024
第二十四話よろしくお願いします。
人はしばしば富を物の量によって測ろうとする。
倉に積まれた食料、棚に並ぶ道具、あるいは手元の礼金の束である。
しかしこれらはいずれも富そのものではなく、富が一時的に姿をとった形に過ぎない。
物は動かぬかぎり価値を生まない。
倉に積まれた食料も、食べられ、種となり、あるいは交換されて初めて街の力となる。
ゆえに商いの役目とは、物を増やすことではなく、物を動かすことである。
動きが生まれれば人は働き、働きが生まれればさらに物が生まれる。
この循環こそが街の豊かさの正体である。
支配者の多くは物の蓄えを見て安心するが、真に見るべきは市場の往来であり、人々の取引の声である。
物が静かに積まれている街よりも、少ない物でも絶えず行き交う街のほうが、はるかに強いのである。
『経済論』考察より 著・啓徒マルケド
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「笑ってねぇでさっさと会計済ませろクソ従民が!!!」
レルドさんが上げた唐突な怒声が、『旭燕』の歓声で賑わっていた店内に沈黙を落とした。
グエンさんも。
アリーナさんも。
フランさんでさえも、唖然としてレルドさんを見つめている。
いやぁ……擁護とかないのかぁ……と、思いながらも口を開く。
「大変失礼いたしました。魔石、『粘土鳩』並びに『黄土水晶』の遺骸で承りました。お急ぎの所申し訳ないのですが『黄土水晶』につきましては鐘一つ分ほどお時間頂戴できますでしょうか?難しいようであれば『黄土水晶』を除いた分で会計処理させて頂きまして、『黄土水晶』につきましては私共にお預け頂き明日以降、改めて会計させていただくか、あるいは一度お持ち帰り頂きまして再度お持ち込みをお願いできますと幸いです」
「あぁ!?意味分かんねぇんだよテメェ!さっさと会計済ませろってんだ!!」
うわぁ……ダメだこりゃ…。
怒りでまったく頭が回っていない様子のレルドさん。
それを見つめるだけの三人。
クルードさんが絡まれていた、いつかの日を思い出す。
あの日は……一歩も引かずにいたクルードさんと野次馬の目線があったんだっけ…?
通りの喧騒が遠くに聞こえてくるほどの静けさを認識する。
うーん……どうしよう。
このまま店内で暴れられても困るし…。
「レルドさん。いったん、落ち着きましょう―――」
「うるせぇ!従民風情が気安く話しかけんじゃねぇ!お前らは頭下げて媚び売って―――」
バシン!
「ってぇ……なっ!?」
「―――っ、―――っ」
手が付けられないほどに激昂したレルドさんを止めたのは、フランさんから繰り出された張り手と涙だった。
いつも明るく『旭燕』の面々を繋いできたフランさんの、声にもならない泣き顔に、レルドさんは誰の目から見ても明らかなくらいに動揺し硬直していた。
フランさんの嗚咽だけが響く店内。
驚愕の顔を浮かべてそれを見つめるだけのレルドさん。
グエンさんは忙しなく視線を動かし、アリーナさんは気まずそうに顔を斜め下に俯かせている。
どうしようか、と思った矢先―――
「ロウ、取り合えずお店閉めようか」
『鹿鳴』の店主の一声が場を治めた。
――― ――― ―――
――― ―――
―――
店内奥に設えてある食卓兼、応接卓には僕とセリスが隣り合って座り、向かい側には『旭燕』の二人、フランさんとアリーナさんが座っている。
店終いの作業を終えるまでにバタバタとしたのは半鐘ほど。
フランさんは俯いたままではいるものの、気分も落ち着いたのか、その目から涙は止まっている。
逆にアリーナさんは、少し落ち着かない様子で視線をさまよわせている。
あの後。
セリスはフランさんに寄り添いながらアリーナさんに声を掛けて二人をこの場へ案内をし、それを見たグエンさんは言葉に詰まりながらも、何とか僕等に暇を告げてレルドさんを連れ出した。
今日は一旦帰ろう、というグエンさんの言葉に、喉に何かが張り付いたような声を上げたレルドさんの弱弱しい返事が妙に耳に残った。
「ご迷惑を、おかけしました」
そう口を開いたのはフランさんだった。
「いいえ、こちらこそ店員の対応に不手際がございましたこと、お詫び申し上げます。申し訳ございませんでした」
「申し訳ございませんでした」
店主の言葉に、不手際を起こした店員も追従する。
思わないところは無いではない。
けれど、こういうもんだ。
「頭を上げてください…!ロウっ……さんは、何も悪くありません!我々『旭燕』の問題を『鹿鳴』さんに持ち込んでしまったことが全ての原因です!」
とフランさん。
うん、まともな人はこう返してくれる。
探索者はそうじゃない人の方が多いってだけ。
でも、今欲しいのはそういうのじゃないんだ…。
「お心遣いありがとうございます。ですが、お客様がどのような事情を抱えていらしたとしても、気持ち良く納税取引を終えて頂くことが我々の職責でございます。その点、至らなかったことをお詫びさせてください。誠に申し訳ございませんでした」
「申し訳ございませんでした」
何だか、ただセリスの後に続いて頭を下げてるだけの僕が酷く馬鹿みたいだ。
頼むから謝罪を受け取って欲しい…。
「いえ―――」
「ご、ご丁寧な対応頂きましてありがとうございます…!『鹿鳴』さんの謝罪、を、受け取らせて頂きます…!」
まだ何かを言い募ろうとしたフランさんを制して、アリーナさんが言ってくれた。
有難い。
ただの形式的なやりとりかもしれないが、
謝罪を述べる。
それを受け入れ赦す。
という行為はとても重要なものだ。
それは”貴啓探従”という明確な身分差が存在するこの街に於いて、極端な話、従民の生殺与奪の権を探索者が握っているといえるからだ。
実際に昼日中の街中で、そんな事案を起こせば、街の治安を脅かしたという理由で、その探索者が異界送りにされるだろうが、その理由は街の治安を脅かしたであって従民を害したことではない。
穏便にその従民を排したいのであれば、巡邏兵に礼金を握らせて「この従民が探索を阻害した」と訴えればそれで済む。
それほどに、僕等従民の謝罪は軽く、彼等探士の赦免は重い。
『鹿鳴』に限って言えば、セルク家という後ろ盾があるので、問題ないとも言える。
最上位に当たる者の庇護があるのだから、と。
だがそれも、僕等が庇護を願い出て、彼等が出張るまでの猶予があれば、という但し付きだ。
「寛大なるお許しを心より感謝申し上げます『旭燕』のアリーナ様」
「い、いえ。『鹿鳴』様におかれましては今後ともよしなにお願いします…!」
結局のところ相手の言葉を信頼できるかという話にしかならない、と言ってしまえばそれまでだけど。
フランさんとアリーナさんなら問題ないだろうとは思う。
とは思いつつも、僕は店仕舞いの際に隣家の従民に頼んでセルク家に繋ぎをつけている。
『何か問題が起きた時にはセルク家に一報入れること』は、クルードさんがいた頃からある『鹿鳴』の重大規則だった。
一先ずのやり取りを終えたところで、僕は席を立ちお茶を用意する。
もちろん、お茶を用意しなかったことを丁寧に詫びながら。
そして人数分のお茶を用意して僕が席に着いたところで、フランさんが再び口を開いた。
「思えば……一月ほど前から、レルドの様子が変わっていったんです…」
別に話してくれなくても、いいんだけどな。
と隣から薄っすら聞こえてきた気がする。
気のせいかもしれないけど。
少なくとも通じ合ってる気はしている。
もちろんそんなこと、僕もセリスもおくびにもださないけど。
フランさんの話を纏めると以下のようなものだった。
クルードさんとの一件から『鹿鳴』に通い始めて一ヵ月。
食うや食わずの鼠狩りから卒業し『粘土鳩』の狩りに成功すると同時に訪れた『東乃原』の乾季、零細企業『旭燕』は、初めて『盲兎』を仕留めた。
五年目にして初めて訪れた”収穫の乾季”に『旭燕』は大いに盛り上がった。
そこからの一ヵ月、素直に成功とは言い難いものではあったが、相変わらず『甲殻鼠』で糊口を凌ぐ他の零細企業を尻目に『粘土鳩』をあしらい、『盲兎』を追う日々は充実していた。
確実に上がっていく収入に、体感できる生活の余裕、そして猟果に表れる自分達の成長は、探索者としてのやりがいを、初めて感じさせる経験だったと言っても過言ではなかった。
しかし、そんな日々も『東乃原』の季節の変わり目と共に変わってゆく。
湿潤季に伴う魔物の性質の変化。
中でも何度となく狩った筈の『粘土鳩』は乾季のそれとはまるっきり別物とも言えるものへと変貌していた。
剣や盾による攻撃は明らかに通りが悪くなり、それまで三手で倒せていた相手に対し、倍以上の手数を要求されることになった。
また耐久性と共に増加した個体の重量は、各個体の攻撃力の増加にも繋がり、それまでほとんど無視できた攻撃にも注意を向けざるを得なくなった。
なによりの極めつけは乾季よりも増えた群れの個体数の増加で、この単純な物量の増加がもっとも彼等を悩ませた。
ありとあらゆる面で”増えた”『粘土鳩』は『旭燕』にとって、まだ受け止めきれるものではなかった。
お手軽な獲物として狩っていた筈の相手に舐めさせられた辛酸。
フラン、レルド前衛を務める両騎士の加護が切れ、退却を余儀なくされる屈辱も味わった。
鼠の相手と安全な採集だけに甘んじていた頃には経験することの無かった挫折。
まだ鳩を相手にするのは早かったのではないか?
鳩を相手にするより鼠の数を狩った方が良いのではないか?
そんな話が日々交されるようにさえなった。
だが、そんな弱気と閉塞感を打ち破った男が居た。
魔術士であるグエンだ。
そもそも魔術士の職能による遠距離攻撃で撃ち落とすのが定石とされる『粘土鳩』。
自分の力量不足が原因で会社が停滞しているのだと現状を憂いていたグエンが声を上げた。
『俺が攻撃役をやる』
良く言えば思慮深く小器用な立ち回りをする魔術士、率直に言えば弱気で小手先だけが取り柄の『旭燕』の補助火力、という立ち位置に甘んじていた男が、自ら立ち上がりそれを宣言したのだ。
あくる日。
約四年もの間、補助役として前衛で動き回る二人の騎士の動きを阻害しないような立ち回りに徹していた小手先の火力は、猛火となって『粘土鳩』に降り注いだ。
それは攻撃役としての騎士二人分はおろか、防御役に回った騎士すらも不要になる程の正確無比な遠距離攻撃だった。
湿潤季の『粘土鳩』は物理的な性能が高まる半面、魔法的なそれは覿面に落ちる。
それはグエンが『鹿鳴』の従業員に頼らずに、自らの観察眼と経験から考察した結果だった。
そうして『旭燕』は完全に羽化した。
レルドとフランの前衛職が敵を抑え込み、グエンが仕留め、アリーナが前衛の負荷を抑える。
一団の完成形が見えた。
困難を乗り越えた『旭燕』は更に強くなった。
次の乾季には『盲兎』はおろか、さらに奥地に生息する『渇乾砂狼』すら狙えるのではないか、という話まで持ち上がった。
が、この勢いに水を差したのは意外にもお調子者のレルドだった。
最も意外な、しかし『旭燕』の代表でもあるレルドが放った冷静に成れという言葉に、皆が意外なものを感じながらも、彼もまた困難を通じて代表として成長したのだと、そう考えた。
そしてその出来事もまた、自分達が単純な勢いだけの集団ではない、という確かな成長を実感させた。
その精神面での成長は実際に、前衛二人が防御役として機能することで、これまでに倍する数の暴力にも耐えられるようになったことでも証明されていた。
もう、以前の自分達とは違う。
それは誰も口にしなかった言葉。
けれど四人の誰もが共有していた感覚だった。
そしていよいよ乾季が訪れる。
湿潤季の『粘土鳩』に慣れた二人の騎士にとって、乾季の鳩など取るに足らない存在だった。
機動力が増した相手に多少の驚きを感じたものの魔術士もこれに対応した。
癒術士は安定した戦況に、全体を見て指示出しをする余裕すら生まれていた。
皆が代表の決断を心待ちにした。
が、そこでもレルドは皆の予想を裏切る言葉を口にした。
『もう鳩は脅威にならない。効率の良い兎のみを狙って狩る』
三人はそれぞれに疑問符を浮かべたものの、レルドが言う事も一理ある、と思った。
前回の乾季『盲兎』を追う途中で『粘土鳩』に邪魔をされた場面が幾つもあった。
今ならアレを搔い潜り獲物を狩ることも可能ではないか?
何よりあのレルドから『効率』という言葉が出たのだ。
そういうものを気にする余裕のある会社になったのだ。
果たして代表の言に従ったその日の狩猟は、大いに当たった。
兎のみを追い、途中で鳩が邪魔をすれば魔術士が一掃し、二人の騎士が獲物を狩り取る。
結果としてその日、十二羽もの兎を狩り、遺骸は二つも遺った。
普段の四半分にも満たない時間と労力で普段と同等以上の猟果を上げる。
上振れを引いたということもあったろうが、その日は彼等が『旭燕』を結成して以来初めて、昼前に異界から上がるという快挙を成し遂げた。
レルドがパッと納税取引を済ませた礼金で、その日は久しぶりに全員で北区にある飯処に行き飲み食いをした。話に聞いたホンモノの探索者の暮らしというやつを存分に味わった。
だが上振れを引いたということは、下振れも当然起こり得る。
猟果は日を追うごとに収束し安定していく。
どれほど愚かな者であろうとも探索者を続けていれば感覚的に理解することだった。
翌日に五羽狩った兎は全て魔石に変じ、その次の日に至ってはウサギに出会う事すら無かった。
流石にこのままではいけないと、その日の内に話し合いを設け、翌日からは鳩を狙う日々に戻った。
「え?『粘土鳩』ですか?」
「そう。『黄土水晶』なんて狙う予定はなかったの、それが―――」
『粘土鳩』との交戦中に『盲兎』の姿を目にしたレルドがそれを追い飛び出した。
確かにそれをするだけの余裕はあった、けれど追うには遠すぎるし場所も悪い。
フランは無理だと呼び止めたが、レルドはそれを聞かなかった。
密集した灌木の向こう側へと消えた『盲兎』を追って草木を薙ぎ払いながら飛び込んだレルドを迎えたのは、活性状態の『黄土水晶』だった。
逃げろ!の声と後方へ吹き飛ばされたレルドは既に加護が切れ、仮に『粘土鳩』の一羽が身体を穿てばそのまま穴の開いた肢体が出来上がり、仮に『黄土水晶』の石礫が飛ばされれば無数の穴が開いた肢体が出来上がるような状況だった。
癒術士はすぐに職能を行使し、『黄土水晶』の存在に気付いたもう一人の騎士は率先して、その石礫の盾となり、魔術士は先ず鳩を全力を以て殲滅した。
そして、そこから行われたのは気の遠くなるような消耗戦だった。
果て無く放たれる石礫を身を挺して防ぐ前衛の二人。
片や攻撃に片や回復にと、自らの魂を削るようにして職能を使い続ける後衛の二人。
永遠に続くとも思われた激闘の果てに何とか勝利を収めたのは、ここでも運よく上振れを引いた『旭燕』だった。(彼等は知る由も無いが、その核体は平均よりも一回り小さいモノだ)
『黄土水晶』がその身を静かに溶かし、核体のみを遺して消え去る。
誰も喜びを爆発させたりはしなかった、ただ素早くその遺骸を回収し街を目指して行動した。
誰もが理解していた、もしここで魔物に襲われれば自分達は誰一人残らず死ぬ、ということを。
何とか緊張の糸が解れたのは異界の門を潜り、見慣れた東門からの街並みを目にした時だった。
全員が目に薄っすらと涙を浮かべていた。
誰が何か言葉を発することもなく、全員が足を揃えて歩き出した。
向かう先は自分達が狩り取った獲物を納める場所。
自分達の偉業をその日の糧に変える場所。
うだつの上がらなかった自分達に変わるきっかけをくれた場所。
異界素材取引所『鹿鳴』だった。
――― ――― ―――
――― ―――
―――
一頻り話を聞き終えた後、彼女たちは話すことで満足したのか、こちらから何かを促すこともなく、自ら暇を乞うた。
『また異界素材を納めに来るから。よろしくね』
僕等は頭を下げて小鐘の音と共に『旭燕』の二人を見送った。
カランカラン―――
彼等の成長、連帯、活躍。
そして代表としてのレルドさんの複雑な心の内。
いろいろと思うところはあったが―――
「正直、どうでもいい」
「ほんとにね」
長い長い自慢話を聞くことは出来ても、
そんなものまで引き取れない。
というのが『鹿鳴』としての総意だった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「じゃあ、いってくるね」
「ん、いってらっしゃい」
カランカラン―――
セリスの平坦な声と軽やかな小鐘の音に見送られて僕は『鹿鳴』を出る。
今日は定休日制度を導入してから定まった店の周期でいうところの中日。
休日前後の駆け込みでお客さんの入りが増えた分、丁度その中間に当たる日、つまり今日は一番客入りが少なくなる日だった。
朝の東門大通りには人通りが疎らで、通りに並ぶ店々もこの時間帯に客入りは見られない。
いや、三軒隣りの古着屋に一人の女性が入って行った。
あの背格好、きっと『百日紅』の誰かだろう。
結局、僕の働きも虚しくなる程にマルゴさんの古着屋は”結婚衣装”を目玉商品として繁盛した。
もちろん、貴族のお膳立てを受けている以上”成人衣装”の方も準備を進めてくれている。
店の次代の話は横に置いて、取り敢えず針仕事が出来る誰かを紹介して欲しいという話は、マザーに相談して渡りをつけた。
僕のように探索者という仕事に向かない子供も少なからずいると思ったから。
孤児という立場上、仕事のえり好みなんか出来ないし、食べるために一番手っ取り早い仕事ではあるし、何より僕がそうだったように探索者以外の仕事を進んで選ぶというのは、この街の教育が許さない。
それでも僕のように、痛みや恐怖に打ち勝てない人間だっている。
情けないことだけど…。
それでもこの街は、貴族や教会や探索者だけで回るという訳ではない。
なんてことを考えながら店の前に立っていると横合いから声を掛けられる。
「こんにちは。ロウさん」
濃紺の髪をキッチリと七対三の割合で左右に分けた特徴的な髪型に鋭い目つきをした男。
知り合いじゃなければ、俯き目を合わせずに通り過ぎたいような容姿の人だが―――
「こんにちは。ライルさん、本日もお付き合い頂きありがとうございます」
「これも職務ですので」
ライルさんはセルク家……というよりアルフォンス様から付けられた専属の連絡役。ガルプさん曰く一通りのことは熟すよう仕込んであるという話だったけれど、一体何を想定して育てられた人材なのだろうか。
闇雲に藪に突っ込むべきではない、という教訓を得たばかりの僕は、特に何も聞くことも無く、そんな人と連れ立って通りを東門の方へ歩いていく。
そもそも兎なんて見えやしないのだから、その必要もない。
「『極彩大嘴』にはワドゥー家の三男様も満足されていらっしゃるようです。アルフォンス様から改めてお伝えするよう言われて参りました」
水を向けて来たのはライルさんの方だった。
「格別のご高配を賜りありがとうございます、とお伝えください。それにしても意外なご依頼でした」
定型句を返しつつ、礼儀として会話も繋ぐ。
「たとえ貴族と言えど、次男三男となれば、その権限も裁量も我々が思い描くものとは程遠いようです」
返って来るのは非常に返答に困る言葉。
「なるほど、そういうものですか」
なんとも面白味に欠ける返事だな、と内省したものの、これで良いと自制する。
だってそっちには兎どころか狼が見える。
セルク家を含む貴族の大家の私兵は大体が街の西側に詰めている。
それだけ街の重要資源が西門から先の異界に偏っている、ということでもあるのだが、彼等は各々の既得権益を魔物から、探索者から、そして同じ立場の貴族からも、侵されないよう常に注意を払っている。
そのため、個々人の都合で動かせる手というのは存外多くない、という話はアルフォンス様に聞かされた四方山話の内の一つ。
まぁそれも当主であれば話は違うのだろうが、後継者の予備でしかない次男三男には到底叶わない我儘なのだろう。
それは先に話に上がったワドゥー家で言えば特に顕著だろうと見当がつく。
何しろ彼等は農耕貴族であり彼等の手が及ぶのは街中、それも南側のみであり、彼等が保持する人足は探索者ではなく農民、市井では”南民”と称される人々なのだから。もちろんそれらの権益を守るための兵力なり他家との繋がりなりは有しているのだろうけど。
こんかいの経営統合計画の話は、これまで探索者に伝手を持つことが出来なかった貴族達に新たな手段を用意したという意味で、結構影響が大きいのだろう。
と僕は他人事のように考えた。
他人事だ。
思い付きは僕かもしれないけれど、絶対に他人事だ。
何が悲しくて労務省や職務省に影響力を持つような大貴族に睨まれるような立場に立たされないといけないのか。貴族成りを夢見る大企業からすら嫌われるだろう。
それらは狼なんてものですらなく、絵本に出てくるようなもっともっと恐ろしい怪物だ。
だから僕は誰が何と言おうと、アルフォンス様に指示を出されて従うだけの従民なのである。
そしてライルさんはその監視役なのである。
「時に―――本日のご用向きは、営業行脚とお伺いしましたが、具体的には?」
「現在、五社に参入頂いている経営統合計画ですが、探索領域の更新、狩猟採集の効率化と併せて更なる規模の拡大も目標に設定しています。本日は検討や保留、一度お断りされた企業にも再度参入を打診するべく各社に訪問営業をかける予定です。実働して一月強、実績も確認できましたので、この結果を以て再検討をお願いしに参る、ということですね。ライルさんに同行お願いしたのは貴族家の後ろ盾が確かであるという証明のためで、笑顔を浮かべて同席をお願い出来るだけでも有難いのです」
「本当に笑顔だけでよろしいので?」
「えっと…?」
「こう見えて芝居は得意でしてね。小さな苛立ちから滂沱の涙まで、ご要望にお応えしますよ」
と笑って言ったライルさんに僕は意外な感を抱きながらも、調子を合わせて談笑を続けた。
ちらつかせてくる尻尾を深追いしないようにしながら。
――― ――― ―――
一軒目に訪れたのは『赤紫ノ牛』。
『東源樹林』主要な狩場として大物の遺骸を非常に良い状態で持ち帰る狩猟に特化した企業で、現状企画に参入してくれている企業のどこよりも先に進んでいる。
「『東源樹林』の宿営地までの経路を確立いたしました。クルードからはそこが最低条件だと伺いましたが、いかがでしょうか?」
「『菫牛』もいるんだろ?あそこが引っ張って行きゃ辿り着いて当然だわな。むしろ余所のお守した分アイツらにとっちゃ遠回りだったんじゃねぇか?」
次に訪れたのは『白郭公』。
ここも『赤紫ノ牛』同様に『東源樹林』に出入りしている。
が、未だ宿営地には至ってはいないはずだ。
「―――そして、こちら企画始動から一月強での直近の猟果になります。いずれも額面で三割以上も上昇しています」
「……クルードには、気に入らねぇと、伝えた筈だが?」
三軒目に訪れたのは『朱星狐』。
目的意識の高い未だ三年目の若い企業だ。
「―――なお年内には『東源樹林』を越え『虹河高原』に到達する予定です」
「……おい、取引屋ごときが。あんま探索者舐めてんじゃねぇぞ?」
四軒目は『東ノ狸狸』。
「また装備を整える潤沢な準備金の用意があり―――」
「おいおい、本当に貴族が釣れてんのかよ。なら―――ひっ!」
「……」
「はぁ……ライルさん、ご寛恕ください。……そしてプロシオさん。恐れながら『東ノ狸狸』の参入お願いの件は取り下げとさせて頂きたく存じます。ご了承ください」
小金を稼ぐのに長けた悪くない企業だったのに…。
この一件で失われたであろう『鹿鳴』の収益源。
店主に何といって謝ろう…。
――― ――― ―――
――― ―――
―――
各所を廻った結果は惨敗。
一軒だけ検討させて欲しいという回答は貰ったが失ったモノの方がはるかに大きい。
その最たるものが隣に居るライルさんからの信用だ。
せっかく同行してもらったにもかかわらずこの体たらく。
おまけにこれがアルフォンス様に報告されるのだと考えると、軽々に呼び出したのが失敗だったとしか思えなかった。
「なかなかに前途多難なようですね」
「あはは……ですね……」
何もかもが上手く行くなんてことはない、という当たり前のことを思い知らされる一日だった。
<つづく>




