018
第十八話よろしくお願いします。
はじめて自分のための服を縫った日のことを覚えています。
誰かに教わりながらではなく。
想像を膨らませ、型紙を切って、布を裁ち、縫い順を考え、ほどき、やり直し、最後までひとりで仕上げました。
出来栄えは決して上等とは言えませんでしたが、袖を通した瞬間、不思議な静けさが胸に満ちました。
うまく縫えたからではなく、自分の手で決め、自分の手で責任を持ったという感覚が、布越しに伝わってきたのだと思います。
裁縫は、ときに孤独な作業です。
針を進めるのも、間違いに気づくのも、解くと決めるのも自分しかいません。
けれど、その孤独は冷たいものではなく、少しずつ足場を固めていく時間です。
そして誰かの言葉に支えられながらも、最後の一針を打つのは自分。
そこに小さな自立の芽が宿ります。
布は正直です。
急げば歪み、怠ればほつれる。
けれど丁寧に向き合えば、きちんと応えてくれる。
人生もまた同じでしょう。
自分の歩幅で進み、自分の選択を縫い合わせていく。
その積み重ねが、やがて身体に馴染む一着のように、揺るがぬ輪郭を与えてくれるのだと、私は信じています。
『楽しい裁縫』著・クレイスト=ファビアン
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ガッ!―――
「……いっ!」
後頭部に刺さった硬い何かの感触に、端的に言えばその刺すような痛みに、目が覚める。
半身を起こしてその原因を振り返ってみれば、見慣れた寝台の上に見慣れない小箱。
何だこれ、そう思いながら痛む後頭部をさする。
ジクジクと痛む頭に、やけに重く感じる腫れ上がった瞼、それにグチャグチャになった寝台を見れば何があったか直ぐ思い出せる。
「またやってしまった…」
思わず呟き、自己嫌悪に陥る。
ついこの間、やらかしたばかりだというのに。
後輩相手に醜態を晒した。
しかも今回は素面で。
恥も外聞もなく泣き散らかした。
「挙句、そのまま寝落ち…」
部屋に入ってくる光は既に朝方のそれだ。
普段よりかは幾分か早い。
もうそろそろ五の鐘が響いてくる頃ではないだろうか。
今の時分に起きると、事務方や新人に迷惑がかかりそうだが―――
「顔洗いたい……口も気持ち悪いし……」
不快感を声に出すことで気を紛らわしながら、今日も朝の柔軟体操を始めた。
――― ――― ―――
『おはようございます』
「おはよう」
サッパリとした気持ちでいつもより半鐘早く食堂に入る。
普段よりもゆっくりと丁寧な動作を心掛けたものの、結局は口内の不快感に抗う事が出来ずに共用のお湯場に向かい、二つ下の食料班の後輩に『今日は早いですね』と声を掛けられた。
有難いことに泣き腫らした顔には触れられず、なんとかいつもの強面に戻った。
私を見て食べる速度を上げた後輩を見て、申し訳なさが立つ。
が今更である。
心の中で手を合わせながら配膳台に向かった。
「おはよう、いつもより少し多めに頼めるか?」
『あら、もうルカさんの時間?』
「すまん、少し目覚めるのが早過ぎてな」
『あぁ~、そういう日もありますよねぇ。ちょっぴり多め承りました!少々お待ちを!』
今日の朝餉膳は
藻藻木耳湯
迷彩豹の乾肉と翠豆の蒸し焼き
碧若布と青菜の煮浸し
足長苔と長芋の酢和え
稲米と黍と小豆の強飯
使われている食材の大半が食料班が『緞藻樹海』で獲ってきたものだ。
ここ数十年間で大分進んだ北の異界だが、食物に関しての税関審査は大分緩い。
街が豊かになり食料が飽和してきたことの象徴だとも言われているが、実情はどうだか。
貴族のみぞ知る、というヤツだろう。
「ルカ班長」
と手を挙げ私を呼んだメアリの方へと足を向ける。
一緒に居るのは三年目の同期三人組。
皆、私の班員、魔石班だ。
「邪魔をする」
「いえいえ」
「昨日はお疲れ様でした」
「カレン無事だったそうでなによりです」
着席早々にメアリがそう口にした。
「あ、死ななかったんだ」
「よかった。ルカ班長が教導に付いてくれたり、今年のは本当に運がいい」
「やめてくれ、私の立つ瀬がないだろう」
本当に勘弁してほしい。
「何言ってるんです。あの場に居た全員の油断―――いや、カレンだけは気を抜いてなかったってことですね」
ゆっくりと一口ごとに味わいながら食べるメアリを余所に、食後の一息をついていた二人は軽快なお喋りを続ける。
「ルカ班長のお説教の後だったからね」
「あはっ。確かに。いつものあの子だったら一緒に緩んでたかも」
「そういう意味では、班長の危機管理は適切だった?」
「やめてくれ。新手の先輩いびりか?」
残った米粒を湯で飲み下して、そう口にする。
「いえ、だってあの後、ルカ先輩酷かったですもん」
「ね?何とかアタシらで誤魔化したけどさ」
そんな私に対してやれやれ、とでも言わんばかりの態度だ。
やらかした班員に対するこういった態度は年功序列無く許される。
こういった慣習は『百日紅』に限らないだろう。
「ふふっ。ルカさん今日は街を出るまで大変ですよ」
「あぁ……既に充分、憂鬱だよ」
この子達の、いや、私達、探索者の命は、とても軽い。
それは、たった三年で同期の数を半分に減らしたこの子達に限った事ではない。
弟の死を未だに引き摺っている私が異常なのだ。
”人はいつでも突然に死ぬ”
その教えだけが、いつまで経っても、身に付かない。
あるいは距離感もあるのかもしれない。
”死”というものに対する距離感。
なぜなら私の同期も既に二人、私を含めても三人しかいないのだから。
その二人とは新卒の配属分け以降ほとんど顔を合わせていない。
亡くなっていった同期も、いつの間にか居なくなっていた、という感覚に近い。
私が運よく配属された探索班は『百日紅』の本当に上澄みのみで構成される。
その分、挑む危険も多いのだが、それ以上に死というものからは縁遠かった。
最期の一つだけ、未だに身に付かない程に。
「それじゃあ、お先に失礼します」
「また前庭で」
「あぁ、遅れるなよ」
「はぁ…今日も美味しい朝餉……幸せでした」
「ほらメアリ、浸ってないで。アンタただでさえ食べるの遅いんだから」
「あぁ……幸せの余韻が…」
あの子達は、どう受け入れているのだろうか。
日常にまとわりつく”死”というものを。
なんて、新卒のようなことを思いながら、仲良く食堂を出ていく姿を見送った。
――― ――― ―――
昨日と変わらぬ言葉を交わして膳を下げ、姉の教えを指折り数えて部屋に戻る。
まだまだ時間に余裕はあるが、呆けていても仕方がない。
早めに前庭に出て、大人しく後輩の玩具にでもなろう。
昨日情けない醜態を晒したお陰で、今日も変わらずにいられる。
キーラには感謝しなくてはな……特別に扱いてやろうか。
などと考えながら棚から取り出した装備品をいつも通り寝台に放った。
カコッ―――
と普段にはない硬質な音に寝台を振り向いた。
寝台の上に転がる、銀の腰当と銀の胸鎧。
そして、その横にある見慣れぬ小箱。
「あ…」
寝起き様に私の頭を喰らった憎き小箱だ。
小盾とレイピアを寝台に置いて、代わりにそれを持ち上げる。
「これ」
良く見れば覚えのある……と言っても遠い昔の、とても懐かしいそれ。
色とりどりの布と糸、そして怖い魔物から獲れるという針とが、収まったそれ。
母は祖母から、祖母はその母から。
そうして受け継がれてきた我が家の玩具箱。
幼い日の、私達にとっての宝箱。
カポッ―――
独特の、中の空気が抜ける音。
裁縫箱から古着の臭いが広がった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
そこはお店の奥。
勘定台の裏側。
狭苦しい、いつもの場所。
そこにいるのは繕い物をしている母。
中々客の入らない古着屋の趣味と実益を兼ねた手慰み。
膨らんだお腹を丁度いい机代わりに、淀みなく手を動かしている。
針山に刺さった何本もの細い細い針。
魔法のようにどこからかフワッと宙に飛び出す糸。
それをぱっと掴んでクルクルと巻いて、サッサッ、スススッと針を動かす。
その動きに魅入られている私。
「ルカ。やんないならあっちいって!」
それを邪魔する幼い声。
「やる!」
そしてそれに反発する私。
幼い日のラナと私が、母の左右の膝を挟んで喧嘩している。
手元には子供でも持ちやすい太い針に、宙を舞いそうも無いほつれた糸、そして母が用意してくれた色柄だけは豊富な襤褸切れ達。
”お手伝い”という名前のただのごっこ遊び。
大好きなお母さんの傍にいるための、ごっこ遊び。
「できてないでしょ!」
「できる!」
決して縫い針には使えない太さの針を見よう見まねで動かす私。
けれど、そこに大きな穴は開いても、糸は通らない。
「ちがうよ!ぜんぜんできてない!」
小さな穴だらけの襤褸切れを指差してラナが言う。
「ちがくない!」
そしてそれに反発する私。
小さな頃の一歳の違いはとても大きくて。
この頃の姉は……ラナは、そういえば少しだけ意地悪だった。
「二人とも喧嘩すんなら二階いってな!」
「……ごめんなさい」
「……」
母の言葉に素直に謝るラナと、むくれる私。
この頃の私は……ルカは、今も変わらず、不器用な頑固者だ。
『……』
繕い仕事に集中しているお母さんと
涙をこらえているラナと
叱責など気にもせず自分勝手にむくれるルカと
家族三人で作った静けさは暫く続いた。
スッスッ―――
サササッ―――
ッ―――
衣擦れと、針と糸とが布を紡いでいく音と、用を成した針が針山に戻ってくる微かな音。
私を魅了する淀みない綺麗な動き。
フワッと宙に飛び出す糸。
パッと迷いなく摘まむ指先。
クルクルと廻る手首。
ユラユラと波打つ、布地と、針と、お母さんの手。
そうして気付けば縫い上がっていく艶やかな布。
その光景に夢中になった私の身体は勝手に動き出す。
フワッとして、パッとやって、クルクルして。
スッって通す。
フワッとして、パッとやって、クルクルして。
スッって通す。
―――そして沈黙が破れた。
「あぁ!!」
とラナから上がった悲鳴で気付く。
その右手に持った太い針が、母の仕上げている外套の裾を貫いていることに。
バッ!―――
と裾を刺さった針ごと乱暴にたくし上げた動きから、
淀みも迷いもない動きからはかけ離れたその姿から、
私は思わず目を背けた。
「……っ!」
小さく息をのむ音が聞こえた。
それは良く目を凝らさなければ分からない程の小さな穴。
それでも、まるで縫い目なんて見えない、お母さんの仕事を台無しにするには大きな穴。
『……』
三人家族の間に戻って来た沈黙は、とても長く続いた。
少なくとも私には、とてもとても長いものだった。
「ルカ」
叱責でも、慰めでもない静かなお母さんの声に、私の視界は歪んだ。
「ルカ、こっち見な」
言いながらお母さんは両手で頭を押さえて無理矢理に私と目を合わせる。
けれど涙で滲んだ目の前に、その顔は見えない。
怒っているのか、悲しんでいるのか、それとも失望を浮かべているのか。
「ルカ、やったことには責任ってもんが生まれる」
とめどなく、次から次へと、頬を伝う涙。
それをお母さんは固い指で拭いながら続けた。
「わかるね?」
「う”ん”……」
「言う事は?」
「ごめ”ん”、なさい”…」
「よし」
そういうとお母さんは両手で私の頬っぺたをギュウ、ギュウ、と潰して弄ぶ。
そして、少しだけその感触を楽しむような声で言った。
「いいかいルカ、お前がいくら泣いてもね、この穴は塞がらない」
そしてボフリ―――とその大きなお腹に抱き寄せた。
「けどね」
触り心地の良い布地と少し張りのあるお母さんのお腹。
「こうしてお前の鼻水を拭くことぐらいは出来る」
「う”ぅ”ぅ”ぅぅ……」
「でもお母さんコレ―――」
ボフリ―――お腹の反対側から届く優しい波。
「ラナは賢いね。大丈夫。布ってのはね、ダメになったと思っても、いくらでも使い出があるもんだ」
頭に感じる固くて優しいお母さんの手。
「縫ってもいい、裁ってもいい、繕ってもいい、染めたっていいし、汚してもいい」
私を魅了してやまないお母さんの手。
「あんたらも一緒。こうやって手伝ってくれていいし、外で遊んでたっていいんだよ?大きくなったら、カッコイイ探索者になったっていいし、お母さんみたいに古着屋になったっていい」
心地良く頭を行き来していたその手がふっと離れた。
「ラナは将来、何になりたい?」
「お母さん」
「くはっ!それはいい夢だ。絶対叶うよ、絶対だ。お前はお母さんに似て美人だからね」
そう言って嬉しそうに笑ったお母さんは、お腹に埋まった私の顔を上げさせる。
お母さんの硬い両手が私の頬っぺに戻ってくる。
「ルカは?ほれ、ルーカーは?」
そしてムニムニと弄ぶ。
そんな、されるがままの私を見てラナが言う。
「ルカ?ルカは何になりたい?」
「きしさま…」
「くはっ!それもいい夢だね。なんせお母さんも元は”騎士”だったからね。きっと叶うよ」
トン―――
「あ!」
「お?」
「?」
「ルカ、お母さんのお腹こうしてみな」
「こう?」
トン、トン―――
「ロアン?お前は何になるのかね?」
「ロアンっていうの!?」
「あぁ、今決めた」
私とラナと自分のお腹とをいっぺんに撫でながらお母さんはそう言った。
「ろあんって?」
「弟だよ、あたしとルカの弟!」
「おとおと…?」
「妹だったらローラかね」
「えぇ!?弟がいい!」
「お母さんの勘は弟って言ってるけどね、さーってどっちかな?」
「弟!弟!ぜーったい弟!」
「おっとおと!おっとおと!おっとおと!」
楽しそうに話すお母さんとラナが羨ましくて、私は姉に教わったばかりの言葉を繰り返した。
お客さんが来て、お母さんが立ち上がるまでずっと、笑い合っていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
コンコンコン―――
と部屋の扉を叩く音に我に返る。
「ルカ先輩!キーラです!おはようございます!……ルカ先輩?」
「応えてないぞ……」
既視感のあるやりとりだ。
「えへへ。すみません。さっき廊下でメリア姉とすれ違って」
「何の用だ?」
「あ、すみません……その小箱の、回収に…」
そう遠慮がちに私の手元の裁縫箱を指差しながら言った。
ぽふぅ―――と中から空気が抜ける音をさせながら、私は裁縫箱の蓋をギュッと閉じた。
「これ、古着屋から持ってきたのか?」
「はい、すみません。それマルゴさんから孫に渡すもんだって言われたんですけど…」
「……はぁ、なんて言って持って来たんだ…?」
「そのぉ……まだお子さんが必要としてます、と……」
「はぁ……またあの母に対する弱みが増えた」
「すみません…」
厭らしく笑う母の顔を幻視する。
思い出の中とは大違いだ。
それに―――
「口だけの謝罪はやめろ、不愉快だ」
コイツのニヤけ顔も。
「えへへ」
イタズラが上手くいったかのような、まだ、あどけなさの残る笑顔。
本当にコイツは
「お陰で大事な事を思い出せた。ありがとうキーラ」
大したヤツだ。
――― ――― ―――
いつまでもニヤニヤと笑う後輩に裁縫箱を押し付けて、手早く着替えを済ませた私は、廊下を歩く。
いつもより少し、大股で。
いつもより少し、軽快に。
少しくすんだ白に、薄淡い紅色で描かれた華が続く廊下。
左に折れてつづら折りになった階段を二段飛ばしで昇っていく。
辿り着いた部屋の前で、少し上がった息を整える。
コンコン、ガチャリ―――
「代表、失礼します!」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「なにを、やってるんだ?セリス」
同じ言葉を繰り返したお父さんに、私は観念して身体を寝台から起こして、その顔を見た。
怒っているような、戸惑っているような、見たくないような、悲しいような。
そんな、良く分からない顔。
「探してた」
「なにを?」
少し考えて最適な言葉を探す。
「……記憶」
「また……分けわかんねぇこと…」
けど、それはお父さんには伝わらなかった。
「……」
「なぁセリス」
「なに?」
「お前は今、いったい何を考えてんだ?」
何を?
ロークを、記憶を、見つけたい。
それがお父さんを―――
「俺はお前がわからねぇ……」
私もお父さんが分からない。
なんでいつも私の話を聞いてくれないのか。
なんでそんな泣きそうな顔をしてるのか。
「何でミニーと俺が再婚したらいいなんて言った?アイツのことはどうでもいいのか?」
そんなことない。
お母さんは大事。
だけどお母さんはもういない。
けどお父さんは―――
「何でお前は話さない?笑わない?怒らない?いつまで俺がお前に合わせた適当を続ければいい?」
そんなことない。
いつだって、今だって話したい。
怒ってる、悲しい、楽しい思い出だって、ある。
そうやってお父さんはいつだって―――
「何でお前は自立しない?何で戦わない?いつまで俺が護ればいい?」
そんなことない。
もう一人でだって『鹿鳴』を回せる。
それに暴力は嫌だって言った。
いつだって聞いてくれないのはお父さん。
なんでお父さんは―――
「何でお前は……いつまで俺は……一体いつになったら俺はアイツの所にいけるんだ?」
「なんで、何でお父さんは、死にたいの?」
「…………」
知ってた。
いつだってお父さんは私を見てないって。
知ってた。
いつだってお父さんは私の向こう側を見てるって。
知ってたの。
だから、それが、それを、聞くのが……怖かった。
「ねぇ、なんでお母さんのこと名前で呼んであげないの?」
「…………」
答えない。
「なんで、自分が居なくなってもいいようにするの?」
「…………」
応えない。
「なんで、ホントは恐いのに、異界になんて行こうとするの?」
こたえてよ―――
「っ!恐くなんてねぇ!俺は『紅熊』だ!『紅の鹿』の!勇敢な会社の!生き残りの!!『紅熊』だっ!!!」
と思った時にはお父さんが目の前にいた。
顔を真っ赤にして、見たことないくらい必死な顔で。
私の首を、指が二本足りない左手で掴んで。
私を寝台の上に押し倒して。
「……かはっ」
苦しい。
「恐くねぇ!俺は強ぇ!!」
「……くっ」
苦しい。
「恐くねぇ!恐くねぇ!!」
「……っ」
苦しい。
「恐くねぇ!!シィル!!!恐くねぇぞ!!!」
「……」
……。
「おいシィル!恐くねぇ!!恐くねぇぞ!!!返事しろシィル!!」
ドン!―――
世界が揺れた気がした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
目の前に立ちふさがる壁面には、赤、緑、黄、青、黒。
様々な色が無秩序に、しかしながら精緻な縞を成して折り重なっている。
上を見上げれば、同様の壁面に囲われた狭い隙間から灰色の空が僅かに覗く。
地面は当然のように硬質な岩の塊が、理不尽に波打って歩みを阻む。
乾いた風には咽返るような錆の匂い。
ここは『混淆断層』。
『灰塵ノ澱』を越え『緞藻樹海』を抜けた先に広がる硬質な異界。
『百日紅』が挑む異界の最前線。
キィン―――
「ルカ!」
キィン、キィン―――
「おいルカ!」
キィン、キィン、ガッ―――
「おい―――」
「やめときな。あの馬鹿は止まらん」
「しかし代表……」
「大丈夫、死にやしないさ。見なよあの顔、嬉しそうにしちゃってまぁ」
馬鹿とは失礼な……そんなに嬉しそうな顔をしているのだろうか、今の私は?
にしても、柔いな。
レイピアがこんなにも通るとは。
ギィィイイン―――
それに脆いし、
ガッ―――
遅い。
ドン―――
「ルカさんすっげぇ……『金剛甲虫』串刺しってありえねぇ…」
「あぁ……あんた入れ替わりだったっけ?」
「よっく見とけよ~”棘花のルカ”」
やめてくれ似合わない。
っと、上から飛翔んできたのは踵で落とす。
二匹目は盾で壊す。
ガンッ、ガガンッ―――
「ちぇっ……すっかり立ち直ってやんの」
「惜しかったねぇ」
「ま、代表選には関係ナイシ?」
「あははっ。馬鹿じゃないの?あんたがルカさんに敵うワケないじゃん」
「分かってるよ…」
そう落ち込むなカナン、あと三年もすればお前はもっと先に行ける。
現に、以前より大分余裕で魔物をいなしている。
お、今の処理の仕方もいいぞ。
「いや、馬鹿はアレでしょ、どう見ても。そろそろ加護切れ起こすよレナ」
「はいは~い。見てるよ、いちお~」
いや、私はまだいけるぞ?ディーテ。
今日はやけに調子が良いんだ。
こうして、皆の様子が分かるくらいに。
そら、もう一体!
ガキィィィン―――
「代表」
「あぁ、動け」
「はっ、全体!そのまま戦闘継続!”鋒矢”で続け!」
よしっ!
この数カ月の鬱憤晴らしだ!
「【閃貫】っ!!!」
――― ――― ―――
代表室の扉を開け、同時に声を掛ける。
「代表、失礼します!」
「うぉい!応えてねぇぞ!」
そう応えたのは『百日紅』の代表アネッサ、母と同い歳の強面だ。
母を猩々と例えるのなら、こちらは獅子。
私など精々、不機嫌な猫がいいところだろう。
「失礼しました!本日、探索班に復帰させて頂きたく罷り越しました!」
「あぁん!?」
と獅子……アネッサ代表がその眼光を鋭くした。
上背では負けない私は真っ直ぐその視線を返す。
「……ようやくか」
暫くの後、満足したように薄く笑って視線を切った代表の言葉。
どうやらキーラだけでなく、代表にも踊らされていたようだ。
いや、手間とお世話をかけてしまった。が正しいか。
「…………お待たせしたようで、申し訳ございません!」
「ふん、今度は自分の足でここまで来たんだ。もう引き返せないよ」
「問題ありません!」
「……マルゴには言ったのかい?」
「必要ありません!」
そう応えると若干苦い顔をしてアネッサ代表は私の顔を見た。
「……アタシがアイツに文句言われろって…?」
「いえ、私はあの家の子ではありますが、七年も前に出た大人ですので!」
「ふん、男も知らない未通女が何言ってんだか」
「それも不要です!!」
こういう物言いは母もこの人も同じだな。
とりあえず大声で返した。
「……いちいち大声出すな鬱陶しい。それと始末書読んだが、お前は物の書き方を勉強し直せ、せめて文書と呼べるモノを書けるように。これは命令で、新人の身を危険にさらしたお前への罰だ。いいね」
「はっ…」
「露骨に声を落とすな鬱陶しい…」
理不尽な。
「それとカレンな、今朝方目を覚ましたとよ。良かったな、三日間の謹慎は免れたぞ」
「はっ」
酷い話だ。
カレンの命は私が部屋に籠って三日もすれば赦されるというのだから。
本当に、人の命の、軽いこと。
「下で庭の連中に声掛けな、編成を変える」
「はっ!」
返事をして早速、奥の出窓に手を掛ける。
思い切り息を吸い込みながら両開きにそれを開けた。
ガチャリ―――
「おいっ―――」
『ぜんたーーーい!!!!!せいれーーーーーっ!!!!!』
――― ――― ―――
「ちっ……まだ耳が痛ぇ…」
「大丈夫ですか、代表?」
「こういう時、巫女がいりゃ助かるんだけどねぇ……クソ貴族共が…」
「だいひょ~、心の声おとしましょ~」
「ん?あぁレナは耳がいいね。代表選一歩リードだ」
「いや~、もうふつ~に、副だいひょ~で、よくないです~?」
「何言ってんだい。あんたも一遍”魔石班”いくか?」
「えぇ~!いんですかぁ~!?」
「……次はコイツの教育だぞ副代表殿」
「それは荷が勝ちすぎます」
ギィィィイイン!
「あの暴れ馬に手綱を付けたんだ。あんたならやれる」
「無理です。というか綱だけ付いたところで……」
『はぁあああああ!!!』
「アレは止められません」
<つづく>




