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112.閑話、平行世界

大賢者が転生しなかったら。

もしもアバドンが太陽系を通過したら、どのような世界が待っているのか。

本章は地球が滅びる平行世界になります。

ちょっと長いです。

本編に関係ないため、読み飛ばしても大丈夫です。大災厄の2ヵ月前になります。

大賢者が転生しなかった世界:


私は米国大統領のジェームス.C.デイビスだ。

激戦を抑えて大統領選挙に打ち勝ち、先日大統領に就任した。


前のミラー大統領の時代は世界は混とんとしていた。

ミラー大統領就任直後の日本での首脳会談時に発生したテロ行為で、日本の原子力発電所がメルトダウン。放射能は首都圏を襲い、日本経済は大ダメージを受けた。避難した人は3000万人にも及んだ。もちろん世界経済も大ダメージを受けた。


その直後には米国発でバイオテロが発生した。

マッドサイエンティストによって人工的に作られたウィルスが、全世界に同時にばら撒かれ、世界はパニック状態に陥った。


感染者が続出し、当時の人口80億人の内、30%が感染し、2億5千万人近くが病気で亡くなった。

しかもウィルスを作ってばら撒いたのは米国企業の科学者だったことが判明し、米国の信用は地に落ちてしまった。

各国からは保証を求められ、各国との関係もギクシャクしてしまった。


さらには東アジアの独裁国家が、隣国の原子力発電所に向けて弾道ミサイルを発射し、その国の原子力発電所に着弾。原子炉はメルトダウン。

バイオテロでダメージを受けていた世界経済に更なるダメージとなった。


原子力発電所の被害を受けたその国は、米国と同盟関係にあったので、我が国を巻き込んでの戦争が勃発し、周辺の超大国まで巻き込んで、半年近く戦争状態となってしまった。


弾道ミサイル発射は、狂った将校が一人で勝手に実行したものだと後で分かったが、原子力発電所のメルトダウンとその後の紛争で10万人近くが死亡した。


誰が大統領を務めていても、どれもが防ぐのは難しかっただろうが、ミラー大統領は史上最低の大統領と後ろ指をさされていた。

私の時代には何事も無いと良いのだが。


テロに関しては国際的な危険防止のネットワークが構築されたし、ウィルスの遺伝子操作に関しては厳しい制限と監視が設けられた。

弾道ミサイルを発射した独裁国家は、国連の監視下に置かれた。


たぶん私の時代は平和だろう。

疫病と戦争で疲弊した経済も復活しつつある。


今日はカナダ首相との会談で、晩餐会も無事終了した。

大統領官邸に戻り、ゆっくりしようとした矢先に、大統領補佐官より緊急の連絡があるとの連絡が入り、ホワイトハウスの大統領執務室に戻る羽目になってしまった。


どうせどこかのテロ国家がなにかしでかしたんだろう。

そう思いうんざりしながら執務室に到着すると、大統領補佐官の他、CIA長官、国家保安局長官、NASA長官、そして見たことのない学者風の男が待っていた。


「いったいこんな夜に何事だ?」


「由々しき事態が判明しました。全世界を巻き込む災厄の可能性が高いです」


「なんだと?」


「詳細に関しては、彼から説明があります」


科学者風の男性が、ディスプレイに資料を映し、口を開いた。


「大統領、私は宇宙望遠鏡科学研究所のジョン・J・タイラーと云います。実は先日太陽系に接近する巨大な質量を持つ天体が発見されました」


彼は資料を示しながら淡々と説明する。


「現時点で分かっていることは、この天体は中性子星、もしくはクオーク星と思われ、太陽の質量の1.5倍で、毎秒3万Kmという速度で太陽系に接近しつつあります。名前はアバドンと命名されました」


「なるほど、それで?」


「軌道計算が昨日完了しました。そして地球から1億Kmの近傍を通過することが判明しました」


「地球にぶつかるわけじゃないんだな? 地球への影響はあるのか?」


「太陽より近い距離に、太陽の1.5倍の質量の星が通過するため、その重力の影響で、地球の公転軌道が大きく変動します。地球軌道は細長い楕円形となり、太陽との近日点では金星の軌道より内側になり、太陽と最も離れた遠日点では、火星の軌道より遠い場所になります」


「地球はどうなるんだ?」


「近日点では地球の平均気温は200度近くとなり、遠日点ではー70度となります。地球上のほとんどの生命は1年で滅亡します」


「そ、そんな馬鹿な。しかしそれが起こるのは何万年も先の事だろう?」


「いえ、アバドン地球最接近は2ヶ月後になります。その後、公転軌道が変化した地球が太陽に最接近するのはその3ヶ月後です。この時点で地球の生命の大部分が死滅します」


「つまり今から5ヶ月後には地球の平均気温は200度となり、人類は滅亡するということか?」


「そうなります」


「アバドンを太陽系に近づけないようにする方法は無いのか?」


「現在の科学技術では、いや、数百年後の未来の技術でも不可能でしょう」


「なんだってそんな物騒な星がこっちに向かってくるんだ?」


「アバドンがやってくる方向は銀河の中心です。推定ですが、数百万年前に銀河の中心の巨大ブラックホール同士が衝突し、その反動でブラックホールを公転していたクオーク星が弾き飛ばされたと思われます」


「人類が生き延びる方法は?」


「そこからは、私から説明します」


国家安全保障局の長官が説明を引き継ぐ。


「急ごしらえですが、人類生き残り計画を策定中です。各地にシェルターを建設し、一部の人間だけになりますが、シェルターに避難させて生き残りを掛けます」


「具体的にはどうするのだ?」


「太陽最接近時は北半球は真夏になりますが、南半球は真冬です。逆に遠日点では北半球は真冬で、南半球は夏になります。北半球での気温は夏は200度、冬は-90度と予想されますが、南半球の最南端付近では、最大気温は150度、最低気温は-40度と推定されます」


「なるほど」


「シェルターを南アメリカ大陸南端やオーストラリア・ニュージーランドの南端の鉱山跡地、および南極の米国基地に建設します。北半球ではアラスカの北端の炭鉱跡地をシェルターとします。」


「数か月で完成できるのか?」


「かなり困難ですが、米国国民を少しでも生き残らせる手段は他に有りません。既にチリとオーストラリア・ニュージーランドにある鉱山跡地の買取交渉は始めており、該当国の政府との交渉も開始しています。 並行してアラスカの炭鉱跡地にもシェルター用の建設資材の搬入を開始しました」


「何人ぐらい収容する予定だ?」


「最低でも1万人、できれば2万人は収容したいです」


「シェルター以外には避難方法は無いのか?」


「使用可能なすべての船舶を徴用して、食料や生活必需物資と避難民を乗せて南極海に避難させます。原子力空母と原子力潜水艦も、兵装を外して避難に利用します」


「南極なら大丈夫なのか?」


「太陽との近日点では南極は真冬ですので、気温は上がらないと予想されます」


「収容できない市民はどうなる」


「……残念ですが、生き残る手段はありません。鉱山跡、洞窟、地下シェルターなどは開放しますが、外界気温200度を生き延びることは困難でしょう」


「分かった。必要な物資や資材などを最優先で調達するんだ。必要な大統領令があるなら直ぐに発動する」


こうして生き残りをかけた計画がスタートした。

計画名は地下世界の神の名前を取って、エレボス計画と名付けられた。


翌日、第一回のエレボス計画会議が開催され、以下のことが決定された。


 ・シェルター建設は最優先で進める。


 ・各国政府にも通知するが、国際協力体制を構築する時間は無いため、

  各国政府で独自に対応してもらう。


 ・情報統制は徹底し、情報が漏れた時点で全米に戒厳令を敷く。


 ・政府権限で、できる限りの資材を調達し、シェルター建設地に運ぶ。


 ・メインのシェルターはアラスカの鉱山跡地の数か所と南極のパーマー基地

  およびアムンゼン・スコット基地とする。


 ・数か月ではシェルターは完成できないため、避難と建設を同時に進める。


 ・アルゼンチンやニュージーランド等の鉱山も候補だが、各国政府との交渉の

  時間が無いため、各国との共同シェルターとする。


 ・避難する人員は、各分野の専門家とその家族を優先させる。


 ・石油タンカーや客船を含む大型船舶を政府権限で徴用し、一時避難場所や物資の

  貯蔵用として活用する。


 ・原子力空母と原子力潜水艦は移動および海上シェルターとして活用する。


こうして人類の生き残りをかけた計画が始動したのである。


◇◇◇


アバドン通過


情報統制は一応の成果があり、一般市民には知られずにアバドン最接近の日が来た。

秒速3万Kmの速度で通過するので、たった24時間で地球近傍を通過する。

潮汐作用で高潮の発生は予想されたため、アバドン通過の数日前に、各国政府はようやく情報を公開した。


しかしながら、アバドン自体は非常に小さく、発する光も強くない。

そのため、最接近時にかろうじて肉眼で見える程度であり、一般市民はまだ実感が湧いていないようだった。

中には、政府内の汚職を隠すために、でたらめなニュースを流していると批判する評論家まで現れた。


そしてアバドン最接近時。

懸念された潮位の異常もそれほど大きくなかった。

いくつかの海岸線上の都市が、膝上ぐらいまで海水が押し寄せた程度だった。

しかし、アバドン通過直後から、地球の軌道は確実に変動したのである。


アバドン最接近は2月初旬で、北半球はこれから春に向かう季節だった。

2月から3月は気象変動は特に認められなかった。


米国政府は2月初旬に非常事態宣言と戒厳令を発動し、物資の統制や、船舶の徴用、集会やデモの禁止などを発表した。

また、今後発生する異常気象に関しても予想を発表し、各地区に割り当てられた避難所か、自宅に地下のある家庭は地下に避難できるように準備を進めるように勧告した。


学者や政府関係者は、米国内での簡易的なシェルターや家庭の地下室では助からないことは重々承知していた。

しかしパニックを抑えるためにはある程度の楽観的な指示を出すのは仕方がなかったのである。


仮に、


「南極や北極圏の一部のシェルターに避難した人たち以外は生き残れません。今後数か月の内に全世界の人口80億人のほとんどが助かりません」


などと発表したらどうなっただろうか?


各国は自国の船舶を徴用し、避難用や、物資の輸送用に使い始めた。

各国政府が自国最優先を打ち出し、船舶や航空機を自国用に徴用したため、国際物流が滞り、生活必需品が入手困難になっていった。

物価は高騰し、マーケットからは品物があっという間になくなった。


◇◇◇

4月 日本・東京


日本政府は3ヵ月前に米国政府から秘密裏にアバドンについて情報を入手していた。

その直後から必要物資の調達を秘密裏に開始。

3月までには多くの生活必需品や燃料などの備蓄ができていた。


日本政府としての方針は、南極の昭和基地にシェルター建設し、メインの避難先とする。すでに1万人が数年生き残れる物資の運び込みを開始していた。


他にも北海道の各炭鉱跡地を企業より提供させ、大規模な改修工事を開始。

こちらにも必要物資の運び込みを開始した。


日本企業が所有する大型客船や貨物船、石油タンカーも政府が徴用し、物資の輸送・保管用及び海上シェルターとして活用することとなった。


4月に入ると急に気温が上がり始めた。

しかし、早めの梅雨入りと相まって、東京ではまだそれほどの気温上昇とはなっていなかった。


都内のメーカーで働くA氏は、アバドンの情報が公開された後も普通に生活していた。

いつものように通勤電車に乗り込んだ彼は、4月に入り、電車内が妙に空いていることに気が付いた。


在宅勤務が広がってきていたので、通勤ラッシュは緩和されつつあったのだが、4月の上旬のこの日はいつもと様子が違っていた。

列車内はガラガラで、各駅ではほとんど人ともみ合わずに乗降できた。


いつもの通りオフィスに出社したが、実はここ数日やることはあまりない。

先月の政府発表直後から、A氏が務める会社の製品は、生活必需品でもなかったことから、注文のキャンセルが相次ぎ、製品生産量が激減。

それ以前に、部品が集まらないので工場の生産ラインはストップしたままだった。


昼休み前に、部門長から集合の号令がかかった。

社員の7割は在宅勤務だったので、集まったのは僅かだった。


「現時点で、生産再開の目途は立っておらず、新規の注文も見込めないため、しばらく業務は中止し、各自自宅待機でお願いします。本日午後より帰社してください。業務再開の時はメールで各自に連絡します」


A氏は仕方なしに事務所を出るが、食料の買いだめをしておこうとスーパーに立ち寄った。

そこでA氏が見たのは、空っぽの展示棚だった、

めぼしい食料品はすべて売り切れ。

それでもまだ売られていた食料品や日用品を購入し、別のスーパーにも行ってみる。

結果はどこも同じで、ほとんどの食料品や生活必需品は売り切れ、再入荷の目途無しとなっている。

しかも1ヵ月前の倍以上に値上げされていた。


遠くのスーパーまで足を延ばすが、そこはクローズしており、再開の目途無しとの張り紙が張ってあった。

いよいよ焦ったA氏は、アパートに戻ると、ネット通販サイトにアクセスする。


「売り切れ」

「売り切れ」

「売り切れ」


めぼしい商品は全て売り切れ。

閉鎖されていた通販サイトまであった。


日本国内は、世界はどうなっているんだ。テレビとネットのニュースで確認する。


 ・インド ニューデリーで、最高気温75度。死者多数。


 ・中東産油国、気温80度越え。原油生産全面ストップ。


 ・フィリピン沖で発生した観測史上最大の台風直撃で、マニラ壊滅状態。


 ・ブラジル リオデジャネイロで大規模な暴動発生。事実上無政府状態に。


 ・南ヨーロッパで観測史上最大の熱波。EU内で北への民族大移動が始まり、

  各地で紛争発生。


日本国内も悪いニュースばかりだった。


 ・今年の梅雨はまもなく終わり、5月の東京の平均気温は70度以上と予想。


 ・北海道へ人々殺到。北海道庁は道外からの流入を制限すると発表。


 ・食料、日用品の不足続く。政府は配給制を検討。


 ・沖縄の本日の気温60度越え。病院は熱中症患者で満杯。

  那覇市の死者は1000人を超えたと推測。


◇◇


5月上旬


地球は太陽との距離は1億1千万Km。

太陽からの光は凶悪になり、北回帰線から南回帰線の範囲の土地での昼間の平均気温は80℃を超えた。

陸上の哺乳類はほぼ全滅状態となった。植物も全て枯れてしまった。


赤道付近の国々は燃料不足と熱波の影響で、電力はすべて停止してしまい、エアコンもない都市で、80℃の熱波で人々は次々に倒れていった。

それでも一部人々は洞窟や鉱山の奥に避難して、まだ生き残っていた。


日本:


梅雨はあっという間に終わり、凶悪な太陽が日本列島を炙っていた。

東京での日中の最高気温は70℃を超え、東京に残っていた人々は昼間は外出は不可能になっていた。


5月3日に、政府より、生活必需品製造工場以外の昼間操業の全面停止が命令された。

更には、昼間の9時から18時の電車の運行の停止を指示。

これは、電力をすべて冷房に振り向けるためで、それでもぎりぎりの状態となった。

列車の運行は夜間のみとなり、人々はまだ多少は気温の低い東北や北海道に逃げ込もうと、列車や自家用車で北へ北へと向かい始めていた。


長距離列車はすべて夜間運転に切り替えられたが、駅に人々が殺到し、どの電車も満員状態となっていた。

駅構内は冷房がなかったり、利きが悪い状態であり、昼間の熱が夜になっても下がらず、駅に押し掛けた人々も次々に熱中症で倒れていった。


北へ向かう高速道路も大渋滞となっていた。

無理な割込みや、路肩走行が横行され、高速道路上の事故が多発した。

夜間でも気温が50℃を超えていたため、事故車の片づけの作業員が熱中症で倒れ、高速道路の渋滞はどんどんひどくなっていた。


そして、渋滞が解消されないまま夜が明けた。

凶悪な太陽が地平から姿を現し、高速道路上の車をあぶり始めた。

一晩中エンジンをかけたまま冷房を最大にしていた車は、次々にガス欠を起こしてエンジンが止まって行った。


エンジンが止まった車はあっという間に灼熱の地獄と化し、車から逃げ出しても外は70℃越えの気温が待ち構えており、高速道路上で人々はバタバタと倒れていった。


5月7日には東京の最高気温は75℃となり、工場が操業を停止しているにもかからわず、電力は逼迫状態となった。

都内の病院はどこも熱中症の患者であふれかえり、基礎疾患のある人や高齢者がバタバタと倒れて行った。


5月10日には、東京の最高気温は80℃を超え、ついに東京全域で停電が発生した。

マンションはたちまち灼熱の地獄となり、病院も電力停止の影響で空調が停まり、医師も含め人々はぞくぞくと倒れていった。

車を持っている人は、地下駐車場等で車のエアコンを使いかろうじて命をつないでいた。

それでも、せいぜい半日程度しか燃料は持たなかった。ガス欠と同時に持ち主の命も終わりを迎えた。


東京都指定の地下避難所では非常用電源で空調設備がかろうじて作動しており、僅かな人々は生きながらえていた。


しかし、その日の夜、観測史上最大の豪雨が首都圏に襲い掛かった。

昼間の高温で蒸発した水蒸気は、太陽が沈んだ後に雨雲になり、一斉に降り注いだのだ。

1時間当たり150mmもの豪雨が夜間8時間続き、首都圏全域が水につかった。

押し寄せた豪雨は地下にも流れ込み、避難していた人々をすべて飲み込んでいった。

首都圏の人口4000万人の内、この日までに95%が死亡したのである。

しかしこの時はまだ200万人足らずは生き残っていた。


◇◇◇


北海道稚内市


稚内市ではここ数週間で本州や北海道南部から暑さに追われて逃げてきた人々であふれかえっていた。

稚内市では、早くから食料の確保に努めていたため、市民の1ヵ月分の食料は確保できていた。

市内のホテルは満杯で、稚内市は市内の体育館などを開放して、避難民を収容していた。

しかしここにも熱波が襲い掛かりつつあった。


5月20日には、日中の最高気温が60℃を超た。

市内の一般家庭には暖房はあるが、冷房設備の無い家が多く、熱中症になる人が続出した。

市は冷房のある施設を全て開放し、犠牲者を一人でも少なくすべく必死の努力を続けていた。


5月25日、北海道の最高気温は80℃を超え、道内全域が停電した。

北海道内の鉱山跡地に、政府が設置したシェルターに避難した人を除けば、この日までに道民の90%が熱中症で死亡した。

それでも、北海道内には多くの炭鉱や鉱山跡地が存在し、そこに逃げ込んだ一部の人はまだ生き残っていた。


6月1日、地球と太陽からの距離は1億Km。金星軌道の内側まで接近していた。夏至に近いこともあり、北半球の気温は急激に上がり、北海道の最高気温は150℃を超えた。

東京での気温は180℃。しかしそれを観測し、発表する人は誰も残っていなかった。首都圏をはじめ、本州で生き残っている人は誰もいなくなっていた。


北海道でも、政府が設置した炭鉱跡地のシェルターに避難した以外の人々は全員死亡した。


◇◇◇

世界:


世界各地での暴動の発生はごくわずかだった。

アバドン通過後、人々が情報を入手し、パニックになり始めたころには、赤道地方では屋外での活動が困難なほどの気温となっていた。


中緯度地域以北もすぐに気温上昇が襲い掛かり、暴動を起こそうにも、屋外にでて活動するだけで人々は倒れて行った。


7月1日

南回帰線より北側の国々は、各国が設置したシェルター以外は全滅状態となっていた。

中東の砂漠地帯の気温は250℃を超え、油田設備のあちこちから炎が上がっていた。

ヒラヤマ山脈など、高山では気温上昇は緩やかだったが、ここには強烈な紫外線が降り注いでいた。


アラスカやシベリヤなどの高緯度地方でも、日中の気温は100℃を超え、シェルター以外で生き残った人は居なかった。

北半球の放送局や無線局は6月に入ったころから次々に電波の発信がとまり、夜の電気の明かりも全く無くなった。


南半球の高緯度地域ではまだかろうじて人々は屋外で活動できていた。

日中の最高気温は60℃を超えていたが、家屋は(寒さから守るため)高断熱の作りが多く、海水や河川の水はまだ冷たいので、そこで涼を取るなどして生き残っていた。


また、全世界の船舶が避難のため南極海に集まってきており、船舶全体で10万人近くの人々が乗船していた。

これら船舶には、中東の産油国のタンカーや、日本の自動車輸送用の貨物船の姿もあった。

これら船舶は避難民の他、石油や食料などの物資を満載していた。

各国の政府調達の船舶も多くいた。


各国の潜水艦も武装を概ね解除して、食料を満載して南極海に集まっていた。

ディーゼル式の潜水艦は概ね海上に浮上していたが、原子力潜水艦は海面下で待機しているものも多かった。


南極や南極海は現在真冬であり、太陽はほとんど顔を出さない。

その為、太陽にあぶられることは無かったが、緯度の低い地域からの熱い空気は流れ込んでおり、気温は30度を超えることもあった。

しかし生存を脅かすほどの気温ではなく、船舶で避難した人々からは熱の影響での死者は出ていなかった。


6月下旬に地球は太陽との近日点を通過。

太陽との距離は約1億Km。


しかし、最高気温はこの後遅れて世界を襲い始めた。

赤道付近の内陸部の気温は250℃を超え、生命のすべては死滅した。


海水の温度は100℃以上には上昇しないため、海岸線沿いの土地はそこまで気温は上がらなかったが、それでも120℃を超えていた。

海岸線の海は温度上昇により沸騰していた。


接近した太陽による潮汐作用で、満潮時の潮位は10mを超えており、多くの海沿いの都市は水没した。

もっとも、都市は既に無人となっており、そこに阿鼻叫喚の光景は無かった。


真冬だった南半球にも温度上昇はやや遅れて、容赦なく襲い掛かっていた。

オーストラリア大陸の南端でも気温は150℃を超え、南アメリカの南端、チリのアルゼンチン南端、フエゴ島に位置する都市ウシュアイア市でも最高気温が80℃となり、南アメリカ大陸で、最後に残った町の人々も熱により倒れていった。


ウシュアイア市に昔から暮らしていたB氏は、災厄についての情報を得ると、早くから準備を進めていた。

食料品を買いだめ、地下室の断熱を強化し、雪や氷を多数家屋内に備蓄し、熱波に備えていた。

元々断熱効果の高い家だったので、近日点での温度上昇にも耐えることができた。

ほとんどの家に冷房設備は無かったが、B氏はクーラーも取り付けており、電力が停止してしまう7月3日まではクーラーで家屋内を冷やすことができた。

電力が停止した後も、地下水をくみ上げ家の中を冷やしていた。


8月3日までは街中の小さなラジオ局は電波を出し続けていた。

インターネットもかろうじて生きていたが、この街のプロバイダーと市の運営するサーバー以外はどこにも接続できなかった。


8月3日の停電で、ついにラジオ局は沈黙し、インターネットも完全に停止した。

彼はアマチュア無線設備も持っていたため、無線を使って引き続き情報を入手していた。


北半球はもちろん、南半球のほぼすべての都市のアマチュア無線とは交信は途絶えてしまった。

南極の各国の基地とは交信が続けられており、アラスカや日本の夕張炭鉱シェルター、ノルウェーのスバールバル諸島のシェルターなど、北半球でも高緯度のシェルターのアマチュア無線とは途切れ途切れに交信ができており、まだ世界は滅亡していない安堵感がでた。


市当局からの最後の情報では、ウシュアイア市のこの暑さも2週間程度で収まり、それを乗り越えれば屋外で活動できる気温に下がるとのことで、多くの家は俺と同じように食料の備蓄と、暑さ対策をして家に籠っているのだろう。

市も、体育館や病院などをアルゼンチン政府と共同で、突貫工事で改修し、暑さ対策を施していた。

市内のアマチュア無線家との交信もまだ続いており、まだ何人かが生き残っているようだ。


アルゼンチンの政府機関も1ヵ月前にウシュアイア市に移転してきており、大量の物資も運び込まれている。

なんとかこの夏を乗り切れるだろうか?


◇◇◇


アラスカ、ボゴ鉱山シェルター


アラスカのボゴ鉱山跡地に建設されたシェルターは8月時点で生き残っていた。

米国内の北半球のシェルターとして、一番大規模なシェルターがボゴ鉱山シェルターで、約1万人が避難していた。

時間が無く、シェルターは完成には程遠かったが、必要と思われる資材をかき集め、炭坑内に運び込んでいた。

鉱山入り口は頑丈なドアで締め切られ、暑さや寒さをシャットダウンする。

軍事用の発電機と原子力電池も設置され、電力は当面確保できている。

急ごしらえにしてはよくできていた。


坑内の拡張作業は避難後も続けられていた。

まだ外に雪があった時に、大量の雪を坑内に運び込んでいたので、それで坑内を冷やし、食料の保管にも役に立った。


南極、パーマー基地:


大統領はじめ、政府機関は南極のパーマー基地シェルターに移った。

規模としてはアラスカのシェルターが最大だが、米国政府は南極にも大量の資材を搬入しており、太陽の上らない真っ暗な中、煌々と明かりをつけながら、地上と地下のシェルターの拡張工事を続けていた。


各国の政府も南極基地シェルターを建設しており、南極では気温が上がらないこともあり、南極内での死者はまだ出ていなかった。


◇◇◇

9月


9月になり、地球と太陽との距離が離れてきた。各地の気温も下がり始めたが、最接近時の熱波により、南半球の南緯55度以北の地域の人々は、堅牢なシェルターに避難している人以外は全員死滅した。


南極の各基地やシェルターに避難した人々はトータルで10万人だった。

南極は太陽が出てこない極夜が終わり、太陽に炙られ始めた。

北側の熱く熱せられた空気が高気圧に押されて、南半球全域に襲い掛かってきていた。

それにより気温が上昇したが、それでも50℃は超えることが無く、南極に避難した人々は、暑さに耐えることが出来た。


しかし船舶で南氷洋に避難していた人々には別の苦難が待ち受けていた。

夏の終わりに大暴風雨が南極海全体を襲い、風速80mを超える暴風雨となった。


中型船舶以下はこの暴風雨で多くが沈没してしまい、大型船舶でもかなりの被害が出た。

船舶で南氷洋に避難していて人々は10万人を超えていたが、暴風雨が去った後、生き残りは5万人足らずとなっていた。


◇◇

10月


地球と太陽の距離は急激に離れていき、地球の平均気温は落ち着き始めた。

南極で生き残った人々は、足りない資材や資源を求めて、暴風雨を生き残った船舶で出て行った。

鉄や非鉄金属などの金属資源は、熱によって破壊されることは無いため、オーストラリアやニュージーランド、南アメリカの南部の都市から入手可能だった。


半面石油燃料は高温に炙られ蒸発するか、火災で焼失してしまっており、油田から原油を汲み上げるしかなかった。気温が下がり始めた中東の油田を再稼働させ、生き残ったタンカーに汲み上げる作業が行われた。


問題は食料の確保だった。

各国とも大量の食糧を保管していたが、節約しても数年分に過ぎなかった。

南極の基地では小規模ながら食料の生産を開始していたが、とても収容人数を賄える量は生産できそうになかった。


オーストラリアの南部などで、秋から冬にかけての比較的温暖な時期での農業に期待し、放置されていた農業機器を修理し、小麦やジャガイモ、トウモロコシ等の栽培にトライした。


昆虫はほとんど死滅していたので、農薬を撒く必要は無かったが、農地に生息する良性の細菌まで死滅していると思われ、果たしてまともに植物が育つかが不安視されていた。


しかし農地を耕すことによって、地面深くで生き残っていた細菌類が活動を始めたようで、各種の農作物はなんとか育っていた。


地球の軌道が楕円形となり、1年の長さが18ヵ月に変化した影響により、オーストラリアで農作物を育てることが出来る期間が、10月から12ヵ月間となり、栽培に9ヵ月必要な小麦でもなんとか収穫は出来る可能性はありそうだった。


◇◇◇

真冬


地球が太陽との近日点通過の6月から9ヶ月後、地球の位置は太陽から最も離れた2億2千万Km位置となった。

生き残った人々はこの遠日点通過の日を新1月1日と定め、1年を18ヵ月とした新しい暦を使用し始めた。


その新1月は北半球は地軸的には真冬の時期となり、太陽との距離が2億2千万Kmも離れたため、寒さが非常に厳しくなっていた。

もはや人の住んでいない東京でのこの時期の最低気温は-80℃にもなっていた。


多くの人が避難している北極地方のスバールバル諸島やアラスカでは最低気温が-95℃にも達した。

それでも炭鉱跡地のシェルターで人々は生き残っていた。


南半球は逆に真夏であったが、太陽との距離が離れているので、気温は10℃以上にはならなかった。

太陽の光も弱く、農作物が期待したほどの成長が見られず、金属鏡で太陽光を反射させて増強させたりして、なんとか植物の成長を促したりしていた。


◇◇◇


災厄から15年後


米国大統領の視点:


生き残った国の中で最大の人口を有する米国のシェルターだったが、大統領は災厄の時の私、デイビスから代わっていなかった。

一つには、とても大統領選を行っている余裕が無かったことと、私が強力なリーダシップで生き残った米国市民を率いることが出来ていたからだろう。


史上最年少の米国大統領とされているルーズベルト元大統領と同じ歳に大統領に就任した若さも良かったかもしれない。


しかし、大統領としての職務は大変だった。電力も食料も足りない。

医薬品も日用品も大災厄から数年後に底をついた。


米国のシェルターはもちろん、全世界でも人口は減り続けていった。

世界の人口は災厄の後の最初の夏を超えた時点で推定15万人となってしまっていた。

そして最初の一年でさらに人口が減少し、12万人となってしまっていた。

その後毎年人口は減っていき、15年経った今では全世界総人口は9万人を切っていた。


主な人口減少の理由は、燃料不足と食料不足だ。

南極での過酷な生活にはエネルギーは欠かせない。

しかしエネルギーのほとんどを石油に依存していた南極の各基地は、燃料切れと同時に生存が難しくなっていた。


中東の産油地域で、毎年石油を汲み上げてタンカーで運んでいたが、真夏には200℃を超える気温にさらされていたため、油井の設備はまともに動かず、タンカーに原油を移すことが年々困難になっていった。


さらに原油を精製する施設が無かった。

簡易的な設備で石油を精製し、重油や軽油、ガソリンを作ったが、とても需要を満たすほどでは無かった。


農作物の栽培にも苦労していた。

天候が不順で、夏には100℃を超える熱で、南半球の農地は疲弊。

シェルターや基地内では、水耕栽培やクロレラなどの藻の培養での食料生産も試みられていたが、これも需要にこたえるほどでは無かった。


しかし、魚類、特にオキアミなどのプランクトンは大量に獲れ、それを食料にしている魚類やクジラなどの漁も出来たため、これらによりタンパク質は何とかなっていた。

アザラシやペンギンも食料にできた。

クジラに関しては日本が本国から運んできた捕鯨船2隻が大いに役に立った。


人口が減り続ける理由のもう一つの原因は、自殺者の増加だった。

狭いシェルター内での生活で、人々のストレスは非常に高くなっていた。

それに対し、向精神薬などの薬は底をついていた。

ストレスに耐え切れなくなった人は安易に自殺を図った。


子供が生まれないことも人口減少に拍車をかけた。

シェルター内では若い男女も多くいたが、ストレスから子供が出来なかったり、流産したりが多く、何より絶望的なこの状況で子供を作ろうとするカップルが少なかった。


そして15年目のこの年、天文学者が事前に予知していたが、金星と地球の大接近が発生した。

金星の重力による潮汐作用によって、高潮や津波が発生する可能性が指摘され、各国の生き残った人々は、対策を準備していた。


そして天文学者の計算では、金星との大接近後、金星の重力の影響で地球の軌道が再度変わることが予測された。

地球の公転軌道は今の軌道よりかなり良い形になるだろうとの事。


そして、金星大接近の時。

赤道付近を中心に、津波や高潮が発生し、その後大暴風雨が地球全体を襲った。


修理を続けていた中東地域の油田設備は嵐で吹き飛んでしまった。

南氷洋で生き残っていた船舶も大きなダメージを受け、多くが沈没したり、座礁したりしてしまった。


第二の災厄ともいえるほどの被害が発生し、嵐が去った後、生き残っていた人は7万人までに減っていた。


そして、予想通り金星の引力の影響で、地球の公転軌道が再度変化した。

天文学者は軌道の再確認を行い、やや楕円型の軌道であるが、極端な太陽との接近は無い軌道となったことを発表した。


太陽との平均距離は、アバドンによる災厄の前の1億5千万Kmと比べやや遠い1億7千万Kmとなったが、太陽との近日点でも1億5千万Kmであり、灼熱の夏は無くなった。

太陽との平均距離がやや遠くなったので、全体的な寒冷化は懸念されたが、この15年間で大気中の炭酸ガス濃度とメタンガスの上昇もあり、その温室効果により平均気温は大災厄の前とほとんど変わらないだろうと予想された。


この年の終わり、人類はようやくシェルターから抜け出し、故郷に戻ることが出来た。


私はパーマー基地を離れる時、シェルター内の礼拝堂に向かった。

この15年間何度も訪れた簡易的な礼拝堂だ。

副大統領も来ていた。


「人類の数は7万人足らずになってしまった。我々はまた繁栄できるのだろうか?」


「繁栄できるように努力するだけですよ」


「そうだな。多くの人が亡くなったな。もしアバドンの接近をもっと早く知りえたら、回避する方法は有ったのだろうか?」


「シェルターをもっと充実させるのがせいぜいでしょう。大災厄の直前にも全世界の科学者が議論していましたが、21世紀の科学技術では、いや数千年先の未来技術でも太陽の1.5倍の質量で光速の10%もの速度の星の軌道を変えることはできないとの結論でした」


「そうだったな。魔法でも使わない限り大災厄は避けられず、人類のほとんどは滅亡するだろうという結論だったな」


「そして実際80億の人類は7万人足らずまで減ってしまいました」


「この災厄を回避できた平行世界の地球は存在しただろうか?」


「それこそ魔法を使える世界であれば回避できたかもしれませんね」


そう、我々は数千年に渡って知識を深め、科学技術を高めてきた。

しかし今回の様な災厄の前では僅かな人を生き残すことが出来ただけだった。


この礼拝堂もこの後閉鎖され、パーマー基地は放棄され全員でアメリカ東海岸に移動することが決まっていた。


私は最後の祈りをささげていた。

南極のシェルターが生き延びることができた感謝と、人類がかつての様に栄えることが出来るように、そして、平行世界があるならば、その世界の地球は大災厄を避けて繁栄しているように、切に祈った。

大賢者が居なかったらかなり悲惨な世界になっていました。

これで第二章は終わりで、次話からは第三章になります。

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