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星に願いを(後編)

 「こんばんは。ぼくは再びお目に掛かれて幸せだよ、『静寂魔女』リティ」


 星明かりをかき消すような眩しい光源がいくつか出現し、ぼくたちを照らす。その光の濁流の中に、見覚えのあるシルエットが浮かび上がっていた。無彩色に彩られた視界であっても、あのフリルのついた少女趣味の魔女装束は見て取れる。ただ、その手にしている巨大な構築物が何かはわからなかったが。他にもラティナリオの神官らしい人々を多数連れているようだ。

 「『騒動魔女』ノイズィ……!」

 ぼくの呻きに、ノイズィはふふんと得意気に魔女帽子のつばをピンと跳ね上げた。ラウドがシャーっと威嚇の声を上げながら、リティの肩へと駆け登り、リティは指を三度鳴らし、円環を展開した。ひとつはリティの頭で弾け、寝室に置き忘れている魔女帽子となり、二つはリティの脚元を包み、白いタイツとブーツを形成する。臨戦態勢。最後にひとつ指を鳴らし、リティは純白の外套を纏い、光の先を見据えた。

 「リティが『ほんと、『騒動魔女』ね。良い加減にして』って顔をしているよ!」

 ラウドが吠えたが、ノイズィはふふふと嗤う。

 「『良い加減』というのはね、もう少し考えて使わなければならない言葉だよ。愛しい愛しい『静寂魔女』リティ。ぼくにとってはもう少し付きまとうくらいが『加減の良い』接し方なんだけど、それでいいってことかな? これでもだいぶ衝動を抑えている方なんだけどさ。でもそれもこれも君が精霊中核市に住むって決めてくれれば済む話なんだ。君にとっても悪い話じゃないのに、そんなにぼくが嫌いなのかな?」

 途中までは少女めいた高めの声だったが、最後は脅すかのように低い声に変わっていた。そのプレッシャーに、ぼくが一歩後ずさる。あのときから多少は魔導書で勉強をした身だからわかるけれども、たしかにノイズィは精霊中核市でもトップクラスの魔女に違いなかった。空間を通してピリピリとした感覚が肌に刺さる。法則改変による矛盾の余波。

 詠唱。

 前に拉致をされたときに、『騒動魔女』は言っていた。魔法とはすなわちこの世の理を説き伏せて、自分の意志に沿わせる方法。物理法則の改変だと。そのために精神統一をはじめとする方法論は数あれど、もっとも簡便で強力な方法は詠唱だと。お喋りなノイズィにとって、こうしてぺちゃくちゃと喋り散らすことが、きっと法則へのアクセスの仕方なのだろう。ノイズィの詠唱に法則が呼応し、改変の準備を始めている。

 でも――。

 「奇襲のつもりなら、失敗しているよ、ノイズィ」

 ラウドも同じ結論に至ったようで声を上げる。

 「あのときは、ラティナリオ大聖堂というフィールドで、しかもウィスクという人質もいて、ようやくリティと『互角』だったんだ。ここは精霊中核市から遠く離れているし、なによりリティの庭の中。説得するなら、あとで改めて来てくれないかな。いまはちょっと大事な場面らしくて、しかも、君の登場はタイミングが悪すぎるんだよねぇ――」

 牙を剥き出しにして、光源の中の魔女を睨みつける。四本の足と尻尾に、円環のリングが発生した。

 「それにボクはいま大変機嫌が悪い! 死にたくなかったら、さっさとこそ泥のように帰る、ことだ!」

 ラウドが唸ると、精製された5つの円環が弾け、それぞれが黒色の霧のようなものを形成した。それぞれがラウドよりも少し大きめの黒猫のかたちに収束していく。ぎりり、と四肢に力を込め、サーベルタイガーのような牙を備えた五体がそれぞれ違う方向からノイズィに殺到する。初めて見る、ラウドの戦闘スタイル。「征けッ!」ラウドの一喝とともに、五体の巨獣が地面に轍を作りながら吶喊する――。

 「おぉ、怖い怖い」

 ノイズィは舞でも踊るかのように笑いながら一回転し、気がつけばその手にピンク色の装飾がかった大剣を握っていた。彼女――、彼の部屋で見たものと同じものだ。本来の物質であれば相当の重さがあるであろうそれを何の苦労もなく投擲し、一番近づいている黒獣を迎え撃つ。

 「精霊中核市の通り名を持つ魔女、ラティナリオ大聖堂を舐め過ぎではないかな、黒猫君。この程度だったらうちのアカデミアの生徒だってできる。既存の生命体の模倣は、子供が怪獣を夢見るのと変わらない稚技だよ?」

 ノイズィはさらに二回、三回、回転し、その都度大剣を一本ずつ投擲していく。それらは正確に黒獣の眉間を狙っており、一方、獲物に向かって一直線に加速している黒獣にとってはその相対速度はもはや回避できないものだった。あれだけの巨大質量ならば、まともな生物の頭部を潰した上に胴体まで串刺しにしたとしてもお釣りが来るだろう。何か追撃をしなければとぼくが身構えると、ラウドがにやにやと笑っていた。

 「精霊中核市の通り名を持つ魔女の使い魔、『静寂魔女』リティの懐刀を舐め過ぎではないかな、オカマ君。その程度の反撃はとうにお見通しなのだよ!」

 瞬間、ラウドの身体に無数の彩色円環が浮かんだと思うと、黒獣の身体を刀剣が貫通をしていた。ダメージはないように見える。というのも、まるでガスの中を通過したかのように、まるでなにごともなかったかのように黒獣は少しも速度を緩めることなく、ノイズィに向かっている――。二体目、三体目もそうだった。

 「……なっ」

 ノイズィが後ずさるのが見えた。

 「霧状の物質で黒獣の身体を構成していたのか。それではまったくゼロから既存の生命の構成をコピーするではなく、粒子の結合や稼働など、多くの構成要素を考慮する必要がある。それをこの短時間に、五体も精製し、それぞれを独立の軌道で動かしているというのか。いくら本体が四足動物であっても、誰にでもできることじゃないよ。こんな複雑な術式、通り名を持つ魔女に匹敵する。どうしてこんなところで燻って――」

 最初の一匹がノイズィの首元を狙って跳躍する。

 「なぁんちゃって♪」

 怪しい笑みを浮かべたノイズィの首元にその凶牙が触れた瞬間、黒獣は悲痛な声を上げて弾け飛んだ。続く数匹も同様。まるで光の中に影がかき消されていくように、ノイズィに何の危害も加えられないまま無力にラウドの使い魔たちが消え去っていく。チェシャ猫のように笑うノイズィに、ようやく眼が慣れてきた。

 「あれは――」

 ピンク色を基調としたふりふりのゴシックドレス。ツインテールにまとめられた金髪。小悪魔的な表情を浮かべるノイズィは、背中に大きな十字架を背負っていた。垂直にクロスしたシルエットはそのまま、無数の細かい突起が生えており、そのそれぞれに色とりどりの魔導円環が輝いている。そして、ノイズィの後ろの神官たち。ざっと数えて10人ほどだろうか。同じ十字架を模した錫杖を地面に突き刺し、精神を集中していた。

 「祈れ(オラトリオ)! 謳え(オラトリオ)!」

 ノイズィの言葉に、神官たちは「はっ!」と返事をし、また祈り始める。キィンと甲高い音が鳴り響く、共鳴だ。複数の人間が同じ事象を願い、法則改変の力が強化されている。それに応じて、ノイズィの背負っている十字架が輝きを増す。

 「魔導集約システム『信仰オラトリオ』――、かつて『運命魔女』ヤガーがラティナリオに寄贈した高等魔導機構のひとつさ。いわば持ち運び式のラティナリオ大聖堂ってわけ。最大十名までの子機の魔導円環を同調率88%で集約して、接触魔導術式で主術者に明け渡す。子機に優秀な術者を配置することで、集約密度は何倍にも跳ね上がり、リティを超えることができるって寸法さ」

 「……なぜ、わざわざそんな説明を」

 ぼくの純粋な疑問に、ラウドが小声で教えてくれる。

 「魔法の基本。これも詠唱さ。信じてしまっただろ」

 「……そういうことか」

 ノイズィが舌なめずりをした。

 「たしかにこの場で人質はない。けれど、傷つけてしまうぬいぐるみもない。だから存分に力を発揮できる!」

 「やめろ、お前はリティが好きなんじゃないのか?」

 「好きさ。ただし、ぼくはドSなんだよ。君もあのプレイでじゅうぶんにその身体で理解をしたろ?」

 リティからやたら冷たい視線を感じるが、それどころではない。ノイズィを中心としてのこの空間における法則ががりがりと書き換えられていくのを感じる。ノイズィがひとつ指を鳴らすと大きな円環が現れて、そこからうさぎのぬいぐるみが現れた。意志を持っているようで、短い脚でてこてこと歩く。2つ目の円環からは、くまのぬいぐるみ。3つ目の円環からは、ライオン、象、かばと続く。

 「なんだ……?」

 「近づくと危ないよ~?」

 「このラウドを舐めるんじゃないよ、ノイズィ」

 最初に標的になったのは、最前線に出ていたラウドだった。ぎこちなく迫ってくるうさぎのぬいぐるみを静かに見据えた後に、さきほどの攻撃と同じ黒獣を召喚、突撃させる。すると、うさぎは信じられない程の機動力を発揮し、黒獣の突進を回避、そのまま信じられない跳躍でくるくると回りながら、ラウドに抱きついた。

 「……ッ、この、離せ」

 もがくラウドだったが、うさぎは離れてはくれない。これはまずいと円環を展開しながらぼくとリティが駆け寄るが、それよりも早くうさぎのぬいぐるみの各所から光が溢れ、鈍い爆発音がした。遠くの森で奇妙な鳴き声の鳥が飛んで行く。ぷすぷすと焦げ付いた生々しい臭いが立ち込める中、土煙の向こうで四本足のシルエットが震えながらも立ち上がるのがわかった。

 「ボクはリティの使い魔なんだよ……!」

 「知ってる知ってる♪」

 ノイズィが指を鳴らすと、くまもライオンも異様な機動力でラウドに向かって突進する。「ぐゥ……ッ!」というラウドの唸り声がして、すぐにぬいぐるみたちの山になってしまった。わずかに見える焦げた尻尾がぴくぴくと動いている。まったく手出しが出来なかった。ぼくもぼくなりに情報解体を試みていたのだが、あの十字架の影響だろうか、まったく解呪することのできない術式だった。リティも信じられないと言った表情で、ぬいぐるみの山を見据えている。

 「ここで取り引き――、と言いたいところだけど、少しは痛い目に逢ってもらわないと。こっちもそろそろ焦っているんだよ。ここいらでぼくがどれだけ本気かと言うことを見せつけないとね」

 急な爆発音が背後で響き、ぼくは驚いて振り返った。花火のように鮮やかな様々な色の炎が、リティの隠れ家の各所から上がっていた。どうやらぬいぐるみを召喚したのは、この庭ばかりではなかったらしい。ぱちぱちと構造物が焼けていく音もする。ここまでぼくもリティも気づかなかたっということは、精緻に隠蔽された領域を纏って魔法を展開したということだ。リティの表情から血の気が失せている。

 あそこには大切な魔導書が――。

 ノイズィの所業にキレてしまったぼくは円環を展開しながら、突撃していった。大丈夫と自分に言い聞かす。生前のことを思い出すんだと、言い聞かす。いまからぼくが行おうとしていることは、何度も何度も成功してきたことだ。集中し、目の前の敵を見据えろ! 前方に二つの円環、後方に一つの円環。

 「そんなことすると、猫ちゃん死ぬよ?」

 指を鳴らすノイズィ。耳をつんざく爆音。視界の端に紅色が弾ける。リティが息を飲む音が聞こえた。いちいち振り返って確認はしないが、いまごろリティの目の前に展開した円環から二度目の爆発は免れたラウドが転送されているはずだ。ひゅーひゅー、というラウドの吐息も聞こえ、一命はとりあえず取り留めていることを確認する。

 「転送魔法はうちの一族の十八番なんだよ。情報解体できないなら、転移させればいい。それだけのことだ」

 「このあいだ造られたばかり魔箒風情が小癪なことを」

 まだノイズィとの距離は悠に10歩以上は離れているが、ここでぼくは勢いを殺して、かかとで地面を蹴りつける。背後に背負った魔箒を構えて、身体を撚る。まだノイズィとの距離は十二分にあり、彼はこれからぼくが何をするのか図っているところだろう。何もない空間に一気に魔箒を振りぬくのにあわせ、発生させておいた円環で自分自身を転移、ノイズィの目の前に出現させる。

 「……おっと」

 すんでのところで躱される。二撃、三撃、お見舞いをするが、ノイズィは踊るように躱すばかりでまったく攻撃が当たらない。「物理で殴れば、こちらのオラトリオじゃ対処できないと思ったのかな? 浅はかだよね。君のそんな単調な攻撃なんて――ッ」

 ノイズィの頬に裂傷が出来た。ぼくを楯として、リティが背後から攻撃をしてくれたのだ。ラウドさえ人質に取られていなければ、当然リティも戦線に参加できる。いくらオラトリオがあるからといって、意識の空白をついた攻撃は対処できない。ほら、その驚いている隙に、ぼくは一撃食らわせることができる。

 「……くそ」

 当然、ぼくの攻撃は目に見えているから防御される。魔箒を使った渾身の一撃はどこからともなく出現したわにのぬいぐるみで阻まれた。すぐにそれは白い閃光を放ったため、ぼくは後ろに跳躍して距離を取る。ほどなく響く爆発音。ノイズィにダメージはないだろうけど、ぼくの外套の裏から飛んできた短剣はすべてを躱しきれず、彼の右腕に深々と刺さった。

 「このあいだ造られたばかりの魔箒風情じゃあない、芯の徹ったホコリ高い魔箒だ、憶えておけ」

 後ろは振り向けないから、リティの表情は伺えないけれども、きっとぼくと同じような顔をしているだろう。

 地面に片膝を突いたノイズィ。ぼくは魔箒をしっかりと握りしめながら、一歩一歩近づいていくが、いつのまにやら神官たちは彼の前に立ちはだかっていた。武器はない。例の集約のための錫杖デバイスを持っているだけである。が、腕を広げ、十名ほどの青年たちがノイズィの壁となっていた。ぼくは一瞬戸惑い、ため息をつく。

 「女の子がここで静かに暮らしたいって言ってるのに、どれだけ嫌がらせをされたと思っているんだ。君らはそんなやつを守るのか?」

 「方法が多少度を過ぎているとは思っていますが、これも精霊中核市のため、ラティナリオのため」

 「狂信者か」

 「狂信者に狂信者と問うことほど無意味な質問もありません。そもそもラティナリオの使命をあなたがたは知らない。わたしには自分勝手なわがままで、それほどの能力を持て余しているように見えます」

 「……」

 正直なところ、目の前のこの神官装束の青年が狂っているとは思えなかった。真摯な眼差しで、そう、それこそ使命を帯びた眼差しでまっすぐにぼくを見つめてくる。これはノイズィの一方的なストーキングでも、ただ精霊中核市の魔力を高めたいというものでもない、何かを感じた。ぼくは躊躇い、振り上げた箒を下ろしてしまう。リティの方を振り返り――。

 「ばぁん♪」

 瞬間、意識が無理やり引き剥がされる感触がして、身体の支えがなくなるのを感じた。

 「しまった――」

 魔法を通じて構築した視界でようやく事態を把握することができた。ぼく――、いや、マイノの腕に深々とピンク色の剣が刺さっている。その衝撃でぼくは手放され、接触魔導術式がキャンセルされてしまったのだ。この状態ではもう歯噛みすることすらできない。ただの箒として、放物線を描いて地面に落ちるだけだ。

 「よくもぼくに傷を負わせてくれたよね、クソ箒! でもこれで終いだ。もうお前は無力な存在でしかない!」

 ノイズィの言葉が刺のように刺さり、呪いのように侵食していく。そうだ。ぼくはいつだってリティを守れなかった。幼いころも、ぼくは降り注ぐ隕石群に何もすることができなかった。君はまだ未熟だというのに、出来損ないの杖で立ち向かったというのに。いまもそうだ。この箒の姿では何も――。

 「ちくしょう」

 泣き言が毀れたとき、ぼくの自由落下は何者かによって止められることになった。ぼくはこの手の感触を知っている。あたたかみを知っている。くるくると二三回転されて、正眼に構えられる。リティ。『静寂魔女』リティ。強い魔力の迸りを感じる。『できるわけない――、それは魔女にとっての禁句。諦めの言葉。それでは法則は説き伏せられない』そう言ったのはぼくだった!

 「むつけら戦じょいしょう!」

 『静寂』を解いたリティの、バルバロイ地方訛り丸出しの言葉。幼いころも、ずっとこんな聞き取れないようなきつい訛りだった。何も考えずにからかったのはぼく。それをずっと憶えていて、恥ずかしがっていたのはリティだった。あれからずっとこれを隠し続けてきたはずだった。しかし、それを破った彼女の怒りをぼくは全身で感じていた。

 「よぐも大切の魔導書ば燃やしてけだの。よぐも大切のちゃぺこどはぎば傷つ痒いてけだの」

 唖然とするノイズィたち。きっと背後の火事も手伝って、めらめらと燃える鬼神のように見えていることだろう。リティはぼくを天に掲げ、ラウドを懐に抱え、高らかと宣言する。

 「わは呼ぶ。悠久のら宇宙の果てかきや姿ば見せまれ。まなぐの前のもばて獄炎ば。まなぐの前のもばて天しがば――」

 「く、なんか知らないけど。祈れ(オラトリオ)! 謳え(オラトリオ)! 我は編む、黄金無欠なる神秘の神盾――」

 ノイズィの背負った十字架が強い光を放ち、両者のあいだで法則空間が矛盾を起こしてスパークを放つ。ノイズィの右腕には見るも眩い黄金の楯が現れ始めていた。六角形の小さなピースが精緻に並ぶそれは、ぼくがどこかの魔導書で見たことのあるものだった。この詠唱も見た憶えがある。絶対防壁、神話レジェンダリ級魔法『イージスの盾』。 

 ぼくはリティの方に意識を向けたが、『あなたとわたしなら大丈夫』といった表情をしていた。

 心のなかで強く頷く――。

 「んねっ、それきやしりおっこね天の神の裁きば。ただ敵ば滅ぼし、滅し、消しやえんたまなぐサ」

 「何物もそれを貫通すること能わず。何物もそれを侵すこと能わず。絶対にして完璧なる神の聖楯」

 「『わのてせつのはぎ星コ』!」

 「現れよ、『イージスの楯』!」

 二つの詠唱は同時に唱え終わった。ノイズィは完全に展開し終えた『イージスの楯』を右腕にどんな攻撃が来ても防御できるような体勢を取っている。どんな攻撃も受け付けない、神話と称される絶対の防御楯。魔導書に伝わる伝説だとばかりだと思っていたが、オラトリオの力があるとはいえ、実際に展開するのを見るとは思わなかったほどの上級魔法。

 「は、はは。ほんとに出来た! いくら通り名を持つ魔女であっても、神であっても、これは原理的に破壊できない!」

 でも、ぼくとリティの二人なら。

 リティが頷き、天を見上げる。幾重にも重なった雲を貫いて、箒星が赤熱しながら降り注いでくるところだった――。


 ※


 「わいづかなの街サあべて!」

 「いつか精霊中核市に来たいだって? ダメダメ、そんな訛りじゃどれだけ実力があっても笑われちゃうよ」

 「そしたらあ」

 「俺のところに来たら練習に付き合ってやるよ」


 ※


 「くっっっっっっそう! あんなの反則だろうが!」

 喉が痛くなるほど叫び、オラトリオの十字架を投げ捨てる。絶対防御の『イージスの楯』。それは同じく神話レジェンダリ級の『ブリューナクの神槍』や『タスラムの魔弾』、『神剣フラガラッハ』、『魔剣アンサラー』であっても、かすり傷ひとつつけられないと言われている。けれど、巨大質量をただただ落としてくるだけの攻撃にはどうしたって対処はできない。無傷な『イージスの楯』が残ったとしても、ぼくたちは燃えカスになっているか潰されているのだ。

 頭に血がのぼってそれでも『イージスの楯』で防御しようとしたぼくを、筆頭神官が転移させてくれた。

 「おい、なにをひそひそ話している! さっさと精霊中核市まで引き上げるぞ」

 『静寂魔女』を精霊中核市に入れ込まなければ、『天計魔女』の演算が完成しない。いまだ原因不明の隕石による被害(リティが犯人だとは思わないが)、その足がかりを掴めるのはもはやラプラスに頼るしかないのだ。ラプラスを完成させるために、精霊中核市が存在し、ラティナリオ大聖堂が存在する――。

 しかし、それにしても、リティの一撃を食らって以来、神官たちがぼくとは離れたところでひそひそ話をしているのが気になった。縦横無尽に根っこが張り出している夜の森のなかを歩きながら、近づいてみると、なにやら聞き慣れない言語で会話をしていた。

 「さきたの、聞いただな」

 「聞いた聞いた、あいは」

 「やくとか思ったばって」

 「おい……」

 「姫、あいはわんどの故郷の方言じゃ」

 「ちゃんと話せ!」

 突如として異世界語のようなものを話し始めた部下に対して、オラトリオの十字架で尻を殴り、こちらの世界の言葉を思い出させる。なんだよ、ぼくと逢って以来ずっとそんな素振りなかったじゃんかよ。とりあえず言語モードを一般言語を戻した後に、精霊中核市に帰る暇つぶしついでに事情を聞いた。

 「あれはバルバロイ地方レオンティエフ村の方言です。きっとわたしたちと同郷なのでしょう」

 「そういえば、どこかから拾ってきた娘子がいたって言ってたよな。ほら、山の方の竹の中から拾ったとか宣っていた」

 「オーキナーの話はやめろ。ありゃあクスリをやっていたんだろう」

 このように少し話題が出ると、ローカルネタで次々と話がどうでもいい方向に折れてしまう。簡潔にと指示をしたものの、結局、まだ道のりは遠いものだから、そういうところも話させることにした。曰く、『静寂魔女』になる前のリティは、オーキナーという爺が拾ってきた不思議な子供だったそうだ。その娘が10歳になったころに、突然の隕石によって村は破壊された。そのときにたまたま村に滞在していた神官がいて、彼らをまるごと転送魔法で精霊中核市に送ったそうだ。自分の家族よりも、その村のより多くの生命を守ることに命を賭けた立派な神官だったそうだ。

 「それから血を吐くような努力をして、ラティナリオの神官兵に」

 「わたしも」「ぼくも」「自分もです」

 「あの……さ、まさかとは思うけど、みんな?」

 「ええ」

 ラティナリオ大聖堂の業務では気を張っているため必死で憶えた標準語になるが、寮の中や飲み屋ではついつい戻ってしまうのだという。

 「それに256丁目の大通りの裏路地の、ほら、ちりとり屋の旦那も」

 「それをいったら、32番地のザン=ダカ商会の会長もさ」

 「忘れちゃいけないのが、64区画の焼きトカゲ屋の女将。流行を作ったねぇ。あれはバルバロイの地方食だったんですよ!」

 本日何度目かの冷や汗が流れる。もしかして長年馬鹿にしてきたバルバロイ訛りの連中は意外と多いんじゃないかと。ラプラスを完成させるために有象無象をかき集めてきたとはいえ、選抜の厳しいラティナリオ大聖堂の中にこれだけいるってことは、もしかして、物言わないだけで多数派なのは彼らなんじゃないだろうか。

 「まさかな――」

 満天の星空を箒星が流れて、ぼくはつい身構えしまった。


 ※


 「ぜんぶ燃えてまね……」

 「とりあえずリティはラウドの治療を再優先で。とりあえずの掃除は箒のぼくに任せろ」

 「あどでうって話したいごどがあるのすう」

 「ああ、後でな」

 「んだ!」

 幼いぼくが精霊中核市に転送されたものだと信じて、ヤガーの元で学んだリティはここに居を構えたのだという。「ずっどなば探していた」と。しかしいくらラウドを派遣して都市内を調査しても、ぼくの影も形も見当たらない。その気になれば方言だって治せるのに、「ぼくが教えてやるから」と言ってしまったばかりに、ずっと治さないまま。辺境を襲う隕石の事件を解決しに行こうと――、すなわちぼくの死を認めようと、ヤガーに箒を発注したところ、その入れ物に入れられた魂がずっと眠っていたぼくだったというわけだ。

 よく出来た偶然――、とはとても思えなかった。どこかに『運命』のようなものがあるとすれば、それに絡め取られてしまっているのかもわからないが、とりあえずはこの運命的な再会を喜ぶことにした。

 リティの膝枕に乗っているラウドが眼を醒まして、「これは撫で撫でポイント1,000点だからね!」と喚いている。

 転送魔法で懐に飛ばした、あの魔導書のことはもう少し黙っておこう。


 ※


 焼け焦げたクレーターの跡を、少女が歩く。

 少女はいわゆる黒い三角帽子を被っており、長い銀髪があふれていた。病的なまでに白い肌、身体はだぼだぼのマントの下に隠れてしまっている。片手には木製のステッキのようなものを持っているが、かなり年季が入っているもののようだ。真っ白な肌とは対照的な、真紅の瞳。猫のように縦に細長い瞳孔は、紛れもなく『魔女』という存在の証明だった。

 滅びた村の上を、魔を携えた少女が歩く。

 あまりの熱量にガラス質へ変質したクレーターの上には、紫色の灯りがぽつぽつと灯っている。ほんの数分前までここで平和な生活を送っていた人々の魂。意志によって容易に改変を行うこの世界の神は、特殊な魔法陣を敷けばこうして魂を取り出すという物理現象を許容した。幾世紀もの時間を渡り歩いた魔女は、その紫色の灯火に杖を突き立てる。すると吸い込まれるように灯火は消え、杖の上部につけられた紫水晶の中に蠢く何かがひとつ増える。

 こうして魂は蓄えられ、のちに魔法具の根幹を成す。

 「『天計魔女』はそろそろ気づくだろうが――」

 法則を司るもの、魔法を使う際に説得する対象としての『何か』。安易にそれを神と呼ぶならば、この世界を統べる神はあまりにも子供じみている。ちょっと強い言葉で説明されればそれを信じ、法則を捻じ曲げる。それと同時に、地上の民がこれだけ好き勝手に法則を改変するならば、やがて 自分自身も危ういのではと怯えて、星を堕とす。

 神殺し(ラティナリオ)の名のもとに、魔女たちが意志をもって叛旗を翻さないように。

 わたしはもしかしたら、自然現象と戦っているのかもしれない。けれど、いつだって堕つる星に願うのだ。

 ――次こそは、必ず守ってみせると。

 滅びの大地で、魂を運び続ける『運命魔女』は天を仰いだ。

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