009
第九話よろしくお願いします。
人の数は、祝福とともに増える。
子は生まれ、家は広がり、路は数多に分かれ、どこまでも伸びてゆく。
しかしながら、この街には街を成立させる城壁という物理的な限界が存在する。
その庇護は我らを護ることと、我らの飢えを満たすことを両立し得ない。
神の御加護を以てしても成し得ない。
この不釣り合いこそが、
街史の裏面に繰り返し刻まれてきた
飢え、病、争いの正体である。
人の増え方と糧の増え方の差異を、
天災や悪政ではなく、
世界そのものの仕組みとして捉え直すために、
その考えをここに記す。
『人口論』著・ロメウス=クライン
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
聖坐の玄関口まで来て見送ってくれたキャロルさんに改めて御礼をして、約十日ぶりに外へ出た。
「すぅ…………」
息を吸う。
入院室と比べて微かに感じる埃っぽさ、瞼の裏に感じる陽射しの温かさ、白い石畳を靴裏で叩く心地良さ。
当たり前にあったもの全てが、なにやら自己の存在を誇張してきているように感じられた。
「はぁ…………なんだか空気すら違う気がします」
「かかっ、お大袈裟だなって訳でもねぇか。両腕を骨折たぁ大変だったな、痛かったろ?」
「そうですね、探索者は諦めようと素直に思えたくらいには大変でした」
「お?おう?」
「なので『鹿鳴』さんで雇って貰えるというお申し出は本当に有り難いです。それに衣服や履物まで。改めて、ありがとうございます」
加護の通らない衣服は、靴も含めて『北の鷙鳥』の試験でボロボロになってしまった。
今身に着けているのは隣を歩くクルードさんが用意してくれたものだ。
赤茶色の短髪に口髭、太い眉の下に鋭く光る鈍色の瞳の大男はその見た目や言動に反してとても親切で優しい。
『お前はこの色だよな』と笑っていた若草色の半袖に薄墨色の脚衣は街中どこでも見られる日常着。
赤茶の革靴だけ妙に艶やかで、理由を聞けば『ウチの仕事はまず足許を見られるからだ』とか。
孤児院でも着ていたような何て事は無い普通の服だったけれど、襟の無い首元に頼りなさと新鮮さを感じる。襟付きの半袖というのは学生か、貴族の子女しか着られないものだったから。
「おい、ロウ。もしかしてこれからずっとその余所行きみてぇな喋り方する気か?」
「……?雇用主と従業員なのですから、当然かと思いますが……」
「勘弁しろよ……」
口の利き方について、という良く解らない題目を話題に、療育省の聖坐を背にして周遊道を南側から半周して東門大通りへ向かう。
代わり映えのしない堀と城壁とが続く左手側とは対照的に、右手側には広大な農園とそこで働く人々の姿があった。貴族の庇護を受けている”農民”の立場は街に暮らす僕等”従民”と変わらないが、その暮らし向きはとても豊かと聞く。
『朝日とともに目を覚まし、日が傾くまで土の上で汗を流し、夕陽が沈むのに合わせて眠りにつく。
自らが育て収穫したモノで存分に腹を満たし、時間が余れば歌を歌い、気分に任せて子作りに勤しむ。
そこには大きな刺激も無いが、命の危険も無い。あるのは人として過不足の無い幸せだった』
穏やかな表情でその言葉を残したのは、職業訓練学校を中途退学していった農家の六男坊だった。
当時十三歳。
目の前の長閑な光景にその言葉が蘇り、感じ入る。
「おい、あんま”南民”を見てやるな……」
「……っ、すみません。ぼーっとしてました」
けれど受け取り方は人それぞれ。
クルードさんのような探索者上がりの”従民”は特に、生まれてから死ぬまで農地に閉じ込められて作物を収穫するだけの道具として扱われる人々を、南の人”南民”と呼んで憐れんでいた。
「当人達はとても長閑で、幸せそうですけどね……」
「否定はしねぇがな。俺はあの姿を羨ましいとは思わねぇ」
一方で日々の暮らしに喘ぐ生粋の”従民”は彼らの生活を羨んでいる人が多いように思う。
僕の身の回りだけの、それも僕の主観でしかない話だけど。
何にせよ、異界からの狩猟採集だけを行ってきた人々に安住の地を与えて、そしてその中で食べ物を自ら作り育てるという発想を実現させた探索者、かつての王は偉大だ。
「そういえば、クルードさんは元々は何で探索者に?」
「あん?誰に憧れたかって話か?」
「あー……まぁ」
「んだよ、はっきりしねぇな。言いたいことはスパッと言え。これもウチの社訓に追加だ」
「えぇと……特定の誰か、とか憧れる会社があって、そこに入りたくて探索者になったんですか?」
「…………特にそういうのがあった訳じゃねぇな。強いて言えば親だが、東の壁際族だったからな。毎日毎日、鼠ばっか取って来てよ……。あぁ、それで言えば羊だな。たまぁーーーに獲って帰って来る羊の肉が旨くてよ。あれ毎日食うんだって、それこそ一年目の頃から羊狩りばっか行ってたな」
あんまりにもその見た目らしい答えに思わず笑ってしまう。
探索者になろうとするほどんとの人は『こう』なのだろう、かく言う僕にも明確な何かがあった訳ではない。幼い頃から絵本で見て、寝物語に聞き、子供同士で夢を語り合って育った。
「孤児院の弟にも居ますよ、肉肉いってるのが」
「あ、そういやお前んとこ今日、卒院の集まりあんだろ?軽くやることの説明だけにしてやるから今日は早く帰れよ」
「わかりました。お気遣いありがとうございます」
「だから、そういうのやめろっつの」
「……貴族相手にはした方が良いんでしょ?普段から統一しておいた方が良くないです?」
「逆だよ逆。言葉遣いから格好から、何から何まで変えることで心持も変える。そうすることで慣れがちだが失敗の許されねぇ反復作業にも、毎度ちゃんと緊張感を持たせることが出来る」
「なるほど。ちゃんと考えられてるんですね」
「あ?嫌味か?この野郎」
「違いますよ。普通に感心と敬意です」
そんな会話を続けながら周遊道を抜けて東門大通りに入る。
街並みは変わらない。そりゃそうだ。十日やそこらで変わるものじゃない。
それでも劇的に変わるものもある。
僕の人生は正に激動の真っただ中だ。
六年間ほぼ毎朝通学路で挨拶を交わした近所のおじさんでもあり、級友の父親でもあるクルードさんは左手の小指と薬指を失った元探索者で、そんな人との関係は今や従業員と雇用主だ。
ここ数日”あの光景”を幻視し毎晩息を詰まらせて目を覚ましている今だからこそ、その道の先に不具を得て、それでも前を向いて生きている彼を、掛け値なしに尊敬している。
だからこそ、聞いておきたかった。
「なんで、僕を雇ってくれるんです?」
探索者時代に培った人脈と縁、何よりその力を貴族に見込まれてクルードさんが請け負った異界素材の取引商は、探索者からの徴税という側面が強く、区分としては市井に暮らす”従民”でも、実態としては教師や学者や教役者のような”啓徒”に近い。
仕事の内容も大儲けは出来ないだろうけれど、生活に窮することも無い安定したものだ。
それでいて事業規模の拡大という野心は窺えず、健康不安などという言葉からも縁遠く、跡を継ぐと名乗りを上げた一人娘までもいる。
はっきり言って僕なんて余剰人員で、正直言って雇う理由なんて無い。
「ステラ先生に頭下げられちまったからな、どうもこうもねぇよ」
だから、その答えを聞いても、何も、思わない。
「そうだったんですね。先生には感謝しないとな……」
たとえ自分が世の中から必要とされていない存在でも。
そんな者のために頭を下げてくれる人がいる。
そんな者を拾ってくれる人がいる。
そのことにまず、感謝をしなくちゃいけない。
「つっても厭々って訳でもねぇんだ。もともと店仕舞いしようとしてたとこにセリスが絶対に継ぐって言い始めて、一時のもんだろって考えてたらわざわざ学校から先生連れて帰って三者面談なんて場まで用意しやがって……仕方ねぇコイツが独り立ちするまでもうしばらくはって思った矢先の話だ。ついでだよついで」
だから、そう言って半分欠けた左手で乱暴に撫でてくる手も受け入れた。
「こうなったらもう手前ぇら仕上げてさっさと隠居を狙うしかねぇだろ。あ、お前等がガキこさえるってなったら手狭にならぁな……そこら辺も考えねぇとな」
「勘弁してくださいよ……」
冗談のように飛ばした台詞の方には、何とかそう返した。
「……孫か……悪くねぇ」
ちゃんと聞いてくれていたかは大分怪しい。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
鐘一つ分の時間をかけて東門大通りは『鹿鳴』の前に辿り着く。
その間、途中通り過ぎた第三職業訓練学校前で先ほどの会話を思い出し、先生にもちゃんと御礼の挨拶に行かなきゃなと思ったり、『昼飯買って帰るから好きなもん選べ』と、いつも通り過ぎるだけだった総菜屋で色々目移りしたり、ついでに挨拶回りだと店の近所を巡ったりと、退院したその日にしては結構歩き回ったように思う。
「ようこそ我が城へ、ってな」
毎朝営業前に組み立てるという木製の軒とその下に並べられた折り畳み式の机と素材の見本品。
積み上げられた石壁と古びた木枠窓と扉。
その横に立て掛けられた木版には『鹿鳴』の文字が刻まれている。
「ま、細けぇことは追々な。昼時は売りも買いもほとんど来ねぇから食いながら話すぞ。入れ」
とは言いながらも、新人研修は先の挨拶回りから既にしれっと始まっていたように思う。
ちなみに軒下の見本品は贋作ではなく異界素材そのものが置いてあって、これは供給過多になっているモノで売りも買いも安値になっている品を掲示しているそうだ。
普通に明日にでも頼まれそうな仕事内容を口頭だけで済ますのはちょっと困るんだけど…!
思いながら、大柄な雇い主の背を追った。
カランカラン―――
「おう、セリス。キリのいいとこで飯な」
木扉を潜ってすぐ横の勘定台に向けて一声かけてさっさと奥へと向かうクルードさん。
その姿を目で追うこともせず、返事かどうかも怪しい妙な唸り声を上げながら手元で何か書き物をしていたセリスが、何かを思い出したかのように顔を上げてこちらを見る。
薄い空色の髪、綺麗な弧を描いた眉の下に輝く鈍色の瞳、薄紅色の小さな唇。
父親とは似ても似つかない儚げな美少女は、今日も寡黙な美少女をしていた。
「おかえり―――と、よろしく」
「……ただいま。と、よろしく」
ちょっと変わった性格の級友に言われる『おかえり』に変な感じを覚えつつ、そう返した。
――― ――― ―――
――― ―――
―――
繊毛羊の脚肉の串打ち焼き
麦と黍の二八麺麭
碧蜜林檎と葉野菜の盛り合わせ
甲殻鼠と芋の混ぜ物揚げ
宣言通りの好物な羊肉に、思い出話をしたからか購入した安価な鼠肉料理、さらに言いつけを思い出して買い足した野菜類。
汁気はナシ。台所に作り置きの湯種があるでも無い。
誰も文句を言うでもなく、鉄色の水差しからそれぞれに木杯を満たし口内に流し込む。
「たまに食うと鼠肉も悪くねぇな」
ガツガツとその大きな見た目を裏切らない食欲をみせるクルードさん。
「うん。でも野菜もちゃんと食べて」
言いながらも自分の分だけを木皿に取り分けてモクモク食べるセリス。
「うわっ、この麺麭甘っ…!」
久々かつ食べ慣れない、不健康で濃い味付けの総菜に、驚きだか好悪だかすら分からない言葉を放つ僕。
セリスはともかく、割と話好きなクルードさんも食事中は余り喋らないのが意外だった。
そして孤児院と比べるべくも無い静かな食事に、騒がしい方が落ち着く、という自分を発見する。
そういえば、入院中でも食事時はキャロルさんやシスターレミリアが話し相手になってくれていたっけ。
取り合えず、二人に合わせて”何か食べたら一言二言ずつ己の感想を呟く”という食事を続けながら、洗い物と湯沸かし以外には使われていなさそうな台所の使用許可を求める台詞を考えた。
孤児院にせよ聖坐にせよ一汁三菜が基本の教会食で生きてきた僕は、孤児のクセして汁物が無いと落ち着かない、意外と贅沢な舌になっていることにも気が付いた。
――― ――― ―――
――― ―――
―――
「知っての通り、うちは異界素材の取引所だ。貴族の認可も受けて街出状も渡せる。それだけで客足は絶えないし、場所も良いから目標徴収額にも困らん」
食器や串なんかを適当にまとめたままの食卓で新人研修がヌルっと始まった。
まだ口寂しいのか、クルードさんは羊肉の焼き串を咥えたままだ。
「だが同時にやらなきゃならんことも多い、最も気にすべきは貴族への納税と提出する帳簿の整理だな。セリス、持ってきてくれ」
「うん」
木杯を一口呷ってから席を立つセリス。
食卓を中央に添えたこの居間と、取引用の商品(異界素材)が並ぶ店舗とは、簡単な衝立と商品棚だけで分けられているため、食事や軽い休憩を取っていても直ぐに店に立つことが出来る。
良く言えば、効率的な建屋の使い方をしていて、普通に言えば、通りでよくある兼用住宅ってやつだ。
「巷に倣って異界素材取引を名乗っちゃいるが、ウチでは魔石も遺骸も落とし物も全部引き取ってる。それら異界産物品の納入記録、経費やら雑費やらの出入、借入は無いが買掛、元探索者の縁でやって来るやつらの廃品やら遺品整理なんかも結構ある。どうでもいい会社もあるが付き合いあるところは免税品の物納で会計処理したりな」
串を食み乍ら並べ立てられる専門語に注釈は入らない。
魔石と遺骸と落とし物の三点は、異界の怪物の命を絶った後に残るモノを指す、学校でも習う言葉。
それ以外は語感や文脈から想像できないこともないけれど理解には程遠い、補足や確認はとっておきたいところだった。
筆記具が手元にあったら、だけど。
と思ったところでスッと片手大の黒革の手帳と筆記具が食卓の上に置かれる。
振り向いた横を素通りして、気を利かせてくれた当人は父親に頼まれた物を手渡す。
「はい。過去三年分」
「おう」
「あ、セリス。これありがとう、使わせてもらうね」
「うん」
「おう、悪ぃな。確かに書くもんあった方がいい。それ、あれか?」
「うん」
「ロウ、後で部屋案内してやるから、何書いてもいいが終わったら置いてけな。持ち出しはナシ。守秘義務ってやつだ」
「わかりました」
口数少なくとも伝わってる親子の様子が、なんだかおもしろい。
お店の前に立っているクルードさんは大柄で強面だけど意外に話好きな人。
だったけど、実際はあんまり自分から話題を振るような人ではなかったし、セリスの口数の少なさは五年も同じ学校に通っていたから知っている。
その一方で僕の知ってる家族って、もっとこう…言い合って笑い合って煩いものだと、思ってたから。
「で、どこまで話したっけか……まぁ、あれだ。お前に頼みてぇのは、こういう経理周りの頭脳労働だ。元々セリスにこの辺からやらせようと思ってたんだがな……お前がいるなら『絶対にその方が早い』だとよ。やれそうか?」
パラパラと捲った記帳を差し出し聞いて来るクルードさんの横で、何故か得意気に頷いているセリス。
「見てみないことには何とも……ですが、三日後くらいにこういう時間を貰って質問開いてもらっていいですか?出来るだけ読み解いて聞きたいこと、まとめとくので」
「おう。問題ねぇが、昼時な。こっから夕方までと、あと朝方も割と客が来るし、夜は夜で常連共がうるせぇ」
「はい、お願いします」
「ロウ。覚えたら教えて。その方が早い」
「うん…?」
「お父さんは教えるのが下手。絶望的に」
「セリス……」
それでも、何でもかんでも分かり合えるって訳ではないみたいだ。
――― ――― ―――
――― ―――
―――
「ざっとこんなもんだな」
一度店の木扉が開く戸鐘の音が鳴ってセリスが店に出ると、そこからは断続的に軽快な鐘の音が続いた。
以来、食卓での研修会はクルードさんとの二人だけで続けている。
本当に時間帯で客入りの緩急が激しい店だ。
「本当にやること多いですね……よく一人でやって来れましたね」
この量と種類の業務内容を熟すのは、知識よりも慣れの方が必要そうだ。
というのが、聞き終えての第一の感想。
一つの作業中あるいは移動中に、次の用事の準備を二つ三つしておくような事ばかりで、貰ったばかりの手帳は既に但し書きと注釈で溢れている。しかも身体で覚えた感覚を頭で無理やり言葉に変換したような記述ばかりだ。後で整理して書き直さないと。
「そこはセルク家の援助がデカいな。カミさん亡くして、セリスはまだチビで……なのに俺の手はコレだ。どうしようもねぇところに仕事をくれて、覚えの悪い俺に商売知識も仕込んでくれた……頭が上がらねぇよ」
言いながら三本指の手で頭を摩った。
クルードさんは十五年前、同じ会社に勤めていた女性と結ばれてセリスを授かった。
肉食系という共通点で意気投合した二人だったから、子供が生まれても当たり前に二人して会社の稼ぎ頭として異界での狩りに勤しんでいたという。
『紅の鹿』の”紅熊と鹿姫”といえば、かなり有名だったらしい。
「十……何年だ?ともかく昼も夜もがむしゃらにやってきたけどよ。そろそろ休憩だよ俺は」
足りない指を折って数えながらそう言ったクルードさんの声には確かな実感が籠っていた。
実力より少し上の領域に踏み込み、そしてあっさりと主要人員が壊滅した『紅の鹿』は直ぐに解散となった。
だが経営を支えていた人員、実質的なセリスの育て親なんかは会社同士の横の繋がりのお陰で路頭に迷うことなく、今も他社の事務方で働いていたりするらしい。
クルードさんにとってもセリスにとっても、それは唯一の救いだったことは想像に難くない。
「そんなこと言っておきながら、どうせ空いた時間に東門を潜ってる」
「うぉ、セリス!?」
「でも、大丈夫。ちゃんと合法の街出状で出入りしてるから」
ふらっと戻って来たセリスが水差しを木杯に傾けながら僕に話した。
「…………いや、流石に非合法な狩猟をしてるとは思ってないよ」
この街に於いて貴族が布いた法の下で労働し納税することは義務であり、人々の暮らしに必要な様々なモノを異界で狩猟採集してくる探索者業は、街で最も必要とされ尊ばれる献務だ。
ところがそんな役務を生業としていない者が異界に入ることを禁じる法は、意外なことに存在しない。
在るのは”街を出るものは等しく拾得した異界産物の納品/納税義務を負う”という約定のみだ。
それを示すのが『街出状』であり、札金か異界産物の物納かに依って、財務省から認可され労務省経由で発行される。この『街出状』の引渡しも財務貴族であるセルク家から委任を受けているこの店の仕事の範疇である。
だがそんな紙切れの取り扱いなど、その気になれば店主の裁量で意のままだ。
「雑収入の欄は注意した方がいい。そこだけお父さんの説明もちゃんとしてたし、自分で会計やらないとなると調子に乗って絶対に額が増える」
「セリス……」
珍しく言葉数を増やして、それでも淡々と言い連ねる一人娘に、かつては紅熊と評された大男は悲しそうな目をして縮こまった。
ついさっき僕が感じた悲哀を返して欲しい気分だ。
種類の違う悲哀を滲ませた雇用主に僕はそう思った。
現役を退き会社から離れて個人で活動する元探索者の従民はそう多く無い。
蓄えが無く食い扶持に困ろうとも、例え豊富な経験があろうとも、現役時代のような稼ぎになる狩猟や需要の高い物品の採取は、個人の手には余る。それは危機管理という意味合いでもそうだし、単純な物量、取引量という意味合いでもそう。身も蓋もない言い方をすれば、割に合わないのだ。
つまりそんなことをするのは、反貴族を掲げる無法者か、特殊な趣向を持つ変わり者かのどちらかで―――
「そしてお父さんが自重することはない。そのうち『ひと狩り行こうぜ』とか夜中に聞こえてくるけど、気にしないで」
クルードさんはそういう人だということだった。
ついさっき僕が感じた同情を返して欲しい気分だ。
恥ずかしそうに指の足らない手で顔を覆う雇用主を見て僕はそう思った。
真面目な話、一人娘としては気が気じゃないだろう。もしものことがあれば、セリスは精神的にも経済的にも、店を引き継ぐという選択肢が無くなるという実情的にも、絶望することになる。
生き甲斐とは言え、
結婚し子供が生まれても続けた仕事とは言え、
同好の士からの誘いがあるとは言え、
身体的な不具を得て膨れ上がった危険を冒してまで、
経済的な安定と一人娘の将来を賭けてまで、
やらなければいけない趣味とは思えない。
それにいくら元探索者とはいえ、所詮は趣味で集まる活動集団。
少しでも調子に乗ったが最後、異界で解散する羽目になる。
個々人の方向性の違いどころではなく、全員の消息が不明となる現地解散だ。
一夜限りの再結成、なんてことはありえない。
「にしても、あれだな。キャロルつったかあの嬢ちゃん。お前等とそう歳も違わねぇだろうに骨折なんて大怪我の担当させられるなんてスゲぇんだな」
「はい。一つ上の先輩です。入院中も色々教えて頂きました。あとキャロルさん男の子ですよ」
「……あ?冗談、だよな?」
そしてそんな男の露骨な話題逸らしが成功することもまた、ありえなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
両腕の骨折という大怪我からの退院日に、その場に見舞いに来た商家の店主から採用通知と着替えを受け取り、そのまま雇用主となった大男に帯同して初出勤。
と、言語化してみると結構な一日を過ごしている僕は、十日ぶりの孤児院で、その最後の一日を締めくくろうとしていた。
「ただいm」
『おかえり~~~!!!』
「お兄ちゃん…!」
言い切る前に大声を上げて駆け寄って来た弟妹達に抱きつかれて身動きが取れなくなる。
いの一番に正面から飛び込んできたのは二つ下のアイラで、
同年のルイスは、レイナやニコルが転ばないように手を繋ぎながら、
シータは控えめな笑顔を浮かべるキーラに引っ付きながら、
それぞれ出迎えてくれた。
普段であれば教会の入り口で集まって騒いでいれば直ぐに、マザーやシスターからの叱責が飛んでくるのだけれど、今は三人とも講堂の奥、教壇の前辺りでティム達を抱き上げてこちらを見て微笑んでいる。
素直に嬉しいんだけど誰かが収集つけないと、何時まででもここでわちゃわちゃとしそうだ、と考えていた矢先―――
「ロウ兄さん、おかえりなさい」
と、はにかみ顔で歩いて来たのはクロエだった。
「ほら、みんな。今日は兄さん達のお見送り会なんだから、早く食堂に案内しないと」
ジャスティンが卒院する際に僕が提案して、今では毎年の恒例となった追い出し会を、さらっとお見送り会と言い換えたクロエが率先して、場を取り仕切ろうとしてくれる。
ヒースからは結構精神的に参ってそうな話を聞いたけど、普段とあまり変わらない。
今年、第三職業訓練学校の最高学年となった、我が家のしっかり者だった。
「う”ぅ、ロウお兄”ち”ゃん」
むしろ正面から抱きついたまま離れないアイラの方が幼児退行している感がある。
小柄とはいえ十三歳の女の子を抱きかかえるのは、僕の背がそこまで伸びていないこともあって少し苦しい。
妹弟達の理想の兄を演じるのは中々に苦労がいる……と思いながら、苦笑いを浮かべているキーラと目を合わせて孤児院へ入った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
私には沢山の兄と姉、それから沢山の弟と妹がいる。
そして弟と妹と呼べる者はこれからもどんどん増えていく。
それは孤児院を去る日が来てもそう。
けれど本当のお兄ちゃんは一人だけ。
それは彼が明日、孤児院を去ってもそう。
そして来年、私が孤児院を去ってもいっても、そう。
十日と少し前に両腕の骨折という大怪我を負ったお兄ちゃん、少しやつれた気がする。
それでもその笑顔の輝きは失われることは無い、どころか少し翳が差した感じも……ちょっと良いかも。
…………あれ?
すごく……良い?
あ、ヤバいかも。
アリかも。
一度思ったらもうダメかも。
いつもよりもアリ寄りのアリ寄りのアリかもぉ!?
「クロエ?どうかした?」
「……んぐぅ、な、何でも無いですよ。ロウ兄さん」
…………危ない危ない。
危うく取り乱すところだった。
まったくお兄ちゃんは危ないヒトだ。
いつも私の心を乱す。
クロエは翳のあるお兄ちゃんにも相応しい妹であるために、馬鹿みたいに燥いだりしない!
クロエは翳のあるお兄ちゃんにも相応しい妹であるために、泣いたり抱き着いたりはしない!
クロエは翳のあるお兄ちゃんにも相応しい妹であるために、食事を取り分けるし、下の子達の面倒もちゃんとみる!
心を鎮めてロウお兄ちゃんの妹に相応しい振る舞いを実践する。
大丈夫。
”いつも通り”お兄ちゃんの前で居るだけだ。
最後の晩餐となる今夜の献立は―――
盲兎の姿焼き
麦と黍の五割麺麭
碧蜜林檎と葉野菜の盛り合わせ
双頭芋蟲の姿揚げ
そして、マザー謹製の橄欖の酢漬けと、いつもより豆が多めに入った汁物。
皆の要望は聞きつつも、どれもロウお兄ちゃんの好きなものを揃えてある。
稲米を用意できなかったことだけが悔やまれる。
「ロウ兄さん?汁物のおかわりはいかがです?」
「ん?あぁ、クロエ―――これ、お願いできる?」
「はい!豆多めによそってきますね」
「ん、ありがと」
はぁうぅ!!!
その短めのお返事は!
普段キーラとかヒースにしかしないやつ!
最後の晩餐になんてコト!
っと危ない危ない。
「…………た、沢山、よそってきますね…!」
キーラ、今だけはその冷めた視線も許しましょう。
お陰で盛大に粗相をかますところを避けられました。
そう思いながら台所でお兄ちゃんの木椀に汁物をよそっていると、ガタリと物音がする。
「あら?ヒース?」
「おう、やってんな」
「とっくにです。少し待ってたんですよ。少しだけ」
「少しかよ。けど、ならいいだろ?」
「えぇ、ロウ兄さんが『逆に気を遣うだろうから』ってキーラは『そんな殊勝な奴じゃない』って言ってたけど、どっちです?」
「どっちでもいいけど、俺の分もよそって持ってきてくれよ」
「分かってますよ、お客様」
軽いやり取りでヒースはそのまま食堂に入っていって『ただいま』と『おかえり』の交換会が始まる。
明るい兄弟姉妹達のやりとり。
それを背中で聞きながら心から思う。
今日の日を迎えられて本当に良かったと。
そして同時に思う。
失われた時間は取り戻せない、と。
その落とし前は絶対につけさせてやる、と。
『北の鷙鳥』そして枯葉肌の銀髪女、私はお前を赦さない。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ごめん、約束守れなかった」
そう苦笑いを浮かべながらロウが言ってきたのは、院と教会を繋ぐ廊下の壁際。
食事会が終わって後片付けをしようとしたら『お姉ちゃん達は手伝わなくていいの!』とシータに可愛く健気に拒否され、同じく手持ち無沙汰に二人並んで座っていた同い年の男兄弟の隣に腰を下した時だった。
「何の話だ?」
返事を返そうとした矢先に当の本人が口を挟んでくる。
「落ち込んだ弟に活を入れてやれって話」
「んだよ、はじめからそういうの俺に言えっての。誰だ?ルイスか?」
「もういいの。自分で立ち直ったみたいだから」
「そうだね。全然必要なかったみたい」
惚けた弟に空笑いを浮かべる兄。
そもそもが就職活動のあれこれで落ち込んでたロウに言葉をかけたら、その返しに出してきた冗談だ、真に受けてはいない。
それはロウだってそうだろう。
なのに、わざわざ言葉にした。
つまり、また何か悩んでるんだろうこの兄は。
せっかく弟妹達の前ではちゃんとカッコイイ兄像を演じてたのに。
まったく、しょうがないお兄ちゃんだ。
「『鹿鳴』の従業員じゃ不満?」
「は?」
「そんなことないよ。本当に有難いと思ってる」
「じゃあ探索者になりたい?」
「え?」
「それもない。僕には無理だって、これも本当」
話について来れていない弟の疑問符は無視して続ける。
「じゃ自己嫌悪だ」
「それは、あるかも」
「足りないか……劣等感?」
「……あるね」
「嫉妬なんかも?」
「…………してるかも」
「家族の期待を裏切ってる罪悪感」
「……うん」
「誤魔化し演じる羞恥心」
「うん……」
「あとは―――」
「ちょ、もう勘弁してほしいかも……」
泣き言を上げる兄も無視して続ける。
「自分から振っといてそれは無いでしょ。あとは……」
「なんだロウイジりかよ、根性の無さだな」
「それも今は、直撃かも……」
勘違いして乗って来た弟も意外と的を外さない。
兄の方は完全に意気消沈した。
「ロウって意外と被虐趣味だよね」
「ひぎゃ……?なんだそれ?」
「ひぎゃく。いじられたり……苛められたり?するの好きだよねってこと」
「そうか?普段あんま隙見せねぇから、俺らが言い返せる時に言いまくってるだけじゃね?最近多すぎる気するけどな」
「うーん……なんというか……それも元気になるために、わざわざ言葉で鞭打ってもらうための態度っていうか?」
「なんか……完全に変態だな、それ」
「いや、流石に酷くない…?」
でもこれってきっと間違ってない。
兄は凝り性のこだわり派だから、石頭の悲観厨だから、何かあれば一人でいつまでも自分を責めて、独りでどもまでも落ち込んでいく。
だから代わりに言ってあげる。
そうすれば、お兄ちゃんはこれで負けず嫌いだから―――
「……でも、無条件に信頼を寄せてくれる家族に甘えてちゃいけない。この街は一人で生きていける強い人達の集まりだから……そんな人達にも『お前が必要だ』って言ってもらえるように成長しなくちゃいけない、とは思ってる」
前を向いて、こんなことを言い始める。
「うん、でもそれはロウだけじゃないよ。あたしも、百日紅の先輩たち、期待はしてくれてても、当たり前だけど、まだ『会社にいなくちゃいけない人』だなんて思われていないから、だから頑張る」
そしてあたしがそう返せば、
「それは俺もだ。まだまだ足手まといで『毎日こんなんで会社でやってけんのか』とか思ってっけど、だからって腐ってらんねぇ。世話かけられてる分、必ずやり返す…!」
ヒースもそう応えてくれる。
そうすれば、兄弟姉妹はいつも通りを取り戻す。
「そういや聖坐に入院中はキャロルっつー可愛い”巫女”に担当してもらってたろ?あの子にもイジってもらってこいよ」
「ヒース……キャロルさんは”禰宜”っていって―――」
「ぶふっ……ヒース。あの子、男の子だよ」
「……あ?冗談、だよな?」
「そっかぁ、ヒース君はキャロルさんみたいな人が好みなんだねぇ」
「てめ、いい加減なこと言うな!」
「僕、今度話す機会があったら伝えとくよ、そっかぁキャロルさんかぁ」
「お前も妙な流れに乗ってくるんじゃねぇ!」
それは最後の夜だって関係ない。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
子供部屋で夜泣きする弟達をあやしながら過ごした最後の夜。
その翌朝はいつも通り。
不機嫌そうなヒースと並んで顔を洗い、肉肉煩いカイルを落ち着かせながら配膳を済ませ、朝食を終えたら着替えて登校―――するのは弟妹達だけで、僕とヒースとキーラはそれぞれに着替えと荷物の整理を済ませて出勤だ。
もうこの孤児院に『ただいま』を言いに帰ることは無い。
登校組はクロエを先頭にアイラ、カイル、新一年生のシータ、最後尾をルイスにして一列に並んで出ていった。
「忘れ物は?」
「ねぇよ。ってか要るもんねぇだろ」
「置いてかれる方が困るんだって」
「捨てりゃいいだろ?」
「それなら自分で捨てろって。卒院してまで手間かけさすなよ」
「……ま、そりゃそうか」
通勤組は少し遅れて最後に忘れ物が無いか子供部屋、女子部屋をそれぞれ確認する。
それから、食堂でシスターマリアに最後の挨拶をして、教会と孤児院の渡り廊下を歩いた。
『三人とも、元気で』
今日の未就学児の監督担当で孤児院待機するシスターマリアは、レイナとニコルに引っ付かれながら短くそう言った。二人は『いってらっしゃい』と無邪気に微笑んだ。
――― ――― ―――
講堂の端を三人並んで歩く。
教会には朝から訪れる人々とそれに応じるマザーと補助するシスタークレアがいる。
「こうして並んで歩くのも最後かぁ」
「別に会えなくなる訳でもねぇだろうが、昨日からなんべんもよ」
「この、馬鹿みたいな突っかかりも最後だなぁ」
「あぁ?」
「はい、そこまで。最後の最後でマザーに叱られるなんてそれこそ馬鹿みたいだろ?」
「ちっ……」
「キーラも」
「はいはい」
背中側に感じたマザーの怒気が薄まった気がした。
正直、こんなやりとりをしていても、自分を情けなく思う気持ち、探索者になった兄弟姉妹に対する劣等感、絶対の信頼を寄せてくれる家族に対する申し訳なさ……昨日の夜の廊下でズバズバと言われた言葉は全部刺さりっぱなしで抜けていない。
それでも、それを言い当て小馬鹿にしてくる同い年の兄弟姉妹に、言われっぱなしではいられない。
前に立っていられなくなっても、この広くて狭い街の中で、同い歳の大人として生きていくんだから。
この街の主役にはなれなくても、脇役にだってその矜持くらいはあるんだから。
「いってきます!」
だから僕は見送る家族にいつも通りに言って、ヒースとキーラよりも一歩先に東門大通りに出た。
『いってらっしゃい』
背中から返って来る不揃いで温かい声に、振り向くことはしなかった。
<つづく>




