「桜が呼んでる」(3)
学校から歩いて二十分ほどの場所にその山はあった。
標高は五百メートルほどの比較的低い山で、山道―といっても遊歩道のような道―、その入り口の左手側にその桜の木は立っている。
ここまで来る間、近づきがたい思い空気を感じながらここまで来た。
近づけば近づくほどに空気は重さを増しているように感じる。
桜の花も、今が最盛期とでもいう様に風が吹く度にひらひらと花びらを舞い落していた。
木のほんの数歩前に来た時、ザァッと強い風が吹き抜けていく。
思わずスカートの裾を抑えるが、それと同時にざわざわと背筋が粟立つような感覚に襲われた。
そう感じた途端、はっきりとその桜の木から陽炎のように揺らめく影が感じ取れるようになった。
要が他の三人を見回しても、誰一人不審そうにしている様子はない。
ビュウとまたいっそう強い風が吹いた。
風に枝を揺らされた木は雨のように花びらを落とし、その桜の雨の向こうに一層何かの影が濃く浮き立ったように感じられた。
その時だ。
「わたしをみつけて」
微かな声だった。
周りの音も聞こえないほど、桜の雨の向こうの陰に集中していなければ聞き逃していただろう微かな声。
その声を聴いたのも、きっと要だけなのだろう。
要が再度周りを見回しても誰一人気に掛けるような素振りを見せる者はいない。
そしてもう一度桜の木に向かい直った時、その影は消えていた。
何事もなかったかのように。
しかし、その場にある気配だけは変わらなかった。
白昼夢でも見たのだろうかと思いもしたが、あの微かな声が耳について離れなかった。
「私を見つけて…?」
要は口の中で先ほど聞いた声を復唱してみる。
微か過ぎて声であることは認識できたが、それが男か女かという所までは確信できるところまではいっていないが、恐らくは女性なのだろう。
要がその場で棒立ちしたままでいると、佐野崎が声をかけてきて要に言った。
「大丈夫?下見は簡単に済ませたし、今日はこれで解散だよ」
それからみんなに聴こえるように翌日の持ち物についての説明をして解散、ということになった。
その帰り道、途中まではベティ―と一緒だったが、早い内にベティ―とは道が分かれてしまい、一人帰路を歩いていたわけだが、桜の木の側で見た影と、次いで聞いた声のことを要は思い出していた。
どんなに気のせいだと思い込もうとしても、頭の中はそれのことばかりが占めていた。
あのどんよりと重い空気、身に覚えのないものではない。
小さい頃から知っている感覚だった。
―きっと、あの桜の木の側にいたのも幽霊
ただ、少し普通の幽霊とは何かが違うというだけで、あそこに霊的な何かがいることには違いないはずだ。
要が心霊現象やオカルトを敬遠しがちなのはこれが理由だった。
“自分が見えてしまう性質だから”
小さい頃から幽霊が見えていて、生きてる人とそうでない人の区別も無意識にできていた。
普通ならばこんなことは精神の異常による幻覚かなにかだと言われてしまう。
だからこそ嫌だったのだ。
元々引っ込み思案な正確な上に、変なものまで見えてしまえば人は寄り付かなくなる。
人と違うことが嫌で、周りから遠巻きに見られるのが嫌で、けれども引っ込み思案なものだから結局は周りに取り残されて。
だからといって、霊が見えるなんて言えば人気者になれるなんてことはない。
頭がおかしいか嘘吐きだと言われるだけだろう。
見えていない人に、自分の見ている物を説明するのはとても難しい。
なぜ自分が見えてしまうのかと思うことは何度もあったが、そんな理由など分かるわけもなく、考えてもきりがないだけだった。
綺麗な顔をした霊だったならまだ良かったかもしれない。
けれども大抵の霊は死んだ直後の姿のままで、ふた目と見れたものではない。
そんな霊達に追い回されたり、話かけられたり、要にとっては恐ろしいばかりなのだ。
だからなるべく見えても知らんぷりをしようと決め、オカルトごとにも関わらない様にしてきたつもりだったが、結局は関わらなくてはいけない状況になってしまった。
依頼の内容が“本物”であれば、否が応でも見ることにも、そして関わることにもなってしまうだろう。
全てが全てそうでなくとも、最初から“本物”の依頼が来てしまった以上、これからも全くないとは言い切れない。
とても気が重かった。
気づけば既に家の前まで来てしまっている。
屋根の付いた木製の門がすぐ目の前にあり、その戸を奥へと押して門をくぐる。
足元には雁掛けの飛び石があり、前を見ていなくとも、飛び石を辿れば玄関に着く。
雁掛けの道をもたもたと歩いていても、ほんの数十秒で玄関先まで行きついてしまった。
憂鬱な気持ちのまま、玄関の木製の格子にすりガラスをはめ込んだ引き戸を引くと、小さな声で「ただいま戻りました」そう言って、静かな玄関へと入っていく。
*
翌日の部活は学校でジャージに着替え、前日と同じように部活終了後解散ということで荷物を持って学校を出た。
持ち物に指定されたのはタオルと軍手ぐらいで、大して荷物がかさばることもない。
学校から借りたスコップを人数分、それぞれが持って移動する。
スコップは翌日に各自学校へ持ってくることになっていて、部長が集めて用具室に返すそうだ。
やはりスコップ分、あの桜の木までの道のりは辛かった。
桜の木に近づけば近づくほど重い雰囲気は増していき、更にスコップの物理的な重さも感じながらの移動は要にとって苦痛になっている。
憂鬱なことだが、後には引けない以上早く掘り上げて終わらせてしまった方がいい、要はそう自分に言い聞かせて歩みを進めた。
桜の木の側に到着すると、地面には散った桜の花びらが、道を薄桃色の絨毯のように染め上げていた。
それだけ見れば本当に綺麗だ。
全員荷物を土のかからない場所に置き、軍手をはめてスコップを持った。
スコップの匙部を踏んで土に突き刺し、それを梃の要領で押すと土は思いの外楽に掘り返せる。
四人がかりでせっせと掘り返していると、とんとんと誰かが要の背中をつついた。
気のせいだと思って気にせずに掘りつづけた要だが、明らかに背後に誰かが立っている気配がする。
しかし、自分の目の前では他の三人が土を掘り返す作業をしていた。
考えなくとも今背後でする気配は目の前の三人のものではない。
背後に立たれた緊張感で変に腕に力が入って、スコップの匙が上手く土に刺さらなかった。
それでも何とか土を掘っていると、背後の気配が急激に迫ってきたように思えて、要は反射的に体中に力が入って縮こまった。
ふわりと背後から風が吹いて、耳元にまで迫った何者かの気配。
「そこじゃない」
耳元ではっきりと女性の声がした。
思わず背後に振り返ってしまう要、しかしそこには誰もいない。
慌てて周囲を見回してみると、桜の木を挟んで向こう側―要達のいる場所は、道から見て桜の木の正面なのだが―木の陰になった場所に誰かが立っているように見えた。
そう思えるのも、木の陰から僅かにやけに白い足の様なものが見えるからだ。
それに要が気づくと、また背後で女性の声がする。
「こっちへ」
あまりに突然のことでうっかりしてしまっていた。
確実に向こうには“要が見えている”ということが分かってしまっているようだ。
他の三人には関心はないようで、その三人は何事もなくそれぞれの作業に集中している。
要は恐る恐る、桜の木の陰の方へ歩いていく。
他の三人は作業に集中しているのか、要が移動していることを気にも留めていない。
ゆっくり、一歩、また一歩と木に近づく要。
凡そ五歩ほど行ったところで、木の陰にあった足は消えて、要からも木の陰になっていた部分が見えるようになった。
木の根元の土は殆ど桜の花びらで見えなくなっていた。
ただ一点を除いては。
木の根元から丁度三十センチほど空いた部分の地面だけ、何かが置いてあったかのように花びらが乗っていない。
まるでステンシルのようだ。
変に冷静になっていると、また要の背後から女性の声がする。
「このしたに、わたしをみつけて」
とんでもないことになってしまった。
恐らくこの下には声の女性が埋まっているんだろう。
依頼としては本当に桜の木の下には死体がありました、とそれらしい結果報告をすることができるだろうが、つまりは今から死体を掘り出さなければいけないということになる。
掘り出すなんてとてもじゃないが恐ろしくてできない。
そんなことを要が思っていると、また背後で女性の声がした。