001
初投稿です。
目標は最後まで書ききること。
よろしくお願いします。
鼻から吸い込んだ息が喉から肺へと入り込んでくるのが分かる程の、清浄な空気に満たされた真っ白な空間。
浅く腰掛けた椅子も、少し高い卓子も、床も、壁も、天井までもが、全て白で統一され、距離も時間もあやふやになった場所で、目の前にいる全身を黒衣で覆った女性から告げられる言葉を静かに待つ。
こちらを正面に捉えながらも、どこか遠くを見つめる蒼い瞳は天から射し込む陽光をただ映し続け、真っ直ぐに切りそろえられた碧い前髪は小揺らぎもせず、薄桃色の唇は何事かを呟くように薄く開けては閉じるを繰り返す。
その様子を見るともなく見ている僕は、目の前の存在から何度となく訊ねられた問いの、一番初めのそれを思い返す。
『”異界”という言葉を聞いて思い浮かぶ情景を教えてください』
瞳を閉じ、もう一度、その言葉の意味を瞼の裏に描いていく。
淡くぼんやりと浮かぶ碧い炎。
照らし出される死んだ珊瑚礁のような岩壁と黒く巨大な影。
真夜中の嵐のような唸りとチリチリと舞い熾る火花―――
『幼い頃、絵本で見た、英雄の物語』
大丈夫。虚栄も、謙遜も、計算も、なく答えた。
手抜きも、言い訳も、偏屈も、無い。
あるがまま、素直な、本当の、自分自身だった……筈。
大声を上げて、その威圧を、その恐怖を、踏み潰す。
全身を包む聖銀の鎧。
左手に盾を、右手に剣を。
少し……いや大分、子供っぽい答えになっちゃったとは思うけど……。
時に勇敢な”騎士”として。
時に英明なる”魔術士”として。
時に慈恵の”癒術士”として。
挑み、破れ、それでも練磨を重ねて、幾多の世界を踏み越えてきた偉大なる先人達。
如何なる困難に直面しようとも、時に姿を変え、形を変えて、歩み続ける。
この地に生を受けた者は皆、その物語を語り継ぎ、そして自らの物語として新たな一行を、素晴らしい一節を、壮大な一段を、紡いできた。
艱難辛苦を舞台にした、誇大にも矮小にもされない物語。
人の数だけ語られる、筋書きも、終わりも無い物語。
今日、僕もまた、その一頁に刻まれる―――
「あなたの天職は”従士”です」
「……もう一度、お願いできますか?」
「はい。第三職業訓練学校卒業見込み、学籍番号一一一〇五七四。ロウ、神より示されたあなたの天職は”従士”です」
―――絶対的な脇役として。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
極度の緊張状態。
死の淵に立たされた時。
そして受け入れがたい現実を宣告された瞬間。
万華鏡のように己の生涯を一遍に振り返ることがあるという。
人はそれを走馬燈と呼ぶ。
つい先刻まで、この街の基幹産業である『探索者』の養成を目的とする職業訓練学校、その卒業前最後の教育課程『適職診断』を受けていた筈の僕の目の前には、真っ白な空間と蒼い瞳をした女性の代わりに、これまで生きてきた十五年分の人生を混ぜて洗って干したような景色が広がっていた。
―――一番古い記憶は、薄暗くて埃っぽい、けれど安心できる、そんな小さな部屋。
コトコトと小刻みに揺れ動いていて。
時に前に時に後ろに、右に左に大きく振れて。
スーっと背中を引かれたと思ったら、フッと止まって尻もちついて。
目を丸くした女の子が吹き出して笑う。
僕も笑っている。
そんな記憶。
―――次に古い記憶は倒れた小部屋。
いつもはお尻の下にあるはずの椅子が頭の横にあって。
いつも外を映していた窓は罅割れて、暗くひんやりとした感触を僕の掌に返す。
土埃のニオイ。
耳が痛くなる程の静けさ。
カラカラに乾いた口の中。
こわくない。
こわくない。こわくない。
こわくない。こわくない。こわくない。
こわくない。こわくない。こわくない。こわくない。
十回、唱えて体を起こす。
『おかあさん』
暗くて狭くて仄寒い部屋。
上向きになってしまった窓から薄っすらと差し込む光にチラチラとホコリが舞っている。
『おかあさぁん……!』
さっきよりも少しだけ大きな声で。
男の子なんだから。
声が震えないように。
『ゴホッゴホッ……ゴホ』
呼び掛けに返ってくる静けさを誤魔化すように。
キーンと騒ぎ続ける耳鳴りを打ち消すように。
あるいはただ埃っぽさに咽ただけ?
コーンコーンコーン。
夕方の鐘の音が聞こえる。
いつもより近くて大きく響く音。
ゴソゴソゴソ。
震える腕で身体を起こして前へ。
子供の椅子を潜って前へ。
そこはお父さんとお母さんの椅子。
いつもの席で座っていたのはピクリとも動かない
『おかあさん』
この世界ではありふれた景色。
たまたま目の前で起こっただけ。
そう、ただ、それだけ。
―――次に浮かび上がってくるのは新しい家族と出会った一場面。
『ロウです。三歳です。よろしくお願いします』
石造りの広い講堂。
高い光彩窓から射す光と埃。
毎日そこを訪れる人々の手垢と、毎日ここを遊び場にする子供達の遊具となって、黒く草臥れて並んだ長椅子。
夢でしか出会えなくなってしまった家族の代わりに、三人の弟妹達と七人の兄姉達、二人の同い年の兄弟姉妹と、そしてマザーテレサと二人のシスターが新しい家族になった。
一段高いところから新しい家族を見渡す。
横に立つ新しい母親、マザーテレサを見上げる。
きらきらと射す陽光は白衣を輝かせて綺麗にその輪郭が目に焼き付いた。
―――次の瞬間には教会の隣、我家となる孤児院へ。
騒がしい朝の食事の風景。
賑やかな様子を視界の端に収めながら僕は、一人端の席で味のしない汁物を少しずつ匙で掬っては口に運ぶことを繰り返す。
キールもコリンもサーシャも、ナリスもニックもジャスティンも、年長者達はみんな優しくて分別のある仲の良い兄姉だった。
ルークは昼は静かだけど夜に泣くことが多くて、逆にミミィとアイラは昼間は騒がしく、けれど夜は良く眠る弟妹達で。
同い年のヒースとキーラは少し上の兄や姉に『なんで?』『どうして?』を繰り返す年頃だ。
僕はといえば、言葉を選べば大人しく手の掛からない子で、飾らず言ってしまえば―――
『黙ってこっち見んな黒髪ヤロウ!気持ち悪ぃんだよ!』
―――と、二つ上のカイトの言う通りの子供だった。
けれど。
孤児院で繰り返される、無邪気で、健気で、時に率直過ぎる言葉の数々が、教会を訪れる人々から与えられる同情や少しの嘲りが。
次第に、少しずつ、僕を変えてくれた。
どんな悲劇や喜劇にも声を上げず、ただ茫然と客席から演者の芝居を無感情な瞳に映す。
そんな『気持ち悪ぃ』僕に、お前はここだと僕の立つべき位置と演じるべき役柄とを教えてくれた。
ここにいる皆と同じ『親を亡くした可哀想そうな子供』という僕を与えてくれた。
そうして僕の物語は始まった、台詞や芝居は即興で。
―――孤児院に住むことになって暫く、これはいつ頃のことだっけ?
食堂兼遊び場の長机の一番端で絵本を読んでいる。
揃いの薄緑色の貫頭衣を着て走り回るヒースとキーラを視界の端に捉えて。
近づいたり遠ざかったり、泣いたり笑ったり、怒鳴ったり慰めたり。
そんないつもの煩わしい喧騒に、少しの心地よさを感じるようになった僕がいる。
≪孤児院は教会の人が働いているよ。
教会は街を綺麗にしているよ。
街は大きな壁で異界から皆を守っているよ。
壁とお城は王様がつくったよ。
王様は貴族に街を任せたよ。
貴族にみんな感謝しているよ。≫
そんな常識を教える絵本。
『城』『街』『壁』『異界』―――
いつぞや兄姉から貰った蠟筆で、そこに描かれている言葉を、なぞる様にして文字を書く。
『神様』『恩寵』『探索者』『王』―――
拙いながらも、頁を捲っては書いてを繰り返す。
『貴』『啓』『探』『従』―――
”おしまい”までいったらまた”はじめ”から、何度も何度も。
何故そんなことをやり始めたのか、思い返すことは出来ない。
何をそんなに夢中になっているのか、今はもう共感も出来ない。
けれどきっと楽しかったんだろう、あの真剣な顔を見ればそれだけは理解出来る。
そんな当時の僕に背後から寄って来たシスタークレアは唐突に、大声を上げて、抱き寄せて、頭を撫でて、大喜びした。
『ロウ、きっとあなたの天職は”賢者”にと、これは神様の思し召しです!』
そしてマザーやシスターマリアも呼び立てて、一緒に大騒ぎする。
普段は子供達を諫める大人達が騒いでいるのを見て、逆に子供たちはポカンとしていた。
『ロウ、これからもあなたの思うがまま、やりたいことをなさい。もしも道を誤ったのならば、その時は私たちが正しき道へと導いて差し上げます』
なんて幼児に通じる筈の無い言い回しで僕に語り掛けるマザー。
そんな彼女たちが所属する教会は、職業訓練学校に通う前の未就学児への基礎教育をこの街での役割の一つとしている。孤児院という仕組みもその一環だった。
もちろん学校のように、子供達を集めて教育を施すということはないけれど、子の教育に悩む親の相談に乗ったり、子供用の玩具や絵本を制作したり―――僕はその内の一冊で習字に使ってダメにしてしまったのだけれど、マザーも二人のシスターも怒るどころか褒めてくれた。
次の日にはヒースとキーラが教会中の絵本に落書きをして、こっぴどく叱られていたっけ。
…………けどごめん、シスタークレア。
僕に相応しいのは”従士”であるというのが神様の思し召しだったよ。
―――またも場面は切り替わる。時間も場所も随分飛んだ。
整然として複雑な、厳格にして闊達な、無骨ながらも洗練された、四角い白亜の岩の塊。
鉤の字型に並んだ二棟が抱く庭には通路と広場と景観とを成すよう生え揃った木々。
ここは第三職業訓練学校。
その校庭の片隅。
いつかの放課後。
『はぁ、はぁ……なぁ、もういいだろ?』
『はぁ、はぁ、ごめん!もう一回!』
『あはは!全然ごめんって思ってないやつだ!』
その日の体育の授業で習った棒術を孤児院の三兄弟姉妹が居残って繰り返している。
一番背の低い少年が彼より少し背の高い子に相手をしてもらって、頭一つ大きな女の子がそれを眺めながら茶々を入れる、そんな懐かしい光景。
『おい……キーラ、笑ってねぇでよ』
『無理!今”こだわりのロウ”だから!』
雲一つない青空の様な瞳と向日葵色の髪をしたキーラはその見た目に違わず明るく社交的で、
『ヒース!あと十本!それで最後!』
『だから……それ何回目だって……の!』
天性の身のこなしで”習うより慣れよ”の慣用句をすっ飛ばすヒースは、その豪放さを現すような赤毛と瞳をいつも輝かせていて、
『っ!……なんでこう……あ、体重移動か……ヒース最後!残りあと十本!』
『おい、減ってねぇぞ!』
”慣れるより倣え”を地で行く僕は、髪も瞳も真黒で肌だけは白っちい理屈屋のもやしっ子だった。
『あ、ロウ!鐘鳴ったら帰らなきゃだよ、今日夕飯当番!』
『わかった!さ、ヒース残り十本!』
『わかってねぇ!数くらい数えろ!』
年齢と共に知識を重ねて、世界が広がって。
少しずつでも身体が大きくなって、見える景色も変わっていって。
上手く言葉に出来ないけれど、出来ることが、知っていることが、増えていく。
それが何より楽しかった。
―――視線の高さと共に移り変わっていく景色。
孤児院を去っていく兄や姉。
毎年増えていく弟や妹。
『ジャスティン兄、元気で』
これは皆の兄ちゃんだったジャスティンの卒院。
入れ替わるようにしてやってきたメアリとジスは新しい妹ではなく新しい姉で、二人の姉も僕も他の兄弟姉妹皆で戸惑った。
『うん。そう薬草三つ。こういう虫食いで分からない数を考える方法を方程式って言うんだ』
これは僕が先生役で弟妹達に文字や計算を教える職業訓練学校ごっこ。
マザーたちがすごく喜んでくれるから辞め時を失って未だに続けてる。
『”狩猟士”とか”癒術士”が需要高いらしいよ。えぇ……うーん……試してみたいのは”武士”かな。成り手少ないらしいし』
いつの間にか僕は『親を亡くした可哀想そうな子供』ではなく『探索者を目指す普通の子供』になっていた。
『こっちみんな黒髪ヤロウ』
嗚呼、これは……カイトに投げられた最後の言葉。
僕はなんて返したっけ?
……カイト、天職はなんだった?
―――いつになく人が溢れかえった教会の講堂を映した景色に意識が止まる。
城から訪れた貴族と名乗る若い男女。
土気色をして呻く人々。
初めて見たマザーやシスターの強張った表情。
正しく”夥しい”と形容できる数の人々で溢れかえる講堂を、教会と孤児院とを繋ぐ渡り廊下から兄姉弟妹総出で心配そうに覗き見ている。
『よくぞお越しくださいました。大変でしたね。【清拭】』
その言葉が聞こえると、シスターマリアの手から淡い翠色の光の波が、おばあさんの身体を包み込み、一瞬にして薄汚れたその身体を綺麗さっぱりに清めた。
シスターマリアとシスタークレアは次々と講堂内を埋め尽くす一人一人に、同じように声掛けをしてその身を清める術を施しながら整列を促して、少しずつその場に秩序を取り戻していく。
妙にこざっぱりした、それでもその苦しみに顔を歪めた人々は、シスター達の指示に従って教壇に向かって整然と一列に並び救いを求めた。
『身体を楽に……お顔を失礼……【払魔】』
言いながらそこに立つマザーは、顔色を失った老父の額に手を当てる。
その言葉を合図にしてマザーの手から放たれた光はシスター達のそれよりも強く明るい光の波は渦を描きながら、彼の頭から足先そして教会の石畳の床まで通り抜けた。
すると途端に老父は、まるで今まで悪ふざけでもしていたかのように、病人であることをやめた。
『あぁ!巫女様!ありがとうございます……!”武士”の天職を授かりながらも何事も成し得ず、いたずらに老いさらばえ、ただの”従士”と成り下がった私に―――』
『かつての勇士の謝辞に心からの感謝を。お戻りは講堂の左手側から、並ばれている方々へお気遣いの程お願いします』
興奮した老父にマザーが優しく笑いながら遮って、救いを求めて居並ぶ人々に目を向けた。
次々に押し寄せる薄汚れた幽鬼のような顔をみせる人々。
まるで洗物でもするかのようにそれらを綺麗にして並べていくシスター。
淡々と判を押すかのようにして掌一つで治していくマザー。
何事も無かったかのように元気を取り戻し教会を去っていく人々の後ろ姿。
―――あぁ、そうか……これは適職診断の。
初めて知った職業は何か、初めて見た職能は何か、その時何を思ったか。
ただただ何が起きているのか分からず、超常的な光景に僕は畏れを覚えた。
姉の一人であるサーシャがこの頃から『将来は”巫女”になる』と言い始めたことにも。
これを当たり前に受け入れて憧憬を抱く他の兄弟姉妹の様子にも。
僕は怖れた。
いくつの時だったか、定かではないけれど、幼い僕の当たり前からあまりにも離れていたから。
『その記憶が当時、流感騒ぎとして街全体に広がっていた非常事態だったことを巫女となり孤児院から独り立ちしていった姉の一人から聞きました。だから”恐ろしい記憶”として残ったのかもしれません』
―――ネガティブな感じはフォローできたか?いや、もう少し何か……
『そんな彼女は現在、街の西側にある教会で奉仕しています』
―――それで?
『僕は憧れを現実のものとした、そんな彼女のことを家族として誇らしく思っています』
―――うん、こんなもん。
―――だけど、今は?
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「学籍番号一一一〇五七四、ロウ。神より示されたあなたの天職は”従士”です」
目の前にいる蒼い瞳が三度僕に告げる。
きっちりと揃えられた碧い前髪の下で、造り物のように動かなかった蒼い瞳と綺麗な弧を描いた眉が歪んだのを見てようやく現実に引き戻された。
彼女は”叙階師”。
神より加護を賜る年齢に至った成人の適性”天職”を見定める者。
そして”職業”と呼ばれる加護を唯人に与える権能を授かった特別な神の従僕。
そして僕は”従士”こそが自らの天職であると、たった今告げられた只の、従僕だ。
そこは職務省、就業院の個別面談室。
部屋番号は十五。
目を焼くような白い部屋と、目を覆いたくなるような真黒な現実とが、戻ってくる。
教会の告解室よりは断然大きい、と思うが不思議な圧迫感を感じさせる部屋。
天窓から射し込む光が反射して部屋全体を白く照らしている。
きっと計算されて作られているのだろう、広大な真っ白い空間にいるような錯覚をおこすような小部屋だった。
「すみません、ありがとうございました。失礼します」
言って足早に真っ白な小部屋を出て、白亜の岩塊のような建物からも逃げる様に抜け出した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
あの部屋を訪れるほとんどの者が、今の僕と同じようにその白い光に目を焼かれてフラフラと覚束ない足取りで部屋を出ていくのだろう。
それなりにいた筈の職員や利用者の誰にも、何の関心も持たれることなく、僕は街の雑踏の中へと紛れ去ることが出来た。
ひょっとしたらそれは神様から従僕に与えられた最後の慈悲だったのかもしれない。
<つづく>




