4.勇者様の打ち上げ場
まったく、トハは余計な事をしてくれたものだとガルーカンは憤慨していました。
トハが、ガルーカンなら確実に自分を殺してくれるだろうと当たりを付けて、ゼファーに手をかけようとしたのは、まあ理解はできるので許します。
しかし、そのせいでゼファーのガルーカンへの信頼にヒビが入るのは、歓迎すべきでない事態でした。
あれからゼファーは一言も発さず、うつむいていました。だからガルーカンは野宿より、どこか安全な宿で休ませようと移動の魔法を使いました。しかしガルーカンはいつも以上にゼファーを気にかけていたので、集中力が乱れ、街の屋根の上なんかに移動してしまったのでした。
それにこの街が魔法皇国グラスパートの皇都という、魔法文明を凝縮した場所というのも関係したでしょう。街のいたる所から魔力が感じ取れ、油断するとすぐに魔法がこんがらがってしまうのです。
ガルーカンがゼファーにかける言葉を選んでいると、頭をぽんぽんと軽い調子で叩かれ、呆気に取られたようにゼファーへ振り向きました。
「あれ、なあに?」
目を見開き、興奮気味にたずねるゼファーは、太陽の沈んだ薄明の空に、身を震わせる轟音と共に咲いた大輪の花火を指差していました。
その普段通りの様子にガルーカンは首を傾げ、悪魔への信頼をなくしたんじゃなかったのか? と混乱しつつも律義に答えるのでした。
「あ、ああ、花火ってやつだ。祭りや祝い事なんかがあると、ああやって大砲を空に撃って、色付きの火花で絵を浮かべるんだ」
言いながらガルーカンは、違和感を覚えて眉を寄せました。
「……けど、ここ、魔法皇国だろ? 世界で最も魔法で栄えてる国。それがどうしてわざわざ大砲なんて使ってんだ? そもそも魔法で花火作ればいいってのに」
その時、ゼファーの真下から巨大な鐘の音が全身に響き渡ったので、その衝撃でゼファーは屋根から滑り落ちそうになり、すんででガルーカンの右手がゼファーの腕をつかみ止めました。
屋根の縁からぶら下がったゼファーは巨大な釣鐘とご対面し、頭がグラグラしながらもここは教会の上だったんだ、と変に冷静に納得しました。
ひとまずガルーカンが鐘の音を小さく聞こえる魔法を使って鐘の下にゼファーを下ろすと、そこの床に、階下とはしごで昇り降りする穴を見つけました。
「ねえ、そこからなんか聞こえるよ」
鐘を掃除する時に扉を閉め忘れたのでしょうか。二人がそこを覗き込むと、壁に沿って作られた小さなテラスより下の方に、二人の人間のつむじが見えました。
一人はこの教会の牧師でしょう。けれどもう一人の方にゼファーは何となく興味を持ち、二人に見つからないようそろりとはしごを降り、テラスからこっそり観察してみました。
「……あれ、ディズレーリって人じゃない?」
「違うな。無視しろ」
ガルーカンが固い声で無視を即答したなら、それはあの面倒事の塊である、魔道士ディズレーリに違いありませんでした。
「なにを話してるか聞こえる?」
「聞こえない」
「じゃあ聞こえる場所まで近付こう」
ガルーカンはすぐにディズレーリたちの会話が聞こえる魔法を使ってくれました。
『ですから、ここには悪魔憑きの女の子なんていませんよ。聖職者が悪魔を庇うはず無いでしょう』
『ええ、わかっています。でも確かに今、この地点にいるはずなんです。牧師様が気付いておられないだけかもしれません。だから調べさせて頂きたいのです!』
『教会に属していない方に、教会を調べられては困ります。まるで抜き打ちチェックみたいで嫌ではないですか。いえ、別に普段の仕事に手抜かりがあるなんて事はありませんけどね?』
手抜かりの無い扉の真下から観察するゼファーは、ディズレーリが何とか牧師を説得して各部屋を調べて戻って来るまで、辛抱強く待つのでした。
戻って来たディズレーリの背中は丸まり、足下はフラフラとおぼつかない様子です。
『探知の魔法では、確かにここのはずなのに……。ううっ、僕の魔法が間違ってたのか? やっぱり僕は一族の恥さらしなのか……。ふ、ふふふ、どうせ僕なんて。ふふふ、どうせ僕なんて』
別に間違っていないのに自虐していくディズレーリに、ゼファーは少しの罪悪感を覚え、そしてとても不憫に思えました。
「ねえガルー、あの人とてもかわいそうだよ。魔法は間違ってなかったよって、姿見せてあげるくらいは、だめ?」
「俺は放っときゃいいと思うがな。悪魔憑き勇者の噂だって、しばらく大人しくしてりゃ消えるはずだ。人間はいつだって悪さする悪魔の親分である魔王を狙ってる。すぐに勇者以上の、もっと有効な手段を考えるようになるさ」
「……じゃあ、勇者はやらないけど、姿見せるだけ」
ゼファーがガルーカンの思い通りにならないのはいつもの事です。しかし今回は特にこだわっているように見えて、ガルーカンは少しイラ立ちを込めて強い語調で問い詰めます。
「お前なんでそんなにあいつに肩入れする? なんか良い事してもらったか?」
「あの人、辛い気持ちでいっぱいになってるから。ゼファーが毎日辛い気持ちだった頃、ガルーと会えて、助けてくれて、嬉しかった。だからゼファーもあの人、助けてあげたい」
ゼファーは思いついた言葉はすぐ口にするけれど、自分の気持ちをわかりやすい言葉にする事はあまりありません。だからこんな風に、自分がどう思ってるかをガルーカンにわかりやすく伝えた事に、そして自分への屈託無い感謝の気持ちに、ガルーカンはとても驚いて言葉を失いました。
だからゼファーがテラスのはしごをトントンと降りていくのを、止める思考が働かなかったのでした。
ディズレーリが力無く長椅子に腰かけていると、前の席から驚かせるようにゼファーが身を乗り出しました。
「ディズさん、足下ばっか見てたら自分の影しか見えないよ」
「へっ? ゆ、勇者様!? どどど、どうしてっ?」
「ゼファー、上にいたの」
ディズレーリはゼファーが天井の方へ指差す先へ視線を上げていくと、テラスの上に紅い霧をまとった生首が浮いているのが見えました。
ぽかんと間抜けに口を開けた顔を戻すと、ゼファーの尊敬できらきらした目と合いました。
「こんな魔法でごちゃごちゃな街で、よく見つけたね。すごいよ!」
ディズレーリの目には、欲しい言葉をくれるゼファーが、神様のように見えたのでした。
わなわなと唇を震わせ、胸の前でがっしり手を組み、滲んでいく視界に負けじと声を張り上げます。
「神よ、感謝します!!」
「こちとら悪魔だよ。感謝するなら、俺は反逆者じゃないと信じてくれた魔王にしな」
ゼファーの側へやって来たガルーカンの言葉に、ディズレーリは面食らいました。
「えっ、反逆者じゃないって……魔王、倒さないんですか?」
「うん。ゼファーね、冥界にある、このガルーのおうちに行こうとしてるの。だから、その冥界の親分してる魔王さんを、倒すつもりなんて無いの」
「俺はゼファーを冥界に連れて行く事を契約している。だからその契約に違えるような行動は絶対にとらない」
「……悪魔は枷を破ったら消滅する、ですか……」
悪魔の事をある程度は知っているらしいディズレーリは難しい顔で考え込みましたが、しかし意地になるようにかぶりを振って二人に向き合いました。
「あなた方の事情はわかりました。しかし、人間であるゼファー様に考えて頂きたい。今、この世界は少しずつ魔力が失われていっています。それは冥界の悪魔たちが魔力を吸い取っているせいだと言われています。このままでは、人間は魔法を失い、悪魔に蹂躙されるだけの存在になってしまう。それを避けるために、悪魔の王である魔王を倒して頂きたいのです」
ガルーカンは、「だから花火も魔力の節約で大砲使ってるのか」と合点がいきました。
「ふーん、ゼファーは冥界に住むから関係無いけど……魔王さん、魔力吸い取ってるの?」
「いいや、ンな必要ねぇくらい親分は最強だ。単に、人間だけが魔力減ってるのに悪魔は減らないから、そう見えてるだけだろ」
ガルーカンに人間の主張を否定されたにも関わらず、ディズレーリはむしろ胸のつかえが取れたようでした。
「……やっぱり、人間だけが枯渇しているのか……? 悪魔が関わっている噂の明確な出所が突き止められないから、どこか怪しくは思っていたけど……」
「はあ? まさか噂だけで国中の奴らが信じ切ってるってのか?」
「だ、だって悪魔は昔から人間の敵なんですよ。悪魔に被害がなくて人間だけに被害があったら、それは悪魔の仕業で大体間違い無かったんです」
「……まあ確かにな」
ガルーカンは無人の町とトハの顔を思い浮かべ、深く納得しました。
しかしゼファーには抵抗したい気持ちが生まれ、小さく呟きます。
「……何でもかんでも悪魔のせいにされるの?」
「仕方なくはある。悪魔の枷は人間と敵対せざるを得ないものが多いしな。そして悪魔はその枷を難なくこなせるように、自ら残虐な性格になろうとする。宿命ってやつだ」
その言いように、ゼファーは少し悲しくなりました。
「しかし、それなら魔力の枯渇は……」
厳しい顔で思い悩み始めたディズレーリに、教会の奥から「ああ、まだおられましたか」とのんびりした牧師の声がかかりました。
ガルーカンは彼に自分が見られて面倒な事にならないよう、ゼファーの中へ入ろうとしました。
しかしその時、悪魔を焼き尽くすような光の檻がガルーカンを捕え、姿を維持できなくなり、紅い霧が消えかかるように明滅を繰り返しました。
「ガルー!?」
そしてゼファーの悲鳴を合図としたように、教会の入り口から兵士がどっとなだれ込み、すぐにゼファーたちを取り囲んで白銀の槍を突きつけたのです。
ディズレーリもゼファーの側にいたので囲まれてはいますが、槍は向けられておらず、ただこの状況に目を白黒させるしかありません。
彼は遅れて兵士の間から身体を滑りこませて来た牧師に、飛びつくように問いただします。
「牧師様! これは一体!?」
「大丈夫、落ち着いて下さい。私は手抜かりの無い聖職者なので、教会の上に現れた悪魔を逃がさないよう、ここへ導き、魔法で捕えただけです。そしてあなたたちが話している間に城へ連絡をとったら、兵士をお貸しして下さったのですよ」
「お、お待ち下さい! 魔王を倒しても魔力の枯渇は止まらないのです! だから彼女たちをライフライトに入れる必要はありません!!」
「私に言われましても……」
必死に懇願するディズレーリの様子に、ゼファーは光の檻の中で明滅を繰り返すガルーカンに伸ばしていた行き場の無い手を下ろし、怯えた顔でゆっくり振り返りました。
「ラ……ライフライトって、なに?」
ゼファーのその問いに、ディズレーリは答える事ができず、眉間に深くしわを刻んで奥歯を噛み締めました。
だから答えられるのは、自分は当然の事をしているだけだと信じ切っている牧師しかいません。
「大砲ですよ。魔法技術の粋を集めた、対魔王用の兵器です」
遠くから、大砲によって打ち上げられた花火が咲く音が響いてきました。
「確か、城からの発表では……魔力を凝縮した弾に、さらに悪魔という絶大な力を込め、それを制御できる人間を弾頭にして発射する、らしいですね」
「……最初から、そうするつもりだったの?」
ゼファーの問いに、ディズレーリは無言で肯定しました。
しかし今の彼は、それでも言いたい事があるように、口を開きかけますが、正しいと思える言葉が見つからず、ぱくぱくと意味の無い開閉を繰り返すだけでした。
そしてゼファーとガルーカンは、魔法皇国に捕らわれたのでした。