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深海行き

作者: 雉白書屋

 海上およそ20メートル。船の甲板に座り込み、ぶら下がる干物を眺めながら、私は大きく息を吐いた。

 あれらは何なのか……。言わば海へ捧げる供物だったのか。大きな計画の際の安全祈願のようなものか。 

 知るには神に直接会って訊ねるほかない。必ずそうしよう。必ず……。




『君たちには今から深海へ行ってもらうよ』


 これは比喩でもなんでもない。今、俺たちがいるのは海に浮かぶ船の上。潜水服の中。

 そしてこれも比喩ではない。社長のお言葉には絶対服従。神と思えが、わが社の社訓。

 就職難の昨今。むろん、選り好みしなければ就職そのものはできるかもしれないが、それも新卒ならの話。俺のように大した経歴もなく、ブラック企業から逃げ出した男を正社員で雇うところは中々ない。

 そんな中での好条件での中途採用。……しかし、まさかこんなところに落とし穴があるなんて。

 ……いや、気づこうとしなかったのかもしれない。不自然さに目を背けていたのかも。

 なんにせよ奈落に底はない。落ちた先でまた落ちる。人生は一度転べば転がり続ける。流されればその先はもっと悪い場所に。わかっていた。そんな、母親がしたり顔でいうようなことは。なのに


「あ、あの社長、こ、こ、この潜水服、血の痕のようなものがあ、あるんですがっ」

「こっちは顔の部分の窓にひ、ヒビのようなものが」

「ま、まったく体を動かせないんですが」

「い、息が、く、苦しい」


 モニターの向こうの社長が笑みを浮かべ、うんうん頷く。そして一言。

 黙りなさい。

 しんとなった俺たち。これが格の、身分の違いだと自ら証明し、そしてどんな理不尽な命令にも逆らいませんと宣誓した気分になった。


『こらこら。潜水服にケチをつけるんじゃないよ。君たちのために用意したんだからね。まあ、新品というわけじゃないがな。修繕に修繕を重ねたものだ。血の痕は錆。ヒビはただの傷だ。問題ない。

その潜水服は君たちの先輩たちも着たものだ。そう、これが我が社の伝統。

深海のレアメタルの採掘、加工を生業としている我が社の社員となった君たちは、その手で本来は機械操作で行う採掘作業を経験し、一人前となるのだ。そう儀式だよ、これはね。

息が苦しいのは緊張しているせいだ。体を動かせないのは当然のこと。頑丈に作られているから重いのさ。

それが、安心安全の証拠。はははっ。ガコッ! ゴキュ! ブシュ! とはならないさ。

で、君たちは今からワイヤーで吊るされ海の中に落とされる。むろん、ゆっくりゆっくりとだ。まあ、楽しめばいいさ。水族館とでも思えばいい。ああ、断るなら就職の件はなしだ』


 社長はそう言うと大きく笑った。俺はそれが前の会社のパワハラ上司と同じ笑い方だったことで、自分の中で、どこか諦念のようなものが湧いた。

 クレーンで持ち上げられ吊るされた俺たち九人は、まるでイカ漁のように横並びで海の中へ落とされた。

 全身に衝撃が走り、今にも浸水するんじゃないかとヒヤヒヤしたが、特に問題はなさそうであった。


「全員無事か?」

『ああ。ワクワクするなぁ』

『お、おう』

『ま、まあ……』

『はい』

『リーダーぶるな』

『はぁ……』

『怖い怖い耳が痛い無理だ無理だ』

『暗くて魚なんか見えそうにないな』


 潜水服には通信機が備え付けられており、社長及び他のメンバーと会話できる。

 外と中にカメラもついているので、サボったり情けない顔をすれば評価に響くだろう。

 しかし、何メートル潜るのかなど、そういった話は聞かされていない。さっき誰かが言っていたが、水深100メートルの海中はおよそ地上の11倍もの圧力がかかるらしい。それ自体も想像がつきにくいが、何よりも本当に、この潜水服で大丈夫なのだろうか……。



『只今、水深100メートルです』


 と、大丈夫そうだ。……今のところは、だが。擦れるような軋むような金属音がするが問題ない。

 今の女性の声は自動音声だろうか。わからないがありがたい。さっき誰かが言ったように顔の前の小窓だけでは情報はないに等しい。青く暗い、奥行きがあり、そして冷たい。そんな光景が延々と……。



『只今、水深200メートルです』


 青さが薄れて、ほとんど黒い視界。日の光が届かないせいだろう。魚がいたと思いきや潜水服の窓についたゴミだった。いや、ゴミか? これ――



『200メートルより下を深海と言うんだ。ビルの高さで言うと40階建てだな』

『おい。さっき、何か音が、あ、今もピシっていったぞ! 俺の、俺の潜水服からだ!』

『お、落ち着け。ぐ、軍の潜水服は確か600メートルくらいまで大丈夫なはず』

『でもこれは小さな町工場で作ったような粗雑さですよ』

『ロケットを作ってるようなところだといいな』

『あれはネジだけだ。他の部分が駄目なら意味がない』

『い、い、いまぁ! 何かが横切ったぁ!』

『マジか! イルカか!? くそっ、頭が動かねぇな!』



『只今、水深300メートルです』




『水圧というのは10メートル潜るごとに大気圧と同じだけ増加するんだ。

水深300メートルなら約30。これは三十キロの重りを全方位から乗せられるような、ふはは! ちょっと想像つかないよな』

『なんで、そんな嬉しそうなんだ。海が好きなのか?』

『しかし、何メートルまで潜るのか知らされてないのが怖いな』

『それもまた、社長の言う儀式とやらじゃないんですか? まったく……』

『口を慎め。この会話をお聞きになっているはずだぞ』

『そういやそうだったな。えっとあー、御社の伝統には、いたく感激であり』

『最悪だ最悪最悪暗い暗い暗いああ、音がした! 音がしたぁ!』

『ダイオウイカ食ってみてーなぁ』



『只今、水深400メートルです』




『東京タワーを超えたな! この辺りにいる魚はタイとかうん?』

『どうした? ん、何だこの音』

『え、がぁ! ブ!』

『つ、潰れた!? ねえ! 死んだんじゃないんですか!?』

『さ、騒ぐな!』

『そそそそうだ、不具合なんて御社に限ってね、あ、弊社か、御社? あは、あはは』

『死んだぁ! 死んだんだ! あああああみんな死ぬ! 出して! ここから出してぇ!』

『社長が言ってたみたいな音がしたな。ゴキュ、ブシュって』




『只今、水深500メートルです』




『お、落ち着いて。さ、酸素を減らすな』

『それ以前の、も、もんだ、あ、あ、ああ! あ』


『ま! また死んだ!? や、やっぱ不良品だ!』

『う、運がなかっただけだ! それか変に触ったかだ! 俺は問題ない!』

『そ、そうだ。社長には見えているはずだ! 俺たちが引き上げられないということは問題ないということだ!』

『ししししひひひひひひひ』

『空き缶を潰したような音がしたなぁ』



『只今、水深600メートルです』




『しゃ、社長! もう引き上げていただけませんか! はは、はははは』



『つ、通人装置が、こ、壊れたんじゃないんですか、あ、ああほら音が、ミシミシって……』

『ふっー、ふっー、ふっー、くそくそくそ俺は死なない俺は死なない』

『あっ、あっ、はぁむ!』

『あはははははははタマゴタマゴタマゴぐしゃぁぁ』

『あれ、今、外に魚か?』



『只今、水深700メートルです』




『しゃちょ、しゃちゃ、しゃちょさん』



『ブッ!』

『ああああくそくそ死ね死ね死ね死ね』


『水が水が水があたたかいああおしっこぉ……』

『あ、鮫か、いや違うなタコ? イカ? なんだあれ? あ』



『只今、水深800メートルです』




『あんたがったどっこさっどこさどこいくさ』




『死ねよぉ! 死ね死ね死ね死にゃん!』


『暗いああ、みんなどこ、どこどこどこ』




『只今、水深900メートルです』




『黒、黒い暗い黒い暗い……光が、見たいなぁ……』






『あああ、みんなそこにいたんだぁあはははははは。は』




『只今、水深――』




『私は……いき、いきのこ……ははは……あ、上がる……戻れる……』




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