『騒動魔女』ノイズィ(後編)
「むかぁし、むかし、といっても五年くらい前のお話。君の知らない『静寂魔女』リティの物語。知りたいでしょ? ねぇ、知りたい? まだこの精霊中核市が彼女のことをまったく把握していなかった頃の物語。選ばれた魔女にしかつけられない通り名が彼女につけられたその経緯。知りたい? ねえ、返事をしてくれなきゃわかんないよ~」
けらけらと舌っ足らずな声でよく喋る。『騒動魔女』ノイズィ。その振る舞いは『静寂魔女』リティとはまったく対照的なものだった。ぼくの知らないリティの謎は気になるけれど、それよりぼくはいまリティの人質になっていることを忘れちゃいけない。隙あらば逃げ出す覚悟で、ぼくはぼく自身を強く握り、接触魔導術式のリンクを確かめる。
「こら」
いつでも立ち上がれるようにと体勢を変えた瞬間に、彼女の脚が伸びてお腹を蹴られた。そのままバランスを崩して倒れたぼくの身体を、ブーツを脱いだ彼女の脚が弄る。それはふざけているようであり、外套を介しているとはいえ、接触魔導術式の妨害には十分すぎるほどだった。脱力するように、身体への力の伝達にノイズが入る。
「駄目だよ、ちゃぁんと話を聞かなくちゃ。今は昔、精霊中核市には六人の通り名を持つ魔女がおりました。もっとも一人は壁外にいたし、もう一人は行方不明といった有り様だったけどね。さて、残りの四人の通り名を持った魔女に祝福された子供がおりました。少年は生まれながらの王侯貴族にして、教皇の血を持つ、とっても最高に権力を持って生まれた男の子だったのです」
「……っ」
身動きを取ろうと思っても、マイノのコントロールが復帰しない。彼女のつま先が外套越しに触れる度に円環が広がり、魔法的な干渉を受ける。ぼくが直接接触しているというのに、彼女は外套越しの接触で拮抗している。世の理に対する説得力、精霊中核市に8人しかいない通り名を持つ魔女の力。
「少年はその類まれなる才能と最適な教育環境を元に、優秀な魔法使いに成長する予定でした。みな、それを望み、次期教皇を前提とした教育を施していったのです。この精霊中核市のすべての願いを束ねる存在にしようと、少年に大きな力を授けていきました。みなは危惧しました、まだ早いのではないかと。しかし、少年自身だけは気づいていたのです、まだこの器はまったく満たされていないと」
ノイズィは指を鳴らし、空間に大きめの円環を造り上げた。鏡のように、その魔導円環の中に映しだされたのは、絵本のような抽象的な映像。「えへへ、これはぼくが描いたんだよ」と笑う彼女。画用紙にクレヨンで描かれているらしいそのイラストは、バウムクーヘンを食べようとしている巨大な怪獣が描かれているようだった。
「分刻みで管理される生活に飽き飽きしていた少年は、とある悪戯を思いつく。ラティナリオ大聖堂の秘密の小部屋から禁断の魔導書『ファミリア』を盗み出した少年は、そのままそれを詠唱してしまいます。『帝龍』の召喚。それはとても常人には不可能なレベルの召喚魔法でしたが、そこはラティナリオ大聖堂、精霊中核市の意志の集う場所、住民たちすべての魔力が信仰というかたちとなって、少年の魔法に力を貸していたのです」
絵に描かれていたバウムクーヘンはこの円形城塞都市。巨大な怪獣は『帝龍』という存在らしい。
「おい、『静寂魔女』リティの話だよな?」
「慌てない。早い男は嫌われるよって、始祖様の従者が言っていたよ?」
ガシガシと柔らかい脚の裏の感触が伝わる。その角度から絶妙には見えないが、ベッドに腰掛けているノイズィの短いフリルのスカートが際どい影を作っていた。
「ま、と言ってもすぐに登場するんだけどね、リティ。才能にあふれた少年は魔力容量は豊富にあったけれども、その制御技術までは習得できていなかった。とりあえず多次元宇宙の向こう側から『帝龍』は呼び出せれたけど、まったく持って制御が効かなかった。豊富な魔力を浴びて調子に乗った帝龍は暴れて街を滅ぼそうとした。少年はなんか楽しくなって笑ってた。そこで街を救ったのがリティだってわけ。ちゃんちゃん」
「おい、早過ぎるだろ後半」
「要はたまたま精霊中核市の近くに住んでいたリティが、次元を揺るがすほどの魔力の乱れに気がついて駆けつけてくれたってわけ。そのあと異次元レベルの魔法の応酬があり、最終的には怪獣を懐柔できたってわけさ。もといた次元に帰っていったね、満足そうに。それ以来、精霊中核市の人々は彼女に通り名をつけ、一言も喋らなかったことから『静寂魔女』と敬意を込めて呼んだのさ。それが、この事件の経緯ってわけ」
「リティはそんなにもすごい魔女だったのか」
いや、只者ではないとは思ってはいたが、いまの話を信じるならば、大都市をひとつ丸々救った英雄だ。その当時、リティが何故精霊中核市の近くに住んでいたのかはわからないが、少なくともこの事件が起こって解決してから、その英雄がいまだにあんな小さな家で住んでいるというのも解せない。
「リティは、そんなにも、すごい、魔女なのさ」
ノイズィは一音節一音節に感情を込めて、頷いた。陶酔するような表情で、頬もわずかに上気している。「でも『静寂魔女』のすごさはそれだけじゃなくてね――」ノイズィはそこで思わせぶりに言葉を切った。彼女は脚は相変わらずぼくの下腹部の上にあり、小悪魔的な笑みでぼくを見下ろしていた。
「続きを聞きたいなー」
「素直な子は好きだよ」
ノイズィは満足気な笑みを浮かべて、脚を組み替える。
「世の理の説得――、これがこの世界の魔法と呼ばれるものの唯一絶対なルールだ。魔法、魔術、魔導、厳密には微妙に違うけれど、目指すべきところは同じ。ミュートス地方では『神の台本の書き換え(アカシックリライティング)』なんて呼ばれていたっけ。さて、君が誰かを説得したいとする。説得の上、自分に都合の良いように解釈してほしいと思っている。そのためには自分自身が強く信じきることが肝要であり、基本だ」
「それが、魔法」
ラウドに言われたとおりの基礎的講義だ。ぼくだってまだ初歩的な魔法しか使えないけれども、マイノを操作するときは『この影人形はこう動くのが当然なんだ』と信じこませながら動かしているし、リティに乗せて空を飛んだときも疑うことは厳禁だと思っていた。リティだってその理屈で魔法を使っているはず――、なのだから、ノイズィのこの解説がどう『静寂魔女』のすごさに繋がるのか予測ができなかった。
「ただ、自分で信じきるという手法は簡単ではあるけれど、もちろん限界もある。相手に働きかけていないからね。説得、つまりは交渉。交渉するために自分自身だけで完結するなんてことはないよね? 相手に『こうこうこうだから、こんなことが起こって当然ですよね!?』ってプレゼンテーションできれば、それはとても強力な説得材料になると思わない? これをね、『詠唱』と呼ぶんだ。聞いたことあるでしょ? ちなみに古語ばっかりでお硬い文章なのは『それっぽい』からで、ぼくみたいに言いたいことをだらだらしゃべり続けるのも『詠唱』というアクセス手段さ」
「たしかにリティは喋らないから――」
「そう。あの『帝龍』をまったく無詠唱で懐柔させるという、これはとんでもないことだよ。だから、精霊中核市の人々はね、尊敬と羨望となにより畏怖を込めて、リティのことを『静寂魔女』と呼ぶ。だから、ラティナリオ大聖堂の上層部はね、それほどの魔女を都市に入れたいと願っているのさ」
「……」
「もっともぼくは違うけどね」
「どういうことだ?」
「だから言ったじゃん、身体目当て」
ベッドについた両腕を股で挟むようにして、ノイズィはもじもじとし始める。白い頬は桃色に染まっている。まじか。とぼくが声を失っていると、不意に『身体目当て』という言葉が具体的なイメージを持って頭のなかに膨らみ始めた。ノイズィがもじもじしている下で、ぼくはいままで出来るだけ見ないようにしていたリティの、日常生活上仕方がないけれどぼくには少々刺激が強すぎた事件を思い出していた。例えばそれは洗濯のときであったり、トイレ掃除のときであったり、沐浴の手伝いに言ったときであったり。
「あれ……、魔箒くん、硬くなってるけど?」
「い、いや、これは」
「脚でこうなっちゃうんだ、ふーん?」
フリフリ衣装の小柄な魔女は脚を組み替え、きわどいスカートの影が視界に入る。くそ、なんでヤガーは影人形なんかにこんな機能をつけたのか。恨み節を言いたくなったが、全面的にぼくのせいなのだから情けなかった。しょうがないだろ、年頃の男の子なんだから。――年頃の男の子なんだから?
「魔箒のくせに。あ、でも魔箒だから硬くなっちゃうのかな? ねぇ、もっと気持ちよくしてあげよっか?」
蛇を思わせる舌なめずりにぼくは怖気が走り、慌てて話題を元の方向に戻そうとする。
「あ、あれだ。そう! 当時通り名を持つ魔女は6人だって言ってたよな!? その後増えたのが『静寂魔女』だとして、もうひとりは誰なんだよ?」
「もう一人もその事件がきっかけで制定されたよ」
「まさか『帝龍』?」
「『帝龍』召喚の実力を買われた『騒動魔女』」
ぼく、とノイズィはいつもの悪戯気な笑みで自分を指さした。なぁんだ、『騒動魔女』か。たしかに制御に失敗したとはいえ『帝龍』を召喚するだけでも凄まじいことなのだろう。なにしろ都市一つ平気で滅ぼせるような怪獣を、年端もいかない少年が呼び出したのだから……。
「――って、おい!」
「あれ、ほんとに女の子だと思ってくれてた? だとしたら嬉しいなぁ」
そういいながら、彼女は――、もとい、ノイズィは際どいスカートを恥ずかしそうに捲り上げて、ぼくはそこにあるべきではない怒張した何かを目撃して、いま起こっているこの状況に絶叫した。なにかしら糾弾しなければならないと頭では思っていたが、何一つ言葉にならず、「……な、はぁ!?」と怯えたような声を出すばかりだった。
「ふふ、かわいい」
ノイズィはベッドから降りて、動けないままのぼくの身体にゆっくり舐めるようにのしかかってきた。声も出せないぼくは震えながら、抱きついてきたノイズィの吐息を耳元で感じていた。さきほどの股間のあれさえ見なければ、かわいいかわいい少女である。その倒錯感にぼくは頭がどうにかなってしまいそうだった。
「……」
「ひゃっ」
ノイズィの言葉はぼそぼそとしすぎてあまり聞き取れはしなかったが、敏感な耳元に息を吹きかけられると我ながら変な声が出てしまう。細い腕が身体中を弄り、脚に太ももを絡ませてくる。じたばた暴れようとしてみるも、接触魔導術式の主権はあちらに傾いていて、かといってリンク解除もできない状態だった。この状態でただの動けない箒に戻ってしまっては、逃げ出す一瞬のチャンスを逃してしまう。いや、この感触を楽しみたいわけではなくて――、相手は男だし――。
なんて考えていると、部屋中に無数の緑青円環が花開いた。
「ウィスク! 無事かい!?」
ラウドの声が聴こえるとともに窓ガラスが割れて、壊れかけのモップを片手に持っている白装束の魔女が現れた。目深に被られたその三角帽子の奥には鋭い猫の瞳。肩には黒猫。窓枠に降り立った『静寂魔女』はただただ無言で『騒動魔女』を睨みつけ、ここまでの飛行に使ったであろう小汚いモップを投げ捨てた。
「リティ、待ってた。ずっと逢いたかったよ、『静寂魔女』」
ぼくにのしかかっていたノイズィは恍惚に満ちた表情で、リティのほうを見やった。ゆっくりと立ち上がり、部屋中に開いた円環を流し見る。散乱した怪獣ぬいぐるみの一体が被っていた魔女帽子を手に取り、被り、ベッドに立てかけられていたステッキに手を伸ばす。
「……!」
リティが指を鳴らすと、天井に開いていた魔導円環から鋭い長剣がギロチンのように降ってきて、ノイズィは「おっと危ない」と笑いながら手を引いた。それはとてつもない質量だったらしく、床にめりめりと沈み込んでいき、やがて粒子となって消失した。「こうでなくっちゃ」ノイズィが呟いた。
「憶えてる? ぼくのこと。『帝龍』のときにはお世話になった。まさかあれを止めれる人がいるとは思わなかった。一目惚れってやつ? 颯爽と現れて、この精霊中核市じゅうの願いを一身に引き受けて魔法を練り上げる。しかもまったくの詠唱もなく。そんな魔女は見たことがない。随分と独学っぽいんだけど、本当にこの世界の人間なのかな? まぁいいや」
ノイズィがぺちゃくちゃと喋っているあいだにも、リティの攻撃は止まない。部屋中に空いた円環からは無数の剣が飛び出しては、無防備であるはずのノイズィめがけて弾丸のように放たれる。そのほとんどを彼女――、いや、彼はすんでのところで躱し、そのいくつかを自らの魔導円環で受け止める。
「随分なご挨拶だね、ぼくはもう少し運命の再会を楽しみたかったのに。いくら『静寂魔女』だからってそこまで無言なのは悲しいな。ねえねえ、そこまでして喋らない理由はなに? 聾唖ってわけでもないんでしょう? こんなに誘っているのに精霊中核市に移住しない理由はなに? みんなのためを考えようよ」
「……!」
何十本目かの長剣をするりと躱したノイズィはその柄を器用に捉え、一回転ののちに床に倒れたままのぼくに向ける。マイノではなく、魔箒の柄だ。リティが急いでディスペルをしようとしたが、ノイズィは「遅いよ遅いよ。この子はもうぼくのもの」と笑いながら、魔導円環を構築し、剣の柄から切っ先までを通す。ノイズィの円環が通った後には、ピンクに装飾された可愛らしい剣が一本出来上がっていた。世の理はこれでこの剣の想像主がリティではなく、ノイズィであると認識した。結局、思惑通り、ぼくは無力な人質となってしまったわけだ。
「おい、卑怯だぞ!」
ラウドが叫ぶが、ノイズィに睨まれて息を飲む。
「君に用はない。この精霊中核市の意志はぼくに味方をしているんだよ? よそ者が勝てると思わないでよね」
蛇のような目で睨まれて、ラウドが石のように硬直した。リティもビクリと一度震える。さすが通り名を持つ魔女、『騒動魔女』、あのリティをここまで翻弄するなんて。この隙に逃げ出そうとしたけれど、また鳩尾に脚を置かれてしまい、ぼくは呻いた。ピンク色の玩具のような剣の切っ先は相変わらずぼくの本体の方を狙っており、よく見れば、細かな歯がチェーンソーのように振動しているのがわかり、ぼくは身を震わせる。
「リ、リティが、『わたしはまだ精霊中核市に移住するつもりはない。でも、あなたたちに迷惑はかけないから、ウィスクを返して』って顔をしているよ。『騒動魔女』ノイズィ、『帝龍』事件の召喚主が君なら、君はリティに助けてもらったはずだろ? なんでこんなことをするんだ」
「精霊中核市に移住しないことが、ぼくたちに迷惑をかけているのさ」
「そんな身勝手な!」
ははっ、とノイズィは嗤う。
「ノブレス・オブリージュ! リティ、君がどんな経緯でそんな並外れた能力を身につけたかわからないけど、それだけの能力を持つものにはそれ相応の責任ってやつが発生するのさ。君が精霊中核市に移住するだけで、多くの民が救われる。魔導研究も遥かに進む。君自身のしたいことだって、きっと叶うだろう。ここほど法則の書き換えが容易な場所はないよ?」
「……」
リティの眉がぴくりと動いたのをぼくは見逃さなかった。
「何が不満があるのかな? 食にも困らせないし、ラティナリオ大聖堂が秘匿し続けている魔導書だって開放するよ? お金? 君が精霊中核市に移住してくれることそれ自体が、精霊中核市が君に報償を払わなければならないことだ。魔法使いの未来のため、君の力がどうしても必要なのさ。君だって辺境の異変に気づいていないわけではないだろ?」
ぼくにはあまり馴染みのない言葉だったが、リティは神妙そうに頷いた。
「それを解決する責務がね、精霊中核市にも聖ラティナリオ教にも君にもあるんだよ。ノブレス・オブリージュ。君の力は正しく使われるべきだ。森のなかでただ無為に費やされるべきものではない――、ってのはね、表向きの理由。ふふっ、本当の理由は、『静寂魔女』リティ、君が好きだから」
一瞬でリティの耳たぶが真っ赤になった。ラウドも言葉を失っている。
「あの『帝龍』事件を颯爽と解決したとき、ぼくの心は奪われたよ。君のことを考えない夜はない。君のことを愛している。それに、憎んでいる。この精霊中核市をめちゃめちゃにするつもりだったのに阻まれてしまったからね、恨んでいる。それに羨んでいる。これ以上ない魔導血統のぼくより強い魔女なんていちゃいけない。君の力が羨ましいんだ。ぼくの言った『好き』という言葉は、そういう意味。色々な色がぐちゃまぜになったなんとも形容しがたい濁った色。こんな感情になったのは初めてなんだ」
ノイズィは魔女帽子を脱いで胸に掲げ、ぼくを踏んづけていた脚をどけて、まっすぐに揃えた。
「ぼくと結婚して欲しいな、リティ。精霊中核市を支える分立された三権、すなわち『ラティナリオ教』『魔道貴族連合政府』『民意』のすべてをぼくは持っている。君に苦労はさせないよ」
「『そ、そそそそ、それってプロポーズ!?』って顔してるじゃないか! リティを動揺させようってしたって無駄だ――って言いたいけど、リティはこういう話題はあほみたいに弱いんだ。」
「それは好都合、赤くなってる姿も可愛いね」
ノイズィの追い打ちにリティの目がぐるぐる回っている。耳はもう茹でダコのように赤くなっており、意味もなく外套を前で止めているボタンをこねくり回している。こんなリティを見るのは初めてだったが、胸の奥のどこかがざわついていた。その理由は――、そう、そこまで待遇を用意されているのにも関わらず、なぜ精霊中核市に移住をしないのかということだ。ノイズィの好意は置いておくとして、リティにデメリットはほとんど何もないような気がするんだけど――。
「『ごごごごご、ごめんなさい!』って顔しているね。リティ。まー、慌ててるね。長年リティのそばにいたけれど、こんなパニクってるのは初めて見るよ。金魚みたいに口をパクパクさせているね」
白衣の魔女があわわと慌てているのを、肩の黒猫と女装の魔女と箒の少年が黙って見つめているという不思議な構図だった。と、ようやくここでぼくの束縛が解かれていることに気がついた。ノイズィの突飛なプロポーズに気を取られていた。このファンシーな部屋を包んでいた闘争の雰囲気はすっかりと落ち着き、ノイズィはいま、世にも珍しい『静寂魔女』の慌てふためく姿に心を奪われている。この空間の魔導改変は彼らのハイレベルな魔法の応酬で歪みに歪んでいるから、いまさらマイノとのリンクを接続したところでバレることはないだろう。
――ラウドと目があった。
「『ちょっと考えさせて』って顔している。許しておくれよ。リティは魔法に青春を捧げてきたから、こういった色恋沙汰にはとんと弱いんだ。君のことだって、数年前に帝龍の頭の上で哄笑していた少年って記憶しかないのだから、もう少しお互いを知ってからでもいいんじゃないかな」
「それなら、精霊中核市に来てもらわなくっちゃね。とっておきの焼きトカゲ屋もあるし、掘り出し物の多い古書店だって知っている。ヤガーの魔法具を置いてある店もあるし、この街にはなんでもあるのさ。法則をみなの意志で改変し、みなが幸せに生きてける場所なんだからね、この精霊中核市は!」
ノイズィのその言葉に、しかし、リティは息を一つ飲んで、氷のような眼差しになった。
「――それは」
初めて聞くリティの意味のある言葉が、しんとした部屋に響く。
「……えっ」
ノイズィが呆然としたところに、ぼくはマイノの全力の力で、『騒動魔女』の股間めがけて箒をおもいっきり振り上げた。ぼく本体に生々しい感触がしたが、仕方がない。「~~~!!!」と床に崩れて声にならない叫びを上げているノイズィを背に、「よくやった!」とラウドが声をかけてくれた。ぼくはリティの元までマイノを走らせ、ぼく自身たる魔箒を彼女に掲げる。
「『ありがとう』って顔しているね」
リティはひとつ頷いてぼくを受け取り、横座りに腰を下ろす。無数の円環を展開し、ぼくまでリティの願う法則の支配下に入るのを感じる。破って入って来た窓を彼女が蹴り、ぼくたちは精霊中核市の上空へと脱出することができた。ここでようやく気づいたのだが、ぼくが拉致されていたのは、都市の中心部ラティナリオ大聖堂の塔の中だったようだ。大通りの多くの人が指をさして見上げる中、リティはスカートを押さえて颯爽と風に乗って行った。
ぼくはといえば、ほっとするのもつかの間、ラウド・マイノ・リティを載せて飛ばなければならなかったから、かなり大変な空の旅だった。
※
「お気に入りのカップが割れたから、慌ててリティが精霊中核市に飛んできたんだ。気づいたら、君がいなかった」
「……助けに来たわけじゃないんだね」
「ごめん、それまで子供たちと戯れるので精一杯だった。必死だったんだ、ボクも」
「はいはい」