”が、きっと薫子と波長が合うのだろう。
彼女にとってそれは、今までになく不思議と不快感を伴わないものであった。
校門を出ようとしたところで、不意に薫子が立ち止まる。
「良大は、うちの左目ぇの事や髪の毛の色…いびせぇ(怖い)とは思わんの?」
薫子は、改めて確認するように振り向き様、おもむろに良大へと尋ねた。
とうとつな質問に、良大は一瞬戸惑いの表情を浮かべるが、すぐに思い直したように答える。
「き、綺麗じゃあ、とは思うけんど、何でなん?」
良大は、朝も同じような事を口にしていた。
それが、薫子には不思議でならなかった。
「良大は、やっぱり面白い事を言うてじゃねぇ!」
薫子の口許に、微かな笑みが浮かぶ。
「うちの目ぇの色や髪の事、綺麗言いさったんは良大が初めてようねぇ。あんたぁ、ほんまに異なげな(変な)人じゃねぇ」
薫子にとって、良大は初めて相対するタイプの人間だった。
「良大はどうして、うちと一緒におるん?うちに興味でもあるんかね?」
無表情でありながらも、大胆な質問が薫子から寄せられた。
これには良大も、答えを見出だす事が出来ない。
薫子のとうとつな問い掛けに、良大の鼓動は一気に回転数を上げて行く。
「あ、あのぉ…な、何て言うたらえぇのか…」
薫子の深く碧い左の瞳が、ジッと良大を捉えて離さない。
彼女の心の奥深く、その暗部を垣間見ているようでもあった。
「分からんじゃったら、答えんでもえぇよ」
答えに苦慮する良大を見兼ねたのか、薫子は苦笑まじりにそう言葉にする。
良大自身、何故薫子と一緒にいたいのか、はっきりとした答えが見付からない。
確かに、薫子に興味はあった。ただ、それが好奇心から来るものなのか、彼女の不思議な魅力によるものなのか、まだ年幼い今の良大には判別が付かなかった。
その後、二人はしばらく会話を交わす事なく電車道を進み、帰宅の途に就くのだった。
時折、そよそよと吹く風が頬に心地よく通り過ぎて行くと、朝と同じように薫子の髪から少女特有の甘い香りが漂い、良大の鼻先をくすぐってみせる。
良大は、胸の高鳴りを抑えつつ平静さを装うのに必死だった。
心の抑揚を抑えれば抑える程、顔が紅潮して行くのが自分でもよく分かる。
そんな良大の動揺を知ってか知らずか、薫子は不意に良大の方に向き直った。
「うち方(家)こっちじゃけぇ」
薫子は路地を入って行くと、そのまま振り返りもせずに路地裏へ姿を消して行く。
その後ろ姿を見送りつつ、良大は薫子と言う存在が、次第に自身の中で大きくなりつつある事を実感していた──