Prologue
冷気を帯びたガスが視界を覆っている。
暫くしてガスが空気中に霧散すると、薄暗闇の中に冷たい灰色をした壁が現れる。
そして唸るような駆動音を発する棺桶にも似た形の黒い装置が部屋の中央に鎮座し、装置から伸びた何本もの管が、成人の何倍もの大きさでそびえる硝子台に繋がっているのが覗える。
「こ、これは一体・・・・・・!?」
眼鏡の曇りを拭い、男はそれをしかと凝視した。
硝子台の中に充満した緑色の培養液には、それに漬かる肉隗が不気味に胎動している。肉隗――いや、その生物は窮屈そうに身体を屈めていて、如何なる姿をしているのか判別できない。
だがそれは頭部らしき部分から禍々しい紅い眼だけを虚ろに、その場にいる彼らに向けていた。
「・・・・・・チッ、失敗作だな」
暗闇の中に三人の人影。
二人は白衣の姿で眼鏡をしている男と、砂色の髪の女。そしてもう一人は黒衣に身を包んだ男。
黒衣の男の表情は黒い布で覆われ読むことができない。しかしその呟く声は静かな暗い男の声だった。
「失敗? でもこれは自らの実体を得ている――以前の消滅した組み合わせとは違うのですよ?」
女の問いに黒衣の男は答えなかった。
無言で装置に歩み寄り、据えられた操作盤を制御し硝子台を開く命令を打ち込む。すると硝子台の培養液が排出され、覆っている硝子は台の中へ吸い込まれるようにして静かに収納された。
「だ、大丈夫なのでしょうか? あの液には精神鎮静と超強力麻酔の効果が含まれていて、液から解放すると目覚めてしまいます!」
眼鏡の男は動揺して後退りした。
しかし黒衣の男は自らその生物に近寄っていく。すると麻酔から目覚めた生物は、まだ動きの鈍い身体を持ち上げ彼らに対する威嚇のためか咆哮をあげながら身体を広げた。
「素晴らしい・・・・・・」
女は陶酔したように感嘆の声も漏らす。
台の上に立ち上がったそれは、二対の巨大な猛禽類の翼を広げ、爬虫類の如く頑丈な鱗で身を覆っている。筋肉繊維の詰まった太い二本の腕を伸ばし、長く伸びた尾でバランスを取り二足で立ち上がっている。幾つもの角を構えるその頭部に紅い眼を爛々と輝かせ、生物の王の如く彼らを睥睨していた。
「フン、竜か・・・・・・しかし我が理想には遠く及ばん。消え失せろ」
黒衣の男は衣の中から剣を抜き出した。
だが敵意を察した竜はすかさず尾を振り抜き黒衣を迎撃。凄まじい衝撃に剣が弾き飛ばされ壁に激突し甲高い音を立てた。
しかし黒衣は跳躍し新たに剣を抜き出している。竜の肩に着地し剣を頭部へと突き刺す。黒い鮮血に濡れながら、男は幾度も剣を突き刺し肉を抉った。その度に竜は痙攣し悲痛に叫ぶ。
「・・・・・・うっ」
眼鏡の男は思わず目を背けてしまう。女のほうも目を伏せ直視することはできなかった。
「死ねッ、死ねッ、死ねッ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね・・・・・・」
黒い怨嗟の声は止まず、頭が潰れても男は竜の身体を切り刻み続けた。暫くしてその声が止むと、台の上には原型を留めていない赤黒い肉隗が転がっていた。
「しかし、これの処理にはまいるな。まだ死んでない」
血で黒くなった刀身を払い、男は肉隗を蹴り上げた。
肉隗は痙攣するように震えているが、それは死後の筋肉組織の痙攣ではなかった。細胞が異常増殖し破損した部分を補い、切断された神経なども意思があるかのように自力で繋がっていく。
「さ、再生しているんです・・・・・・! この勢いだと数十分もすれば元通りですよ!」
「なら再生も不可能なように細胞ひとつ残らず焼却するしか・・・・・・もしくは」
女の意見のほうに黒衣の男は興味を示した。
「破壊する意外の方法があると?」
「ええ、推論ですが・・・・・・霊的状態に還元し、物体に――例えば剣などに定着させれば封じ込めることが可能かと」
しばし黒衣は黙考した。
その間にも肉隗は蠢き再生し、竜の肉体が元に戻りつつある。
「予定範囲外だが、実験を許可する」
「ありがとうございます」
二人のやり取りを眼鏡の男は一歩下がって眺めていた。足元が震え今にも崩れ落ちてしまいそうだ。
「どうした? 貴様の力も必要だ。協力しろ」
「は、はい!」
彼が恐怖していたのは竜ではなく、黒衣の男のほうであった。