第六章【覚醒】
“ここはどこだ――”
暗闇の中、彼は呟いた。
何も見えず、何も聴こえない。地に足が着いている感覚がなく、不安定な浮遊感に包まれている。彼はそんな状況に畏怖した。だが、それ以上に恐ろしいことに気付く。
“俺は・・・・・・誰だ・・・・・・思い出せない・・・・・・”
自分が何者なのかさえわからない。
自分が何故この空間にいるのかわからない。
意識していなければ自我さえ消滅してしまいそうな気がした。
『ザード!』
突然女の叫び声が背後で反響し、彼は驚いて振り向いた。
すると、見た事もない少女が暗闇に浮かび彼に助けを求めるかのように手を伸ばしていた。
“俺は・・・・・・ザードっていうのか・・・・・・? お前は誰だ・・・・・・どうすれば救える?”
彼の問いに少女は答えず、哀しげな表情を浮かべた。
その表情に彼は困惑する。
“何故そんな顔をする? どうして・・・・・・”
少女は暗闇に溶けるようにして消えた。
その瞬間、大事なものを失ったような気がして彼は焦燥に捕らわれた。
“なんなんだ・・・・・・どうすればいい・・・・・・!”
『彼女を助けることはもうできない。お前は救えなかったんだ』
暗闇に中に響いた声に、彼は周囲を見回した。
しかしその声の主を見つけ出すことはできない。肌が痺れるような気配だけが闇の奥から感じられた。
“どういうことだ!? 隠れてないで出て来い!”
『残念だが・・・・・・まだお前は我の元へ来ることはできない。それどころか、お前の存在はこのまま消滅しようとしている』
“!?”
彼はその事実に恐怖した。
自分の姿さえ見えない暗闇の中に、その存在さえ消えていく感覚が確かにあったからだ。
“どうすれば助かるんだ・・・・・・”
『思い出すのだ。自分が何者であったのか。もう一度だけ見せてやる。お前の記憶に一番強く残っていたその姿を――』
気配が消え、代わりに先ほどの少女が浮かんだ。
『ザード!』
また同じように、救いを求めるかのように彼に手を伸ばす少女。
見知らぬ少女――いや、彼は少女を知っている。
“・・・・・・ソフィア・・・・・・? ソフィア――姉さん・・・・・・!?”
少女は哀しげ表情を浮かべた。
しかし今度こそ彼はしっかりと見た。それは哀しげな表情ではない――優しく微笑んでいるのだ。
彼女が何かを呟いた。
その瞬間、闇が強烈な光に包まれた。
「ソフィア・・・・・・」
ザードはゆっくりと意識を取り戻した。
しかし視界が眩しく彼は眼を細める。
「ザード!」
「ザードくんっ!」
聞き覚えのある声――視界が光に慣れてくると、リックとルナがザードの顔を覗き込んでいるのがわかった。
「・・・・・・なんだよ。ここは?」
重い身体をなんとか持ち上げると、彼は寝台の上に寝かされていたのだと気付く。
そして清潔感のある白い壁やむせ返る薬品の匂い――その様子から病院の病室だと理解した。
「そうか、俺はあの後やられて――そうだ! ヤツを止めないと! ・・・・・・おわっ!?」
ザードは黒衣のことを思い出し寝台から飛び上がった。
しかし身体がうまく言うことを聞かず倒れてしまう。
「無理しちゃだめだよ、ザード。まだ病み上がりなんだから」
「一晩中生死の境を彷徨っていたんですぅ、本当に心配だったんですよぅっ!」
ルナの目は赤く腫れ、彼女が泣き明かしたのがわかってしまう。
「すまん・・・・・・俺に力がないばっかりに。そういやリック、お前どうして?」
「疑いが晴れて釈放されたんだよ。僕が捕まっている間に零式を持った『ソウルイーター』が現れたからね・・・・・・」
「――ミランは?」
リックは首を振った。
ルナはまた泣き出しそうな顔になっている。
「ちくしょう・・・・・・許さねぇ・・・・・・! 二人とも、行くぞ!」
ザードはもう身体の自由を取り戻し始めていた。
一刻も早く行かねばならない――罪を問うために――その思いが溢れていた。
眼下に広がる都市を睥睨し、彼は自分が守り続けてきた街と別れを告げようとしていた。
「欺瞞の上に造られし街よ――その役目を終える時が来た。私が終止符を打ち、真理の名のもとに全てを浄化させてやろう」
その時、背後で突如扉が開け放たれた。
彼はゆっくりと静かな面持ちで振り返った。
「・・・・・・またノックを忘れたな、ザード」
「すみません。気持ちが焦ってしまって・・・・・・ロベルト隊長、愚かなあなたを止めるために」
ザードたちが赴いたのは本部のロベルトの隊長室だった。
ロベルトは古狼の如くしかし衰えを知らない鋭い眼光をザードに向けた。
「何を言っている、ザード。上司を侮辱するとはいい度胸だな?」
「ざ、ザード、どうしたのさ? キミらしくない」
リックも慌ててザードを止めようとするが、ザードは構わず一歩踏み出して続けた。
「とぼけるな・・・・・・あんたがすべての事件の黒幕、『ソウルイーター』なのはわかってんだ!」
「なんだって!?」
「ロベルト隊長がですかっ・・・・・・?」
ザードが発した答えに、リックとルナも驚愕を隠せない。
だがロベルトは愉快そうに笑った。
「くっくっく・・・・・・ザード、お前も冗談が上手くなったな。私が『ソウルイーター』だと? おもしろい。なら、その証拠はあるのかね?」
ロベルトの眼光がザードを貫く。
「・・・・・・病院から零式が盗まれた同日、あなたは特別収容所から変装の怪人ゼロを、事件の参考人として連れ出している――その日、あなたはゼロを脅し、リックに変装させて零式を盗ませたんだ」
「何を言い出すかと思えば・・・・・・くだらん。そんな憶測だけでは証拠にもならんな。私を愚弄した罪は大きいぞ?」
するとロベルトは手の平を出し、その上に火球を生み出した。
炎が室内の温度を上昇させ、熱気に包まれ、三人の額に汗が噴出す。
しかしザードは構わずに続けた。
「――隊長、勲章はどうしたんですか?」
「・・・・・・」
ロベルトの着衣には勲章が身につけられていない。
ザードがおもむろに掲げたのは、隊長格級の隊員勲章。ザードやリックのものは銀貨だが、隊長格級には金貨が使われている。
「知っていますよね? この勲章の裏には隊員識別番号が刻印されていることを――そう、この勲章はあなたのものだ。そして、これは昨夜ルナを襲った男と戦闘になった時、俺が取ったもの」
動かぬ証拠を突きつけられ、ロベルトは沈黙した。
やがて窓の方へ向き直り、遠くを見つめながら重い口を開いた。
「本来は私一人で終わらせるつもりだったが・・・・・・お前らにも歴史的な瞬間に立ち合わせてやろう」
街の外れに、地図にも記されていない巨大な建造物があった。
それは渓谷の間に埋もれるようにしてひっそりと佇んでいた。ザードたちの三人はロベルトに案内され、“旧軍事兵器研究施設”へと赴いたのだ。
「こんなところがあったなんて・・・・・・」
リックは冷たい灰色をした通路の壁に触れた。
何百年も前、大戦時代に突入していた頃に術士たちによって健造されたその施設は、未だに古びてはいなかった。兵器開発によるあらゆる衝撃などに耐えられるよう強靭な素材を使っているのだ。
「ここだ」
先頭を進んでいたロベルトは一つの大きな扉の前で止まった。
まるで中にあるものを封印するかのように、重く沈黙する鋼鉄の扉。ロベルトが脇にある入力装置にパスコードを認証させると、扉は地鳴りを響かせながら口を開け、彼らを招き入れた。
「うわぁ、広いですぅ・・・・・・」
思わずルナも感嘆するほど、その内装は広く巨大だった。
この施設の心臓部となるのだろう。中心には巨大な硝子管と連結した黒い装置が鎮座し、その周囲にはただ空間だけが拓けていた。硝子管の表面には黒い遮光膜が覆い中を見ることはできない。
「――お前らは、精霊とは何なのか知っているか? ルナ、答えてみろ」
ロベルトは硝子管まで歩み寄りながら問い掛けた。
「はいっ、精霊は、いわゆる霊的存在体、または非物質生命体という正式学名で分類され、あらゆる物質生命と共生し、その不安定な存在を安定させることができるのですぅ。そして、人間や動物の場合は出生と共に赤子の精神に精霊が降臨することがわかっていますぅ」
「よーするに精霊ってのは目には見えない生物で、生まれた瞬間に人間の精神に寄生するってこったろ?」
ザードの乱暴な解釈にリックは顔をしかめる。
「それじゃ身も蓋もないね・・・・・・それに、寄生とは違うよ、人間だって精霊が精神にいなきゃ死んでしまうんだ。原理はわかってないけど・・・・・・精霊が人間の生命エネルギーを外に逃げないように制御してるという説が有力かな」
それまで黙っていたロベルトはおもむろに口を開く。
「――そうだ・・・・・・精霊と生物は別々の存在。しかしそれでは矛盾が生じてくる。精霊は生物の精神に憑依し自己の存在を安定させ、生物から切り離された場合は時間と共に消滅してしまう。だが生物は、精神に精霊が宿らなければ死んでしまう。ということは生物と精霊は同時に誕生したのか? そんな天文学的な確率の偶然は考えられない。そこで一つの推論が提唱された」
「まさか、“分裂理論”――?」
リックはハッとして呟いた。
するとロベルトは硝子管の装置を入力する。
「まずはこれを見てもらおう・・・・・・」
硝子管を覆っていた黒い外装――遮光膜が反転し、自動で解体された。
すると硝子管の中には緑色をした液に満たされていて、小さな肉隗が浮かんでいる。人間とは違うが、良く似ている姿をした赤子に見えた。
「なんだよ、これ?」
ザードは冷たい手が自分の心臓を掴むのを感じた。
リックとルナも未知の存在に畏怖し言葉が出ないようだった。
「これは――“創造主”だ。我らのな・・・・・・」
ロベルトは静かに告げた。その瞳は恍惚に妖しく塗れ、“創造主”を見つめている。
「やっぱり・・・・・・そういうことか・・・・・・まさか、本当に存在したなんて」
リックは震えルナの顔も青ざめている。
ザードだけが理解できていず、地団駄を踏む。
「だぁぁぁ! お前らだけで納得するな! 何なんだよ、分裂理論だの、創造主だの! 説明しろよ!」
「分裂理論・・・・・・それは精霊と生物が元々、一つの存在だったという説だよ。その存在が何らかの理由で微細に分裂し、生物と精霊が誕生したんだ。その元の一つの存在が――創造主」
リックが説明したが、ザードはまだ理解できていなかった。
構わずにロベルトが後を継ぐ。
「媒介となる生物――人間と火、水、木、金、土、全ての属性の精霊をこの特殊な装置で融合させた。心配するな・・・・・・人間は死刑囚の者しか使っていない」
ザードは厳しい眼差しをしたが、ロベルトは表情を変えなかった。
「そうか・・・・・・大戦時、“分裂理論に基づく創造主の再生”という、幻の軍事研究があったのを聞いたことがある。それが本当にこの施設で行われていたんだ!」
リックの言葉にロベルトが頷く。
「当時の技術では研究が不可能となり廃止され永き放置と同時に忘れ去られた。精霊について調べていた私はこの研究に行き着き、研究者としても優秀な部下だったイリスとミランに協力させ極秘に研究を始めた。だが奴らは、実験が成功に近づくにつれ恐れるようになった。そして研究を阻止しようと画策しているのを知り、ちょうど足りない精霊を持っていたので零式を使って研究の礎に――」
「《剛剣創装ブレミス》ッ!」
突然、ザードが剣を創造しロベルトへと疾駆した。
隙を突いた一撃はしかしロベルトの剣によって受け流されてしまう。
「全く、人の話をまともに聞く事もできんのか?」
「ごちゃごちゃとうるせーんだよ! もういい、あんたを逮捕して、このくだらない遊びも終わりにしてやる!」
「くだらない遊びだと? 貴様・・・・・・なら研究の成果のひとつを見せてやろう!」
ロベルトは間合いを取り、二本の剣を掲げた。
剣は今まで見たものと違い、巨大で無骨な造りをしていた。刃には何やら刻印が彫られている。
「さあ姿を現せ、双龍よ!」
「!?」
ロベルトが叫ぶと、二つの剣は輝き鳴動した。
眼を貫く閃光と、全てを揺るがす振動。ザードは眼を庇いながら見上げ、それを見てしまった。
紅く燃える邪悪な瞳。
それは二対の巨大な猛禽類の翼を広げ、爬虫類の如く頑丈な鱗で身を覆っている。筋肉繊維の詰まった太い二本の腕を伸ばし、幾つもの角を構えるその頭部に紅い眼を爛々と輝かせ、生物の王の如く彼らを睥睨していた。
「り、竜だって・・・・・・!?」
「すごいですぅ!」
二つの剣先は著しく変化していた。
刃の代わりに太古の時代に存在したとされる竜が君臨しているのだ。その巨大な双龍には物理的な重さがないのか、ロベルトは平然と剣を掲げている。
「不完全な融合実験によって遺伝子情報に眠っていた古代生物の竜になったのだろう。だが、私が求めているのは全ての始祖たる創造主。使い道がない失敗作を処理しようとしたところ、物質に精霊を定着させることが可能だとわかってな・・・・・・自己精霊に干渉するのと同じように、剣に触れこの竜に干渉することで容易く召喚できるのだよ」
ロベルトはザードたちの驚愕する顔に満足そうな笑みを浮かべた。
「さあ、お前らの力を見せてやれ!」
双龍は咆哮すると、精霊術を行使した。
右手の竜は口を開き蒼い炎を吐き出した。左手の竜は念動により施設の床を盛り上げザードを飲み込もうとする。
「くっ!?」
迫り来る床の津波を側転で躱すが、蒼い炎は意思を持っているかのようにザードを追跡して飛んで来る。体勢が崩れ回避は無理だと悟ったザードは己の精霊に呼びかけた。
「《剛障壁ウブア》!!」
炎が眼前に迫ったとき、発動した術により鋼鉄の壁が立ち塞がった。
炎は鋼鉄の壁に直撃し爆発して消滅した。
「フン、遊びはこれくらいでいいだろう・・・・・・そろそろ、創造主を覚醒させる」
「ちくしょう・・・・・・」
ロベルトが剣を振り下ろすと竜は閃光を発し元の剣へと姿を戻した。
するとリックが取り乱し叫ぶ。
「覚醒させるって・・・・・・あれが目覚めたら何が起きるかわかりませんよ!? どんな力や意思があるのか未知数だ・・・・・・危険過ぎます!」
先ほどの竜の力を見て、悟ったのだろう。
竜や精霊ひとつでも凄まじい力を秘めている。その始祖たる創造主が、如何なる力を有しているのか、そしてその力をどう使うのか予測は不可能だ。
「ああ、イリスやミランもそれに怖気づき実験を阻止しようとした。だが私にはわかるのだよ・・・・・・創造主は絶対的な力と絶対的な知能をもっている。現世に再生を果した創造主は地上をまず浄化するだろう・・・・・・現時点で人間が地球を支配しているのと同じこと。絶対的な力をもつ創造主はこの世の支配者として君臨するだろう・・・・・・!!」
「な・・・・・・!?」
ザードにもロベルトの言葉の意味がわかった。
創造主が目覚めれば、その力ゆえ頂点に立つ為に地球上から人類を抹殺するだろうと言っているのだ。皮肉にも、最も力をもつ人類が生物の頂点に立っているのと変わりはない。
「くくく・・・・・・フハハハハハハ!!」
ロベルトは硝子管に歩み寄り、装置を素早く操作した。
緑の液体が排水され、硝子が台の中に収納された。冷気を帯びた白いガスが立ちこめ視界を覆い尽くす――