025
第二十五話よろしくお願いします。
本書を閉じるにあたり、私は一つだけ読者に断っておきたい。
本稿は街の安寧を乱すために記したのではない。
むしろ逆である。
いまの秩序がいかなる均衡の上に立っているかを明らかにせねば、
いずれその均衡は誰の目にも見えぬまま崩れると考えたからだ。
しかし、私の論が歓迎されぬこともまた承知している。
富を人の数に求め、商いを力とみなす議論は、蓄えをもって統治の証とする者たちにとって耳障りであろう。私を異端と呼ぶなら、それもやむを得まい。
おそらく本書は、どこかの書架に静かに積まれることとなるだろう。
だが物が動くことに価値があるのなら、言葉もまた同じはずだ。
いまは動かずとも、いつか必要とする者の手に渡るならば、それでよい。
街が再び均衡を問い直す日に、本書がわずかでも役立つことを願って筆を置く。
『経済論』著・啓徒マルケド
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
黙って歩く東門大通り。
沈んだ陽の代りに街を照らす蒼い月。
すれ違う人影は疎らで、街はすっかり夜を迎えている。
隣には幼馴染の男が一人。
なんで俺はコイツと二人で歩いてんだ?
「なぁ」
「な、なんだレルド?」
相変わらず、返事をするだけで声が詰まる。
出会った頃から変わらねぇ。
親父がダチから預かった舌の足りねぇガキ。
「明日どうする?」
「……全、員、揃ったら話そう」
「そうか、そうだな」
足りねぇのは舌だけじゃなかったな、つまらねぇヤツ。
フランのヤツなら少しは―――
「……ちっ!」
左頬の痛みで思い出した。
アイツ、いきなり殴ってきやがって…。
しかもあの目…。
なにキレてんだよ、クソが…。
無意識に足が運ぶままに身体を動かす。
夜の東門大通りは昼のそれとは大分違ってほとんどの店は閉じてる。
目印なんてものもねぇから、大体の感覚で構わねぇ。
「レルド…!」
後ろからグエンに声を掛けられた。
「なんだよ?」
追い付いて来た隣を見ればモゴモゴと口を動かすグエン。
言いたいことがあるなら、さっさとしろってんだよ。
「……よ、夜は危ない、から東門まで、行こう。壁、沿いに帰ろう」
見れば東門まであと少し、身体の覚えている通り、いつもの脇道に入ろうとしたところだった。
「何ガキみてぇなこと言ってんだ。行くぞ」
「お、おい…!」
アホらしい。
探索者崩れに囲まれて、どうだってんだ。
鼠食って、鼠みたいにヤリまくって、数だけ増えてくゴミクズに何が出来る?
綺麗に整った石畳を外れて、誰かが並べて石板を踏みつけた。
この街では城に近けりゃ近いほど、人間として上等なもんだとされる。
城の中にいるお貴族様が天辺で、門の傍、異界の入口近くに追いやられるヤツほどゴミってことだ。
そして当然、ゴミ同士の中にも、序列や格差がある。
貴族はおろか街の従民どもすら気にも留めない。
分かるさ、俺だってゲロとクソの違いに興味はねぇ。
それでも知っておかなきゃ生きていけねぇ奴らがいる。
一番上等なゴミは門の傍に居つくヤツら、底辺だの零細だの言われてる、まぁ探索者と呼べる連中だ。
その圏内から外れればそこから先にはゴミしかいねぇ、遠ざかれば遠ざかる程、ゴミをさらに下回るゴミになる。だから下手な脇道に入れば有害なゴミも目に入る訳だ。
大通りから折れた支道を更に右に折れ左に折れ進んでいく。
夜空から降り注ぐ蒼い光は、何故だか暗くなっていく。
ションベンだかクソだかの臭いも強くなってくる。
ちゃんと掘って埋めろクソ共が。
「オイオイお前ら、ドコのガキだぁ?」
「……」
言葉も怪しいゴミ共が増えてくる。
「ヒヒッ、襲っちゃオウかなァ」
「……っ!」
「いちいちビビんなグエン」
男女の見境も付かないカス共も出てくる。
「オ”ア”ア”ァ―――ブッ」
言葉も通じないケダモノ、には一発入れる。
足は止めない。
明日には消えて無くなってる、クソやらションベンやらと同じだ。
ここでは『貴啓探従』なんてモンは通じない。
従民なんて上等なヤツはいない。
ホンモノの街の掃き溜め。
それが俺達『旭燕』が暮らす世界だ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ボロい石と木で組まれた家の、襤褸切れで出来た扉を潜る。
ゴミ共が暮らすにしちゃ上等な部類の家だ。
この辺り一帯が、そう。
まともなゴミの吹き溜まり。
「おかえりレルド、グエンも」
「あぁ」
「た、だいま。レイニさん」
迎えてくれたお袋に一声返し、卓上の錆びた鉄瓶から木杯に水を入れて一気に呷る。
食卓と台所と玄関と……とにかく着替えと寝床以外の全てが揃った、六人家族の全員が集まる部屋で、もう一人の母親が食事の準備の手を止めて振り返った。
「あら?フランとアリーナは?」
「……まだ、取引所で会計待ち」
「そう」
顔も声も背格好も、全部がフランに良く似たナラさんが、心配そうな表情を浮かべる。
と、それを聞きとがめたお袋が声を荒げる。
「アンタ達、何女の子二人にやらせてんの!」
「そういう流れになったんだよ!」
「どういう流れよ!」
「うるせぇな!」
「レルド!」
呼びかけを無視して寝床に向かった。
いい加減、装備も外したかった。
加護が効かない街中でコレを着て動き回るのはダルい。
寝台が二つ部屋の両端に置かれた部屋の、左側の寝台に『バックラー』を投げ捨てる。
『ブロンズグローブ』を外し、『どうのよろい』を脱ぎ捨て、寝台に腰を下して、最後に『ブロンズグリーブ』を外す。
解放感と共に自分の身体も寝台へと倒して、ジワジワと身体中に血が流れるのを感じる。
飯で腹が満たされる感覚の次に、生きていることを実感できる瞬間だ。
目を閉じて息をする。
遠くからお袋が喧しく騒ぎ立てる声とグエンが何やら話している声が聞こえる。
グーっ
腹が鳴った。
どうでもいい、さっさと寝ちまおう。
明日になりゃ忘れてる。
俺のやらかしも、
フランの目も、
グエンの活躍も、
アリーナの根性も。
明日はどうするか。
やっぱ代表が決めなきゃな。
女のフランも、
マグレ続きのグエンも、
癒術士ってだけのアリーナも、
結局、俺がいなきゃどうにもならねぇ。
漸くお袋とナラさんが異界に行かなくても暮らせるようになった。
よく、ここまで辿り着いた。
上等だろ、親父?
見てるか、フレンさん?
頭の足りねぇ俺でもよ。
フランの勢いと、
グエンの慎重さと、
アリーナの頑固さとをよ。
上手いコトまとめてやってんだよ。
だからよ、これからも―――
――― ――― ―――
――― ―――
―――
「っの馬鹿レルド!!!」
「っだぁぁ!!」
突然響いた大声と脛を襲った痛みで、目が覚める。
ほとんど真っ暗な部屋で、廊下側からの僅かな明かりを背に立っているのはフランだった。
このヤロウ。
「何しやがる!」
「何しやがるはコッチのセリフよ!あんた『鹿鳴』に取引断られたらどうするつもり!?それ以前に!助けられた恩も忘れたの!?何考えてんのよ!!!」
「あだぁ!!」
ちゃんと同じトコ蹴りやがって。
「ってぇな!!」
「しかも先に帰ってノンキに寝て、何様のつもりよ!!」
「るせぇ!代表は俺だ!!」
「なん、で!代表が先帰ってんだ!!なんで代表が!!会社ダメにしようとしてんだ!!なんで代表が―――」
「ちょ、やめよう!フラン!」
「お、落ち着いてフラン!」
後ろから続いて来た後衛が、暴走した馬鹿女を止める。
遅ぇんだよ、足痛ぇし…。
「ちゃんと話しよ、ね?」
「ま、まず向こうに。アリーナ」
「ふぅ……ふぅ……ふぅ……」
好き勝手言い散らかしたフランはアリーナに連れられて大部屋に向かった。
またあの目かよ。
「レルドも、来てくれ」
「あぁ?」
「だ、大事なコトだと、思うんだ。話したい。明日のことも、あるし」
「……ちっ、行くから先行って待ってろ」
「……あぁ」
何だってんだよ。
――― ――― ―――
廊下の暗がりから大部屋を覗けば、何やら話している五人の姿。
二人は俺とフランの母親で、残り三人は俺の会社のメンツ。
「すみません、レイニさん、ラナさん」
「いいさ、もうアンタ達に養われてるだけの居留守女だからね」
「レイニさん、そんな……」
「おっと、悪かったねアリーナ」
「落ち着いて、きちんと話し合いなさい、ね。フラン」
「……うん」
黙って部屋に入っていつもの席に座って、錆びた鉄瓶から木杯に注いだ水を一気に呷った。
お袋の視線を感じるが、何を気にすることもねぇ。
部外者の二人が部屋を出て女四人の寝室に向かい、大部屋には『旭燕』の四人が残った。
向かいにアリーナ、その横にフラン、俺の隣にグエンが座る。
いつも飯を食う時とは違う並び。
まぁ、それも今はどうでも良い。
「……」
「……」
「……」
「……」
アリーナはキョロキョロと目だけ動かして二人を見て、
フランは黙って卓の上を見て、
グエンは呆と前を見て、
誰も、何も、言いやしない。
なんなんだよテメェら。
何か話があるんじゃねぇのか?言ってみろよ。
―――なんて言ってやらねぇ。
お前らが始めたんだ。
お前らで始めろ。
まぁ無理―――
「あ、明日からの、狩りについて、話したい」
隣から声が上がった。
「私は……今日の狩りの反省を」
正面からも声が上がる。
「あたしは―――レルド、あんたの態度について。それと今後、外とやり取りする役目を変えることを話したい。いや、あたしが代わりにやることを提案するから、その是非を話し合いたい」
最後に斜め向かいからも。
それぞれが、互いに視線を交わして、最後に俺に目を向けた。
なんだよ。
「俺は……ねぇよ」
んだよ、お前ら。
「じゃあ……今日の反省から。次に明日のことを話して、最後にあたしの提案について、話そう」
「あぁ」
「うん」
「……」
なんなんだよ。
「獲物の、狙い自体は、悪くなかったと思うの。明日からも『粘土鳩』の魔石狙いで、良いと思う。問題はそれ以外の敵が乱入してきた時と、『盲兎』を見つけた時の対応で、これを事前に決めておいた方が良いと思った、んだけど…」
「うん。良いと思う。乱戦は―――」
「こ『甲殻鼠』、『黄土水晶』と、『粘土鳩』の追加。あと、まだ会ったことはないけど『渇乾砂狼』……は、まず群れで会うこと、ないから、はぐれの一匹想定で良い。め、『盲兎』……は逃げるだけだから、一旦は四つの場合を、そ、想定しよう」
俺は、もう、要らねぇってか?
「ありがとう、グエン。まずは『甲殻鼠』の場合だけど―――」
頭の悪ぃ代表はいらねぇか。
「お『黄土水晶』はもう少し、楽になると思う。実は新しく使える職能が浮かんだんだ」
「ホント!?スゴい!」
「じ、実は、私も…」
「えぇ!?早く言ってよアリーナ!」
「ご、ごめんね。なんか言い出すあれがなくって…」
女に見劣りする騎士は、
魔術士を守り切れねぇ騎士は、
癒術士に助けられるだけの騎士は、
…………必要、ねぇか。
ガタン!
席を立つ。
何、見てんだよ。
「レルド?」
「……決まったら話せ。出掛けてくる」
「お、おい!」
「レルド!?」
襤褸切れの幕を潜って外に出る。
いつもなら寝てるような頃合いだってのに、腹減ったし、足も痛ぇしで目が冴えてる。
とりあえず、門の方に行くか。
――― ――― ―――
うーだか、あーだか聞こえる小路を抜ける。
ションベン臭ぇ隘路を越える。
キャンキャン煩ぇ盛り場を素通りする。
誰も追いかけては来なかった。
別に。
何の期待もしちゃいねぇよ。
よくやった。
実際、よくやったよ。
―――モグリの叙階師の住処を通り過ぎる。
親父らに連れられて、あそこで就職して、
俺らが『宵燕』に入って三日で親父が死んで、
そのまた三日後にフランの親父さんも死んだ。
―――街出状を卸すジジイの寝床を跨ぐ。
落ち込むお袋達を慰めて、一人で異界に潜って、
鼠にビビッて、綿集めばっかして、
腹減り過ぎて倒れて、見ず知らずのオッサンに助けられた。
―――ぼったくりの取引屋を横切る。
恩返しだろ?ってカマ掘られて、仕返しにぶっ殺して、
血まみれで帰ったら、お袋に泣かれて、
俺達も働くから、なんて言われて『旭燕』を名乗り始めた。
お袋達の使い古しをバラバラに装備して、来る日も来る日も鼠を殺す。
何をビビッてたのか鼠なんざ、変態野郎を殺すのと大して変わらなかった。
殺さなきゃ殺される、それだけのことだった。
一番キツかったのは全員が”従士”だった頃。
たった一匹に片足を齧られた程度で加護の終わりが見えてくる。
二三匹に纏わりつかれたらもう終わりだ。
仲間を組むことすら出来ないゴミ共が、異界で喰われて死んでいくのを何度も見た。
お袋達の助言のままに、全員が”従士”の職歴を得て【道具】を使えるようになって、それぞれの天職に就くまでに一年。
剣盾の一式も揃えられねぇ騎士が二人、鼠相手にかすりもしねぇ職能しか使えねぇ魔術士と、従士の頃なら助かった筈の回復手段を持て余した癒術士、そんな四人組になって三年。
状況は何も変わらなかった。
鼠の遺骸が出なけりゃ飯抜き、余る程に遺れば少しだけ美味い飯にありつける。
魔石や綿は街出状に変わる。
たまに近所で死んだナンタラさんの臭っせぇ遺品が、俺達の新しい装備になった。
そんなギリギリのギリギリを生き抜く日々に変化が訪れたのは、グエンの思い付きからだった。
街の中央にある異界素材取引所なら、ジジイの店よりも高く売れるんじゃないか。
その考えに俺達は湧いた、そして落胆した。
俺達よりも若い、まだ本当にガキみたいな顔した奴らが、くだまき乍ら、美味そうな匂いを漂わせ乍ら長い行列を作ってた。
良く分からねぇ苦労話で笑い、意味分からねぇほどの贅沢な境遇に唾を吐いていた。
明らかに使い走りのガキですら、フランやアリーナよりも綺麗な髪をしていた。
そこにいる全員が同じ探索者だろうに、
異界よりも別の世界を見たような気持になって、
全員が何も言わずに東門大通りを帰った。
街には他にまだ三つも門があって、それぞれにあんな連中よりもっと凄ぇ奴らがウヨウヨしてる。
そんなことをボソボソ喋ってた。
はじめから言っとけ愚図グエン。
途中、偶然に、小汚い異界素材取引所が目に入った。
なんでもいいから、さっさと惨めな気持ちと一緒に引き取って欲しかった。
少しずつ溜めて集めた『六輪綿花』。
『なんだコレ……汚ねぇな……』
四人全員がそれぞれに【道具】から取り出したそれを見て、大柄な店の親父は顔を顰めて言った。
てめぇの店に言われたかねぇ、なんて言えなかった。
誰も、何も、言い返せなかった。
だがその親父は三本しかない指で器用に礼金を弾いて数えて、勘定台の上に載せながら言葉を続けた。
『……全部”租”で36枚だ。次は魔石ぐらい取ってこいよ、若ぇの』
『え?』
買い取ってくれることも、その額面も、まるで次があるような言葉も、全て信じられなくて、馬鹿みたいな声を上げることしか出来なかった。
『あ、ありがとうございます…!』
それに気付いたフランが、ひったくるようにして礼金を取って頭を下げた。
アリーナとグエンがそれに続いたが、俺は、そんな俺達を見て苦笑いを浮かべる親父と目を合わせていた。
『モノが無ぇならさっさと帰れ、んで明日の狩りの準備をしろ』
『……おぅ』
次の日も、その次の日も、俺達はその店『鹿鳴』に素材を納めにいった。
ぼったくりのジジイのトコの倍は稼げたけど、その内、街出状代を引かれるようになった。
貴族の嘱託がどうとか言ってたが、そんなことはどうでも良かった。
『旭燕』の名前を初めて名乗ることが出来たから。
――― ――― ―――
「ふぅあああ~~~」
下らないことを思い出してる内に俺は東門の前に着いていた。
夜番の門衛が睨みを利かせてくる。
お前らも大変だな。
欠伸の一つも許されねぇのか?貴族に使われる兵士共は。
コイツらは、この街で一番上等な奴らの下に付いてる筈なのに、この街のゴミ共を眺める仕事をしてる。
そのついでに、異界に潜る探索者の街出状を確認してる。
偉そうな顔して街を廻ってゴミ共の相手をする兵士共と、どっちが偉いんだろうな?
っと、絡まれない内にさっさと帰るか。
ゴミはゴミらしく、掃き溜めに。
あいつらも、もう終わってんだろ。
俺を下ろしたけりゃ好きにすりゃいい。
ただの成り行きと勢いで始めただけなんだ。
流石に外されたりはしねぇ、ってか出来ねぇだろ。
それくらい俺にも分かる。
来た道をそのまま戻るのも癪だから、街壁沿いに足を向けた。
門に背を向け歩き始めた後ろから話し声が耳に届く。
「毎度ありがとうございました」
「うむ」
「朝番様は変わらず四の鐘で?」
「あぁ」
「承知しました。それではお勤め、よろしくお願いいたします」
何の商売だか知らねぇが、俺に言わせりゃ従民なんざ恵まれた連中だ。
死にそうな飢えも、魔物に貪られる恐怖も、掃き溜めの現実も、何にも知りもせずにヘラヘラと、探索者に媚び売って生きてやがる。
そのクセなんだ?自分達が一番不幸みたいな顔しやがって。
貴啓探従?上等だ。いくらでも見下してやるよ従民風情が。
ガン!―――
唐突に響いた音と、
頭を殴られた衝撃と、
遠のく意識。
この街の底辺共がうろつく場所よりも、なお深い暗闇に俺の意識は沈んだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
陽も大分傾いて今日も『鹿鳴』の一日の終わりが見え始めた頃。
カランカラン―――
勘定台を挟んで直ぐの入口扉が小鐘の軽やかな音と共に小さな軋みを上げた。
「いらっしゃいませ」
「おぅ」
「ベルンさん!……だけですか?」
「あぁ心配すんな。誰一人欠けることなく今回の探索も帰還したよ」
「それを聞いて安心しました!おめでとうございます!」
訪れたのは経営統合計画に参入している会社の内の一社『菫牛』の代表を務めるベルンさんだった。
朝の狩猟会議と異なり、報告会は異界での狩猟を終えた納税取引の際に必ず行うようにしている。
基本はこの場で大体の話を済ませるが、そこで確認や調査が必要な問題が生じれば、翌朝以降に狩猟会議を設定して、問題解決に向けた計画や行動の指針を示すという段取りだ。
件の経営統合計画は、参加企業の数こそ増えていないものの、稼働中の五社の共同体の活動は順調そのものだ。
現在は『東源樹林』での野営日数を二日三日と延ばしながら周辺環境の探索調査と狩猟採集を行いつつ、次なる異界『虹河高原』への足掛かりを探している。辿り着けば、名実ともに中堅ドコロと呼んでも差し支えない実績になる。
この探索調査に関しては、それこそ貴族経由、労務省経由で情報を買えばどうとでもなることではあった。礼金ならいくらでもある、と言えるくらいにはある。けれど、知識だけ与えられても彼ら自身の実にならなければ意味がないし、何より彼ら自身がそれを望まなかった。
曰く『自分達の手と足と、目と耳と鼻と肌とで感じてこその異界』だそうだ。
セリスは呆れたような表情を浮かべていたけれど、僕は少しだけ感じ入るものがあった。
本を読むにせよ、鑑定にせよ、何か新しい事を識るというのは心躍る。
「……本当にありがとな」
クルードさんに負けず劣らずの巨体に禿頭と豊かな顎髭を生やしたベルンさんが、突然口にした感謝の言葉に、僕は少し驚いて問い返す。
「えっと……どうしました?」
するとベルンさんは、少し困ったように首の後ろに手を回しながら、それでも僕の目を真っ直ぐに見返した。
「正直、ここまで上手く行くとは思ってなかった。参加を決めたのも会社運営の限界が見えて半分自棄になってたからだ。それが今じゃ当然のように異界で寝起きして一日中狩りして、信じられない程の猟果を出してる。金勘定も人員整理も狩猟計画も前準備も面倒臭ぇこと全部人任せにして、狩りだけに集中してな」
結構、グッと来た。
自分の不甲斐なさから探索者になることを諦めて半年近く。
兄弟姉妹や他の探索者達が、この街の主役としての一歩を確実に歩んでいるの目の前で見てきた。
そこには、店に顔を見せる度に新しい何かを成し遂げている者、新卒でありながら先輩にあたる人の心を助けた者、あるいは志を遂げることなく異界に消え、店に来なくなった者もいた。
彼等との出会いを重ねる度に心に抱えてきたモヤモヤとしたもの―――この際、脇役の嫉妬と認めようか…。
それが、今のベルンさんの言葉で、少しだけ昇華されて、喜びと達成感に変わった気がした。
「利益率なんて面倒な考えも増えたがな」
そんな風に感じ入っていたところに聞こえた低い声。
僕もベルンさんもビクリとして声の方に顔を向ける。
「っ!リオネル!」
ベルンさんの舌打ちと共に姿を見せたのは同じく経営統合に参入している『東ノ朱烏』の代表リオネルさんだった。わざわざ気配を消してベルンさんの陰に隠れていたらしい。
「安心しろ、盗み聞きなんて悪趣味してる奴、他にいない」
「何を当然のような顔をして…」
「それより、ここは店の入口だ。まだ営業時間中だろう?」
そして当然のような顔で、常識を弁えたような口をきく。
「あ、はい。一応」
「であれば、奥にお邪魔させてもらおう。ほら行けベルン」
「ぐむ……と、とにかくだ、ロウ。この計画に誘ってくれて感謝している。と言っておきたかったんだ―――」
あの日、孤児院を出て以来、自分なりに進んでいたつもりの一歩が、ようやく確かなものになったように感じた。
それはきっと、身内になった者や、近所の小母さんや、余りに身分違いな貴族なんかではなく、初めて街の誰かから僕へ向けられた言葉だったから。
「引き続き、よろしく頼む」
「いえ……はい…!こちらこそよろしくお願いします!」
バッと下げた頭を上げた時、店の奥ではセリスが姿を見せていて、まだ食卓が会議卓に変わっていないことを告げて、二人を商品棚の前に待たせていた。
僕一人なんかの成果じゃない、セリスがいて、クルードさんがいて、はじめて貰えた言葉だ。
そう、心で唱えてから勘定台の下にしまった企画用の手帳を開いた。
――― ――― ―――
――― ―――
―――
カランカラン―――
それは残り三社の代表も集まって店の看板を外そうと、扉を開けて表に出た矢先のこと。
「っと、いらっしゃいませ!」
「ロウ君」
そこに立っていたのは『旭燕』のフランさんだった。
あの日以来、一昨日振りの来店だ。
彼等のように小さく稼ぐ会社は、ほとんど毎日のように店を訪れる。
「偶然、表に出たところで……失礼しました。ご納品で?」
「……うん。お会計お願い」
「かしこまりました。それでは、どうぞ、こちらへ」
言って入口前から身を引いて、扉は足で止めながら、フランさんを店内へと通す。
僕は『鹿鳴』の外看板をついでに手に取って、一緒に店へと戻った。
カランカラン―――
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
痛ぇ。
真っ暗で何も見えねぇ。
目が開いてんのかすら分からねぇ。
痛ぇ。
両手を後ろ手に全身を縛られてるのは分かる。
硬い地面の感触も。
ただ、分かるのはそれだけ。
痛ぇ。
ションベン臭ぇのかゲロ臭ぇのかもわからねぇ。
馬鹿笑いしてんのか、馬鹿みたいなセリフを言ってんのかもわからねぇ。
生きてんのか死んでんのかもわからねぇ。
急に頭を引っ張られた。
「ごほっ……ごほっごほっ……!」
あぁ、水桶にでも突っ込まれてたのか……。
急にゴミ共の下種な会話が聞こえてきた。
「お?まだ生きてんのかヨ」
「流石は『旭燕』だなぁ…」
「ナァ、コイツ使ってあの女二人釣れねぇかなぁ」
「釣れるわけねぇだろ?」
「いや、面白れぇかもしれねぇぞ……取り合ず奴らの様子見て来いよ」
何話してんだか、よく解らねぇけど、とりあえずは生き残ったか?
馬鹿共が、絶対殺してやるよ。
――― ――― ―――
――― ―――
―――
「探しまわってるよ!!」
っと、意識飛んでた。
ゴミの喚き声で目覚めるなんて最悪だな…。
……まだ身体は動きそうにねぇ。
「よかったなぁレール、ドぉ!」
「ぐぶっ!」
腹に衝撃が走る。
クソが。
「おォ!よかったよかった、コイツもまだ生きてんぞォ!」
「オイオイ、マジであの女共ヤり放題か!?」
「馬ぁ鹿。素直にヤられる訳ねぇだろ?」
「ヤってみなきゃ分かんねぇじゃねぇっスカ!!」
「はっ。探索者ってやつらは俺らと違ってイカれてるからな。死ぬの恐くねぇんだよ。許容範囲超えたらブチ切れて終わりだ。コイツ殺したところで死ぬ気で俺らを殺しに来て終いだよ」
「???デモ、街ならカゴもショクノウだってロクに使えねェって」
「てか、別にヤルだけならコイツみたいに縛っちまえば―――」
「馬ぁ鹿。もっと面白れぇヤリ方あんだろって話だ」
「え?」
「ソレは?」
<つづく>




