022
第二十二話よろしくお願いします。
『盲兎』という名の通り、この兎には眼がない。
頭の両側、一般的な魔物でいえば視覚器官があるはずのところは、ただ滑らかな毛並みが覆っているだけだ。
その代わりに耳がやけに立派で、身体に不釣り合いなほど長く、柔らかい。
森の奥で、あるいは平野の茂みで、はたまた大きな木の洞の中で、この耳がぴくりと揺れるのを見つけたなら、それはもう半分逃げられていると思ったほうがいい。
『盲兎』は音の世界を生きている。
落ち葉の裏返る音、枝に止まった鳥が羽を整える音、遠く近づいて来る探索者の足音。
人が気にも留めないほどの気配を拾い上げて、危険があれば風のように姿を消す。
だから狩る側としてはなかなか厄介だが、性根はいたっておとなしい。
牙を剥くことも、怒り狂うこともなく、ただ耳を澄まし、逃げる。
それだけの魔物だ。
そんな魔物が如何にして異界を生き抜いているのか、そんなことはどうでもよろしい。
学者共の見当違いな答えを宣うのを待つが良い。
私が伝えたいのはこの素晴らしい魔物の味である。
その肉は驚くほど澄んだ味をしている。
脂は軽く甘く、他の食肉にありがちな野の匂いがほとんどない。
煮ても焼いてもよいが、私は薄く塩を振って炙るだけの食べ方が好きだ。
余計な手をかけるより、この魔物の静かな味をそのまま味わうほうがよい。
うまくいけば年に一度くらいは食卓に上るであろう『盲兎』。
そう珍しいわけでもないが、いつでも手に入るというほどでもない。
だから皿に並んだ日は、少しだけ静かに食べるとよい。
音に敏いのだから、せめて最後くらいは、騒がずに見送ってやるのが礼儀というものだ。
『おいしい盲兎』著・ギルロウ
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
キュッ―――
最後の一拭きは小気味良い音を立てた。
『鹿鳴』
の文字が刻まれた壁に立て掛けるだけの板看板。
「よし」
と一声上げて店の扉を開ける。
カランカラン―――
いつも通り軽やかな音を鳴らす小鐘。
いつも通りに少し軋みを上げる床板。
横の勘定台を見れば、いつも通り表情の薄い店主の顔。
「礼金足りてそう?」
「細かいのは平気」
「今日は……」
「『紅耀蜂』が遠征から帰ってくる……かも」
「元は昨日予定だったっけ。ガランさん大丈夫かな…」
いつも通りの日常にも変化はある。
例えば店を訪れる客の顔ぶれ。
この店に”いつも通り”があるように企業ごとにも大体のダンドリが決まっている。それでも、何らかの異常事態や不測の事案が起これば、それは容易に覆る。
例えば日毎に替わる決まりを定めた店の役割担当。
本当は僕が今日の勘定台担当だったのだけれど替わって貰っている。
例えば店の店主が突然代替わりしたことも、そう。
クルードさんが抱えていた苦悩も、なんとなくそれに気付いていたセリスのことも、僕は知る由も無かったけれど、なんとなく”いつも通り”で過ごしていた日々の中で、徐々に変わっていった二人の関係が、ある日、唐突に壊れて変わった。
「ベルンさん達は大丈夫?」
「もうすぐ来ると思うよ」
そして、とある財務貴族家の次男の”お遊び”に端を発する取り組みが本格的に始動したこともそう。
カランカラン―――
「おーす」
「よぉ」
「おぅ」
「っと、皆さんお揃いで」
「ちょうど表でな」
「こんな朝早くから店に来るヤツもいねぇだろ」
「ご足労ありがとうございます。どうぞ奥へ」
「邪魔するぜ」
「セリスちゃんおはよう」
「おはようございます」
よろしく、と目だけでセリスに合図を送り、『深緑鳥』『赤兎鹿』『菫牛』の代表を率いて店の奥、食卓と客間を兼ねている空間へ通す。そこには既に『夕刻乃豹』のレグと『東ノ朱烏』のリオネルがいる。
「おせぇぞ」
「やっとか」
「お?遅刻常習犯がどうしたよ?」
「この間の貴族の使用人見てビビっちまってな」
「おめぇに言われたかねぇ!」
「ははっ情けねぇヤツらだなァ」
「お前もいつもより大分早いケドな」
集まったのは主に東門から先の異界を狩猟場にしている小規模企業の代表達。
全員に狭い食卓に着座を促し、僕は一人その卓の横に立つ。
「では、本日の狩猟会議を始めましょうか」
コトの発端は『徴税局の一翼を担う者として、新興貴族へと成り上がる道筋をつけよ』という言葉だった。
この街で育つ子供の誰もが口にする夢”貴族成り”。
その方法はいたって単純で『異界探索を通じて街へと貢献し、その功績を貴族に認められる』というものだ。
しかしながらその実態は杳として知れず、ある程度の実績を積み、貴族への目通りすら叶えられるような大企業となってようやく、その果てしない道のりの末端に足を掛けることが出来る。
だがその大企業への階梯すら閉ざされているというのがこの街の現状だ。
代表の代替わりに耐えた創業百年を超えるような企業が、四つある職業訓練学校から排出される人材の優秀とされる者から順に優先的に吸い上げていく仕組みとなっているからだ。
もちろん零れ落ちた者達を掬い上げた中小企業の成り上がりもあるにはあるが、それらも結局は『北二区』か大企業の組織力の前に停滞する。ここに集まった小規模事業者達など言わずもがなだ。
『うぃーすはいよーおーうさっさとしれー』
と全く揃わない返事に僕は苦笑いを噛み殺して頷きを返す。
自身の探索者としての適性の無さから中小企業にすら採用を断られ、将来に絶望し、ただ運よく『鹿鳴』の従業員として拾って貰っただけの僕には、全くの興味も関係も無い話であった。
それが、何の皮肉か……その店と繋がりを持つ貴族に直接声をかけられ、見えない不安に苛まれ、その使用人に有閑貴族の遊びだ、と諭された僕には断ることの出来ない話でもあった。
そんな僕が財務貴族の次男アルフォンス様へと提案したのは、貴族資本による複数会社の経営統合案だった。
「本日も『東源樹林』でお願いします。昨日ご報告頂いた感じだと、南側に中堅企業が利用する宿営地がありそうですね。そこまでの順路の策定を第一目標として、『実芭蕉』の採集をお願いします。だいぶ慣れたと思いますが蟲の魔物には注意してください。あとは―――」
変わることの無い現状に対して、知恵と数と経験の集積を金の力で支えてそれらを越えようとする試みは、窮屈な人生と退屈とに苛まれる貴族家次男の琴線に触れた。それも一家に留まらず。
この試みが始動して未だ一月しか経っていないにも関わらず資金援助を申し入れる貴族家は既に四家を数えている。
お陰で資金は足りないどころかダブついている状況だ。
現在『鹿鳴』にある礼金の束を見れば北一区にある大企業の代表であっても恐らく卒倒するだろう。
「―――そんなものですかね。他にご意見ご質問あればお願いします」
「『極彩大嘴』はもういいのかよ?」
「えぇ、もう満足されたようですよ」
「ちぇっ」
貴族の”おねだり”に振り回されるのはゴメンだと一番に声を上げたのが、このレグさんだったから、ようやく解放されたと喜ぶならまだしも、不機嫌になる理由が浮かばなかった。
その様子に疑問符を浮かべているとリオネルさんがそれに応えてくれる。
「コイツのところだけ狩猟士がいないからな。どうにか倒せないかと、ここのところ色々やっていた」
「あぁ、なるほど。ですが―――」
「わぁってるよ。『そういう人材の不均衡を無くすための取り組みです』だろう。聞き飽きたわ」
「であれば、良かったです」
「拗ねるな拗ねるな」
「お前はさぞ気分がいいだろうな」
「あぁ。矢弾の補充を気にしなくて良い日が来るなんて、思ってもみなかった」
「……装備更新の恩恵に踏破域の更新までしてんだから腐るな。それに―――」
「『特性の違いがでるのは当然、それぞれが活躍できる場面は必ず訪れる』だろう。聞き飽きてるっつーの」
アルフォンス様からの賛同を頂いて直ぐに着手したのが、彼等の装備の更新と他社との共同狩猟の慣熟だった。共同狩猟に関しては以前から何度か提案したこともあったが、本格的に組み始めると粗も見つかる。これらに一月弱の時間を掛けて探索行に注力し始めたのがここ数日の話だ。
『その日を生き抜くための狩猟』からは脱却したものの、踏破領域を拡大するための、自身と社員の成長を促すための、あるいは経営規模を拡大するための、活動にまで至ることが出来なかった彼等にその猶予と機会を与えた。
そしてそれに対して貴族の要望に叶う猟果を持ち帰ることで見事に応えたのが彼等だった。
「ご協力感謝いたします」
「けっ」
四人の中では最年少になる『夕刻乃豹』のレグさんに皆の生暖かい目が注がれるが、当人は気付いていない。
現在定めているのが、『東源樹林』の宿営地への順路確保。
これが叶い野営込みでの狩猟が安定すれば、この取り組みに乗ってくる企業も増えるだろうと予想している。『異界で一日を過ごすことが出来るか』というのは探索者にとって、一つの指標であり象徴でもあるからだ。
いくら効率的に稼ぐことが出来ても『じゃあお前異界で一晩明かしたことあんのか?』の問いに窮するような探索者は低く見積もられる。いつか店に来た客が『異界で食う飯は美味い』なんて言っていたこともあったが、あれも遠回しな示威行為だ。
「それでは、今日も『安全第一、命を大事に』よろしくお願いします」
――― ――― ―――
僕のお決まりの一言にそれぞれに応じて異界へと発って行った。
勘定台に立つセリスも彼等を愛想良く見送った。
「おつかれ」
「セリスもお疲れ様。素材は?」
「ナシ。二組とも魔石だけだった」
「ん~……下振れかぁ」
「しょうがない。ベルンさん達に期待」
「無理されても困るんだけどね」
一時的に五組分の売り上げが下がったが、ここ数日で持ち帰った『極彩大嘴』の余剰分で大分取り返してはいる。
一次目標が違うとは言え、今後の彼等の猟果にも期待は出来るし。
『鹿鳴』にとっても実利があるこの企画設計は個人的にも誰かに自慢したいところだった。
「アルフォンス様はこれで満足?」
「してはないだろうね。けど自家の使用人を潜り込ませるよりは明らかに効率的だし」
元探索者のクルードさんに声掛けしてたのも実は、この構想を思い描いていたのでは?とすら思う。
それほど貴族からの援助は円滑だった。武器防具等の装備品の入手なんかは『鹿鳴』主導では、掛かる時間も、用意できるものの質も数段劣ったものだったろう。
ただ、この取り組みの到達点に本当に”貴族成り”が待っているか、というと甚だ疑問ではある。
結局は貴族たちが認めざるを得ないほどの利益を齎すナニカを異界から持ち帰ることが出来るかどうかは水物だからだ。
まぁそれを言ってしまえば、探索者全体に言えることでもあるけれど。
所詮は有閑貴族の遊びっていうこと?
まぁ、この取り組みで得られる利益や権利の分配なんかは全てアルフォンス様に任せだ。
あくまで主体はアルフォンス様で、僕は現場の指揮と采配を任じられただけ。
どこまで本気か分からないけれど、この取り組みがどれだけの成果を挙げようとも僕個人としては貴族のごたごたに巻き込まれることが無いようにお願いしてある。
貴族への直接取引なんかが増えればアレだけれど、財務貴族であるアルフォンス様が、それを許す筈は無いし『鹿鳴』としては素材取引所として機能していればそれで充分なのだから。
あくまで僕が付き合うのは有閑貴族の遊び。
つまりはご機嫌取りであって、遊びに実利は求めない。
副次的に利益が出ているのはあくまで結果論であって、究極的には貴族たちの『鹿鳴』に対する覚えが良ければそれで良いと思っている。
カランカラン―――
そんなことを考えていた矢先になった来客を報せる小鐘の音。
『いらっしゃいませ』
と声を揃えた先に姿を見せたのは『鹿鳴』の常連客とも呼べる『旭燕』のレルドさんだった。
ちなみに『旭燕』には企画の声掛けはしていない。
あまりにも力量が足りていないためだ。
「よう、ロウ……っと、今日の勘定台はセリスちゃんだったか!」
「毎度ご利用ありがとうございます」
「へへっ。今日はスゲェぜ―――ほれ」
「『盲兎』二体、魔石―――十個」
「『粘土鳩』ナシ……ウサギ狙いにしたんです?」
「おう、俺の勘が囁いてな!」
「……流石ですね!」
と調子を合わせてみたものの、内心は微妙だった。
店的には利鞘が大きいが、探索企業としてはどうなんだという采配だ。
確かに一月振りの『東乃原』の乾季だし『盲兎』を狙いたくなるのは分かるけれど、『粘土鳩』を一切捨てての狩猟はあまりにも博打が過ぎる気もする。
「計165枚でいかがでしょうか?」
「おう、セリスちゃんの見立てで構わんぜ!」
まぁ、何を言おうと結果が全て。
それに勘なんて言いながら、何か確信があってのことかもしれない。
それを他人に易々と明かす馬鹿もいない。
普段は一日中狩りをして、夕方頃に訪れる『旭燕』を見送ったところで、午前の客足はパタリと途絶えた。
少し前まではこの時間帯に昼ご飯の総菜を片手に帰って来るクルードさんを迎えていたが、ここ最近では品出し整理を行う方が、昼食の買い出しに行くのが常となっている。
「何かご希望は?」
「おまかせ」
「はいはい。じゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい」
セリスは葉物野菜や碧蜜林檎を頼まなくなった。
それは、言わなくても僕が買って来るからなのか、言わなければいけない人が居なくなったからなのか。
それを話題にすることは、未だ僕には出来ない。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
定休日制度を導入してから何度目かの休日。
東から昇る陽の光を浴びながら街の中心部、白亜の城を覆う周遊道を僕は一人で歩く。
セリスは一人、店に籠っている。
いや、出掛けているかもしれない。
どちらにせよ、しっかり休日を取ってくれているだろう。
一方僕の方は休日なんて言いながら、アルフォンス様との”お付き合い”が本格化してからは、有名無実化していた。
今日、向かう先は教会の聖坐。
目的はクルードさんのお見舞い、というか治療への協力だった。
というのも、先月クルードさんをカルプさんの協力のもと聖坐へと預けた数日後に手紙が届き、そこに治療への協力依頼がしたためられていたからだ。
送り主は僕が両腕の骨折時にお世話になったキャロルさんの上司、シスターレミリアだったのだから猶の事、断る理由が無い。
ここを退院した日には、二度とお世話になることなんて無いだろうと思っていた立派な建物。
城を囲む施設群の中でもひときわ清浄な印象を抱くのは、単にそういうものと認識しているからか、あるいは白亜の壁面が静かに空を受け止めているからか。広い間口を取った玄関の両脇には高い柱廊が連なり、正面中央の屋根部分は円塔となっている。
城とは異なる荘厳さと清浄さを併せ持った外観を目に入れる度に何度となく思い起こす。
あの日、僕を『鹿鳴』へと招き入れてくれたクルードさんを、今は僕が『鹿鳴』から訪ねているという不思議さ。
今日もまた同じ思いを心に浮かべながら僕は、その玄関を跨いだ。
――― ――― ―――
真っ白な屋内を歩き、訪れたのはクルードさんの病室となっている四〇四の部屋。
―――の隣にある、治療の経過やその方針の説明を受けるための前室。
蜂蜜色の髪に白い肌、若木を思い起こさせる薄い茶色の瞳。
端的に言って美人さんなシスターレミリアと手短に挨拶を交わして直ぐに本題へと移る。
「概ね経過は良好です。体調という意味では何も問題は無いですし、日常生活に於いても排便や食事の介助に羞恥や感謝を口にされるようにもなりました」
「そうですか。順調そうで良かったです」
簡潔な報告にそう返しながら頷きを返せば、向こうもそれを見て言葉を続ける。
「また現状のご自身の不甲斐なさを嘆く、あるいは体力の低下を自虐するなど認知的再評価、心理的回復の傾向が見られ始めたので、これを促すため軽い運動をご提案しました」
何やら専門的な言葉が飛び出したけれど、話の腰を終わらに様に頷いて続きを促す。
「やはり元探索者の方ですね。無気力感と鬩ぎ合いながらも、歩行運動や柔軟体操を始めています」
と柔らかな笑みを浮かべながら嬉しそうに話すシスターレミリアが続ける。
「ロウさんとの面談も奏功しているかと存じます。治療へのご協力ありがとうございます」
「少しでもお役に立てているのであれば、嬉しいです」
「一方で、精神疾患の原因と思しき娘さん、セリスさんとの面談は未だ時期尚早だと我々は判断しております」
「それは残念ですが、しょうがないですね。根本的な部分かと思うので、その判断はお任せいたします」
ふぅ、と互いに一息ついたところで脇に控えていたキャロルさんが声を上げる。
「時にセリスさんの方はお変わりありませんか?」
過去にヒースやクルードさんをして、女の子と誤認させた浅黄色の髪と瞳を持つ”禰宜”という職に就いた少年が発したのは、場の空気を変えるような明るいものだった。
少年と言ってもキャロルさんは僕の一つ上なのだけれども。
「お気遣い頂きありがとうございます。自分は会わない方が良い、という言葉は変わらないですね。クルードさんの話題を持ち出した時に少しだけ落ち込んだようになるのも変わらずです……素人の見立てで恐縮ですが…」
「何を言ってるんです。顔も合わせたことの無い専門家などより一緒に住んでいるご家族の方が、お気持ちを理解できている筈ですよ」
そう僕を励ましたキャロルさんの言葉を継いでシスターレミリアが口を開く。
「ともあれ、日常生活に少しでも違和感を感じた際には早めに受診を。聖坐が遠いようであれば……」
「『鹿鳴』さんであれば第十五位教会が最寄りですね。既にご連絡はしております」
キャロルさんは以前僕が治療を受けた時よりも断然ハキハキとして自信に満ち溢れたように見える。
レミリアさんの部下、という事実は消えないのだろうが遠慮みたいなものが消えているように感じた。
ちらりとそんなキャロルさんをみたシスターレミリアが、一息ついて言葉をつづけた。
「……とのことですのでお気兼ねなくお尋ねください」
「はい、お心遣いありがとうございます」
「骨を継いだ間柄なんだ、遠慮せず頼ってよ」
「キャロル」
「はい!失礼しました!」
そしてそんな風に調子に乗ったキャロルさんを窘めるシスターレミリア。
こういったやりとりは僕が入院していた当時にもあったけれど、治療の協力ということでここに通うようになってからは以前にも増して友好的だし、こちらの内情にも随分と踏み込んでくるようになった。
最初はそんな様子を訝しんだのだけれど、直ぐにそれも察して事情を説明してくれた。
初めて聞く精神障害という耳慣れない言葉と、心の病という詳細な説明、それから具体的な治療方針を説明されて大いに納得した。
が、同時にこちらの表情や雰囲気を察してあらかじめ用意していたのであろう専門的な内容を説明する姿に空恐ろしい感じも覚えた。
”禰宜”という天職を授けられる人間というのは、こういうモノかと”恐れ”というより”畏れ”という感じだ。
そんなキャロルさんによって和らいだ空気が漂う前室で、軽い雑談を交わした後にクルードさんに会いに行った。
――― ――― ―――
変わらずの赤茶の髪と髭は、きっとどちらかが整えてくれているのだろう。
店に立っていた頃と変わらない。
「お久しぶりです」
「……おぅ」
久しぶりに聞くぶっきらぼうな返事。
会うたびに以前の、僕の知っているクルードさんに戻っていく姿に、目が熱くなった。
早くセリスにも顔を合わせて欲しいと願ってしまう。
が、内心のそれを隠して、出来るだけ平坦に会話することを心掛ける。
キャロルさん曰く、そういった期待も”プレッシャー”と称する感情に置き換わるらしいから。
「そういえば、お話ししましたっけ?以前地下で鉢合わせた燻り探索者のお三方の話」
「……いや、聞いてねぇな」
「ですよね。良くなったらまた教えを乞いたいと皆さん仰られてますよ」
「……そうか、悪いな」
「本当ですよ、お陰様で定休日は殆ど地下行きです。今日もこれからですよ…」
「……それは、行っとけ。力付けといて損はねぇんだ」
「えぇ、計画の方も肉体言語が必要になるかもしれませんしね……基本セルク家頼りですけど」
「あぁ…」
「そうそう、計画と言えばこの間―――」
前室で相談した、遠からず・近からずな内容を選び雑談をする。
名目上も実態の上でも治療という形ではあったものの、人生の恩人とも言える相手と話を出来る時間を僕はとても嬉しく感じた。願わくば早くここにセリスも加わって欲しい。
――― ――― ―――
――― ―――
―――
レミリアさんの合図で四〇四の病室をお暇したところで明るい声が掛かる。
「お疲れ様」
言いながらキャロルさんはその手に持った水を一杯差し出してくれた。
このやりとりも、最早お決まりのものとなっている。
「お疲れ様です。―――っふぅ、ありがとうございます」
「いやいや、こちらこそ治療にご協力頂いてありがとうございます、だよ」
毎回こうやって労ってくれるのにも本当に頭が下がる。
「今日も気分転換に話に付き合ってもらっても良いかい?」
「えぇ、もちろんです」
だからキャロルさんとの雑談に付き合う程度、なんてことはない。
むしろ博識な彼から齎される色々な四方山話は、僕自身が楽しみにしているくらいだ。
「ありがとね。と、ごめんねを同時に口にしなきゃいけないんだけれど……」
「どうかしましたか?」
「いや、前室で伏せてた……さっきの治療中にクルードさんと話してた”計画”とか”肉体言語が必要”とか言ってたのが気になって……もちろん言いたくなかったら良いんだけど、あまり危険なことをするのを、医……”禰宜”として見過ごすのもどうかなって思ってね」
あぁ……少し言葉が乱暴だったかも。
別に隠しているつもりはないんだけどな。
もう知られて困ることでもないし。
「すみません、確かに物騒な物言いでしたね。”計画”というのは『鹿鳴』の商売の一環でして、今お世話になっている貴族家の戯れで、新しい事業を始めたところなんですよ」
「へぇ……興味深いね」
キャロルさんは”啓徒”という立場にありながらも、”従民”ごときの商売話なんかも面白がって聞いてくれる。まぁ”貴族”が関わっているから、かもしれないけれど…。
それでも医療の専門用語の解説から空想小説の感想まで付き合える知識の幅と深さには、こういう性格が関わっているんだろうなと思う。
「『鹿鳴』が店を構えている街の東側、東門の先に在る異界は食糧供給という面で優れてはいるんですが、既に未踏域は無いとされていて、ここを狩猟場にしている企業は他の門を狩猟場にしている企業と比べると、どうしても色々な面で一段劣るのは否定できないんですよ。もちろん食料供給という面では彼等の存在は意義深いんですけどね」
「うんうん。『王出地の追従者』ってヤツだね」
相槌にすら教養を感じる流石キャロルさんだ。
「そうです。この街を創り上げたという『王』のそんな名誉も歴史もある東門なのですが、次代の流れの皮肉、と言えばそれまでなのですが、良くて中堅、大半は小規模や零細と呼ばれる企業が勃興を繰り返すような状況が常態化してしまっているんです」
「北とは真逆ってことだね」
「えぇ。ある意味で北の受け皿にもなっているといえますが……まぁそこで考えたのが、貴族主導による小規模企業の経営統合、企業合併計画なんです!」
僕の言葉に目を丸くするキャロルさん。
アルフォンス様以来の感じだ。
ちょっと気分良くなってしまう。
「この計画の肝はどこか特定の会社の誰かを代表に選出するわけではなく、彼等を最小単位とした組織として保持、その長に貴族を立てて組織を再編し運営することなんです。肉体言語が好きな人の集まりですからね、完全に彼等を解体して再構築なんて容易には上手くいきませんし、それで上手くいった企業は南や北に拠点を移していきますから」
「……なるほど、考えたね」
「はい!まぁ貴族が直接彼等の陣頭指揮に立つわけにはいきませんので、そこに『鹿鳴』が介在するんです。我々が貴族から資本や経営方針を受け取って、それを彼等に適当に配分、指示出しをし、異界での成果を回収、貴族へと還元する―――」
「それを新たな原資に更に投資を重ねてその規模を大きくしていく、と」
「そうです!個人的に助かるのは貴族側の資本を、とある……というかセルク家ですね、クルードさんの入院でお世話になった家です。彼らが貴族側の投資と利益の差配をとってくれるお陰で、こちらは御用聞きに徹して目標設定と指示出しをするだけで、これまでよりも効率的に狩猟を行ってくれる探索者の数が増えるんです!」
熱くなってしまった自分を自覚したところでキャロルさんがボソリと呟いた。
「……株式会社か」
「カブシキ?なんです?」
「あぁ、いや、なんでもないよ。面白い考えだね。上手く行ったら街が変わりそうだ」
「あはは、流石に街を変えるなんてことにはなりませんよ」
その後もキャロルさんの話を聞いたり逆に僕の話を聞いてもらったりしながら時間を過ごした。
このあと地下に顔を出さなければいけないという憂鬱を乗り越えるための気持ちを十分に整えて貰ってから、僕は聖坐を後にした。
<つづく>




