5.無力な子供たちの話
ゼファーはグラスパート城の一室に閉じ込められながら、本を読んでいました。
客室よりは狭く、牢屋よりは広く、天井に設置された発光石のおかげで明るい部屋。窓はなく、家具は壁に寄せられたベッドに机と椅子だけ。壁と扉には、蠱惑的な魅力を放つ紅玉を銀で囲んだ装飾が施されていました。いつだったかガルーカンは、こういった規則的な配列をしている装飾には大体魔法がかかっているから気をつけろとゼファーに注意してくれました。ゼファーは魔法が使えず、魔力も感じ取れません。しかしゼファーをこの部屋に入れた人たちの目的は、ゼファーの監禁でしょう。だからこの装飾には、ゼファーを外に出さないための魔法がかかっているはずです。具体的にどんな魔法がかかっているかわかりませんが、安全を持して無闇に手は出さないでおきました。
ゼファーはあんなに弱ったガルーカンと引き離されて、彼がとても心配でしたが、だからこそ彼の言いつけを守ろうと冷静になるよう努めました。
この旅が始まった頃、ガルーカンは、お互いが離れてしまった時の対処法を教えてくれました。
まず、自分の身の安全を最優先にする事。そしてちょっと離れただけなら、すぐにガルーカンが迎えに行くので、じっとしておく事。しかし明らかに迎えに行けないような事態になってしまったら、身の安全を確保しつつ、ガルーカンと合流する努力をする事。
言われた時はうんうんと頷きましたが、今まさにその状況に追い込まれて思い返せば、結構無茶な要求だったんだな、とゼファーは胃が重くなる錯覚を起こしました。
しかも努力と言ったって、唯一の外への出入り口である扉は魔法で固められているし、窓も無いから今が何時かもわかりません。人を閉じ込める部屋なのに隠し通路も無いでしょう。
結局ゼファーはにっくき扉から誰かが接触してくるまで、ベッドでごろごろするしか無かったのです。
このように、ディズレーリの幻影が入り込んで来るまでは。
ゼファーはディズレーリの到来に本から顔を上げ、表情を明るくしました。
「ディズさん、これありがとね」
閉じた本を振って見せれば、彼はばつの悪い顔の中、寄せられた眉を少し緩めました。自分が転送した本たちがゼファーの気晴らしになれて、安心したのです。
『……見つかってませんか?』
「うん。ベッドの下に隠してる」
そもそもまだ一度も城の人間が確認に来ていないのですから、ディズレーリの訪問を感づかれる事はありません。彼はそれを知っていて聞きました。何か会話の糸口が欲しかったのです。
「ねえディズさん、ゼファーをここから出してガルーに会わせて」
『だから、僕は本くらい小さな物しか転送できないんです』
「じゃあガルーを自由にして」
『悪魔を封印できるような厚い魔法、僕なんかが解けるわけありません』
ディズレーリが幻影を送るたびに繰り返すやり取り。ゼファーは何度不可能だと言われても、頼むのをやめません。ガルーカンと合流する鍵は、城の人間たちの目を盗んで会いに来てくれるディズレーリだけなのです。
『……僕は、ダメなんですよ。炎の魔法において最も優れた一族。その家に生まれた僕は、なのに探知の魔法にばかり特化していた。血筋による気性も影響しているのでしょう、プライドが高い一族は、性格が大人しく炎の魔法も大した事無い僕を、一族の恥だと罵るんです』
ゼファーはイラッとして目を細めました。自分たちをこんな目にあわせたきっかけのくせに罪滅ぼしにゼファーを助けるでもなく勝手に身の上話を愚痴ろうとするディズレーリに。しかしそれを正直に言うと、きっと大砲の花火になるまで何もできなくなるので、何も言わないであげました。
『だからみんなを見返してやろうと、自分一人の力で勇者様を探していたんです。……でも、それは間違いでした』
やっと同情する隙を見つけられて、ほっと息をつきました。罪悪感があるなら歩み寄れます。
『最初は、あなたの事は魔王を倒すためなら悪魔に身を捧げるのもいとわない、高潔な人だと思っていたんです。だからライフライトにも、悩みはすれど、最後にはきっと入ってくれるものだと思い込んでいました。でも、あなたはそんなつもりの無い、ただ家に帰りたいだけの女の子だってわかりました。助けてあげたいと、思います。でも!』
雲行きが怪しくなり、ゼファーは手の中の本を強く握りました。
『でも、僕はあなたと違って、何の力も無いんです! あなたができない事を、僕ができるはず無いんです!』
どうやらこのお兄さんは、真面目そうな見た目に反して、状況に酔いやすいようです。
『魔法だってこのまま枯渇を止められなければ、いつか使えなくなるかもしれない。魔法さえも使えなくなったら、僕は……!』
ゼファーがディズレーリに向かって投げた本は彼をすり抜け、床に打ち捨てられてページが広がりました。挿絵のお姫様は泣いています。
その突然の暴力にディズレーリは硬直し、ゼファーは少し乱れた息を飲み、彼をきっと睨み上げました。
「これが、今のゼファーが持ってる、一番の力」
向こうの椅子を持ち上げる事はできますが、投げて相手に当てるには力が足りないでしょう。
「ゼファーは、ガルーがいなきゃすごく弱いの! ディズさんにだって勝てないの!」
すでに泣き腫らしたあとの赤い目から、また涙が零れ落ちました。泣きたいから泣くのではありません。悔しくて涙が溢れただけです。
「でも、今ゼファーが欲しいのはそんな力じゃ無い! 探して、会いに行く力。ディズさんの持ってるそれが、今のゼファーが一番欲しい力なの!」
ゼファーはディズレーリが何事か口を開く前に畳みかけます。
「いつかディズさんは魔法を使えなくなって、今よりもっとダメになるかもしれない! でも今は魔法が使える! “いつか”も無いゼファーを助けられるんだよ!!」
ディズレーリは目が覚めたような心地に襲われました。そうです、自分にはまだ未来が続いているけれど、目の前の小さな少女に未来は無い。自分が手を伸ばして、未来へ続く道へ引き上げなくてはならないのです。
長い沈黙のあと、ディズレーリは声を絞り出します。
『……僕なら、あなたを、助けられますか?』
彼の足下で開かれていたページがめくれ、挿絵のお姫様は笑顔になりました。
「できるよ、ディズさんなら」
ゼファーはいつだってディズレーリの欲しい言葉を言ってくれます。勇者ではないけれど、勇気をくれる者でした。
『どこまでできるか、わかりません。だから』
井戸の底から這い上がるような強い意思を宿した目で、ゼファーを真っ直ぐ見つめます。
『できるまで、やります! ディズレーリ・マトリョーシカ・サラマンダーの名にかけて!!』
ゼファーも、お姫様と同じように笑顔を見せました。