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第十話よろしくお願いします。
本庁舎は、夜になると静まり返る。
表向きは。
〇七は、外套の襟を立て、石造りの回廊をゆっくりと歩いていた。
帳簿運搬係――臨時雇いの記録係として、三日前から潜り込んでいる。
足音が反響しないよう、靴底には薄く蛇革を貼ってある。
貴族も御用達の総務省情報局の支給品だ。
高価だが、命よりは安い。
奥の閲覧室に灯りがともっている。
夜半を回ったというのに。
扉の隙間から覗くと、局長補佐の男が、封蝋の押された黒い札束を数えていた。
黒札。
正式な税票ではない。徴税局が裏で流通させている“調整札”。
徴収額を操作し、差額を消すための闇の証書だ。
商会を潰すも生かすも、あの札一枚で決まる。
「東の塩商は、これで終わりだな」
男は笑い、黒札に印を押す。
刻印は徴税局の紋章――の、わずかに歪んだ模造。
〇七は息を殺した。
証拠は、あの刻印だ。
だが視線を戻した瞬間、背後で小さく扉が鳴った。
「こんな時間に何をしている」
振り向くと、巡回の衛兵。
槍の穂先が月光を弾く。
〇七は一瞬で頭の中に描く。
逃走経路、距離、灯りの位置、男の利き腕。
「帳簿の補記です。明朝までに整えろと」
低く、抑えた声。
差し出したのは本物の帳面――だがその紙の間には、術式を刻んだ薄片が挟んである。
衛兵が覗き込んだ瞬間、その一片が淡く光った。
『黒札』著・エリネ=ローディス
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ありがとうございました」
「またのご利用お待ちしております」
朝の波で最後になった客への対応を終えてセリスと二人お辞儀をする。
「あぁ、どうもどうも……」
クルードさんよりも少し老け込んだ感じの男性客は、東門大通りを挟んで向かい側にある横道を少し入ったところにある総菜屋の店主だ。
基本的には『鹿鳴』ではなく、もっと東門寄りにある複数の取引商から素材を仕入れているのだけれど、思ったより量が集まらないと『鹿鳴』にもやって来る。
今月は五回目の来店だった。
カランカラン―――
扉に付いた小鐘を鳴らし忙しそうに店から出ていったその客が綺麗にしていった空き瓶を見てセリスが呟く。
「鼠……切れちゃったね」
「うん、今日は大分仕入れに苦労してるみたい」
『甲殻鼠』の遺骸八体分で占めて札金25枚。
内訳としては綺麗に首だけ落とした”優”が三体で札金15枚、縦や横に断たれた”普”が四体で札金10枚、述懐するのも憚られる有様の”粗”の一体は無料で引き取って貰った。
そもそも『甲殻鼠』を狙って狩っているような探索者は、鹿鳴に卸しに来ないので、その品揃えはよろしくない。
たまたま並んでいた『甲殻鼠』は、その日の狩りが芳しくない時の穴埋めとして狩られたものか、ここ数日の間の新卒組の成果物かのどちらかだ。
後者に関してはもう一月もすれば無くなるだろう。
三日もすれば食材としても売り物にならなくなるから、個人的には買取拒否したいんだけど―――
「おう。もう問題なさそうだな」
義理と人情が何よりの売りである『鹿鳴』の主人クルードさんはそんなこと考えもしないだろう。
『甲殻鼠持ってきてどうすんだよ』そう言いながら、思うような猟果の上がらなかった元同僚達を笑って励まし、初めての獲物を狩ってきた新人達に餞別を送る。
「はい、お陰様で」
「お昼過ぎまで暇になる」
店の奥側―――間仕切りの向こう側から、顔を覗かせたクルードさんに僕は勘定台からそう返して、セリスは不満なのか満足なのか分からない小言をぼやきながらクルードさんの脇を抜けて行く。
「俺がやるか?」
「いい」
鼠が入っていた空き瓶の水洗いという雑務すら奪い合う暇っぷりだった。
――― ――― ―――
『鹿鳴』の従業員として働き始めてから早一月、未だ細々としたコトで躓くこともあるけれど、概ね順調に仕事は熟せているように思う。
クルードさんからの業務説明に始まり、何となく理解できた帳簿の付け方をセリスに教えてみたり、お世話になっている財務貴族の使いの方にご挨拶したり、クルードさんの答えが曖昧だった会計や納税関連の内容をそのお使いの方に伺ったり、キーラが『百日紅』の先輩と一緒にわざわざこっちにまで”鼠”の納品しに来てくれたり、と色々あった。
そしてここ二三日の間は、クルードさんによる最終確認と称して僕とセリスの二人だけでお店を回している。
夜の閉店間際に駆け込んでくる馴染みの探索者の相手だけはクルードさん頼みだけれど、それ以外で店主の出る幕は皆無だ。
その迷惑客の相手というのもその実、客というよりは趣味のお仲間で、僕等は勝手に看板を仕舞い、さっさと寝支度を済ませて、食卓でその日の反省会を行う。
「夕方の繫忙期はもう少し何とか楽にできそうだけどね」
「ん、それぞれの”狙い目”も”ついで”も大体わかった。問題は量」
『お陰様で羊は食い飽きちまったよ!』
『情報のツケ分、ウチに卸してくれていいんだぜ』
『鹿の群れの作り方も教えてくれたらな!』
「……うん。日毎の品目と量も録るようにしてるから、来年以降は”勘と経験”よりはマシになると思う」
『おめぇは羊の皮の被り方から学べ、煩悩狼が。涎垂れてんぞ』
『舌なめずりから仕込んでやってくれや』
『がっはっはっは―――』
「ん、助かる」
間仕切りと商品棚を挟んだあっちとこっちの差が酷い。
それでも向こう側から聞こえてくる野太い歓声や下世話な台詞に、無表情のセリスが何を思っているのかを感じられるくらいの役には立った。
手っ取り早く味方を作るには敵の敵になること。
それほど大袈裟なことでもないけれど、嫌悪の共感はセリスとの心的な距離を近づけてくれたし、お陰で仕事のちょっとしたやりとりも、分担作業も上手く回せるようになっていた。
「じゃあ、、、おやすみ」
「ん、おやすみ」
二階に上がってそれぞれの部屋の扉の前で挨拶をしてから眠りにつく。
新しい習慣も大分、身に馴染んだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
そんな日々を過ごしていく中で。
ある程度仕事に慣れ始めた僕は、仕事始めの業務として、入り口横に立て掛けた『鹿鳴』の看板を濡れ雑巾で拭きながら、ふと考えてしまった。
今、僕は何を目指して生きているんだろう。
数日前にキーラは店を訪れて『甲殻鼠』と引き換えに手にしたお札金を心底嬉しそうに両手で包んで笑っていた。
ヒースの話は聞かなかったが、便りが無いのが何よりの便り、ということなんだろうと思う。
もし仮に僕が探索者になっていたとすれば、ある程度の仕事に慣れた後、代表の掲げる目標に沿って狩猟採集の計画を立てたり、活動効率を上げるための検討を重ねたり―――そして数年もすれば異界の未踏区域の開拓に挑んだりもしただろう。
そんな夢や妄想は、孤児院や学校で散々話した。
しかし現在『鹿鳴』には―――
「ふぅあぁぁあ…………おぅ、相変わらず朝強ぇなロウは」
従業員二人に仕事を奪われて、朝寝坊とウザ絡みが増えてきた店主と―――
「…………」
朝は特に何を考えているのかが良く分からなくなる掃き掃除専門家の跡継ぎと―――
「おはようございます……」
『仕事にこなれたくらいで調子に乗ってはいけない』そう自戒しつつも、店主への敬意と挨拶がおざなりになりつつある従業員しかいない。
実際問題、この店でやることはほとんど無い。
と言ったら流石に語弊があるが、元々がクルードさん一人でなんとかしていけた規模の店だ。
人員が三倍になって業務負荷は三等分―――どころかセリスと一緒に仕分けた業務と役割の整理分担で、クルードさんの仕事がほぼ無くなってしまったくらいだった。
セリスは仕事中に暇を口にするし、僕は僕でこんなことを考えているくらいの余裕と狎れが出てしまっている。
探索者企業のそれで落とし込んで考えれば、普通に新規事業の開拓とか、店舗や従業員の拡充とか、代表たる経営者が指針を出すんだろうけれど、『鹿鳴』の店主にそんなものは無い。
元々は探索者で、退かざるを得ない程の憂き目にあって、そこに差し出された救いの手を遮二無二掴んで店主となった人だ。
自分と幼い娘の生活のために働いてきた人だ。
おまけに人生をほとんど破壊した命懸けの行為を、それでもなお趣味としてしまうような人だ。
「んんん~~~!!!だぁ…………さぁて今日は何すっかなぁ……」
店の経営に野心も関心も向上心も無くても、
尻を掻きながらぼやいていても、
それは無理からぬことなのかもしれない。
――― ――― ―――
――― ―――
―――
朝の波が引いた閑散期。
つまりは昼食の時間帯。
『鹿鳴』の店内奥にある住居空間の食卓には、最早従業員の食事の買い出しが通常業務となった店主が用意した肉中心の総菜が並んでいた。
「今日は羊肉無いんですね」
「あぁ、見るからに質が低かったからな。親父さんもやめとけって自分で言っててカミさんに殴られてた」
「ロウ、おかわり」
「はいはい」
贅沢で不健康そうな濃い味付けにも、この家族のやり取りにも慣れてしまって、ついでに毎日の汁物の用意を含む台所担当は僕になってしまった。
まぁ、これに関して不満はない。
今日のは聖坐の入院中に味わったものを参考に、昨日大量に入った異界産『瓜頭土竜』の頭部と、街南産の根菜類をドロドロになるまで粉砕して混合した一品を仕上げた。
『瓜頭土竜』から出る強くも優しい甘みが口に広がる自信作だったりする。
孤児院にいた頃には扱ったことのない食材を料理できるのは楽しい。
小脇に置いた鍋から、とろみのついた汁を木椀によそってセリスに手渡す。
「ん、んくんく」
掃き掃除の専門家で洗い物担当でもある、次代の跡継ぎは相当お気に召したらしい。
まだ結構熱いだろうにゴクゴクいってる。
僕はそんな跡継ぎに話を向けてみる。
「セリスはこのお店をどうしたい、とかあるの?」
「?」
橙蜜色の口髭を付けて小首を傾げた跡継ぎに続けてみる。
「例えば……そう、食材系の遺骸を主流にしたいとか、逆に魔石中心にしたいとか」
「今のままお店が続けば、それでいい」
が、これである。
セリスのことをイマイチ掴みきれないのは、孤児院では決して見ることの無かった慎ましさ……欲の薄さが原因かもしれない。
「おめぇは何かあんのか?」
「あ、いえ、僕も特には……ただ今のところ、割と余裕があると思うので、跡を継ぐセリス的に何かやりたいことがあるなら、なにか挑戦してみても良いのかな……とか」
とはいえ、僕も何かあるわけではない。
あったら悩んでなどない。
「ロウ」
「なに?あ……はいはい」
またセリスも無欲という訳ではない。
そして慎ましいわけでもない。
クルードさんの問いかけに、自分のこれからの目標を人任せにするのもどうなんだ?と自問しながらセリスの木椀に小鍋からおかわりをよそう。
「なるほどな……で、どうなんだよ?店やりたがってたけどよ」
「続けばそれでいい。もう辞めない?」
「辞めねぇよ。つかもう今度セルク家に行った時にご挨拶したら店は渡すつもりだ」
「え?まだ一年どころか一月強しかたってないですけど!?」
とんでもないことを耳にして、父娘のやりとりに思わず口を挟んでしまった。
娘の方はサッと僕の手から木椀を受け取り、ゴクゴクいく。
「あぁ、っても毎年の挨拶は年末だしな。まだ先の話だ」
「それでも年内ってことです?」
「問題ねぇだろ?」
「いやいや、何か問題が起こってからじゃ遅いですって。せめて後二三年は矢面に立っててくれないと不安です!」
「あぁ!?お前、それは甘えが過ぎるんじゃねぇか?俺なんざ未経験で突っ走ってだな」
「いやいや、直接貴族にお声掛けされた元探索者と一緒にしないでくださいよ。目をつけられたりしたらどうするんです?正直、店の規模と預かってる権限の天秤とれてないですよこの店!」
東門大通りという街の幹線沿いに在るものの、この手狭で小汚い店の機能が周遊道に聳え立つ徴税所とほとんど機能的に同じなのは明らかにおかしい。
取扱量が増えれば手数料も馬鹿にならないだろうし、そもそもそんな受け入れも出来ないから大手企業は対象外だが、小規模企業であれば断然、鹿鳴の方が利便性が高いだろう。
そんな店が十年以上も単独経営っていうのがそもそもおかしくて、今年からやっと雇い始めた従業員がたった二人っていうのも異常だ。
「何かってお前……探索者なんざ所詮、貴族の使い走りでしかねぇんだ。認可受けてるウチに喧嘩売れる訳ねぇだろ?」
「弁えない馬鹿はどこにでもいますって!」
「それはそう」
おかわりを飲み干した跡継ぎが援護に加わる。
「んな馬鹿は実力も大したことねぇっての。ビビらず突っ返してやりゃいい」
「ビビッて探索者を辞退したヤツにそれ言います?」
「喧嘩は嫌」
「お、おう……悪い」
過去の醜態も自虐として軽口に出来るようになった僕に、セリスは動じず、クルードさんは少し怯んだ。
「ともかくですね―――」
―――カランカラン。
と、そこへ来客を告げる鐘の音が届く。
昼過ぎの客入りには、まだ少し早い。
時報の鐘は未だ鳴っていない。
と思ったのも束の間、セリスがさっと席から離れて店頭に立った。
『いらっしゃい』
『あぁ、どうも。セリスさん、お忙しいところ失礼します。クルードさんはおいででしょうか?』
『はい。お待ちください』
そんなやりとりが聞こえてくる。
「……お客さんじゃないみたいですけど」
「セルク家だな。噂をすればってやつか」
そう言って席を立ったクルードさんと入れ替わりで戻って食卓に着いたセリス。
「セルク家の?」
「うん、ガルプさん」
「……少し早いけど、片付けようか」
「ん。最後」
そう言って木椀を差し出してきたセリス。
めちゃめちゃ気に入ってくれたみたい。
「少しだけね」
「……わかった」
悪い気のしない僕はちょっとだけ減らしてよそり、セリスは少しだけ不満げにそれを受け取った。
「んくんく」
匙も使わず一気に飲み干したセリスの髭面は無表情だったが満足感に溢れていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
そしてその日。
『鹿鳴』は午後の営業を急遽休業とし―――
「東門大通りの出張徴税所『鹿鳴』の一行を連れて参りました」
「ご、召喚頂きました!『鹿鳴』代表のクルードにございます!」
白亜の城へと赴く事態に陥っていた。
「足労である」
「はっ!」
その一室は実家の隣、第三十一位教会の講堂と同じくらい広く、見たことの無い大きさの一枚板の卓子を中央に備え、数えるのも面倒な数の椅子が並び、高い天井、抽象的な何かが彫られた白い壁、なんかよくわからない豪華な調度品、部屋の四方に居並ぶ使用人と屈強な衛兵……ダメだ、情報量が多すぎて頭が破裂する。
要件は貴族様からのお呼び立て。
それだけ。
内容?そんなの伺える筈も無い。
呼ばれたら、出向いて、跪く。
それだけだ。
問題なのは―――
「その方等も面を上げい、お前らを、呼んだのだ。面くらいさっさと、拝ませろ」
「恐れ入ります、アルドリック=セルク様。『鹿鳴』クルードが娘のセリスと申します」
「……同じく、従業員のロウと申します」
目をかけてる店主とその跡継ぎだけでなく、何故か一従業員である僕まで登城させられてるってこと。
あの後、台所で食器を洗うセリスと食堂卓子を拭う僕のところに慌ててやって来たクルードさんは一も無く二も無く『店閉めて、服着替えろ!』と血相を変えて命じた。
年に一度、それも流れ作業のように数秒の挨拶をするだけの関係……の筈が、急に今から来いと言われるのだ。しかも過不足なく、正に人生を救ったと言える大恩ある貴族家の当主直々のご指名で。
誰だってビビる。
例えかつて『紅熊』と怖れられ、今でも現役探索者に大見得を切れる大男が、生まれたての子熊のように全身をしっとり濡らすほど汗ばんでいても、誰も馬鹿になど出来まい。
「うむ、三人とも、掛けよ」
「ふん」
「へぇ……」
出来るとすれば、広大な卓子の向かい側に並ぶこの三人のみ。
上座から
セルク家当主、アルドリック=セルク
同家長男、ヘンドリック=セルク
同家次男、アルフォンス=セルク
いずれも代々、財務省貴族としてこの街の税務関連の諸々を取り仕切っている大貴族だ。
正直言ってクルードさんの恩人が、こんな雲の上の、更に上の上の方々だなんて思ってもみなかった。
言い訳をさせてもらえるのなら、僕に置き換えればマザーと孤児くらいの関係性で、相手もそれくらい気安い立場の人なんだと、勝手に想像して結論付けてたってしょうがないだろう。
……いや、貴族と関りがあると、あれだけの権限を委譲されている店はオカシイと思った時点でよく考えるべきだった。
今、めちゃめちゃ後悔している……。
でも、けど、だけど!
省庁の名前は習っても、個別の貴族の家名までは教わってない!
なんて、僕の無為な心の叫びを余所に
「よくやっていると、ガルプからも、聞いている」
「はっ!!」
畏れ多くも同じ高さの椅子に座った僕等を、見回して威厳たっぷりに口を開いたアルドリック様。
髪は濃い灰色にわずかな青みを残し、その瞳は部屋の明かりを吸い込むような暗褐色。
顔に刻まれた皺の感じ、もう五十は過ぎてそう。近所のおじさん比較だけど……。
襟付きの白い肌着?の上に艶のある濃紺の上着、どこぞの成金趣味とは違う、華美であることを意識したような装飾、総じて見た目は厳めしいけれど実直な良い人っぽい印象は受ける。
そんな人からの言葉にクルードさんはさっきから『はっ』としか答えない。
近所の木工屋から聞こえてくる合いの手みたいだけど大丈夫?
「まぁ……前置きは要らんか。本題に、移る」
呆れてる……のかも?
ほとんど感情の見えない表情と声でセルク家の現当主は続けた。
「財務省、徴税局。城下に在る我々の職場における探士の徴税業務、その一極集中はかねてからの問題だ。機能分散出来る程の人的余剰はなく、対応できる間口にも、限りがある。大手企業など納税用の人員をさえ用意している有様だ、と労務省の輩が煩くてかなわん。街の構造的な問題だとも言えるが、我が家が取り組むべき課題の一つにも数えられる」
たしかに街の北側は酷かった。
いつ行っても朝から晩まで探索者が列を作ってたっけ。
けど、そんな切羽詰まった問題?
「そして我も今年で齢五十を数え、家督相続に追われる中で思い出された話題の一つでもある」
ってそれまで忘れてたのかよ!
―――なんて反応おくびにも出さず、じっと正面を見据える。
そこにはアルドリック様の年齢を半分巻き戻したくらいの見た目をした、アルフォンス様がいらっしゃる。
着ている衣服や装飾なんかは貴族らしい序列意識を感じるけれど、洗練された造詣が彼の雰囲気や容貌を当主である父親に幻視させる。しかし優しくこちらを見返した目が、澄んだ翠色をした瞳が、決定的に違っていた。
一方その隣に座る長男は対照的に髪や瞳の色は父親と全く同じで、その関係を彷彿とさせる。
が、その相貌、格好、空気感までもが、『金獅子』の代表を思い起こさせた。
それは両隣に座る父や弟が自然に放つそれとはかけ離れたもので、余裕の無い卑しさを印象付ける。
なんて観察している内にもアルドリック様の話は続く。
「十年以上前になるか。当時アルフォンスの発案で試した徴税局の機能分散の試験だが、貴様のところが殊の外上手くいっていてな。翌年以降、西と北にも五軒ずつ似たようなモノを試験導入してみたのだが、いずれも三年以内に潰れている。それなりの人数を割いて分析をさせたが、結局のところ属人的な要因であると結論付けた。会社の成功然り、な」
普通、あれだけの支援と貴族の庇護を受けて営業する店を潰せるわけがない。
よほどの能無しか、人並みの欲を持ち合わせた人間だったかのどちらかだ。
そしてその答えは人間性、人柄や実直さだった、ということなのだろう。
……いや、やっぱり妨害とか周囲のやっかみなんかもあるのかも?
やっぱり向こう三年は少なくともクルードさん必要だな。
昼時に話していた内容が思い出された。
「が、そんな例外的成功を収めた男が、奇しくも我と同じく家督相続を試みていると聞く、そしてそれもまた、例外的に上手く行きそうだ、ともな。どうだ?クルード?」
「はっ!お、陰様を持ちまして現在、業務のほ、とんど全てを娘のセリス、と従業員のロウにまかせ、恐れながら、私は暇を、持て余すような有様で、あります!」
その返しは失言―――かと思えば、アルドリック様は初めて笑顔を浮かべてみせた。
「はっ。羨ましい限りだ」
えぇ……許されんの?貴族、ムズ……分かんないって……。
いや。いやいや、長男やばい睨んでるわ。
なんでか次男は笑ってるけど……。
っていうかこれ何?
もしかして貴族の跡継ぎ問題に巻き込まれる流れ?
なんていう僕の浅ましい考えと不審な挙動を見抜いたのか、正面の次男様がその口を開いた。
「ふふっ『鹿鳴』の次代は頼もしいですね。眉一つ動かさない次期女主人に、何やら察した様子のその従者……実に羨ましい限りです」
「ほぅ?」
「……」
うぅ!親子三貴族の視線が注がれてる!
「恐れ入ります」
え、なんでそんな?動じない?普通?
スッと卒なく頭を下げた次期女主人に、慌てて僕も追従した。
その様は正に主人と従者だろう。
「き、恐縮です……」
「ふっ、否定せぬ……か……結局は個人の資質、という結論に落ち着くやもしれんが、それもまたいいだろう……。クルード、そしてセリスよ」
「はっ!!!」
「はい」
そしてそんなセリスの肝の据わった態度が気に入ったのか、アルドリック様は薄い笑みを浮かべながら続けた。
「貴様の店に我が家の使用人を駐留させ、その経営手法の手引書を作成させる。細大漏らさず言語化出来るよう協力せよ、期間は一月―――潰れてくれるなよ」
「はっ!!!!!」
「謹んでお引き受けいたします」
さっきから一音しか発さなくなった店主と対照的に、
跡継ぎは、こともなげにそして流麗に返事を返した。
そしてその様子に満足したかのように一つ頷きを返すと、アルドリック様は席を立たれた。
「ではな」
「……」
ヘンドリック様も黙ってそれに続かれる。
が、アルフォンス様はニコリとこちらに微笑みかけると、椅子に腰掛けたまま現当主様に声を掛けた。
「父上、クルードと少し歓談するお時間を頂いても?」
「……好きにせよ」
「ふんっ」
少しだけ間を開けて諾と応じたアルドリック様と、鼻を鳴らしてその後に続くヘンドリック様は、そのまま使用人が開ける豪奢な扉を潜って部屋を去っていった。
結局、長男の方は一言も発さないまま、けれどその視線は誰よりも雄弁かつ強烈に語っていた。
『てめぇら気に入らねぇ』
それは城下育ちの僕等の耳に馴染み深い、率直で、そして分かりやすい一言だった。
――― ――― ―――
――― ―――
―――
指を挙げれば茶器が運ばれ、目配せすれば人が下がり、一息つけばおかわりが注がれる。
これぞ貴族。
という小休止のひと時。
ひたすらに縮み上がるクルードさんと、恐縮する僕の間で、泰然自若としたセリスはもう既に女主人の風格を兼ね備えていた。
そんな新しい主人の動きを追従するように僕も茶器を傾け、菓子に舌鼓を打ち、時々振られる話題に短く応える。
「妙なことになってしまってすまなかったね、クルード。それからセリスさんと、ロウくんも」
「と、とんでもねぇです!アル様にはあの時以来に、法外の救いを頂いておりまして……!」
「それも、聞いただろ?幼い家督競争の一環でしかなかったのさ。成功するとも思ってなかった……っと失礼だったね」
「それこそ、とんでもねぇっす!!ガルプさん寄越してくれたり色々面倒見てくださったお陰で今がある!それは間違いねぇっすから!!」
大丈夫なのか、これで?
と思うけれど、そんなクルードさんを見出した人のこと、それこそ愚問だった。
ご本人は家督争いだなんて言っているけれど、聞けば当時、本当の兄弟よりも兄弟のように育った使用人の子息が『紅の鹿』に入社。その偶然で繋がった縁を会社が潰れて猶、紡ぎ続けた。
というのが実情で、徴税局の機能分散云々はその手を伸ばすための方便に過ぎなかった。
しかも兄弟同然に育ったその子息も亡くなっているにも拘わらず……。
お優しい人だ。
「そう言ってくれると心が軽くなるよ。これから少しの間、君達には迷惑かけると思うけど、よろしくね」
そんな人から投げかけられた言葉に対して、遠慮?否定?卑下?と迷うも、どれも適当と思えず、取り合えず頭を下げた。
主にクルードさんと話しつつも、時にセリスへ話題を振り、僕には頷きを返せば良い言葉を投げかける。
これが人の上に立つ人のなせる業かと、関心する。
「あぁは言ってたけれど、父も本気にはしてないさ。少しでも可能性があって使用人の一人か二人出すだけで解決できるのなら儲けものってところだよ」
だが、この人を貴族の当たり前と思ってはいけない。
そう思いつつも『頭が上がらねぇ』と話していたクルードさんに心の底から同意する。
「そしてこの取り組みの成否が我が家の家督争いに何ら影響を及ぼすことも無い、ということは、改めて言っておくよ」
「え?」
そんなことを考え、油断していた僕に向けて言い切った一言に、思わず僕は不敬を働いた。
しまった―――と、そう思う間もなくアルフォンス様が、僕の目を見て問いかける。
「家父長制、という言葉を聞いたことは?」
「……ありません」
聞いたことは無くても想像はつく。
けれど目上の知識人に知ったかぶりの意味は無い。
これ以上の失点は避けるべき。
そんな僕の返答に、アルフォンス様は薄く笑みを浮かべた。
「そっか。まぁ『家』というものがある貴族特有の概念かな。簡単な話さ。貴族の家督はその家の長男に。”もしも”のための次男にはそれ以外の道も用意しておけ。って決まりのことだよ」
そして自分の言葉に頷いて興が乗ったかのように続ける。
「けど、そんなお決まりでは貴族の数は増える一方だからね。この小さな街に貪ることのできる利権など、もう尽きているって言うのに。知っているかい?最後に新しい貴族家が生まれたのは三年前、けれどこれは城にとっても想定外―――」
「アルフォンス様……」
が、舌を滑らかにした貴族家の次男を、その使用人が諫めてくれた。
「おっと、口が過ぎたね。ガルプ、ここだけの話にしといてくれる?」
……止めてくれて良かった。
そんな話、聞きたくもない。
「承知しております」
忠言を素直に受け入れたアルフォンス様は、何事も無かったかのように使用人に続ける。
「ありがとう。じゃあ、ついでに頼めるかな」
「そちらも、承知しております」
「うん、よろしく。それじゃあ―――」
そしてまた、言葉を区切れば、再び財務貴族家次男の表情が顕れる。
「『鹿鳴』の皆、今日は足労だったな。貴様らの今後を期待している」
貴族という存在の、底知れない奥ゆかしさを存分に味わった一日だった。
……けれど、話はこれで終わらない。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ガルプさんに先導されて周遊道を歩く『鹿鳴』。
店主は背を丸め、従業員も疲れ果てている。
只一人、店の跡継ぎだけはいつも通りの無表情で目線だけ左下に向け、時折口元を歪めていた。
セリスにしては分かりやすい、さっきのお茶請けの味を思い出してる顔だ。
「お店には私の部下がお邪魔することになります。まだ二十三の若輩ですが書記に優れます。基本的に通いとなるかと思いますが問題ございませんか?」
突然の呼び出しへのせめてもの詫びと誠意だと口に出されては、内心はどうあれクルードさんに、このお見送りを断る選択肢など無く、大恩ある貴族から命じられた義務にも、そこに遣わされる人物への好悪も、ある筈はない。
「あ、はい、大丈夫っす……」
「ありがとうございます。商いの知識も仕込んでおりますので、何かあった際に相談できる先が身近に増えたとでも考えて下さると幸いです」
「あ、ありがとうございます…!」
「心配ございませんよ。僭越ながら十数年あなた様をお支えした私が言うのです」
「……ガルプさんにそう言われちゃ、ウジウジしてらんねぇっすな!」
なにやら変な言葉使いが定着しそうなクルードさんにガルプさんは優しく微笑んでいる。
「時にロウさん」
と思っていたら、なんかきた。
ようやく非日常から解放されて、妙な高揚感と頭の靄が晴れたのに……。
「はい」
「ふふ、そう警戒なさらずに……ただやはり。アルフォンス様とあなたをお引き合わせ出来て良かった」
「えっと…?」
「以前、あなたから帳簿付けのご質問を頂いた時に確信したのです」
「ありがとう、ございます……」
「ロウは優秀」
「ふふ、ですな」
前置きが怖い。
セリスの一声すらも、余計なナニかを引き出している気がする。
「あぁ、大した話ではないのです―――といったら失礼ですな。大した話です」
いや、どっち!?
「アルフォンス様はあなたに可能性を見出されました。そこで宿題です。徴税局の一翼を担う者として、新興貴族へと成り上がる道筋をつけなさい。必要な原資はアルフォンス様がご用意します」
「は?」
それはそれは、非常に大したお話だった。
<つづく>




