109.故障
スミソニアン計画の情報公開後の混乱が心配されたが、思ったほどのパニックは発生しなかった。
政府発表が”地球軌道がズレる可能性がある”としたことで、確実な破滅では無いと人々が捉えたことや、現時点でアバドンが肉眼で見えるわけでもなく、政府発表のアバドンの画像も、天の川の中の一つの目立たない小さな赤い点に過ぎなかったことなどから、”現実味がない”と思われたためだ。
しかし、物価の上昇は始まった。
シェルター用に各国政府が資材を調達・備蓄していたため、既に物価は緩やかに上昇していたが、それに拍車がかかった状態だった。
多くの人が有事に備えて買いだめ、物資の備蓄を始めていた。
株式市場も大きく反応し、建設関係の株価が値上がりした半面、航空各社とボーイングなどの飛行機製造関連各社の株価が暴落した。
パニックが発生したのはニューヨークのジョン・F・ケネディ空港とロスアンジェルス国際空港だった。
発表と同時に、転移魔法による一般旅行客のニューヨーク-ロス間の予約が開始されたが、あっという間に半年先まで予約が埋まってしまい、さらには殺到した注文でサーバーがダウンした。
転移魔法を見学するため、報道関係者や一般客が空港に殺到し、交通渋滞が発生する事態も生じた。
米国政府は事態を鎮静化するために、1日5往復の転移魔法の稼働を10往復まで引き上げるとともに、米国内主要都市間へ拡充すべく、各都市の空港への転移魔法陣設置を加速した。
さらには各国とも調整して、国際間の移動用にも拡大することを宣言することとなった。
シェルターへの移動に関しては、専門家を中心に政府から個人あてに指定する形式となった。専門家以外は、コンピューターによる抽選とすることになり、米国が先行する形で当選者に連絡を入れ始めた。
しかしながら政府指定の専門家はともかく、抽選で選ばれた市民からは辞退者が続出した。
アバドンが地球軌道を変えて、地球が滅びるなど信じていなかい人も多いみたいだった。
アバドンを信じた人も、転移魔法を目の当たりにして、飛行中の宇宙船により太陽系から排除することができると信じたため、ますますシェルターの人気は低下していた。
それにアラスカや南極や南アメリカの僻地へ移動させられることにも難色を示しているようだ。
さらには、専門家からも辞退者が現れ始め、米国政府は方針を変えてまずはシェルターへの移住希望者を募り、その中から抽選を行うことにした。
各国政府も米国の状況を参考にして、希望者を優先する方式を採用した。
結局のところ、心配されていたシェルターへの移住に選別されなかった人による暴動やパニックはほとんど発生しなかったのである。
◇◇◇
ミカエルとルシファーが飛行を開始して1年と少し経った頃、ミカエル側に重大な問題が発生した。
イオンエンジンの燃料であるキセノンの残量が大幅に減少していたのだ。
調べてみると、キセノンタンクからイオンエンジンにつながるパイプに亀裂が生じ、キセノンが宇宙空間に漏れ出していることが判明した。
地球からすでに何十億キロも離れているので、今更修理はできないし、キセノンの補充も出来ない。
イオンエンジンの燃料が無くなってしまったらもう加速はできないし、位置の調整も難しくなる。
そのニュースが伝わると、管制室は絶望感に沈んでしまった。
すぐに対策会議が開かれ、俺とさやかも参加した。
技術主任から故障の詳細が報告された。
「というわけで、すでに燃料のキセノンの残量はほとんどありませんし、燃料パイプは予備系が無いので迂回することも出来ません。ミカエルはあきらめて、ミカエル2に切り替えるしかありません」
そこへさやかが発言する。
「このようなことを想定して、水魔法の魔法陣を描いた魔石が搭載されています。これを使えば燃料パイプの亀裂をふさぐことができると思います」
「そんなことが可能なのか? 具体的にどのようにするのだ?」
「水魔法と言う名称ですが、実際はすべての元素を何もないところから作り出せる魔法です。パイプの材質と亀裂の位置が分かればパイプの修理は可能かと思います」
「すぐにできるのかね?」
「メーティスが宇宙船の設計図や構造図など詳細をすべて把握しているので、メーティスに任せれば大丈夫です」
「ではすぐに実施してくれ」
「わかりました。会議を終了して管制室に移動します」
俺とさやかは転移魔法でヒューストンに移動し、管制室に入る。
「メーティス、会議での話は聞いていたわね。まずはパイプの亀裂を直して」
「了解しました。パイプの亀裂位置は探知魔法で判明しています。パイプの材質はステンレスです。鉄とクロムとニッケルが使われているので、混合割合をパイプの材質と同じにして、亀裂部分に発生させ、亀裂を塞さぎます」
「そのぐらいかかる?」
「すぐに終わります。……完了しました」
1分も経たないうちに修理が完了してしまった。
宇宙船からの数値を確認していた管制官が声を上げる。
「キセノンガスの圧力低下が止まりました。パイプの亀裂は塞がったようです」
管制室から歓声が上がった。
「メーティス。次は失われたキセノンガスを充填して」
「了解しました。これより充填を開始します。キセノンガスは原子量も大きく、充填量も大きいので、充填完了までに3時間必要です」
モニターを見ていた管制官が再度声を上げる。
「キセノンガスタンク内の圧力が上昇し始めました。充填が開始されたようです」
またしても管制室に歓声が上がる。
こうして深刻な故障からミカエルは復旧した。
そして如何に魔法が有効なものなのかが再認識されたのである。
シェルターへ殺到するパニックを抑えるために転移魔法を公開したら、転移魔法を体験しようとする人たちで別の所でパニックが発生しちゃったんですね。
宇宙船は深刻な故障からも回復しました。
次章以降いよいよアバドンを捕らえます。




