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故郷をなくした人魚

作者: 流れ星

火照った身体に冷たい水が心地よかった。

飛び込んだまでは良かったが、成す術がなくただ、水に身体を預けることしか出来なかった。

息が出来ないなんて考えもしなかったし、溺れてしまうなんて考えていなかった。

だって僕はこれにオボレテイタ(・・・・・・)のだから。


何故だろう、生まれる前から知っていた気がした。

生まれてからも、知っていた気がした。

いつの日からか、忘れていた。

そんな思いが息を吐くように飛び出し始めたのは、いつだったんだろう。


今年、僕は高等学校に入学した。

海が見えて空気がきれいなところだった。

喘息があった僕には最適、そして楽園だった。

今まで住んでいた都会とは違って空を飛ぶ乗り物もないし、臭い煙を吐く忌まわしい機械なんかもなかった。

いわゆる田舎ってやつなんだろう。

ここ最近は都会もより成長を遂げるために、たくさんの機械や乗り物を導入し始めたのだ。

おかげ様で僕の喘息は悪化した。

父も母も僕を都会の高等学校に入学させることをやめさせた。

僕もそれで良かった。

毎日苦しい思いをするのは真っ平だったからね。

父と母は仕事があるために、都会に残った。

僕は寮に入ることになった。

生活は大変な分だけ、楽しいものだった。


高校生活もいつも間にか過ぎて初夏にかかり始めた。

本を読むのが好きな僕は毎日のように、海の真横にある図書館に通うのが日課になっていた。

利用者が少なくいつも椅子を独占できるその図書館には、必ず同じ人が同じ場所に座ったり立っていた。

僕は誰も座っていなかった入り口から一番遠く、海に一番近い窓際の席を僕の(・・)特等席とした。


特等席が決まって周囲の人々に馴染むまでに、時間は掛からなかった。

そんなある日、僕の特等席に座っている人を見たのだ。

女の子だった。

肩を余裕で通り越すくらい長く黒いロングヘアで、うちの高等学校の制服を着ていた。

彼女は本を読んでいたから顔はよく見えなかった。

僕が彼女の前に立っても、相手は気にすることなく読書に夢中のようだった。

僕も気にせずにすぐ横で本を読み始めた。


閉館の時間が迫ってきたときにふと顔をあげると、目の前に彼女が立っていた。

彼女の強い眼差しに、僕は心を見透かされる気分だった。

そして彼女は一言言った。

「あなたは人魚を信じる?」

僕は言った。

「人魚はもうこの世にはいないんだよ。世界が汚れていくから人魚は死んだんだよ。」

僕は本を閉じて早足で外へ出た。

でも夜になっても僕の頭の中からは彼女の強い眼差しが離れなかった。

学校で彼女の姿を探してみたりもした。

だが見つからなかった。

たしかにうちの制服を着ていたはずなのに、どうしていないのだろう。

その日から図書館で僕は、人魚に関する書物ばかりを読み漁るようになった。

だが彼女に会うことはなかった。

そして知らず知らずのうちに夏休みがやってきた。


昔は都会にも海はあったらしい。

そして人魚も存在したらしい。

人魚にしかつかえない力や、人魚の血には病を治す特別な力があったらしい。

人間の欲によって起こった“人魚狩り”

汚れていった、何もかも。

そして全滅してしまった。

書物にはそう書いてあった。

だけど、だけど僕は思い始めたんだ。

このきれいな海なら。

どこか深い人間の知らないところで。

人魚はひっそりと生きているんじゃないかって。


夏休み三日目、僕の特等席に一冊の本が置いてあった。

絵本だった。

開いてみると、それは人魚のお話。


むかしむかし、どのうみにもたくさんのにんぎょがいました。

にんぎょたちはしあわせでした。

いつもそこには、きれいなうみがありました。

あるときかわったにんぎょがいました。

そのにんぎょは、うみよりもりくにいきたかったのです。

まわりのにんぎょたちはとめました。

『りくにはおそろしいにほんあしのいきものがいるから。』と。

でもそのにんぎょはききませんでした。

『りくがわたしをよんでいるの。』そういいました。

そのにんぎょはどうしてもりくにあがりたかったのです。

にんぎょはつたえつづけられてきたちからをつかって、にほんのあしをてにいれました。

とうとうりくにあがれました。

だけどりくのうえでは、おそろしいやまいがありました。

にんぎょはたくさんのにほんあしのいきものがしんでいるのをみました。

こころやさしいにんぎょはこころをいためました。

にんぎょはよわっているにほんあしのいきものをたすけるために、みずからの『ち』をあたえました。

たくさん、そう、たくさんのにほんあしのいきものに『ち』をあたえました。

やがてにんぎょはいきたえました。

にんぎょのおかげでたすかったにほんあしのいきものたちは、にんぎょにかんしゃしました。

しかしにんぎょの『ち』には、どんなやまいもなおすちからがあるとしったにほんあしのいきものは、うみからにんぎょをつかまえてくることにしました。

にんぎょたちはどんどんつかまえられていきました。

ぜつめつをおそれたにんぎょたちは、つたえつづけられてきたちからをつかって、にほんのあしをてにいれてにんげんにまぎれてくらしました。


僕は絵本を閉じると図書館を飛び出た。

海が僕を呼んでいた。


太陽が西に傾きかけた頃だったから、海岸へ通じる道は閉じてしまっていて、岬しか海に行く方法がなかった。

なんとか岬にあがると、そこには彼女がいた。

「ねえ、あなたは人魚を信じる?」

僕は彼女に歩み寄りながら言った。

「あぁ、信じるさ。」

彼女は微笑んだ。

「何故そう言い切れるの?」

僕はもう迷わなかった。

「子供の頃から、海に何か惹きつけられるものがあったんだ。僕にはそれが何だか判らなかった。」

彼女は怒ったように言った。

「それで。」

僕は息を吐いた。

「いつの間にか忘れてしまっていたんだ。それで、判ったんだ。君のお陰で。」

彼女は嘲笑うように僕を見た。

「私のお陰?」

僕は笑った。

「あぁ、僕は人魚だったんだよ。生まれるずっとずっと前から。君だろう?あの絵本を僕の席に置いてくれたのは。」

彼女は俯いた。

「私には判らないの。どうしたらいいか、息苦しくて、疲れてしまったの。」

僕には彼女が泣いているように見えた。

僕は彼女の耳元でそっと囁いた。

「だったら帰ればいいじゃないか。」

「え?」

僕は彼女の腕を引いた。

制服のスカートが靡いた。

恐怖なんかなかった。

だって故郷だから。

僕はそのまま体重を崖の先に持っていった。

彼女と僕は海に倒れこむ様に落ちていった。


火照った身体に冷たい水が心地よかった。

飛び込んだまでは良かったが、成す術がなくただ、水に身体を預けることしか出来なかった。

息が出来ないなんて考えもしなかったし、溺れてしまうなんて考えていなかった。

瞳を開けると彼女がいた。

そして僕の顔に手を伸ばした。

僕が彼女の異変に気づいたのはそのときだった。

彼女の腕は肘から魚の鰭の様な物が出ていて、臍の辺りから下にはびっしりときらきら光る魚の鱗がついていた。

僕は微笑んだ。

「ほら、帰れたじゃないか。」

彼女は僕の顔を両手で包むと、僕に口づけをした。

そして彼女は微笑み、こう言った。

『ありがとう。』


僕の意識はそこで途切れていた。

僕の身体は砂浜に丁寧に横たえてあった。

起き上がると、身体中にびっしりとついた砂を見てため息をついた。

立ち上がって波の音に耳を傾けて、改めて僕は感じた。

あぁ、あの子は帰ったのだと。

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