007
第七話よろしくお願いします。
―――このように王の足跡を辿るため東門の先を目指す者は後を絶たない。
だがその成果といえる程の”何か”を見つけて帰って来たものはいない。
王を迎え入れた始まりの門であり、その跡を追う者を送り出すだけの終わりの門。
それが東門である。
翻って西門はどうだろうか?
今や服飾貴族の名を欲しいままにしているファビアン家の初代当主キャスカ=ファビアンが発見した縫製機。街の誰もがその甘さを口に出来るようになった碧蜜林檎のワドゥー家。数百年もの間、財務省造幣局を連綿と受け継ぐアマニ家が紙幣の原紙となる念写紙の禁猟地を指定しているのはあまりに有名な話か。
しかしながら最も新興貴族を生んだ地として名高い西門に、今や探索者の姿を見ることは難しい。
そこに在るのは貴族子飼いの採集者か、密猟に目を光らせる門衛のみだ。
あまりに有益で新しいものを齎し過ぎた結果、危険と謎と栄誉が眠る異界の地は、その実りのみが刈り取られる只の採集地に成り果てたのである。
願わくばその血脈が探索者の本分に目覚め、新たな恵みをこの街に齎さんことを。
『偉大なる探索者達』著・オスカー=リントナー
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
『お待たせいたしました。今回の採用面接の結果についてお伝えいたします。厳正な選考を行いました結果、誠に残念ではございますが、今回は採用を見送らせて頂くこととなりました。今後の貴君の飛躍を心よりお祈り申し上げます』
予定していた最後の一社の採用面接はそんな言葉で締めくくられた。
代表代理
副代表代理
そして臨時採用担当。
そんな素晴らしく投げやりな布陣からして予想できた台詞だった。
また素晴らしい役者陣との茶番に加えて、面接後に通された待機室での無駄な待ち時間までも計算にいれた演出は流石、余裕のある大手企業だと感心させられたほどだ。
街の北側、白亜の城の尖塔を見上げる程に近い北一区と呼ばれる区画の通りを歩く。
左右に立ち並ぶのは未就学児ですら名前を知っている会社の拠点の数々だ。
「はぁ……」
結局、初日に二次選考を提案してもらえた『北の鷙鳥』以外からは悉く採用を見送られているというのが現実だった。来る日も来る日も探士街に足を運んでは”今後のご活躍”を祈られる日々は―――様々な探索者達から召喚され祈りを捧げられるその姿は、まさに職業加護を与える神様のようだ。
そんな不敬な内心と斜に構えた態度でここ数日をなんとかやり過ごしていた。
どんな馴染みのない場所も、三日もすれば目が慣れて、七日も経てば身体が覚える。
就職活動なんてものを経験した人なら皆、共感できるんじゃなかろうか。
昼時の北門大通りに戻ると、今日も相変わらずの人混みだった。
忙しそうに門の方へ向かう者、肩を組み喜びを噛み締めるようしながら城の方へ向かう者、背を丸め顔を俯けて人流に流されている者、焼き串を咥えて鼻歌交じりに歩く者、不機嫌を隠そうともせず今にも喧嘩や口論を起こしそうな者、明るく将来の展望を語る者、ただ一点を見つめて無表情で身体を前に進める者―――
こんなにも多くの人が、当たり前のように歩いている。
なのになんで僕は、同じように歩くことが出来ないのだろう?
身体は動いても、心は動かないまま。
邪魔そうに、あるいは無関心に、人々がすれ違っていく道の、端の端に僕はいた。
ぐぅ―――
音が鳴った。
鳴ったというより響いた。
自分の腹の奥底が蠢くのを感じる。
目の前には『獣喰らい』の厳めしい文字。
鼻を突くのは芳ばしく焼けた肉の匂い。
喧騒の中でも耳に届くのは、脂から滴った雫が火元に立てる、あの響き。
「お腹、空いたな」
偶然にも連日通り掛かることになったこの食事処『獣喰らい』は、
三日前に自称”看板娘”の店員に声を掛けられ強引に店内に引き込まれ、
何故かそこで店主の親父さんにも気に入られ、
どういう流れか『賄いでも食ってけよ』と言われる間柄になった。
孤児院から持ってきた握り飯と串焼き一本分の金札を手に店の隅を借りてもいいか尋ねる。
――― ――― ―――
『裏ならいいぞ』と通された厨房裏の小さな庭で、皿いっぱいに盛った端材の肉のごった煮を看板娘に手渡された。
「いただきます」
何の肉のドコの部分かもわからないけど、濃い脂と肉とタレの味わいが握り飯に良く合った。
「うま」
いくら気落ちしようがムキになろうが、強気になろうが弱気になろうが、消沈しようが奮起しようが、僕の天職が”従士”であることは変わらないし、それに対する世間の評価も変わらない。
しかしそれでも腹は減るし、飯が旨いということも変わりそうにない。
『いってらっしゃい!』
『おひる、つくったの!たべて!』
『お兄ちゃん、頑張ってね!』
『俺先出るわ、先輩マジ厳しくってよ』
『……あれ、もう煽っても効かないかもね。ま、いってら~』
それは僕がアイツらにとっての兄であることも。
「おやっさん、ごちそうさまでした!試験いってきます!」
「おう、頑張れよっ!」
きっとこれからこの店の常連になるんだろうことも。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「やぁ、ロウ君。よく来てくれた」
「本日はよろしくお願いいたします」
十数日ぶりに訪れた『北の鷙鳥』の図書室で会社代表であるレキウスさんからの歓待を受け取った―――
「ははっ、そう畏まらなくたって―――」
「代表、ご歓談中に失礼いたします。地下修練場の用意、整いましたのでお越しください」
その直後、僕を外門からこの部屋まで案内してくれた朽葉色に銀色の髪と金色の瞳を湛えた女性がそう冷たく告げる。
「はぁ……カナリア」
「はい」
「今日は彼一人だろう?」
「はい」
「後ろがあるわけでもないんだ。まずは思い出話に花でもを咲かせて、心と体の緊張を解して、万全の状態で挑んでもらおうじゃないか」
そして、会社代表と副体表が会話というか議論というか……。
とにかく、僕を余所に話が始まる。
「…………日々の体調管理や心身の調整、それ自体も探索者として活動する上で重要な要素であると考えております。その点に於いて特定の候補者のみを優遇する措置はいかがなものかと。全ての者に対して、少なくとも弊社の採用基準を満たして志願してきた者達に対しては、平等であるべきです」
「平等……ね。副代表、ひとつ大事なことを伝えておこう。ああっとロウ君悪いね、大丈夫。もうそろそろお茶が来るんだ、待っていてくれ」
「えっと……はい……」
気を使われた。
いっそ無視して結論を聞かせてくれても良かったのに、と思う。
「確かに、君の説く平等というのは組織や集団の運営をする上でとても大事なことだ。成果は等価値に見積もられるべきだし、機会は均等に与えられるべきだし、評価は公正に下されるべきだ。集団の代表がそれらを恣意的に判断するようならば、その集まりは偏愛関係とでも呼ばれるべきものに成り下がる」
「―――」
反論すべき何かを言いかけたカナリアさんを軽く手を挙げてレキウスさんが制止する。
「しかしその一方で、判断の基軸に平等という価値観を立てた結果起こるのは組織の崩壊だ。何故か―――」
そしてその掌を胸に当てて続けた。
「人は平等に耐えらないからだ。我慢ならないと表現した方が良いかもしれない。―――人は生まれもって誰しもが違いを持つものだ、最も簡単な差異を示せば男女の性差、少し時間をおけば才能の差という言葉で比較され、さらに成人すれば天職という神の恩頼で絶対評価が下される。もっと極端で救いようのない例を挙げれば、不具をもって生まれた者には生存する権利すら与えられない、その生き死には専ら親の判断に委ねられる……こちらの方が君には理解しやすいかな?」
カナリアさんの半面を覆った黒い布が揺れた気がした。
「少し脱線したね。そう、違いや差異というものは人にとって避けがたいものであるし、避けては立ち行かないものだ。女に恋い焦がれる男がいるからこそ愛する子は生まれ、誰かより優れていることに喜ぶからこそ、劣っていることを悔しく思うからこそ、人は奮起し、努力し、そしてそこに物語が生まれる」
レキウスさんは自分の言葉に酔うかのように舌を滑らかにしていく。
「差異と不平等がある、それを前提として生きているのだよ、僕等は。高らかに掲げられる平等という考え方自体が、不平等という前提の下に成り立っているのさ」
その様は舞台に立つ役者そのものだ。
「そして人は、誰かに用意された道の上では、ただ歩くことしか出来なくなる」
声色を変え、抑揚を変え、語り口を変えて持論を物語る。
「集団組織の運営に話を戻そうか。仮に平等を標榜し、奇跡的にその体制を維持し、そして急成長を遂げている会社があったとしよう。誰もが互いに納得の出来る労働と評価と対価が得られる。社員たちは切磋琢磨しあい人材成長と納税額向上の好循環が生まれ、新社屋は一等地とも呼べる場所に立つ。そんな素晴らしい企業が次に直面するのは、他社との競合だ」
観客である僕はただその芝居と台詞を観るだけだ。
「慎ましやかに暮らせればそれでいい?そんなもの、まず貴族が許す訳がない。自分達により富を齎すものを優遇し、不要になれば切り捨てる、それは人としての行動原理だ、責められることではないだろう。新しく強力な武器を手に入れれば古くて弱い武器は要らなくなるし、美味しく栄養豊富な食べ物が得られるのであれば、空腹を満たすためだけの食材など採りに行かなくなるだろう」
舞台の反対側に立つ相手役は表情を殺して話者の目を見据える。
「社員も許さないだろうね。俺たちはまだまだ出来る、どんどん活躍してもっといい暮らしをしたい、可愛いあの子に告白するんだ、腹いっぱいに肉を食うんだ、私は甘いものが食べたい、俺は貴族になってやる―――聞こえてくるかい?差異や不平等があればこそ人は活動し努力する、平等に甘んじるということはそれを害することに他ならないのだよ」
そして一人芝居を終えたレキウスさんは会社代表の表情をして言った。
「そして、その害悪は、私も許さない。―――結論を伝えよう。会社経営において最も重要な要素、それは適切な選択と集中だ。平等などという歪な軸を持った秤では正しい判断は下せないよ」
「……」
「意味は分かるね?」
瞬き一つせず、それを見届けたカナリアさんは短い台詞を返す。
「はい」
「では先に―――」
レキウスさんが言いかけたところに扉を叩く音が響いた。
次いで、軽やかな声が涼やかな空気と共に部屋に入って来る。
「失礼いたします」
「あぁフィア。ご苦労様、彼の分から先に用意してくれ。まだ志願者であり取引相手、だからね。カナリア、先に下で待機していてくれるかな?」
「承知しました」
空気を入れ替えるようにカナリアさんは部屋を後にした。
――― ――― ―――
――― ―――
―――
長い独演会を終え、ようやく着座を許されたレキウスさんは僕に前と同じ長椅子を勧めて自身もその対面に座った。
「悪いね、ロウ君。お見苦しいものをお見せしてしまったよ」
「いえ、あの……大変参考になりました」
「そう言ってくれると助かるよ」
笑いながら少し疲れたようにレキウスさんは椅子の背に身体を預ける。
「ああいう見た目だろう?ことさら彼女は不正や差別に敏感なのさ。本来の彼女は心優しい慈愛に満ちた女性だ。そうだろう?フィア」
「は、はい!」
「おいおい、言わせてるみたいじゃないか。何か君の口からもフォローをいれてくれよ」
言われたフィアは僕に注いでくれた茶器と湯瓶を置いてから答えた。
「はい!……えっと、副代表は本当に、お優しい方です。時に厳しく鞭打たれますが、それは私達を思ってくれてのこと。調子がすぐ、優れないときには付きっきりになって……高価なお薬だってご用意していただいています!」
「うんうん。ありがとうフィア、私の分もお願いできるかな?」
「あ、失りぇ、失礼しました!」
カナリアさんの義憤も共感できるしレキウスさんの理念も理解できた。
絶対の正解も不正解もない、それぞれの価値観や考え方の話だ。
会社というある種家族のような共同体だからこそ生まれる、会話であり擦り合わせなんだろう。
そんなことを思いながら続いたその後の雑談は、お茶一杯分で終わった。
優美な茶器の意匠の割りにレキウスさんの一口は、少しだけ量が多いように見えた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
先日の面接と同様に案内されてレキウスさんの後ろをついて行く。
下り階段を随分進んだところで雑談の水を向けられた。
曰く、ある程度の規模の会社になると拠点に地下室を設けることが常識らしい。
その工事は貴族の許可もいるしかなりの資金力も必要になる。
何を求めて穴倉を設えるのかと言えば、それは先日ヒースと訪れた労務省本部の地下訓練場が答えだ。
不可視の境界を境に地面から一定の深さに達すると、加護の制限は外れる。
それはこの壁で覆われた街の全域で共通する現象であり、隠しはしないが公表もしない、もちろん学校教育でも触れられない公然の秘密、というものだった。
「反応が薄いな……もう誰かに聞いた話しかい?」
「いえ、少し前に労務省に行ったので」
「へぇ、でも自分で気付くんだから流石だね、君は」
ヒースなんかはきっと気付かない、キーラは気付いてもおかしくない線だ。
「いえ、それにこれから試験に向かう訳ですし、お話の流れからしても……」
「ははっ、それはその通りだね」
コツコツと足音を反響させながら副代表が待つ地下へと降りていった。
――― ――― ―――
――― ―――
―――
「【看破】を行使しても?」
地下室に到着して開口一番にそんな言葉が投げかけられる。
発したのはもちろん口元を黒い布で覆った銀髪の女性。
「はい」
やれやれ、といった様子のレキウスさんを横目に応諾すると、即座にその職能を宿した金色の瞳を光らせた。
【看破】
「っ!」
ゾクリ―――と、あらゆる方向から無遠慮な視線を投げつけられているかのような不快感を覚える。
「……従士、強度1、……すべて正常値、問題ないですね」
【看破】は”騎士”や”武士”、”狩猟士”といった職に就いた者が扱えるようになる職能で、見たことも無い怪物が蠢く異界に於いて無くてはならい職能だ。
その効果は相手の特徴や活動傾向、強さの程度を見極めること。
一方で強烈に『見られている』という感覚を対象に与えるので狩猟には不向きである―――と授業で教わった。
これは人に向けて使っちゃダメなやつだわ……。
そして特筆すべきは、その効果対象は人も含まれるという点で、断りも無く相手にこれを行使する行為は明確に禁じられているため、学校でもそういった意味で教えられていた。
そんなことを思い出しながら不快感を誤魔化しているこちらのことなど気にも留めず、カナリアさんは続ける。
「想定装備として”ダガー”の模造品を用意しました、安全のため加護が乗らないかご確認を」
そう言って差し出された模造品の鈍く光る刃先は、台所に並んでいる刃物と何も変わらない。
柄を握り重さを確かめ、一呼吸置いた後、左の掌にその刃先を押し付ける。
―――鋭い切っ先は皮膚の上で止まる、何の痛痒も感じない。
そのまま左手で刃先を持ち同じように柄を差し返す。
「問題ないです」
もしこれが本物であれば、僕の掌を貫いていただろう。
しかしそれはこの模造品が出来の良いナマクラである、ということを意味しない。
「では、こちらも」
職業加護は”装備”として認識される物品にも加護が乗る。
向上した身体強度に耐えうる物品として加護が適用され機能するものを”装備品”といい、”乗る”という言葉はそれが機能することを表しての修辞表現だ。
「問題ないです」
つまりこのダガーには加護が乗らない、身体が加護で守られているならば、極めて安全な本物の偽物だった。
授業で習うし試験にも出た記憶があるけど、会話の流れとして使われたの初めて聞いたな……。
頭の中で独りごちながら、もう一本の模造品の方も同じように確かめて差し出す。
「そちらはあなたの武器としてお持ちください。加護の確認も出来ましたので防具は無し、戦闘範囲は引いてある白線内とし、『はじめ』『やめ』の声が掛かるまでを試験時間とします。徒手空拳の使用も認めますが、安全のためにも原則的に武器を用いた戦闘を心掛けてください。何か質問は?」
「……ありません」
よっぽど早く終わらせたいのか、流れるような説明はこちらに有無を言わせる隙もない。
加護が乗らない刃物よりも、加護を纏った手足の方がよっぽど危険、ということにも触れない。
戦闘範囲と示された白線はちょうど学校の教室くらいの広さ。
部屋自体の大きさは四方の壁まで、もう数歩の猶予があるくらいには広いけれど、剥き出しの土色の地面と壁と天井とが閉塞感を与えている。
そしてその空間には僕と彼女を含め三人しかいない。
壁に等間隔に並ぶ灯が何となく不気味に映った。
三人目が部屋の中央から踵を返して歩いて来て訊ねる。
「肝心の相手が来ていないようだが?」
「お相手は私が務めます」
「ほう」
そして、あえて聞かなかった確認事項が確定した。
やっぱりか……完全にとばっちりだろ。
そう確信させるくらいには彼女の金色の瞳から放たれる視線は強かったし、そもそも身に着けている服装からして、図書室で見た白い外套から黒を基調とした如何にも動きやすそうなものに替えられていた。
「それが彼を適切にご判断いただける秤になるかと愚考します。代表、いかがでしょうか」
「……いいだろう、副代表」
いや、よくないよ。
なんか、勝手に緊張感だしてるけど。明らかに予定を急遽変更してるし、言葉選びも完全にさっきの当てつけだし、その秤たぶんめっちゃ歪ですよ?歪みまくりですよ?―――などと言える筈も無く。
「よろしくお願いいたします」
互いに目を逸らさず、受験者を無視した二人に一応、応諾した。
――― ――― ―――
――― ―――
―――
「はじめ」
開始の合図はレキウスさんから静かに宣言された。
が、動かない。
静まり返った地下室で向き合う彼女は僕よりだいぶ背が高い。
半身になって脱力した左手に握ったダガーの刃先が、ちょうど僕の目を捉えている。
呼吸をしているはずなのに身体はおろか、口元を覆う黒い布すら微動だにしない。
動けない。
体格だけじゃない。
金色の瞳から放たれる圧力も、研鑽されてきた戦闘技術も、勝敗を分ける凡そ全てといっていい要素が僕の持つモノをカナリアさんが上回っていることは明らかだ。
判断されるのは結果ではなく内容。
ビビって動けないなんて加点どころか減点だ。
いけ!
そう思った時には、僕の視界は白線の外にいるレキウスさんを映していた。
前半身に感じた衝撃で、自分の両腕を後ろ手にした状態で引き倒されていることに気が付く。
「”従士”がどうのと宣う以前の問題ですね。気の良いお友達か、お優しい先生をお連れしてこなければ、内申書の実力も出せませんか?」
「くっ……!」
脚を使って体を転げてなんとか脱する。
いや、解放してもらった。
即座に膝立ちに、相手を見上げる。
その姿を捉える前に左頬に強い衝撃が走った。
身体が浮く。
ははっ……なんだこれ。
顔殴られて人って吹っ飛ぶのか。
そんなことを考えが頭を過るのもつかの間、硬い土色が目前に迫る。
咄嗟に両手を突き出して地面について、そこから転がるようにして衝撃を逃す。
「これ以上こちらに転げて来られると白線の外ですよ」
そんな台詞と共に腰骨の辺りを丸太でも転がすような力が加えられる。
なされるがままだった……けど!
―――ガキン!
左手を衝いて反転し、その勢いのまま突き出した右手とダガーは、彼女が左手に持ったダガーになんてことも無いように受け止められた。
「ようやく本当の”加護慣らし”は終わりましたね、続けなさい」
――― ――― ―――
――― ―――
―――
少し、彼女のことを誤解していた。
言われた通り僕は”加護慣らし”が出来ていなかった。
人の身では成し得ない動き、それを支える骨格や内臓、表皮の強靭化。
そんなものは加護を行使する上での前提条件に過ぎなかった。
本当に必要だったのは、文字通りの”慣れ”。
「不用意な拳打は控えろ!怪物相手にそんなもの、喰らってくれと差し出すようなものだ!」
言いながら殴り飛ばされて、またも宙を舞う。
そっちは使っていいいのかよ!と思わないでもない。
空中で姿勢を制御しつつ、視界に相手を捉える。
まず、相手を補足すること。
どれだけ優れた身体能力を得ようが、相手の位置挙動を把握していなければ対処のしようがない。
地面が近い、上下が逆さだ―――でも受け身なんかとらない。
次に、自身を把握すること。
そして打ち手の選択と実行を、反射行動にまで落とし込む。
片手で地面を蹴って一歩目。
二歩目は右足、三歩目の左足で急制動―――からの屈伸で溜めて、刺す!
スかした!―――相手は―――横!
「そうだ!体格差を活かせ!ほとんどの獲物は我々よりも大きく鈍重だ!」
加護を得た人はそのすべてにおいて人の常識を超える。
硬い岩盤の天井を足で刺し貫いて立ち、突き立てられた鋭い刃物をこめかみで受け流し、獣の爪牙に見立てた腕の一振りで簡単に身体が吹き飛ぶ。
これまで培ってきた経験なんてほとんど意味を成さない。
だって二足で駆けるより四本足で走った方が速いに決まってる。
顔面なんて急所じゃなくて、長さの足りない五本目の足。
こんな模造品なんかより―――
「異界の獣相手に人ごときが抗えると思うな!武器を使え!」
加護が乗らないんじゃ使えねぇだろ!とは言い返さない。
あの長い手足が厄介だ。
あれの所為でこっちはダガーなのにあっちは刃先の付いた鞭みたいなものだ。
どうすればいい、どうすれば……。
「立ち止まるな!常に考えて、そして動け!」
正面から来て、上、から右をオトリにして脚払い。
浮いたところを刺してくる!で、終わらないのかよ!
「無茶、苦茶だっっ!」
文句を気勢に替え上げて、何とか猛攻を凌ぎ切る。
「喋る余裕が出てきたか……良いことだ。続けるぞ」
息も絶え絶えな僕に対して、喋る余裕だのと宣う銀髪女。
やっぱり誤解は少しだけ、大体は思った通りだった。
――― ――― ―――
――― ―――
―――
どれだけ時間が経ったのか。
「はっ……はっ…………はっ……」
体感、半日は過ぎてる。
もう夜中?
「はっ……はっ………」
空気薄い。
暗いし。
「はっ……」
帰りたい。
腹減った。
「……右だ」
女の声がする。
左、と思わせて下からだろ?
で、止めたら上から踵落とし。
逆脚の追撃を防ぐのを忘れずに―――追撃、ここからはこっちの番。
異界の怪物を想定した素早く隙の大きな動きは鳴りを潜め、視覚や聴覚さらには言葉を弄した対人戦に移行していた。
時間感覚は、もう無い。
空腹……も言ってみただけで感じない。
ただ、集中してる。
こんな考えを頭で回しながらも、見えてるし、動けてる。
なんなら、自分の姿形すら俯瞰できる。
さぁ、仕掛けてやる。
下からの突き上げ―――は通らないから上の地面でさらに勢いをつけて反転―――『体当たりなど愚の骨頂』ってお説教はもう聞いたって。
あれあれ?
見上げて固まってどうかしました?
自慢の黒い覆い布がはだけて綺麗なお顔が丸見えですよ。
というか、こんな美人な人だったんだ……。
あ、足先で挟んでたダガーに気付きました?
「そうか。お前は……」
「はっ……はっ……な、ん―――」
なんでそんな嬉しそうな顔してんですか?
「心が決まったから」
は?
良く解らないが、言葉が通じて、思わぬ答えが返ってきて、僕はボトリと天井から落ちた。
痛い……。
加護切れた?
霞んだ視界で相手を捉える。
ゆっくりと黒い覆い布を拾い上げ、さっと身に着ける。
流石に切れな……ってあれ”装備品”かよ。
新品同様の薄くて艶のある布がカナリアさんの綺麗な顔を隠した。
ズルいなぁ。
でも引掛けて外せただけでもいいや。
一矢報いた。
「加護は切れたな……では、試験をはじめる」
は?
言いながら近づいて来た銀髪金瞳の女は、その言葉と同時に僕の右腕を取って中ほどからポキリと折った。
「あ”!う”ぅぅ……」
経験したことの無い痛みの信号が右腕から、じんわりと、激しく、頭を焼いた。
「次は左」
「あ”ぁ”!」
なんの脈絡も無く、
なんの躊躇いも無く、
当たり前のように、
偶々目についた枝毛でも抜くように、
僕は両手の感覚を失った。
痛い。
痛い痛い痛い。
ただそれだけだった。
「さ、次。右か左か……どっちの足がいい?」
「や”……や”め”で……」
「もう?これからだろ?」
「あ”あ”ぁ”ぁ”!!」
何かわからないけど何かをした。
「しょうがない子だ」
痛さの波が―――痛い痛い痛い!!!!
イタイ!イ”タ”イ!イ”タ”イ”!
や”め”て”!いだい!や”だ!や”め”て”!
「探……こ…………とで………いてはダメでしょう」
耳元で囁かれる、途切れ途切れに聞こえるその声は、喜びに打ち震えているかのよう。
そして温かい吐息が触れた。
「『北の鷙鳥』に入りたい?それとも孤児院に帰りたい?」
「が…………かえ”り、たいれ”す……」
僕の心は、折れた。
――― ――― ―――
――― ―――
―――
泣き疲れたのか、職業加護を酷使したことでの体力切れか、将来有望な我が社の幹部候補生が全身を泥まみれに、顔中を涙に濡らして倒れている。
「なにを、考えている?」
「弊社に、これは不要です」
「…………言っただろう?彼は探索者ではなく経営者、指導者としての将来を見込んでのコトだと…!」
「それでも、最低限の力は必要です」
「その片鱗は見せたと思うが?」
「えぇ、異常なまでの成長速度ですね。人の可動域を無視した独創的な動き、それを成す柔軟かつ瞬発的な思考力いずれも驚異的です。しかし同時に、信じられない程、その心は脆い」
「過剰に過ぎると思わないか……」
「一般の志願者であれば。しかしこれは内定者―――準社員であり、その評価の裁量は私に預けて頂きました。そして評価試験の最中、当該準社員は内定を辞退しました」
「その評価基準に疑義を呈している…!」
「弊社の三年目までの死亡率は二割を切りました。他社と比べれば優秀な数字ですが、それでも二割弱。昨年採用の新人二十名に限れば残っているのは十三名、生存率六割の競争に放り込むことに比べれば此度の試験など、生温いでしょう」
「……」
「会社の為にも、貴方の為にも、なりません」
くだらない私情かと思えば、理論武装もしている。
何をそこまで執着しているんだこの女は?
何がこの女をこうまでさせる?
理解できない、どころか、想像すらつかない。
何かを企んでいる?
いや、コイツは俺のためにと言った。
この目を見れば本心だろう。
ならば、なんだ?
彼の採用によって生まれる不和?
十代の対人関係問題に比べれば、それこそ些末なものだろう。
次々に湧き上がる不満と不快感とを何とか押し込めて言葉を紡ぐ。
「はぁ…………君が我が社を思ってそう言うのなら、しょうがない……。使えそうな人材と不可欠な人材、秤にかければ君の方がはるかに重い……ただ、経営拡大のための人材の確保と育成は急務なんだ。頼むよ……」
たとえ歪でも、秤がそちらに傾くのなら。
「弊社都合による自主退社だ。ロウ君には教会への移送と合わせて見舞金の手配、ご家族や第三学校の………ステラ女史か……はぁ……彼女の対応は私がしよう。補償の素案とかかる諸経費の見積もり、それから念書の作成、やることは多いぞ」
それでも、この選択しかない。
「承知しました」
甚だ、不本意だがな。
<つづく>




