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使い魔ラウドと影人形マイノ

 「それで遥々ヤガーのところまでいってきたけど、魔箒なんてほんとになんのつもりだったの?」

 「……」

 「ふぅん。ところでヤガーがまたお茶したいって」

 「……」

 「だよねぇ」

 二人の会話(会話が成立しているようだからそう描写したけれど、音声としては、どう考えても静寂魔女が喋っているようには聞こえない)が離れていき、やがて聞こえなくなった。かくしてぼくはひとり、動かない影人形シャドールに掴まれたまま太陽に干されることになった。箒としての宿命なのか、やっぱり太陽に当たるのは気持ちが良かった。産まれてこのかた、埃っぽいヤガーの店内と昏い森の中しか経験してこなかったからかもしれない。箒というからには、もとは植物だっただろうから、その本能も働いているのかもしれない。

 マイノはぼくを掲げて、リティがいた椅子に向けて立ち尽くしているばかりである。ぼくは毛先を風にそよがれているだけである。視界の右半分はリティの隠れ家であるが(ガラスの向こうには奇妙な薬品の数々や書籍の書架が見える)、ほとんどは森と青空だった。ここに来る途中にラウドから精霊中核市についての講義を一晩かけて受けたのだけど、だとすればなおのこと、リティは何故こんなところに住んでいるのだろう。

 「いいかい、精霊中核市の前身は城塞都市アイザックにまで遡る。そのとき魔法は認識されていたが、いまみたいに厚く保護はされていなかった。魔女は森のなかに小屋を作って、密かに暮らしていたんだ。それが変わったのが、魔法に理解のある始祖トマス・ディデュモイ・ラティナリオと始祖マナリア・ディデュモイ・ラティナリオ。都市の混乱期も重なっていたからその五百年前の革命劇は詳しい資料は残っていないけど、いまは都市の守神として祀られている」

 たしかそんなことからスタートしたと記憶している。そこから初期の政治体制や権力の移り変わりの章に入ったけれど、そのあたりはぼくが眠っていたため憶えていない。憶えているのは、そして特に印象に残っているのは、魔法の原理とそれに付随する精霊中核市の仕組みだった。

 曰く、『物事にはすべて2つの面がある。城塞都市アイザック、科学の都だったそれは物事の物理的な一面しか見ていなかった。けれど、物理的存在にも、情報面という裏の面がある。情報質量を持ち、それは情報質量×改竄加速度の力で変形を加える事ができるのさ。情報質量×情報伝達速度(光速)の二乗のエネルギーを持ち――(中略)、要は、事象をいかに騙しきるかということさ。聞いているかい? 例えば、あそこにある樹を魔法で倒すとする』

 マイノの腕が樹を指さした。

 『あの樹は根本からばりばり音を立てて倒れなければおかしい。倒れる方向は術者から見て4時の方向で、倒れた後は通常の物理法則に従うものとする。けれど、やっぱりあの樹は折れて倒れないとおかしいよなぁ、不自然だよなぁ――なんてことを真剣に想像するのさ。それが意志の強さと呼ばれる、改竄加速度。静止情報摩擦力を超えた力がかかると、事象が動き出す』

 ぴきっ、ぴきっ、と幹の表面に断裂が走る。

 『法則が騙されて『ああそうか、あの樹は折れて倒れないとおかしいよな、たしかにたしかに』と納得をすると、こちらの勝ち。ほら、ぼくの言ったとおりになった。同様の原理で、空も飛べるし、火を起こしたりもできる』

 『そんな自由にできるなら、魔法具ってなんのためにあるんだ?』

 『演劇衣装のようなものさ。想像の力を強化する。三角帽子に黒い外套に猫を連れた魔女が箒に跨れば、『なんか飛べそう』だろ?』

 たしかに、と頷いてしまった。

 『それを都市の規模で行うのが、精霊中核市さ。有能な魔女が集まれば、それだけで事象を騙しやすい、つまり魔法が発動されやすい場が生まれることになる。これだけ大勢の人が魔法を信じているのなら、起こっても仕方がないネって、マヌケな神様は思ってしまうのさ』

 なるほど。精霊中核市というのはそういう仕組らしい。そのときはすんなりそう納得をした記憶がある。が、この隠れ家のようなもの、ラウドが語ったかつての魔女ならばともかくも、魔法が発動しやすく、同族が集まっている精霊中核市から離れる理由は、いまのぼくでは思いつかない。ラウドは、影人形マイノを使って、精霊中核市に買い物に行くと言った。だとしたら、嫌っているわけではないのだ。

 ――なんて風に吹かれながら思案をしているあいだに、陽は傾き、影を長く伸ばし始めた。毛先を震わす涼しい風は、いつのまにやら肌寒さを覚えるほどで、そうこうしているあいだに陽は完全に森の向こうに落ちてしまった。視界の端にあるリティの家では、ランプがつき、美味しそうな晩餐の匂いが漂ってる。いや、ぼくは箒なのだからお腹は空かないけれど、さすがにこの状態は寂しすぎる……。

 「なぁ、そろそろ家に戻ろうぜ。ここ、寒いだろ?」

 影人形マイノはぼくを握りしめたまま一ミリたりとも動こうとはしない。

 「……」

 「……」

 「っくしゅん」

 「……」

 どうやらこの影人形マイノはまったくの木偶の坊のようだった。寒いだとか、お腹が減っただとか訴えても、一ミリたりとも動かない。そんなものにがっしり掴まれているのだから、当然ぼくも動けない。ラウドももう少し気を利かせてくれればいいのに。たしか天日干しとか言っていた。もう日が暮れている。あいつ、まさかぼくのことを完全に忘れているんじゃないだろうか――。

 「あ」

 そうか。

 ぼくの中で何かが繋がった。ひとつ、ふたつ、呼吸をして、考えを整理する。いまぼくは、この影人形は一ミリたりとも動かないと思っている。いや、たしかに事実はそうなんだけど、そう信じてしまっている。それがいけなかったのだ。だから、動かない。ラウドの言葉を借りるならば、『動かないと思っているから、動かない』ということだ。

 『ヤガーお手製の影人形シャドール。いわば君の先輩かな? 接触魔導術式で効率よく操作ができる』

 ラウドはこうも言っていた。ヒントは十分に示されていた。いまのぼくほど接触している存在もないだろう。ぼくはただ怠惰に日光浴をしていたせいで気づけなかったが、抜き差しならない状況になればわかる。ぼくだってホコリ高い魔箒の端くれだ。呼吸を整えて、意識を集中する。動け。動け――、じゃあない。なんで動かないんだ? 動くのが当然だろう? ほら、まずは指の先から――。

 「……よし」

 ぼくの身体を掴んでいる小さな手、その人差し指の先をぴくりと動かすことができた。ひとつ憶えれば、あとは簡単だった。まずは右手全体に意識を巡らせて、よりきつくぼく自身を握らせる。

 「そうすることで接触面積が広がり、より強固にマイノを操作することができる」

 自分に言い聞かす。接触魔導術式というのが本当にそういう特性を持っているのかどうかは知らないが、ぼくが信じるということがなにより重要だった。ぼくを握りこんだマイノの右腕から胴体、左腕、さらには下半身を意識の境界線を広げてゆき、ぼくはようやく偉大な一歩を踏み出すことができた。脚元に転がっていた小さな小枝がパキリと音を立てる。

 「ふぅ……」

 気を抜くと、今度はマイノの腕の力が抜けてぼくを取り落としそうになってしまう。手放されたら、完全にアウトだ。とっさに緊張の糸を張り直し、二歩目、三歩目を踏み出し、大きなカーブを描いてターン、ランプの灯るリティの家を見据える。たったこれだけのことだったが、まるで初めて二足歩行をした人類のようにたいへんな作業だった。ラウドの操作はもっと流麗で、それこそはじめは少年だと疑わなかったほどだ。そのレベルに達するまではまだかなりの修練が必要だと感じた。

 「あと、少、し」

 それからたっぷり一時間が経過しただろうか、ようやく歩き慣れたころに階段に直面し、そこでまたもたもたと時間を食い、ぎこちなく登り切る。もっとも苦労をしたのがドアノブだった。指先の細かな動きまでいちいち意識をしなければならず、普通の人なら無意識でやるような行為にも非常な精度と想像力を必要とした。たっぷりと時間をかけて、ドアノブを掴み、回し、腕を引く。ギギッっとかみ合わせの悪い音がして、ぼくはマイノの腕を引く角度を微妙に調整する。

 「や。ウィスク。久し振りだね」

 そこでは夕食を終えたらしいラウドが、リティに顎を撫でられているところだった。テーブルの上には平らげられた皿が広がっている。ウィスクは片手で本を読み、もう片方の手でラウドに構ってあげていた。こちらに気づき、口角を上げる。

 「ほらほら、リティも『ご苦労様』って顔してるよ」

 相変わらず喋らない。

 「ほらほら、リティが『台所まで皿を運んで、汲んである水で洗っておいて』って顔してるよ」

 「どんな顔だよ」

 しかし、リティは無表情にひとつ頷いて、また手に持っている本に視線を戻した。白い魔女装束に包まれたその姿はまるで一服の名画のようだった。『静寂魔女』が喋らないということも、この現実感のなさに一役買っているのかもしれない。ぼくが(正確にはぼくを掴んでいるマイノが)眼を離せずにいると、ラウドが眼を細めた。

 「ほら、リティが『さっさとやらないと情報解体しちゃうぞ☆』って顔してる」

 ここまで来るのでも精一杯だったけれど、そこまで主人に言われては従わざるをえない。一歩、二歩とぎこちなく歩き出し、テーブルの近くで止まっては、震える指で皿に手をかける。「割ったら承知しないらしいよ~」なんてラウドが言うものだから、余計に緊張してしまう。ぼくがそんなこんなで四苦八苦している中、ラウドは容赦なく雑談を仕掛けてくるのだ。

 「それにしても予想よりもだいぶ早くて驚いた。ちょっと、寝ずの番は覚悟してたんだけどね」

 「おかげさまで」

 やはりぼくが自力でマイノを操作するのはシナリオだったということか。ラウドの半ば解説じみたひとりがたりをしていたのは、このためだったのだ。もともとお喋りの気はあったのだろうが。

 「君、けっこう筋がいいね。リティも気に入ったみたいだ」

 「そりゃどうも」

 そんなことよりもぼくは皿を重ねて、ぼくを握っていない方の腕で掴むことに集中していた。

 強すぎず、かといって弱すぎず。階段をのぼるときや、ドアノブを開けるときも思ったけれど、無意識でやっている動作のいちいちに気を張り巡らせなければならないので、集中力がごりごり削れていく。かといって投げ出すことはできない。ぼくはここで働くためにヤガーによって造られた。それがぼくのレーゾンデートル。

 いまはただ集中するのみ――、って、どうしてぼくは魔箒のかたちで造られたのだろうという疑念が頭をよぎった。こんな小間使いをやらせるのなら、それこそはじめからマイノのような人形に意志を吹き込めばよかっただけのこと。そういえば、ぼくは何をするためにこの『静寂魔女』の元に遣わされたのだろう――。

 ぱきり。

 「あ、ヒビが入っちゃったね」


 かくして、慌ただしい『静寂魔女』邸での一日が終わりを告げた。

 リティとラウドは暖かな毛布の中で幸せそうに眠り、マイノはといえば、リビングの椅子に腰掛けるかたちで固まっている。ぼくはマイノの右腕に握りしめられたまま、今日一日の出来事を反芻していた。疑問点はいくらでもある。が、それをひとつひとつ主人に質問をするほどぼくは子供ではない。

 とりあえず気になっていることは、リティの『静寂魔女』たる所以。「はじめまして」も「よろしく」もなく、一言すら発することはなかった。そして、最大の魔法都市『精霊中核市』に住まない理由。さらには、ぼくをわざわざ魔箒というかたちで遣わした理由。それらはきっと一本の線で繋がるような気がしているのだけど、いまの消耗しきったぼくの頭ではまともに整理をすることはできず、次第にまどろみの中に呑まれていった。


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