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嫌われ者のあいつには、随分ご大層な夢があるらしい

作者: あ
掲載日:2025/12/01


体育祭の午後、校庭の砂埃が夕陽に照らされ、橙色に染まっていた。

一日の競技を終えたクラスメイトたちは疲れ切っていたが、最後のリレーのことだけは、誰もが頭から離れなかった。


補欠の坂口が、ぎこちなく走り出す。

佐伯は前の坂口にバトンを渡した瞬間、嫌な予感を覚えていた。

「あ」と漏らしたのは誰だろうか。その瞬間、坂口は大きく転倒した。

砂が飛び、夕日がそれに反射して輝く。


順位は、一気に落ちた。


教室へ戻ると、空気は澱のように鈍く沈殿していた。


「まあ……仕方ないよ」

「気にすんなって」


そう口にしながら、クラス全体が坂口に対して近づきすぎない距離を取っていた。

坂口自身は無表情で、自分の席に体操着を置くと、水を口に含んだ。


誰もがその場を丸く収めようとしていたその時、坂口の言葉が響いた。


「全部、僕のせいだろ」


その声音は、妙に乾いていた。


数人が視線を向けた。「そんなことないって」と慰めの方向へ話を戻そうとした矢先、坂口は肩をすくめて言った。


「別に気にしてないよ。期待なんて、してなかったでしょ?」


空気が凍る。言葉に出さない怒りや困惑が、教室を張りつめさせた。

坂口はひとり、なんでもないような顔をして立っていた。



その日、佐伯は教室にノートを忘れ、取りに戻った。

ドアを開けると、夕陽で壁も机も橙色の中、同じく橙色の坂口がぽつんと座っていた。



佐伯はなんとなく声をかけた。


「さっきのやつ……なんであんな言い方したんだ?」


坂口は振り返らず、簡潔に言った。


「本音言っただけ」


坂口は付け加えて、


「別に嫌われても困らないし」

と、乾いた声で言う。


その言葉には、不思議と嫌味が含まれていなかった。




翌日から、佐伯は自然と坂口に話しかけるようになった。


周囲は不思議そうだった。


「佐伯、坂口と仲いいの?」

「意外すぎ」


佐伯は曖昧に「まあね」と笑って流す。


その裏側で、密かにそれは膨らんでいた。

(……俺くらいだよ、こいつなんかと普通に話せるのは)

そんな小さな優越感。


気づけば二人は放課後に本の話や、授業の愚痴を話す程度には距離が近づいていた。




ある日、坂口が突然言った。


「今度、見せたいものあるんだけど」

「なに? また変なもん?」

「変かもしれんけど……まあ来れば分かる」


坂口はそこで少しだけ間を置いて、言った。


「小説、書いてるんだ」


佐伯は驚いた。

そして同時に、口に出せない笑いがこみ上げてくるのを必死に抑えた。


「へぇ。読ませろよ」


「うん、じゃあ家来て」

その言い方はあまりにも自然で、佐伯は少し戸惑いながらもうなずいていた。



◼️



坂口の家はアパートだった。

玄関から部屋に入ると、机の上は紙の雪のように散乱し、本も山積みで、座る場所を見つけるのに苦労した。


坂口は佐伯の様子を気にするふうでもなく、無造作な原稿用紙の束をずいと差し出す。



佐伯はページをめくった。一行目で息を呑む。そして次の行、さらに次、そして目を見開いた。


あまりにも下手だった。

文は粗く、表現も分かりにくい。展開も強引で読めたものじゃない。


それでもなんとか最後まで読み切った。

顔を上げると、黒い目がこちらをじっと見ていた。


佐伯は反射的に微笑む。


「……お前、よくこんなに書いたな」


内心、この小説とも呼べないものを馬鹿にしていた。

だが口に出すことはなかった。


坂口は少しだけ嬉しそうに、


「将来、小説家になりたいんだ。最高の話を書きたい。99パーセントが否定しても、残りの1パーセントが僕の話を見て心が揺れるような小説を求めてるんだ」


と夢を語った。


佐伯は一言、「いいね」と言った。

表面上は。


気づけば、その日から時々坂口の小説を読んでアドバイスをするようになったが、坂口は全てを拒否した。


「それは僕の文体じゃない」

「僕はこう書きたいんだ」


佐伯は内心苛立っていた。

(これじゃ絶対うまくならない)

(聞く耳持たないくせに、あんな夢叶うわけがない)



◼️


数日後、体育祭の打ち上げが行われた。

坂口は当然のように来なかった。


クラスの数人で集まったファミレス。

話題は自然と将来の話になる。


「佐伯は? 夢とかあんの?」

「んー、まあ、普通に就職?」

「坂口は? あいつなんか言ってたっけ」


誰かが言葉を発した。


「あいつ、小説家になりたいって言ってたよな。佐伯、読んだことある?」


佐伯は気が抜けていたのか、つい本音に近い言葉が漏れる。


「……正直、全然おもしろくないよ」


一瞬で笑い声が起きた。

特有の高揚感も手伝い、話はエスカレートする。


「だろうなー!」

「まず協調性ねぇし」

「社会になじめないから物語に逃げてるだけだよ」

「現実から逃げてるやつの書く話なんて読めねぇよな」



佐伯は黙っていた。

胸の奥で何かがきしんだ。


(……こいつら、坂口の何を知ってるんだよ)


自分が最初に火をつけたのに、なぜか怒りが湧いた。


勢いで席を立つ。


「悪い、帰るわ」


周囲は驚いたが、佐伯は振り返らずファミレスを出た。


◼️


帰り道、坂口からメッセージが来ていた。


「打ち上げどうだった?」

「あ、新作読んで欲しいんだけど」


佐伯は吐きそうになった。


既読のままで坂口の家へ向かうと、玄関に坂口が立っていた。

表情はいつも通りの無表情だ。


堰を切ったように言葉が溢れる。


「今日、お前の悪口言った。小説がつまらないとか、社会に馴染めないやつだとか。全部、本音じゃないってわけじゃないけど……後悔してる」

「俺はただの偽善者だ。最低なことしてた」


話すうちにだんだんと頭が重くなって、気がつけば坂口の足元あたりを見ていた。自分がこんなにも謝るのが下手なことに、指先が硬く冷えて、言葉が喉で詰まった。


坂口は黙って聞いていた。

しばらくして、ぽつりと言う。


「僕の話を馬鹿にするやつは、全員クソ人間だと思ってる」


息を呑む。

しかし坂口は続けた。


「でも……君が言う偽善のおかげで、僕は書き続けられてた。だから、君はクソ人間よりマシだよ。読んでくれることに関しては、ありがとう、って思ってる」


佐伯は言葉を失った。


坂口はいつもの調子で言う。


「なあ、このエピソード、使っていい?」


その瞬間、佐伯は確かに圧倒されていた。

負けた。完敗だ。


どうにかこうにか言葉を絞り出す。

「お前、凄いやつだな」


口を半開きにする佐伯に、坂口は少し照れくさそうに言った。

「今気づいた?」


夕暮れのアパートの廊下で、二つの影が静かに伸びていた。でも、空気にはどこか軽さが残っていた。


友人には夢がある。俺も、少しだけそれを信じている。

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