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魔箒ウィスク

 まどろみの中で、浮かんでは弾ける泡を数えていた。

 あれほど感じていた全身の痛みはすでになく、ただただどこまで続いているのかわからない闇の中にいた。半透明な泡が浮かんでは、虹色を帯びて弾けていく。それはとても悲しいことのような気がしたのだけど、いまのぼくにはそれをどうすることもできなかった。やがて急流の中に飲まれたかのように、身体が後方へ流されていくのを感じた。ぼくは必死で腕を伸ばしたけれど、そもそも腕をどう動かせばいいのか忘れてしまっていた――。


 「おや、眼が醒めたか?」

 舌っ足らずな高い声が聞こえて、ぼくはハッとなって飛び起きた――、飛び起きようとした。けれど、どうにも身体が思うように動かない。まるでベッドにくくりつけにされているような感覚だった。何日も何日も眠り続けたあとのように、頭はすっきりしているというのに。眼が醒めたか、と声は言った。ぼくの眼って、どこだっけ。

 「おっと、そうだな」

 ぱちんと指を鳴らす音が聞こえると、脳裏に像が結ばれた。

 ここは古びた小道具屋のようだった。アンティーク調の大時計に、大小様々な器具が並んでいる。ガラス器具も多いことから錬金術士の類かと思ったけれど、その上に吊るされている蝙蝠の干物を見て考えを改めた。魔女。いま、ぼくの頭によぎった言葉をぼくがどこで学んだのかはわからないが、直感的にそう思った。すると、視界の隅から、小柄な少女が顔を覗かせた。

 「聞こえているなら、返事をしろ」

 少女はいわゆる黒い三角帽子を被っており、長い銀髪があふれていた。病的なまでに白い肌、身体はだぼだぼのマントの下に隠れてしまっている。片手には木製のステッキのようなものを持っているが、かなり年季が入っているもののようだ。

 「おーい、失敗か?」

 少女がぼくの身体を小突くので、くすぐったくなって、「やめてくれ!」と叫んだ。それはきっと声ではなかった。だって、ぼくは声の出し方はおろか、口がどこにあるのかすらわからなかったんだから。少女は形のいい眉毛を上げて、満足気な笑みを浮かべた。どうやら、声には出なかったようだが、伝わったようだ。

 「自己紹介をしよう。私はお前の身体の造物主。居心地はいいかい?」

 「……あ、ああ」

 事態は飲み込めていないけれど、どうやら彼女に逆らってはいけないような感じがした。少女はぼくを覗き込み、三角帽子の広いつばを上げた。真っ白な肌とは対照的な、真紅の瞳が印象的だった。猫のように縦に細長い瞳孔は、紛れもなく『魔女』という存在の証明だった。

 「私は、ヤガーと呼ばれている」

 少女は白手袋に包まれた指で自分を指さし、そして、ぼくに向けた。

 「君は、ウィスク。ウィスクと名づけた」

 「ウィスク?」

 「『掃き去るもの』という名だ。まだ実感はないだろうが、君はいま箒のかたちをしている。いわゆる竹箒。魔女がよく乗っている、あれだ。なんなら、自分で見てみるかい。タネはあるし仕掛けもあるが、ただの箒さ」

 たしかにヤガーの瞳に映る景色には、一本の箒が立てかけられていた。信じられないことだったが、それがぼくなのだと、すぐに理解できた。金具はピカピカに輝いており、穂先は綺麗に切りそろえられている。ぼくはどこかそれが誇らしく、なぜかそれを驚かなかった。ヤガーは瞬きを何度かし、ぼくの身体を撫でた。柄を持って重さを確かめ、穂先を撫でて感触を確認した。その間、ぼくは得も言われぬ感触に襲われて、変な声を出してしまった。

 「馴染みの魔女から箒の発注があった」

 「それがぼくを造った理由?」

 「そうだ。君は『ヤガー魔法具店』の名に恥じない傑作、恥ずかしくない振る舞いをしてくれ給え」

 身を固くしていると、チリンチリンとドアベルが鳴るのがわかった。

 「入ってくれ」

 そちらのほうを見向きもせずにヤガーが声をかけると、ゆっくりと扉が開かれ、黒装束の少年が顔を見せた。肩には小さな黒猫が乗っており、月明かりに眼を光らせている。少年は夜色の外套を身にまとい、闇色の布で顔を覆っていた。顔を隠さなければならないような人なのだろうか。

 「や、久しぶり。例のものはできたかな?」

 片手を上げて、少年が入ってくる。思っていたより軽い口調に驚きつつも、ヤガーはその様子を見て頬を緩めた。

 「ご覧のとおりだ、ラウド。傑作だよ」

 「へえ、そいつは楽しみ」

 ラウドと呼ばれた少年はぼくのほうを一切見ることなく、ヤガーのそばに立っていた。肩の子猫がちらりとこちらを見、目があった(ぼくに眼はないのだが)。ヤガーは部屋の隅にある大きな机まで歩き、やたらとゴツい羽ペンでさらさらと紙に文字を書き連ねた。

 「ほら、ここにサイン」

 「お代はいいの?」

 「いいのいいの。あ、でも、静寂魔女とのお茶会を希望。暇なときに来てよ」

 「伝えとく。返事は期待しないでよ?」

 ラウドがサインをしているあいだ、ヤガーはその机に腰掛けて脚をぶらぶらさせながら、ぼくのほうを見つめる。小柄で華奢な身体は、口調さえ考えなければ本当に幼女のようだ。魔女帽子を目深に被った彼女の口元には、純真無垢とは程遠い意味合いの笑みが浮かんでいたが。

 「さぁ、魔箒ウィスク、こちらの客人は『静寂魔女』と呼ばれる魔女の使いの者だ。これからお世話になるから憶えておきなさい。失礼のないように。彼の書いている書類の契約が成立し次第、君は出荷される。グッドラック。『静寂魔女』は悪いやつではないけれど、一筋縄ではいかないから頑張ってね」

 その言葉には不安しか覚えなかったが、そもそもぼくには抵抗する術がなかった。サインをし終わったラウドに、ヤガーが「まいどあり。またのご利用をお待ちしております」と芝居がかった一礼をし、ぼくはひょいっとラウドに持ち上げられた。その際、やっぱり柄や穂先を触られて、変な声を出してしまった。どうしてもそこは弱い。

 「よろしく、ウィスク。少し歩く」

 「……お手柔らかに」

 ばいばいと手を振るヤガーをあとに、ぼくを担いだラウドは月明かりの森のなかへと進んでいった。ヤガーの魔法具店の灯りは次第に見えなくなり、獣の遠吠えや奇妙な鳥の鳴き声があらゆる角度から聞こえてきた。びくびく震えていると、少年が苦笑したように思えた。『静寂魔女』、魔女というものに詳しいわけではないのだが、さぞ名の知れた魔女なのだろう。

 「そんなに緊張しなくていい。世間話をしよう」

 「『静寂魔女』ってのは?」

 「それは直接、本人に逢ってからのほうが理解が早いと思うな」

 縦横無尽に飛び出している大木の根っこを器用に避けつつ(唯一の光源である月明かりは木の葉で遮られているから、よほど夜目が聞くのだろう)、ラウドの声が森に響く。それに驚いたのか、近くの茂みでガサッという音がして、小さな獣が逃げるのが見えた。

 「そうだな、退屈しのぎに、精霊中核市の話をしよう。お前、まだ産まれたばかりでこの世界のことを何も知らないだろ?」

 「精霊中核市?」

 「魔女の集う城塞都市だ。そうだな、何からお話しようかな――」


 ※

 

 「ところで、あのヤガーっての、何歳なんだ?」

 「ここのつ」

 「9歳!?」

 「いいや、9世紀らしいよ」

 

 ※


 『魔女リティの物語』


 ※


 森を抜ける頃には、すでに日が昇っていた。

 ぼくは何度か休憩をすることを提案したが、黒ずくめのラウドは首を縦には振らなかった。まるで機械人形のような足取りで正確に、複雑に張り巡らされた木の根にも躓くことなく、歩き続けた。肩の猫は黙ったまま。ラウドは随分とおしゃべり好きなようで、結局森のなかを歩いているあいだじゅう、ずっと精霊中核市のお話に終始していた。どこどこの串揚げ屋が美味しいだの、どこどこのエロ本屋で埃を被っている書物は実は非常に貴重な魔導書グリモアだっただの。ぼくは適当に相槌を打ちながら(途中、こっくりこっくり眠ったりもしながら)、ここまで歩いてきたというわけだ(ぼくは魔箒なのでラウドに担がれていただけだけど)。

 「ねえ、聞いているのかい?」

 「聞いてる聞いてる。けど、魔箒のぼくに食べ物の話をされても困る」

 「それもそうか。じゃあ、何に興味があるんだい?」

 「えっと、素敵なちりとり屋さんとか……?」

 「256丁目の大通りの裏路地にね――」

 「あるのか」

 「専門店」

 「箒と一緒に売れよ」

 このころになると、いい加減この魔箒の身体にも慣れて、箒の毛先を震わせることで簡単な会話くらいならできるようになっていた。

 朝霧漂う森を抜ければ、そこは巨大な城壁がそびえる精霊中核市――ではなく、こじんまりとした一軒家だった。小さな畑と井戸もある。森を切り拓いたようで、昏い森のなかで、そこだけはエアポケットのように太陽の光があたっていた。木材で組まれた家、ベランダにはロッキングチェアに腰掛けて本を読んでいる女性がいた。ラウドとは対照的に純白の外套、ヤガーも被っていた魔女らしい三角帽も真っ白だった。そこから溢れる髪だけは黒く、強いアクセントになっていた。

 「ただいま」

 ラウドがそう言い、少女の前にぼくを掲げる。

 「ヤガーの魔法具店から。一世一代の傑作だってさ。よかったね、リティ」

 リティと呼ばれた少女は手元に持っていた本を静かに閉じ、ひとつ頷いた。

 「紹介しよう、彼女が静寂魔女リティだ」

 途端、ぼくを握っているラウドの腕がまるで石像にでもなったかのように固定された。ぼくは何が起こったのかわからないまま、黒ずくめの少年の肩から、黒猫が飛び降りるのがわかった。可愛らしい子猫だったが、射抜くような鋭い猫目でぼくを見上げる。

 「そしてボクがラウド。以後よろしく」

 「猫が喋った!」

 「箒に言われたくはないよね」

 にゃーと可愛らしい鳴き声をあげながら、椅子へ飛び移り、リティの肩に駆け上っていく。悪戯そうな子猫を、リティは無言のまま顎をなであげる。これ以上ない至福と言わんばかりに子猫は眼を細めて身体を震わせた。

 「君がラウドってんなら、いまぼくが持たれてる彼は誰さ?」

 「彼は、マイノと言う」

 子猫は片目を開けて、ぼくを見つける。

 「ヤガーお手製の影人形シャドール。いわば君の先輩かな? 自律で動かないけど、接触魔導術式で効率よく操作ができる。ボクみたいな身だと、これがまた便利なんだ。ヤガーのところまで出向いたり、精霊中核市に買い物にいくときとかね」

 黒ずくめの少年。たしかにヤガーの魔法具店で見つけたときから、怪しいところはいくつかあった。そういえば、この人形は一度もぼくと眼を合わせなかったけれど、肩に乗っている黒猫はぼくのほうをずっと見ていた。森の中を一晩中歩いても一切の息切れを見せないところなどは、きっとラウドの操作技術と魔法の精度に依るものだったのだろう。

 「ここ、『静寂魔女』の隠れ家は、ぼくとマイノとリティで暮らしている。通り名を持つ魔女なんて、精霊中核市に8人しかいないんだから。ホコリに思いなよ、魔箒のウィスク」

 そういって、リティの肩の上のラウドは大きな欠伸をした。

 「ちょっと待ってくれ。ここは精霊中核市じゃないだろ。なんでこんな辺鄙なところに」

 「それはおいおい説明するよ」

 ラウドの首を撫でていたリティの指が一瞬固まり、ラウドの冷たい声が降りてきた。どうやら安易に触れていい事柄ではないらしい。魔女というのは変わり者が多いと聞く。ぼくは魔箒、一種の使い魔として(魔法学上は三種使い魔だけど)、主の意志には従わなければならない。それにしても、この白い魔女、さきほどから一言も話していない。『静寂魔女』なんだろうが、なにか悪意を感じざるを得なかった。

 「えっと、じゃあ、これからここでお世話になる魔箒のウィスクだ。わからないことばかりだけど、よろしく」

 「うん。一本芯の通った礼儀正しい箒だね」

 リティはやはり返事をせずに、無表情に頷いたきりだった。

 「ところで、なぜ、魔法の知識もなければ、一人で動けないこんな魔箒をなんで発注したんだ?」

 ぼくは産まれてからずっと疑問だったことを尋ねてみることにした。あの精霊中核市、その8本の指に入るようなすごい魔女ならば、もっと歴戦の勇士のような魔箒もいたことだろう。こんな素人のペーペーではなく、適材があったはずだ。そもそもリティは箒を持っていないのか? あるいは以前は持っていたのだけど、壊してしまってその代理ということなのだろうか?

 「君は魔女がなぜ箒を求めるのか、わからないのかい?」

 「空を飛ぶため?」

 絵本でしか魔女を見たことがないような子供じみた意見だったが、ラウドは満足気に頷いて、それきりだった。もちろん『静寂魔女』リティから補足の説明も入るわけもなく、「それじゃ、とりあえず休憩をさせてよ。久しぶりのマイノの操躯で疲れたんだ。それに撫で撫でポイントがこれで120ポイントは貯まっただろうから、リティ、今晩は覚悟しておいてよ?」とラウドは言い、リティはくすりと微笑んだ。ぼくはとても追求するようなこともできず、口をつぐんでいた。

 リティがラウドを肩に載せたまま、部屋の中に入っていく。

 「――、ってぼくは!?」

 相変わらず魔法人形マイノに掴まれたままのぼくは叫んだ。

 「とりあえず天日干し。ヤガーの家は日当たり悪くてダニでも湧いてるとヤだからね!」

 とラウドの声が聴こえた。

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