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星に願いを(前編)

 「次、ここに置いておくから」

 こくりと頷き、リティは再び読んでいる魔導書に眼を落とした。このあいだ精霊中核市で入手してきた希少本だ。リティの書架にはもう入りきらないため、空間の曲率を操作して異空間の押し入れを作ることにしていた。ぼくはそこに手を突っ込んで、まだリティの読破していない魔導書を運ぶ仕事を担っていた。あれほどの力を持つ、通り名を持つ魔女だというのに、リティの勤勉さは眼を見張るものがあった。

 「しかし、これだけあるのにまだ読み足りないとか、何が書いてあるんだろう」

 家事の合間に出来たスキマ時間にぺらぺらと捲って見たことがある。ぼくにだって読めるような文字だったけれど、構文は非常に古臭く、読みづらいものだった。数学のように精緻で緻密なのはわかるけれども、非常に論理的に並び立てられたその論文のようなものは、魔法というよりも科学のそれに思える。

 「『印刷機』なるものがかつてはあったんだけど、ここの魔導書はすべて写本だ。中にはアカデミアの学生が練習ついでに写したものもあるかもしれないけど、真の価値のあるものは、高名な魔女が記したもの。書かれている文字列は変わらないにも関わらずだ。理由はわかるよね?」

 テーブルでミルクを舐めているラウドにそう聞かれ、ぼくは頷く。

 「要は『それっぽさ』が必要なんだろ。魔法に必要なのは、『意志』と『法則を騙すほど信じる力』」

 「ご名答」

 魔箒がなぜ空を飛べるのか。たしか造られた日にヤガーに言われたのだ、『魔女装束の人間が箒に跨ると空飛べそうだろ?』と。機械的に複製された魔導書よりも、高名な魔女が記したもののほうが、魔導書としての価値は高いに決まっている。騙されやすい法則に支配されたこの宇宙なのだから、このくらい緩いルールなのだ。

 「『ウィスクもせっかくだから、いくつかの魔導書で勉強してみたら?』って顔をしているね」

 「ぼくが?」

 「ほら、またノイズィに拉致られたときに多少なりとも抵抗できたほうがいいんじゃない?」

 「通り名を持つような魔女に対抗できるわけないだろ……」

 精霊中核市、ラティナリオ大聖堂の加護があったとはいえ、リティを一時的にでも凌駕する力を誇った『騒動魔女』だ。まだ少年だとはいえ、こんなちんけな魔箒が勉強したところで、どうこうできるレベルでは――。そんなことを思っていると、リティが不意に立ち上がり、ぼくをまっすぐに見据えた。肩に手をかけ、息がかかるんじゃないかと思うほど近くにリティに顔がある。ぼくはばくばくする心臓の鼓動を感じながら、つばをひとつ飲み込んだ。

 「……えっ」

 耳元で囁かれたその言葉は紛れもなく、リティの言葉で。顔を耳まで真っ赤にしながら、リティはそっと離れていった。ラウドが眼を丸くして驚いている。ぼくはそれ以上に、時間を止められたかのようだった。『できるわけない――、それは魔女にとっての禁句。諦めの言葉。それでは法則は説き伏せられないわ』という意味の言葉。けれど……。

 「リティ!」

 ぼくはその意味に気づいてバッと振り返ったけれど、リティはベッドにうつ伏せで突っ伏して枕に顔を押し付けていた。ブーツに包まれた脚をばたばたさせ、長いつばの魔女帽子はねじれて皺になってしまっている。何かいたずらがばれてしまった子供のような振る舞いに、ぼくはそれ以上追求する気にならなかった。彼女が精霊中核市に移住しない理由もなんとなく察することも出来たが、そこまでして隠していたものをいまこうして明かしてくれたということはある程度信頼されているということなんだろうか。

 「ウィスク。聞いたんだね?」

 「ん、あぁ。魔女にとって諦めは禁句だって」

 「そうじゃない。いや、それも重要だけど、そうじゃないだろ?」

 ぼくは返事をするのも億劫で考えこんでしまった。いまぼくに与えられた断片的なピース。それは複雑に絡み合っているようで、実は合理的な一本の線の上にあるような気がしたのだ。まだ整理は出来ていないけれど――。ベッドでばたばたしていたリティはいつのまにか眠ってしまったようで、穏やかな寝息を立てている。ぼくは毛布をかけてやりながら、手元にあった魔導書に目をやる。ずっとベッドの脇に置かれていた、ぼろぼろの魔導書だ。

 「それはリティが幼いころから持っていた最初の魔導書だってさ。ボクが仕える前の話だ」

 「……そっか」

 少し気持ちを落ち着ける必要があった。気を紛らわせるため、ぼく本体で家の隅から隅までを掃き尽くすことにした。さすがにリティの魔法で空間を固定されている異次元書架は触れなかったものの、台所からリビングから寝室からベランダまで片っ端から履いていった。多少ぼく本体が傷んでも容赦しなかった。ぼくは魔箒。空を飛ぶために造られたのだが、それが叶わないのなら、せめて箒らしく振る舞うべきだ。

 そんなぼくを見て、ラウドが心底同情したような顔で肩に登ってきた。

 「リティに恋をしちゃったのかい? でも残念なお知らせがある。小さなころからリティには心に決めた男性がいたらしいんだ。例の魔導書をくれたらしいんだけど、それ以上のことはボクも知らない。悪いことは言わないから――」

 「……」

 「悔しい気持ちもわかるよ。ボクだって好きなんだ。リティを愛してる。でも、悲しいけど使い魔なんだよね」

 結局、リティはそのままベッドで寝入ってしまったまま、夕飯にも起きてこなかったので、ラウドの簡単な食事を作るだけに終わった。一応念のためいつでも食べられるように簡単なクッキーだけ作ってから、ぼくはいつものようにベランダから外に出た。リティがぼくのためにと作ってくれた椅子に腰掛けて、ぼく本体を抱きしめる。漆黒の森のなかで、星々が瞬いている。眼を凝らせば、箒星が見つけられるのかも知れなかったけれど、見つけたからといってするような願い事なんてなかった。

 「……箒星に願い事を」

 『彼女』はあのときそう言った。星降る丘の上で。

 「ラウド」

 「急にどうしたんだよ、悩みがあるなら先輩に話してみるといいよ」

 まだ自分の中でも整理ができていないことではあったけれど、このまま抱えているよりはマシかと思った。ラウドの底抜けな明るさが救いとなった。共犯者になってもらおう。ぼくは、ぼく本体を抱きしめる腕に力を込めた。

 「ぼくは、『ウィスク』。ヤガーに造られた魔箒だ。この身体は接触魔導術式で制御している影人形『マイノ』のもので、ぼくはただの箒に過ぎない。でも、ぼくが持っているこの記憶はなんなんだろうって思うときがある。ぼくはたぶん人間だったんじゃないのか、ラウド」

 「……」

 予感はあった。でも、確信がなかった。魔法具を出荷しているヤガーが、先天的に人間ベースの記憶を入れたのだと思っていたこともあった。しかし、それも崩れてしまった。ぼくはたしかにこの世界に人間として存在し、行動し、そして死んだのだ。

 「黙ってるってことは――」

 「都市伝説だよ。あくまで噂さ。ヤガーの魔法具製造は桁違いに性能がいいものだけど、その製法は完全に秘匿されているんだ。ただ、これほど人間らしく振る舞う人格の精製ってのは本当に骨が折れることなんだよ。だから、死者の魂を埋め込んでいるんじゃないのかって話はある。でも、それを問いただすなんてことは誰にもできない。ヤガーの魔法具はなくてはならないものだから」

 「……なるほど」

 「ボクだって使い魔だ。幼いリティがヤガーの隠れ家を訪れて手に入れた。だから、できるだけ考えないようにはしていた。それに仮にボクがどんな猫の、あるいは人間の魂だったとしても、ボクはラウドだ。リティの使い魔。それ以上でもそれ以下でもないし、ボクはそれを望んでいるから。でも、ウィスク、君は――」

 「これから話すことは、リティには秘密にしておいて欲しい」

 満天の星空に、箒星がひとつ流れていった。

 

 あの魔導書『ヴォイニッチ』を幼いリティに渡したのは、たぶん、ぼくだ。

 記憶は曖昧だけれど、それは憶えている。ぼくはきっと精霊中核市かそれに準ずる都市の生まれで、両親に連れられてある村に視察に行ったんだ。両親は警備隊だったのかな、ひとりで留守番もできないからって、家の初心者向けの魔導書をひとつ持って行ってついていった。そこで現地の少女と仲良くなって、もう読み終えた魔導書を渡したんだ。

 その村は本当に辺境の地区で、魔法使いや魔女なんて輩出できるような環境でもなかったし、そもそも才能のある人間は精霊中核市に取られていったから、みな、魔法とは無縁の貧しい生活を送っていた。少女もそうだった。けれど、やたらぼくの持っている魔導書に興味を示していたんだ。そんなに気になるなら、やるよって言っても、わたしには無理だと言う。

 「できるわけないってのは、魔女にとって禁句だ。それじゃ、法則は説き伏せられない」

 そう言って、ぼくは彼女に魔導書を押し付けた。

 その村への滞在はおよそ二週間ほどだったと憶えている。そのあいだに両親がどういう仕事をしていたのかはわからないけれど、精霊中核市の警備隊がわざわざそんな地方でやるようなことなんて想像がつかない。ぼくと少女はたびたび会うようになって、近くの丘で一晩に一時間だけお話をしていた。手土産で持っていった目玉焼きを美味しそうに食べていた。逆に、彼女が持ってきた焼きトカゲは恐ろしくて食べられなかったっけ。魔導書についてわからないところは、そのときに教えていた。かなり飲み込みが早くて驚いたんだ。三日目の夜には、掌から炎を出して二人で笑っていた。

 星降る丘。

 あの日、『願い事は唱えられた?』という意味の言葉を言った。ぼくは首を横に振った。箒星がよく見える夜空の綺麗な丘だったけど、村ごと滅ぼすような隕石が降ってくるなんて絶望するしかないじゃないか。退避は間に合わないということで両親が必死に結界を貼っていたけど、ぼくが震えるばかりだった。あれは願い事を叶えてくれる流れ星じゃない。ここに堕ちてくる隕石だ。でも、彼女は『わたしはしたよ、願い事』とほほ笑み、木彫の簡素な杖を手に、それに立ち向かったんだ――。


 「そこで、ぼくの記憶は途切れてる。きっとぼくの生命は。両親も。あの村も。でも、リティが生きていてくれてよかった」

 「……信じられない」

 ラウドがたっぷりの沈黙の後、そう漏らした。そうだ、ぼくだって信じられていない。

 「でも、状況は揃っている。ぼくの朧気な記憶は捏造されたものじゃない。最初は随分と曖昧だったけれど、リティと暮らしていくうちにピースが嵌っていった。霧が張れるように見えてきた景色は、きっと、あのときリティと一緒に見たものだ」

 背後で足音がして、ぼくたちは飛び上がるように振り返った。そこには月光に照らされた白の魔女。あのときとは見違えるほど成長した、『静寂魔女』の姿がそこにはあった。青色の瞳にはいまにも溢れんばかりの涙が湛えられており、ふるふると小さく震えていた。素足のままベランダに降り、ぼくの背中に抱きつく。暖かく、柔らかい感触を受けて、ぼくが息を呑む。

 あのとき必死に杖を振り舞わして初級簡易魔法を展開していた少女がこんなに――。

 「……っ!」

 ピリッと静電気が走るような感覚がした。リティが険しい表情でぼくを睨みつけている――、いや、ぼくの服だ。影人形マイノの漆黒の外套。白く細い指で何かを摘みあげる。それはともすれば気づかないような、針のようなものだった。ちょうど月光が反射して気づいたのだろう。リティの瞳が猫のように一気に細くなり、じぃっとその針を見つめる。仮縫いのものが取れてないだけなんじゃ――と言いかけたところで、その針から無数の色とりどりの円環が爆ぜて飛び出してきた。

 「にゃにゃ!?」

 リティの指に残されたのは炭化してぼろぼろになった金属体。

 「円環回路を刻んだ魔法針……、ヤガーの工芸品アーティファクト。きっとノイズィが仕込んだんだ」

 「たしかに触れられはしたけど、全然気が付かなかった。どうしてこんなことを」

 ラウドが毛を逆立たせて、精霊中核市のほうを睨みつける。

 「リティの隠れ家は魔導的に隠されているんだ。精霊中核市側からいくら探査魔法ソナーを打っても、森で弾かれるか、この家の特殊な素材によって吸収されて無効となる。精霊中核市から帰るときだって、無駄にいろいろ迂回をして帰ったり、やつらには決してバレないように気を使っていた。まさかこんな手段で来るなんて」

 ぼくは歯ぎしりをした。迂闊だった。

 「あの拉致はブラフだったのか」

 「そういうこと。ところであれから何日経過してる? これがずっと精霊中核市に位置座標を送っていたとしたら――」


 「こんばんは。ぼくは再びお目に掛かれて幸せだよ、『静寂魔女』リティ」


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