彼を知った日
似たようなすれ違いのお話ばかりですみません。
──ルイーズ・ボネは、平凡だ。
ヘーゼルの瞳は少しだけ気に入っているけれど、栗色の髪も、成績も、運動神経も、取り立てて目立つものはない。
どこにでもいるような女の子。人混みに紛れれば、すぐに見失ってしまうような存在。
この名門学園に通っているのも、実家が伯爵家という肩書きのおかげで、自分自身の才能ではない。
そんなルイーズには、つい気になってしまうクラスメイトがいた。
─ジスラン・オーリク。
成績は優秀だが、彼が授業に顔を出すことは滅多にない。
それには理由があった。
彼の──その容姿だ。
この国では、真紅の瞳と漆黒の髪は、"悪魔の象徴"とされている。
まるで血に染まったような深い赤の瞳。夜の闇そのものを思わせる黒髪。
彼の周囲には、どこか近寄りがたい冷たい空気が漂っていて、言葉少なな振る舞いや無表情さも相まって、圧倒的な存在感を放っていた。
クラスメイトたちも皆、彼を遠巻きに見るばかりだった。
ルイーズも、きっと噂通りの怖い人なんだろうと、ジスランのことをどこかで決めつけていた。
─そんなある日の放課後。
ルイーズは、図書館の裏手にある中庭で、ひとりの男子生徒が猫に餌をやる姿を見かけた。
夜の闇を思わせる、黒髪。
──まさか。
息をのんだその瞬間、ルイーズの視線に気づき、振り向いた彼と目が合った。
真紅の瞳。
まるで血に染まったような、その色。
「……あっ!」
驚きに思わず声が漏れ、ルイーズはその場から逃げ出してしまった。
噂どおりの“恐ろしい目”
──そう思ったはずなのに。
夜になっても、心に残っていたのは、猫に優しく微笑んでいた、ジスランの穏やかな表情だった。
─翌日。
授業の合間、階段でルイーズが足を滑らせかけたとき、誰かが後ろから支えてくれた。
「気をつけて」
振り返った先にいたのは─ジスランだった
彼の手は、意外なほどあたたかくて、真紅の瞳は思っていたよりずっと穏やかだった。
「ありがとうございますっ!」
思わず、声が大きく響いた。
しかし、それもすぐに萎縮する。
「それと……昨日はごめんなさい。……急に逃げてしまって……」
ジスランは少し驚いたように目を丸くし、やがて、ふっと笑った。
「気にしてないよ。よくあることだから」
その笑顔に、ルイーズの胸がじんわりと温かくなった。
──そして、噂や外見だけで人を判断していた自分が恥ずかしかった。
それから、ルイーズとジスランは、少しずつ距離を縮めていった。
ジスランが教室に現れることは相変わらず少なかったが、放課後や休み時間、静かな中庭で言葉を交わす時間が増えていった。
共通の趣味があるわけではない。けれど、不思議と沈黙が心地よい。
その穏やかな時間が、ルイーズの心に小さな灯をともしていた。
ある日、ジスランがぽつりと呟いた。
「……こういうの、慣れてないんだけどな」
「こういうの?」
「誰かと、こんなふうに自然に話すの。
ルイーズ嬢といると、肩の力が抜けるんだ。
……妙だなって、自分でも思うよ」
その言葉が、ルイーズの胸をふわりとあたためた。
(怖い人だって決めつけていたのに。
本当はこんなに穏やかで、優しい、素敵な人だったなんて)
彼を知れば知るほど、もっと知りたくなる。
──けれど、その想いは、思いもよらぬ人物の登場でざらりとした不安へと変わっていった。
──アメリア・クライン。
男爵の庶子である彼女が学園に転校してきたのは、ちょうどそんな時期だった。
ふわふわと風に揺れるピンク色の髪。髪と同じ色の睫毛で縁取る、大きなベビーピンク色の瞳。
誰にでも笑顔を見せ、気さくに話しかけるアメリアは、平民出身なこともあり、貴族令嬢の型にはまることなく、瞬く間にクラスの男子生徒の中心になった。
けれど、彼女が一番熱心に話しかけていたのは──ジスランだった。
「ねぇ、あなたがジスラン様?
あなたの瞳ってすっごく綺麗な色ね!」
笑顔でジスランと距離を詰めるアメリアに、周囲の視線が集中する。
(ジスラン様は……どう思ってるんだろう)
初めて芽生えた“嫉妬”は、想像以上に苦しくて。
ジスランと目が合っても、ぎこちなく微笑むことしかできなくなった。
──避けている自覚は、あった。
けれど、ルイーズはどうしても素直になれなかった。
─放課後の中庭。
ルイーズがひとり、ベンチで本を読んでいるとジスランが声をかけた。
「……勘違いだったら申し訳ないんだけど。ルイーズ嬢、最近僕を避けてる?」
ページをめくる手が止まる。
やっぱり、気づかれていた。
ルイーズは、アメリアのこと、そして自分の嫉妬心を素直に打ち明けた。
ジスランは静かに、真っ直ぐにルイーズを見つめて言った。
「正直、けっこう困ってた。距離感が近くて、戸惑う…。
彼女はなんだか恐いし……君のほうがずっと、安心できる」
その言葉が、ルイーズの胸の奥を熱くした。
「……わたし、最初ジスラン様のことを外見で恐ろしい人だって決めつけて。
それでも少しずつ知っていく中で、本当はとっても穏やかで優しい人だって知って──。
なのにまた勝手に、ジスラン様の気持ちを決めつけてしまって……ごめんなさい」
ジスランは驚いたように目を見開き、やがて、優しく笑った。
「大丈夫だよ。君がこうやって言葉を尽くしてくれたことが、何より嬉しいから」
「これからは……あなたの気持ちを、ちゃんと聞いて、ちゃんと知っていきたい」
ジスランは頷き、微笑んだ。
「僕も、君ともっとわかり合いたいよ」
夕暮れの光の中、ふたりの間に流れる静かなぬくもり。
ルイーズは胸の奥に、大きな幸せを感じていた。
──その様子を、じっと見つめる影があった。
中庭を見下ろす校舎の窓の陰。
アメリア・クラインは、制服のポケットから古びた小さな手帳を取り出す。
表紙は擦れ、ページには色とりどりの付箋が貼られている。
『ジスラン・オーリク 攻略ルート』
あるページには、丁寧な文字でこう記されていた。
『好感度を稼ぐには──笑顔で近づき、彼の孤独に寄り添うべし』
アメリアの手が、小さく震えた。
「……全部、やったのに」
アメリアはぐっと唇を噛みしめる。
─そこに、彼女のいつもの無邪気な笑顔はなかった。
ふわりと香る花のようだったものは、いつしか冷たい風に変わっていた。
最後不穏な空気で終わって申し訳ないです。
アメリアは悪いことはしてないので、ざまぁはなしです。
一番の推しはきっとジスランですが、彼女はここからまた他の攻略対象に近づいていくと思います。