バレンタインに彼女ができた話
小説家として生計を立てている俺は、働く場所を選ばない。その辺のカフェであろうと電車の中であろうと、要はパソコンなりスマホが動く場所ならそれでいいのだ。
ということで、俺の「職場」は家から徒歩数十分の道のりの後に着く、駅に併設されている商業施設のビルのカフェだった。
歩くことで微々たる健康を得ようという自分への気遣いと、昼時でも埋まっていることが少ないカフェという双方の理由を満たしている、まさに理想の場所。
あと、カフェに行く途中にチョコレート専門店があるのだが、そこの店員さんが可愛いのだ。長い黒髪をポニーテールにまとめていて、顔立ちはつんとしたクール系の美人なのだが、よく笑う。
もちろん、接客業なのだから愛想良くという指示を出されているのだろうが、俺が店の前を通る時、彼女が呼び込みをしていると必ず笑顔を見せてくれる。
決して勘違いはしていない。彼女がどうとかではないものの、その笑顔は俺の一日の活力になっていた。
ある日、店の前を通りがかると彼女が店先でチョコレートを配っていた。
あぁ、もうすぐバレンタインか。日に日に身を縮ませていく寒さに、自分の人生の彩りのなさに忘れていたが、世間では少なくとも、脳内には春が訪れている。
チョコレート専門店であれば、この機会を逃すわけにはいかない。こうして看板娘にチョコレートを配らせ、味の虜にさせることで今月の売り上げは固いわけだ。
「あっ、こんにちは。良ければお一つどうぞ」
という言葉に辿々しく会釈をしながら、手のひらに乗せられたチョコレートを、俺の熱が溶かしてしまわぬうちにカバンにしまった。
翌日も彼女はチョコレートを配っていた。
彼女の涼しげな目が俺を見つけると、またしても「お一つどうぞ」と渡してくれる。
昨日ももらったのに、ちょっと申し訳ない。
でも、前のものと少し包み紙が違うみたいだし、色々な味を試してほしいという店の方針なのだろう。
さらに翌日、彼女に手渡されたチョコレートは、少し大きかった。
チラリと彼女の腕にかけられたカゴを覗くが、俺に渡されたものと同じものは入っていない。
思考に気を取られていたせいか、彼女とばっちり目が合ってしまう。
彼女は少し熱っぽい視線で「どうされました?」と問いかけるが、俺はただ「い、いえ……」と情けない返事をして職場に向かった。
その日はまったく集中できなかった。
でも心配ない。スマホで日付を確認すると、今日は二月十三日。明日で終わりだ。
二月十四日。店の前には彼女が立っていた。
彼女は俺を見つけると、カゴから四角い小さな箱を取り出して俺に向ける。
「これ、本命です」
照れ臭く笑う彼女に、俺は春の到来を感じた。
俺の何が良かったのかはわからないが、こんな可愛い子の告白を断るはずがない。彼女と少しばかり会話して連絡先を交換すると「後で連絡する」と言って仕事へ向かう。
そうか、これは彼女の作戦だったわけだ。俺はまんまとハマった。
ほわほわと考えながら歩いていると、一つの疑問が泡のように浮かんだきた。
――チョコレートを作るのに、あんなに怪我をするものなのか?
彼女の指にはいくつかの絆創膏が貼られていた。チョコレートを湯煎する前に砕く……とかなんとかは聞いたことがあるが、そんなにも不器用なのか?
慣れないイベントのせいか、モコモコしたアウターのせいか、何が原因かわからないが、嫌な汗をかいている。
これ以上考えるのはよそう。俺に美人の彼女ができるなんて、そもそも夢みたいなものだ。
俺は嫌な想像を振り払うと、職場へと向かう。彼女が言っていた言葉だけが、妙に脳にこびりついている。
「美味しかったですか? 私の――」