6.誰が告白したのか?
4/26:最後の「」を『』に修正し、一部誤字を修正しました。
悪魔。その単語を聞いて思い浮かぶのは、黒い小柄な人型に、コウモリのような翼が生えたモノ。
ガルーカンと出会う前のゼファーは、そんなイメージを持っていました。
しかしガルーカンに悪魔の特徴を聞いてみれば、紅い霧をまとっているのが唯一共通した特徴で、姿は本人の意思でどうとでも変えられるのだそうです。
「じゃあ今のガルーは本当の姿じゃ無いの?」
「……さあな」
そう答えたガルーカンの視線はゼファーを流し見、次いでその頭を片手で乱暴に撫でました。
あの時は曖昧な言い方だったのでゼファーもどう受け取ればいいのかわからず、それ以来同じ質問はできませんでした。
しかし今、あの時の答えが、目の前で丸くなっています。
「……ガルーなの?」
ゼファーが呼びかけた瞬間、それは全身黒い巨体をおおえるほどの巨大なコウモリの翼を広げました。鋭い爪を伸ばした、ゾウよりも太い脚が身体を支えて身を起こし、ずるりと持ち上げた長い尾はトカゲを思わせ、ヘビの如くしなやかな長い首をゼファーに向け、ネコのように縦に瞳孔の割れた瞳に激情を乗せ、ヤギよりも立派な二本の角が伸びる頭を反らし、サメよりも鋭い牙を生やした巨大な口を広げ、ゼファーを丸呑みしました。
そしてゼファーの意識は途切れ、夢と記憶の境をさまよいます。
『やっぱり僕はダメなんだぁああ!!』
「諦めないで挑戦し続けるディズさんは輝いてると思うよ!」
ゼファーは決意が長続きしないディズレーリのため、こうして何度も何度も、魔法が失敗して落ち込んでは持ち上げ、を繰り返してあげました。
そしてようやくガルーカンの居場所をつかんだ時、二人はそろって喜びました。
けれどディズレーリは顔を曇らせます。
『あ、待って下さい。……どうやらガルーさんは、封印牢と牧師様の魔法の檻によって、かなり深い沈静状態にあるようです』
「わかりやすく!」
『いつもの僕よりもっと後ろ向きな気持ちになってます』
「もうダメだ!!」
『いつもの僕は何の希望も見出せない存在なんですか!?』
さすがにここまで言われれば、ディズレーリに落ちる底などもうありません。おかげで次の行動に冷静に取りかかれます。
『ま、まあ、檻を壊す事はできませんが、隙間から入る事はできます。ゼファーさん、ガルーさんと繋がりの深い物品はありますか?』
言われてゼファーはすぐ、首から下がったペンダントを持ち上げます。ディズレーリはこくりと頷くと、ペンダントを床に置くよう言いつけ、さらに転送した筆とインクでペンダントの周りに魔法陣を描くよう指示しました。
『ガルーさんの檻を破れる力を持つ者なんて、捕まってる本人しかいません。だから彼と繋がりのある物を魔法のパイプにして、彼の沈み切った意識へゼファーさんの意識を流し込んで、前向きになるよう説得するんです。さっきの僕みたいに』
まるで説得されたのは最初の一度だけみたいな言い方に、ゼファーは一瞬腕を止めましたが聞かなかった事にして、代わりに聞く機会が無かった疑問をたずねました。
「ディズさん、ゼファーたちを逃がす手伝いして、大丈夫?」
ディズレーリはその心遣いに嬉しくなって、微笑みました。
『元々勘当寸前でしたし、僕の行動に注意を払ってる人なんて誰もいません』
彼はもし見つかった場合の事は口にしませんでした。
だからゼファーは代わりに言ってあげます。
「あのね、もしディズさんが国に追っかけられるようになっちゃったら、一緒にガルーのおうちに行こう」
ディズレーリは、零れんばかりに目を見開きました。一体この少女はどこまで自分の欲しいものをくれるのだろう、と。
『……僕に、居場所をくれるんですか……?』
「ガルーね、ゼファーをおうちに帰すって約束だけは絶対守ってくれるの。だからディズさんも一緒じゃなきゃおうちに帰らないって言えば、大丈夫!」
聞きたいのはそういう現実的な説明ではなかったのですが、ディズレーリは熱いものが込み上げて視界が滲む中、この小さな少女のために頑張ろうと決めるのでした。
「描けたよ」
『充分な出来です。では、魔法を使う時のように、魔法の祖の声を聞こうとして下さい』
その指示にゼファーは焦ります。
「待って。ゼファー、魔法の祖の声、全然聞こえないの」
『えっ? ああ、いえ、たまに先天的に魔法を使えない人もいますから、大丈夫ですよ。この国の皇帝だって使えないんです。だからコンプレックスの反動で、一層魔法文明の発展に力を注いだんですよ。……今回は空回りしてしまったようですけど』
ゼファーは自分以外にも同じ境遇の人がいると言われて驚き、自分だけが変じゃなかったんだ、と少し安心しました。
『じゃあ、僕が押し出しますね。目を閉じて、ゆっくり深呼吸して』
そして身体から魂が抜け出たような感覚のあと、目の前にガルーカンが現れたのでした。
夢と記憶の狭間でたゆたっていたゼファーが回想を終えると、やがてかすかな声が聴こえてきました。
それは聞き慣れた言葉。聞き慣れた声。ガルーカンに間違いありません。
ゼファーは渾身の力で目覚めようともがき、声に向かって浮上する感覚を覚えました。
「ゼファー!!」
ぱちりと目を開けると、そこには見慣れたガルーカンの顔が悲痛に歪んでいました。
「起きたよ、ガルー」
そんな顔から早く解放させたくて知らせれば、彼は顔をゼファーの肩口に埋め、一層強く抱き締めました。
ゼファーは、頭や手だけでなく、全身を人間の姿にしたガルーカンに抱き抱えられていたのです。
ディズレーリと同じくらいの年齢に見えるお兄さんは、悪魔の霧を思わせる紅のラインが走った黒い衣服に包まれています。
初めて見る姿にゼファーは目が点になりましたが、それよりもガルーカンが側にいる事に深く安心し、自分からも抱き返しました。
周りはいつか二人が出会った時のように、一面の暗闇でおおわれています。二人だけの空間でした。
だからガルーカンが震える息で呼吸をしているのもよくわかりました。
「……肝が、冷えた。本当に、お前を食っちまったんじゃねぇかって」
やはりあの異形の姿はガルーカンだったのでしょう。
「ゼファーも食べられたと思った。でもここにいるよね。なんで?」
「ここは、俺の意識の中、気持ちだけの世界だからだ。お互い、見えたり触ってるように感じられるが、実在はしていない世界だ」
「それで、暗い気持ちになってる時に、急にゼファーが現れたから、驚いて食べちゃったの?」
「……ああ。嬉しいって気持ちが溢れて、食べたくなったんだ」
ゼファーにその気持ちは理解できませんでした。やはり悪魔と人間は相容れない存在なのかな、と少し寂しくなりました。
ガルーカンはゼファーの不安な気配を読み取ったのか、少し身を離して向き合います。
「思わず食べちまったのは、若気の至りだ。結構長く生きてるけどな。だから普段は抑えられる。気にするな。もうしない」
言葉を重ねるたびに、ガルーカンは辛そうな表情が増していくようでした。
だからゼファーはもうその事について追及しません。
「ねえガルー、起きて檻から出よう。このままじゃ大砲の弾にされちゃうよ」
ゼファーはガルーカンの胸辺りの服をつかんで促しますが、彼はすぐに返事を返さず、何かを迷ってくすぶるように、眉根を寄せました。
そして言いたくない事を無理矢理言わされてるような口調で答えます。
「……俺は、もういらねぇだろ」
ゼファーは自分の耳がおかしくなったのかと耳に触れましたが、ここは意識の世界なので意味がありませんでした。
「お前をここに送ったのはディズレーリの奴だろ。悪魔の意識の中に無傷で届けるなんざ、相当な能力持ってやがる。性格は頼りなさ過ぎだが、お前に家を与えて守ってやるくらいはできるはずだ」
ガルーカンは何かとんでもない思い違いをしているのではないかとゼファーは焦ります。
「なに言ってるの? ゼファーの契約守るのはガルーでしょ? 破ったら消えるんでしょ? ガルーがおうちに帰してくれなきゃダメだよ!!」
「俺はおかしくなったんだ。俺がお前の側にいたらお前は幸せになれないって、契約とは何の関係も無い事を考えるようになった」
ガルーカンがゼファーの頭を撫でる手つきが酷く優しくて、ゼファーは何故だか泣きたくなり、けれど我慢しました。
「それは魔法のせいだよ!」
「いいや、結構前からおぼろげに考えてた事だ。魔法のおかげで改めて向き直されて、自分の意思でそう思ったんだ」
どうしよう、とゼファーは焦ります。このままではガルーカンと離れてしまう。そんな不安からのパニックで頭が回らず、ガルーカンの考えを改めるための上手い言葉など作れませんでした。
「ゼファー、ガルーと離れるなんてやだよ!」
「怖い思いをしなくて済むぞ」
「食べ物見つけられない事よりガルーが契約でしかゼファーの事大切にしてくれないより思い込みで人間を兵器にする奴らより、ガルーと離れる方が怖い!」
一瞬、はっとしたようにガルーカンの瞳が揺れます。しかしこらえるように眼光を鋭くしました。
「今、そう思ってるだけだ。いざ直面すれば、また消えて欲しいと思うようになる」
また? いつゼファーがガルーカンに消えて欲しいなどと言ったのでしょう。
ゼファーは思い返し、見つけました。トハに殺されかかった時です。
あの時の事がガルーカンの気持ちを暗くする後押しにされているのなら、すぐに誤解を解きます。
「トハさんの時は、人間と悪魔は一緒にいられないのかなってすごく悲しくなった。だからガルーがゼファーの中にいて欲しくて、消えてって言った! 一緒にいるって思えたから安心したんだよ!」
ゼファーの真意を知り、ガルーカンは目を見開いていきます。
しかし奥歯を噛み締め、崖に追い詰められたような必死さで、ゼファーから離れるなり黒い巨体の姿になりました。
「それでもダメなんだ! このままいけば俺はいつかお前を食らう! この身体はそういう風にできてる!!」
爬虫類を凶暴にした顔に、表情はありません。瞳だって物言わぬ宝石のようで、揺れる事はありません。
それでもゼファーの目には、この巨大な生き物が、泣きそうに見えたのでした。
「俺たち悪魔は、かつてドラゴンと呼ばれていた。ドラゴンは心に決めた一番大切な奴を食う習性があるんだ。それはいつか抑えられなくなる!」
この空間は二人だけの世界なのに、二人の間に溝が横たわっているようでした。
「なあ、聞いてくれ。俺とお前が会う前の話だ」
その昔、生まれた頃のガルーカンは枷に従い、深く考えずに人間たちの願いを何でも叶えていました。
しかしある日、魔王にこう言われたのです。
――悪魔を全て滅ぼせって言われたら、どうする?
それからのガルーカンは自分の枷の重みを知り、願いを叶える相手を慎重に慎重を重ねて選び、相手が願いを変える事の無いよう、都合の良い悪魔を演じ続けるようになりました。
相手に合わせ続けたガルーカンは、いつしか本当の自分の性格も姿も忘れてしまいました。
そして願いを叶え終えたガルーカンは、空っぽになった自分に気付くと、静かな恐怖と混乱の中、久々に何も考えずに、契約のペンダントを路地裏に転がしたのでした。
壊れかけたガルーカンは、次の願いで何が滅びても構わない、と自暴自棄になっていました。
しかし、そして出会ったゼファーは、真っ直ぐな願いや言葉をガルーカンにぶつけ続けました。演じる必要など無いやり取りに、ごく自然に本心の言葉で会話ができたのです。
そうした自然な触れ合いにガルーカンは深く癒され、契約などなくとも、彼女を守ろうと思うようになっていったのです。
「そんなお前を食いたくないんだ!!」
ガルーカンの告白を聞き終えたゼファーは、いつの間にか深くうつむいていました。
その様子に、ガルーカンは自分の気持ちを汲み取って離れてくれるだろうか、と期待が胸の半分を占めました。もう半分は寂しさだなんて、彼は認めません。
「……人間の顔を作ってくれたのは、ゼファーに合わせるため?」
「ああ。だが今は契約だけじゃ無い。一緒にいるだけで幸せをくれる奴を、安心させたいだけだ」
それを聞いたゼファーは、一歩、溝を埋めるように踏み出しました。
反対にガルーカンは怯むように太い足を一歩下がらせます。
「じゃあ、合わせて」
その分ゼファーは歩を進め、鋭い牙を覗かせる鼻先を撫でました。
唐突な行動にガルーカンはびくりと震えましたが、下手に動いて傷つけたくないので、動けませんでした。
「な、何を」
「ゼファーを食べたくなったら、いつもの人間の顔になって」
は? とガルーカンは呆気に取られて間抜けな声を上げました。
「人間の顔なら、さっきみたいに丸呑みにはできないでしょ。顔を押さえるとか、逃げるとか、抵抗もできるよ」
ガルーカンは、今更ゼファーの幼稚さを思い出して焦ります。
「ま、待て、そもそも食べたくなるのは、好きって気持ちが溢れた時で、人間の時に気持ちが溢れたら……」
「ちゅーしたくなるんでしょ」
間髪いれず自然に言い放たれた、“ちゅー”という恥ずかし過ぎる単語と、その幼稚だけれど年齢としては充分な発想に、ガルーカンは巨体を固まらせました。
「……そ、うだな……」
かろうじてそれだけ答えられたガルーカンに、少女は「今しとく?」と幼児特有の物怖じしない残酷さで容赦なく追い詰めます。
「い、いや待て、身体に負担がいかないのをいいことに遠慮が一切なくな――」
ようやく上げたゼファーの顔は、頬を薄紅色に染め、幸せに瞳を潤ませていました。ガルーカンにかかっていた、ディズレーリ以上のネガティブ思考にさせる魔法が木端微塵に粉砕されました。
「ゼファーね、こんなにガルーに好きって思われて、嬉しいの!」
ゼファーは、先程までのガルーカンの告白を、愛の告白だと受け取ったのでした。ああまで想われて、離れられるはず無いのです。
ガルーカンは今更になってその事実に気付き、かぱりと顎を落としました。
「……ゼ――」
『ああ、なんてかわいそうだ!』