第七章【崩壊】
冷気を帯びたガスが視界を覆っている。
暫くしてガスが空気中に霧散すると、薄暗闇の中に冷たい灰色をした壁が現れる。
唸るような駆動音を発する棺桶にも似た形の黒い装置が部屋の中央に鎮座し、装置から伸びた何本もの管が成人の何倍もの大きさでそびえる硝子台に繋がっているのが覗える。
「創造主が、目覚める・・・・・・!?」
眼鏡の曇りを拭い、リックはそれをしかと凝視した。
台の上には奇怪な姿をした赤子が目覚めたばかりの身体を震わせていた。
「さあ、創造主よ! 我が言葉に応えよ!」
興奮するロベルトは高らかに叫ぶ。
しかし、創造主は言葉を発することができないのか、ただ苦しげにうめいていた。立つ事さえできないのか四つん這いになって震えている。
「・・・・・・・・・・・・」
ザードたちはすでに警戒を緩め始めていた。
立つ事すらできない赤子を前に、ロベルトも困惑しているようだ。
「もしかして、失敗したんじゃないのか?」
ザードの言葉を無視し、ロベルトは恐る恐る創造主を拾い上げた。
創造主――赤子は潰れたような顔面を歪ませ、笑ったかのように見えた。
「馬鹿な・・・・・・馬鹿なッ!? 理論上では間違いはないはずなのだ・・・・・・くそ!! やり直しだ、消えろッ」
ロベルトは精神の裡を深く潜る――すると赤く熱気に包まれた存在が浮かぶ。ロベルトはさらに近づき、その炎の姿をした精霊に触れ術を引き出す。
「《爆壊バル》!!」
ロベルトの『接触』段階の協力な火行術により、赤子は体内から爆破され肉隗が激しく吹き飛んだ。赤黒い体液がロベルトを濡らす。
「ひどいですっ・・・・・・」
さすがにルナも目を背けてしまった。
ザードは歎息し、ロベルトへ歩み寄る。
「あんたがやったことは全て無駄に終わったようだな。さあ、大人しくしろ。殺した術士達に罪を償うんだ・・・・・・」
「畜生、畜生、畜生畜生畜生畜生畜生!!」
ロベルトは完全に我を忘れ飛び散った肉隗を踏み潰していた。
不意に、その脚が何者かの手に掴まれる。
「・・・・・・!?」
先ほど爆破されたはずの赤子が、やや大きくなりロベルトの足元で立っていた。
赤子が何事かうめいた瞬間、掴まれていたロベルトの脚が爆裂し吹き飛ぶ。
「ぐがぁぁぁぁぁぁあ!?」
ロベルトが行使したのと同じ術だ。ロベルトは片足で倒れ、激痛にもがき苦しむ。
「アぁ、あァ」
赤子はロベルトに興味を失ったのか、今度はリックに向き直りよたよたと歩いてくる。
「こ、こっちに来る!」
「リック、そいつに手を出すな!」
しかし赤子は覚束ない足取りで、しかし異常な速度で距離を縮めてくる。
後退りするリックのすぐ眼前まで迫っていた。
「そ、そんなこと言ったって、うわあぁ! 《飛氷戯ルボク》!」
刹那、リックの手前で人の頭ほどもある氷塊が発生し弾かれたように飛び出した。
氷塊は赤子の顔面に衝突し、その首をもぎ取ってしまう。
「う・・・・・・! 《飛氷戯ルボク》!」
首を失っても赤子の身体はリックへと迫った。
恐れを為したリックは再び術を行使し、氷塊が赤子の身体を吹き飛ばす。
しかし、思わず後退りしたリックの脚を誰かが掴んだ。
「あァ」
吹き飛ばされたはずの赤子が、また出現した。
醜い顔を歪ませて笑っている。リックは恐怖に凍りつき反応できず固まっていた。
「ばかやろう! 《雷烙白撃ライヴン》ッ!」
ザードは即座に術を行使し、ザードの頭上で発生した強烈な電撃が迸り赤子を打ち貫く。
赤子の身体は黒くただれて潰れた。肉の焦げた嫌な匂いが立ち込める。
「あァゥ・・・・・・」
次の瞬間にはもう赤子がルナの背後に立っていた。
幼い子供ほどに成長している。
「ルナ! 後ろだ!」
「えっ!?」
ルナが振り向く前にリックが飛び出して彼女を突き飛ばす。
すると、轟音と共にルナがいた空間に凄まじい電撃が降り落ち床をえぐった。ザードの術の威力を遥かに上回っていた。
「なるほど・・・・・・創造主は成長するのか! ならば・・・・・・《邪炎喰イブガ》!!」
額に脂汗を浮かべ激痛に耐えながら、ロベルトは倒れたままの姿勢で術を行使した。
ロベルトの頭上で生まれた炎は尾を引きながら赤子へと飛来した。赤子は一瞬にして火炎に包まれのた打ち回る。
「ザード!」
いつの間にかザードの横に赤子が立っていた。
もう成人に近いくらいまで成長している。しかし奇怪な醜い姿は変わっていない。
「おわぁッ!!」
ザードは咄嗟に飛び退り伏せた。
するとザードが立っていた空間から壁までの距離を突如発生した炎が舐め尽くした。
「どんどん術の威力が増してる・・・・・・このままじゃ危険だ! みんな殺される!」
「まだまだ! 《爆空球バース》ッ!!」
空中に巨大な球形の炎が発生すると赤子の頭上まで飛び、爆裂した。
凄まじい熱波と暴風が吹き荒れ、ザードは直撃は避けたものの吹き飛ばされて装置に激突した。
「ぐぁ!」
意識が朦朧としながらも、ザードは片膝をついて立ち上がる。
するとリックとルナは、新たに出現した赤子の炎の術をなんとか伏せて回避したところだった。だが赤子は体制を崩した二人に再び術を行使しようと腕をあげた。
「く、そ・・・・・・!」
「フハハハハハハ!」
側で倒れているロベルトは狂気に支配され哄笑している。
その姿にザードは舌打ちし、その場にあった物を拾うと最後の望みを賭けて疾駆した。
「うおぉぉぉ!」
ザードは自分より背が高くなった創造主の首筋に零式の針を突きたてた。ロベルトの側に落ちていたのを咄嗟に拾ったのだ。
「ァゥ!?」
すると創造主は苦しみだし、崩れ落ちた。
精霊を摘出する機能が創造主に何らかのダメージを与えたらしい。
「チィ、余計なことを! まとめて吹き飛ばしてやる!」
「まずい、逃げろ!」
ザードたちはロベルトが術を行使する前に走り出した。
ロベルトの術が発動し、炎の球が飛ぶ。それは創造主に命中すると爆裂し、凄まじい爆炎が全てを飲み込もうと拡がる。
「うわあぁぁあぁ!?」
熱気がすぐ背後まで迫り、三人は夢中で疾走した。
そして鋼鉄の扉があった戸口を抜け、左右の通路に飛び込む。爆炎の奔流が噴出し、三人を熱気が包んだ。
なんとか炎の舌から逃れたが、中にいる創造主が再び術を行使する――耳を叩くような轟音が鳴り響き、施設内が揺れ出した。
「やばい、外に脱出しよう!」
頑丈に造られているはずの施設も、流石に耐え切れなくなったのか崩壊を始めていた。恐らく創造主の術の威力が刻々と強力になっているせいだろう――そしてそれを連続で行使しているのだ。
「きっと暴走してるんだ、もうこの施設ももたないぞ!」
揺れる足場に足を取られながら、ザードたちは出口を目指しひた走った。
「ロベルト隊長は!?」
「恐らくもう――」
その時、三人の背後で爆発が起きた。施設の装置が破壊され誘爆しているのだ。
「死にたくなきゃ走れぇぇぇぇぇ!!」
ザードの怒声も爆音に掻き消され、振動がさらに激さを増す。
こんな非常事態にザードの脳裏によぎったのは姉のソフィアの姿だった。
――まだそっちに行くわけにはいかないな。もうちょっと待っててくれよ。
ザードの小さな呟きは誰にも聞こえなかった。