先輩と星とローカル線
中・長編にも挑戦してみたいお年頃
今年もまた、駅のベンチに座って、
春の星たちを眺めている。
高校を卒業して大学生になって、
社会人になっても、また。
「あれが北斗七星で…」
かつて先輩がそうしたように、
夜空に瞬く星をつなぎ合わせて、様々な動物たちを描いていく……。
* * *
あれは、高校生になってすぐのことだった。
部活終わり。わたしは小さなローカル線の駅の木製ベンチに腰掛け、
疲れた身体を休ませていた。
目を閉じると朦朧とした意識の片隅で、
ジーッジーッとクビキリギスの鳴く声が聞こえる。
……
ふと、隣に人の気配がした。
ゆっくりと瞼を開けると、
一人の女学生が姿勢よく座っている。
「ごめん。起こしちゃった?」
ささやくような声だった。
淡い電灯の光に照らされた女学生の顔が、
青白く浮かび上がる。
長い睫が、奇麗な瞳の上で二度、揺れた。
先輩だろうか、わたしと同じ制服を着ているが、
見たことのない顔だった。
「い、いえ、別に寝てたわけじゃないですから」
慌ててベンチの端の方に座り直す。
彼女は練習着で膨れたわたしのバッグを指さした。
「部活?」
「はい、バレー部で…」
「こんな時間まで大変ね」
「そういう先輩は……」
「先輩……?」
彼女が目を丸くした。
「違いましたか?
すみません。その、お顔、見……拝見したことなかったので」
「ふふっ、いいえ、違わないわ」
彼女は、そこで言葉を切って空を見上げた。
「……わたしはね、星を見ていたの」
「星……ですか」
彼女の視線を追いかけるように、
駅の庇の下に広がる夜空を見つめた。
「冬の星座はロマンがあるけれど、
わたしは春の夜空も好きで……」
彼女は白くて細い指先で夜空をなぞった。
「おおぐま座は、尻尾の部分から探すと見つけやすいわ」
「尻尾ですか」
「あそこに柄杓みたいに並んだ7つの明るい星があるでしょう?
北斗七星っていうのだけど……」
「あ、聞いたことあります」
彼女のなぞった星座から様々な動物が生まれていって、
夜空を華やかに彩っていく。
わたしはプラネタリウムに来たような心地で、
彼女の星の物語に耳を傾けていた。
「って、ごめんなさい、疲れてるのにこんな話して」
「いいえ、すごく楽しかったです。
こんなふうに夜空を眺める機会ってなかなかないので」
気付くとわたしたちの距離はすっかり縮まって、
肩を並べるようにして星を眺めていた。
しかし、そんな時間も。
「まもなく、XX行き普通列車が到着します。
黄色い線までお下がりください……」
構内の古びたスピーカーから流れる男性のアナウンスによって、
現実に引き戻されてしまう。
「ところで、先輩はどちらまで……」
もっと彼女と話してみたかったわたしは、
思い切ってそう尋ねてみる。
しかし、先輩はわたしの質問に答える代わりに寂しそうに微笑むと、
首を横に振った。
やがて、小さな構内に電車のヘッドライトの光が差し込み、
徐々にわたしたちの姿を闇の中から引きずり出す。
そこで、わたしはようやく気付いたのだった。
———電車の光が彼女の身体を透過して、
古ぼけた駅舎の壁を照らしていることに。
鉄が擦れる音を立てながら車両が止まると、
重々しいドアが、ガシャンと開いた。
中から、疎らに乗客が下りてくる。
「先輩、その……もしかして」
彼女は人差し指をわたしの唇に当てると、
悲しそうに微笑んだ。
「今日は付き合ってくれてありがとう。
早くしないと、電車、行っちゃうわよ」
次の瞬間、駅のホームをびゅーっと突風が吹き抜け
わたしは目を閉じてしまう。
風が止んで瞼を開けると、
彼女はもうそこにはいなかった。
* * *
物思いにふけっている間に、
夜空のキャンバスは、すっかり星座たちで華いでいた。
まだ、少しだけ冷たさをはらんだ春の風が、
わたしの頬を撫でていく、
「来年も来ますね。先輩」
誰もいないはずのベンチを見つめて、わたしは言った。