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空中散歩

 「起きろ」

 「は、はい!?」

 「あんまり大声を出すな、リティが起きる」

 ラウドがぼくを覗きこんでいた。ぼくはさっきまで見ていた夢のようなもののことは忘れ、ぼくを握りしめているマイノのことを再認識した。昨日考え事をしているあいだにテーブルに突っ伏していたようになっていたらしい。ぼくはマイノの視覚と触覚とをリンクさせ、上体を起こして椅子に正しい姿勢で腰掛けさせた。テーブルの上のラウドが二三度頷く。

 「そこまでできるなら上出来。でもあんまり音を立てないで」

 ベッドの方を見ると、リティが静かな寝息を立てていた。毛布はお腹のあたりまではだけており、魔女装束のままだったが、豊満な胸が呼吸に合わせて上下に揺れていた。「何見てるのさ」とラウドがぼくを睨む。ぼくは慌ててマイノの手を横に振った。

 「リティは寝起きが悪いのか?」

 「悪いなんてもんじゃない。それを味わうのは、君のためにならないね」

 ラウドが心底嫌そうな顔をしたので、ぼくは神妙に頷いた。あれほど静かに眠っているというのに、低血圧なんだろうか。ぼくたちの会話がうるさかったのか、眉根を寄せて「うぅん」と寝返りを打った。長くウェーブのかかった髪がベッドに広がり、毛布からは雪のように白くしなやかな素脚が覗いた。ラウドの視線をまた感じたけれど、ぼくはそれどころではなかった。

 ――いま、喋った……?

 聞き間違いではないだろう。意味のある言葉ではなかったが、たしかにリティの声を聞いたのだ。ということは、『静寂魔女』、その奇妙な特性は聾唖によるものではないということがわかる。だとすれば益々疑問は膨れ上がる。それならなおさらなぜ、リティは沈黙を続けるのだろうか。ぼくの沈黙に、ラウドが少々大きめのため息をついた。

 「君の考えていることは薄々分かるけど、意味のないことだよ。それより台所にいって目玉焼きを作るんだ。パンも焼いてね。出来上がるころには、リティも匂いに釣られて起きだしてくるでしょ」

 「ラウドは?」

 「ぼくは二度寝。君が来てようやく食事の準備をしなくてよくなったんだから、それくらいさせてくれよ」

 「結局、小間使いか」

 「もっと大きな仕事がやりたければ、相応の力をつけるんだね」

 「はいはい」

 ラウドが大きな欠伸をしながら、いそいそとベッドの方へ戻っていく。ぼくはマイノの身体の隅々まで意識を巡らせながら、ゆっくりと音を立てないように立ち上がった。台所の場所は憶えている。ふとベッドに入った黒猫のほうを振り返ったが、彼は夢うつつのリティの胸元に入り込んで幸せそうにしていた。家事をサボってそんなことをするためにぼくを呼んだのか。いや、そんなわけはないだろう。

 箒というかたち、その意味。

 掃除をしたいなら、別に魔箒でなくてもいい。あり得るとしたら、ラウドが魔法の説明をするときにいっていた『魔女装束の人間が箒にまたがると、それっぽい』というもの。空を飛ぶ。しかし、昨日一日の様子を見るにリティは本を読んでばかりで、どこかに行こうという意志があるようには思えなかった。他に魔箒の使用用途は――、と考えたところで、いくら自分で推理しても埒が明かないことがわかって、考えるのをやめた。昔からいつもそうだ。わからないことは考えない、そのほうがいい。

 「……昔から?」

 首をひねる。ぼくに『昔』なんてものはないはずだった。あるのは、一日しかない記憶。のはず。

 しかし、ぼくは目玉焼きの作り方も知っており、きちんと調理することができた。


 ※


 「それで、リティ、起きてるんでしょ?」

 「……」

 「あんな買い物をして、どうするつもりなのさ。心は決まったの?」

 「……」

 「そんなことぼくに言われてもわかんないにゃ~」


 ※


 そんなこんなで代わり映えのない日々が一週間続いた。

 ぼくはといえば、日々の雑用の中でかなりマイノの取り扱いがうまくなったように感じた。朝夕のご飯の支度、洗濯(最初はリティの下着も含まれていたのでどきどきしてしまい、ラウドにかなり白い目で見られた)、それにぼくの本懐(?)である掃除。特に掃除をしているときが一番幸せだった。箒としての自分の製作目的ファーストオーダーが満たされているからだろう。

 そんな日々の中、唐突にリティがぼくを掴んでいったことがあった。ちょうど昼食が終わったころで、慣れたマイノの操作で食器を片付けて一服したころだった。いつものように無言のまま、事情がよくわからないぼくを掴んで、外に出る。白い魔女装束に身を包んだ彼女の眼はいつもよりも少しだけ鋭かったように思う。

 「試運転さ」

 リティの肩から降りたラウドは、尻尾を器用に回転させ、円環を描いた。その円環で区切られている空間がぐわんと歪み、やがてそれは鏡として機能するになった。とん。ぼくの身体が柄の部分を下にして地面に突き立てられる。純白の魔女装束に身を包んだリティは、『まさにそれ』で、さまになっていた。相変わらず何も喋らないが、三角帽子のつばを掴んで目深に被り、納得するように微笑む。

 見とれていたぼくは、急に身体を半回転されて情けない声をあげてしまった。柄の先にリティの右手、穂先に左手を置かれ、そしてリティが座ると同時にぼくの身体の大部分がその柔らかさを感じた。どきどきしてしまったが、すぐにリティの魔力が身体に漲ってくるのがわかった。毛先が震え、大気のちょっとした流れすら掌握できているような感覚になる。

 ふわっという浮力とともに、脚が離れたリティの体重がどっとぼくの身体にのしかかる。決して重くはないのだけど、おしりの柔らかな感触がより密着して感じられる。リティの細くしなやかな人差し指が、とんとんとん、とリズムを取っていた。

 「飛べそうかい?」

 ラウドは再びリティの肩まで駆け上がり、ぼくはもろにその体重分の負荷を受けた。

 「……」

 「さすがヤガーだね」

 リティの表情から何かを察したらしいラウドが、返事をした。

 一度、重力の枷を離れてしまえばあとは楽だった。飛べる、という事実を身を持って体験すれば、それはもうやれて当たり前のこと。ラウド風に解説をするなら、物理法則が『この箒に乗れば飛べるに決まってる』と思い込んでいる状態なのだろう。リティの指先のリズムに合わせて、徐々に高度が上がっていく。

 一メートルほど浮いたところで、リティが長い脚をぶらぶらさせて、指先のリズムを早くした。ぼくはリティの魔力の流れを決して見誤らないように(そして自分が飛べるということを疑わないように)集中し、全身をリティの感触に傾けていた。

 「おいおい、ウィスク。変なことを考えるんじゃないよ?」

 「う、うるさい!」

 リティがぶるっと脚を震わせる。高度はおよそ二メートル。ゆっくりゆっくりとこの高度まで上がっていった。とんとん。指先のリズムが早くなり、彼女の体重が柄先の方に傾けられる。

 「そうそう。ウィスク、落ち着いて。君は飛ぶために生まれてきた魔箒だ」

 「わかってる、集中させてよ」

 「……っ!」

 またしても、リティが身体を震わせた。不思議に思って彼女のほうに意識を向けると、ラウドが慌てていた。「あー、ほら、ウィスクが喋るときって、その身体を震わせて音波出してるからさ、その、ね、わかってよ」というラウドの言葉に、ぼくは「あー」とようやく事態を理解し、彼女を載せているあいだは一言も喋るまいと心に誓った。リティは耳を真っ赤にしていた。

 かくして、まったく喋られない魔女とまったく喋れない魔箒に挟まれて、魔猫もまったく喋らない。はじめのころこそ「うわー」とか「気持ちが良いねー」なんて一人で言っていたが、ぼくもリティもまったく反応しないので、居づらそうに黙っていた。森を見下ろし、鳥を追い越し、風を全身に感じる、30分ほどのめくるめく空の旅だったが、終始みな無言だった。降りてから、ようやくラウドが口を開いた。

 「息が詰まるかと思った」

 リティが降りるのをきちんと確認して、「あんな静かなラウドは初めて見たよ」とぼくは呟いた。


 ※


 梟の奇妙な声が響く中、(マイノに握られた)ぼくは、夜空を見上げていた。

 あのことがあってから、リティは晩御飯を食べてすぐに眠ってしまった。まさか箒が自身を振動させて喋るとは思わなかっただろうから、事故だ。しかし、これで空を飛ぶために魔箒を発注したのだということはわかった。どこへ行きたいのかはわからないのだが。

 おしりの感触は憶えているが、それ以上に、魔箒である自分が魔箒として使われたことが嬉しかった。存在意義というやつだ。

 森の隙間からは月の光が煌々と降り注ぎ、リティの隠れ家のベランダから見つめることができた。ずっと見つめていると、ときたまスッと光が横切ることがある。流れ星というやつだ。これに願い事をすれば叶うと聞いたことがある。

 ――誰から?

 不意に毛先が揺らいだものだから、後ろを振り返ると、ラウドが四足を揃えて座っていた。月明かりくらいしかまともな光源のない世界で、その瞳孔は開き、輝いている。眠そうに欠伸をしながら、こちらに歩み寄ってきた。「リティが拗ねちゃって困る。まだオネムの時間じゃないのにね」とぼくの隣に座る。

 「箒星にでも願い事をしているのかい?」

 「本当はヤガーに聞くべきことなんだろうけどさ、」

 ぼくは座っている。正確に言うなら、ぼくの操作を受けているマイノが座っている。ぼくはその影人形に抱きしめられているだけだ。接触魔導術式。慣れてしまえば自分の身体のように操作ができるけれど、ぼくは魔箒であり、ぼくは箒としてこの世界に生を受けた。――まただ。慣れてしまえば自分の身体のように? いつぼくが人間サイズの身体を持っていたというのだ。設定だけ奇抜な小説の一人称じゃああるまいし。

 「ぼくは本当に箒なんだろうか」

 「箒さ」

 「……いや、そういうことじゃなくて」

 「ウィスク。君の疑念の回答をボクは持っているのかもしれないし、持っていないかもしれない。ここでボクが何か答えを提示したところで、君のためにはならないとボクは思う。それにね、まだこの家に来て一週間だろう? まだこれからたくさんやってもらう仕事があるんだ。ヤガーにだって会うことがあるだろう、あんな遠いところもう徒歩で移動したくないしね」

 「いつか明らかになると?」

 「さぁね、ボクたちが生きているのは小説家の描いたファンタジー世界じゃあない。もしこの世界が小説ならば、意味深な言動もいまは理解できない謎も些細な伏線もすべて納得のいくかたちが回答が提示されるだろうけど、あいにくここはそうじゃない。わからないことのほうが多い。でも、きっとそれはわからなくてもいいことだ。ただし、考えることを放棄しちゃいけない」

 冷たい風が吹き抜けて、ぼくとラウドは星々の瞬きに眼をやる。深遠な闇の中に、またひとつ光の筋が流れた。箒星。箒星がひとつ、堕ちた。気が付くと、ラウドが悪戯そうな眼でぼくを見上げていた。

 「願い事は唱えられたかい?」


 ※


 「ほらほら、ウィスク。リティが、『お天気がいいからお布団を干してほしいな。あ、あと午後の読書に紅茶を淹れて……って、お茶っ葉切れてたっけ? それなら台所の下の引き出しに予備があるから開けておいてよ。それから書架の魔導書グリモアの『ロガエス』から『レヒニッツ』までを出しておいてくれると助かる。それが終わったら、少し休んでいいよ。ちょっと毛先がほつれているね、毛づくろいしてあげよっか? 箒に毛づくろいって言うんだっけ?』って顔してる」

 「……おぅ」

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