9.大賢者、日本チャンピオン戦を見る
夕食を食べながらテレビを点けると、ボクシング中継をやっていた。
そういえば今日はシャーク正人選手の日本チャンピオンの挑戦の日だったな。
下馬評ではシャーク正人選手は咬ませ犬とされており、対戦相手のタイガーワタナベの実力が圧倒的に高いとされていた。
確かに俺が稽古をつけるまではそうだったかもしれないが、あれからちょくちょく事務所に顔を出して、アドバイスしたり、強化魔法を掛けた状態で練習したので今の正人は120%のベストコンディションのはずだ。
いい勝負というか、勝てるんじゃないかな?
テレビではちょうど試合が始まるところだった。
俺は事前に1ラウンド目はパンチをもらわないように防御に徹し、じっくり相手の動きを見てそれを頭に刻みこむ。勝負は2ラウンド目以降とすると良いのではないかとアドバイスしておいた。
この戦略はジムの会長の考えにも一致していた。
1ラウンド目は正人は防御に徹して相手の動きを完全につかんだようだった。
試合開始直後は危うい場面もあったが、1ラウンド目の後半では余裕でパンチを避けていた。
そして2ラウンド目。
防御半分で攻撃半分としたようだった。これは会長の指示だな。
俺とのスパーリングでは、ワタナベ選手の癖を再現して対戦したが、実際には100%再現できたわけでもないし、相手の実際の実力は良く見た方がいいからな。
2ラウンド目の最初こそ正人のパンチは相手によけられたりブロックされていたが、後半では的確に相手をとらえていた。
相手のタイガーワタナベは、格下と思っていた相手が思った以上に強敵でびっくりし、焦りも出ているようだった。
チャンピオンのパンチはすべて防がれ、2ラウンド目後半からは正人選手のパンチをもらうようになってしまった。
そして3ラウンド目、挑戦者正人はこのラウンドで攻めに転じたようだ。
3ラウンド目開始直後から積極的にパンチを繰り出す。
チャンピオンは防戦一方になり、たまらずに繰り出したパンチはことごとく空振り。
ついにガードが破られ右ストレートを顔面に喰らいぶっ倒れた。
下馬評ではチャンピオン圧倒的有利だったが、ふたを開けてみれば挑戦者の圧勝だった。
俺はこの試合を見て、この世界の人間への強化魔法の適用は非常に有効であると認識した。
もちろん今回はシャーク正人選手の努力もあったが、ここまで有効に強化魔法が作用するとは思わなかった。
今後の他人への使用は注意しよう。
◇◇◇
シャーク正人視点:
時間は少し遡る。
その日、僕はいつものようにジムに行き、チャンピオン戦への備えの調整をしていた。
会長から「体験入門の希望者が来たからちょっと相手してやってくれ。」と言われた。
自分の調整に忙しいんだけどな、と思いながらも相手をしてやることにした。
入門希望者は史郎という名の中学3年生とのことで、華奢な身体でとてもボクシングに向いているとは思えない。
基本も何も知らないみたいだったので、手取り足取り教えてやるが、あっという間に基本をマスターしてしまい、シャドウボクシングもサマになっている。
サンドバックを叩かせてみると、華奢な身体からは信じられないほどのパンチでサンドバックがおおきく揺れたりもした。
スパーリングをやってみるとさらに驚愕した。
最初は史郎にパンチを打たせこちらはそれを軽くブロックしていたが、どんどんパンチが重く、早くなり、ついにはブロックをはじかれてしまった。
2ラウンド目からはこちらもパンチを出したが、最初こそパンチが当たったが、直ぐにこちらのパンチは防御され、最後には向こうのパンチを防御するのが難しくなるぐらいだ。
まだボディーのブロック方法は教えていなかったので、腹がガラ空きだったので、腹にパンチをお見舞いしてみた。
思いっきり打ったパンチがもろに史郎の腹に食い込んでしまった。
しまった、やらかしてしまった。素人相手にボディーに強烈なパンチを打ち込んだりしたら、リング上でリバースして悶絶してしまう。
しかし、史郎はちょっと痛そうなそぶりは見せたが、すぐに持ち直し、再びパンチを繰り出してきた。
いや、あのパンチでなんともないとは何なんだよ。
僕は焦って大ぶりのパンチを出したらカウンターを喰らいダウンしてしまった。
彼は実はボクシング経験者で隠していただけか?
いや、最初は本当にボクシングの基本も知らなかった感じだったので、まさに天才なのかもしれない。
会長が土下座せんばかりに正式入門をお願いしたが、史郎は断って帰ってしまった。
◇◇◇
数日後、日本チャンピオン戦の最終調整のためのスパーリングを行うはずだったが、スパーリング相手が怪我をしたとかで急遽中止になってしまった。
他の同レベルの実力の相手もすぐには見つからず困っている時に、史郎のことを思い出した。
記入されていた体験入門書の連絡先に、ダメもとで会長経由で彼にスパーリングを依頼してみた。
なんとか交渉は成立したみたいで、彼とのスパーリングが実現した。
その日の内に史郎はジムに来てくれて、スパーリングの前に対戦相手の試合のビデオを見ていた。
そしてスパーリングでは対戦相手のテクニックや癖まで再現してくれた。
一回見ただけの選手の癖を再現するなんて、魔法かよ! と思ったが、彼は前回のスパーリング時よりスピードもテクニックも格段に良くなっており、対戦相手の癖も完全にコピーしているみたいだった。
今の彼が本気を出したら自分では全く歯が立たない気がした。
いや、世界チャンピオンでもかなわないんじゃないか?
まさに最高のスパーリング相手だな。
しかも俺の欠点まで的確に把握し、トレーナーでも気が付かない点まで指摘してくれた。
更にはスパーリング終了後に「身体強化のツボを知っている」ってことでマッサージをしてくれた。
その時はあまり意識しなかったが、彼が帰ってから身体が軽く、力がみなぎるような感じになった。
疲労感も嘘のように解消されただけでなく、ずっと感じていた右ひじの違和感と痛みももなくなっていた。
彼はいったい何者だろう?
『このことは内緒にしてくれ』って彼が言っていたが、中学生にスパーリングの相手をしてもらった、などど公言できるわけがないので、逆にこちらからも内緒にするようにお願いした。
しかし彼がトレーナーとして活躍したら世界チャンピオンをポンポン生み出させそうな気がする。
っていうか、彼自身があっという間に世界チャンピオンになりそうだ。
その後は試合前の調整を続けたが、なんだか体が非常に軽く、力がみなぎるような感じがしばらく続いた。
チャンピオン戦の会場は満員だった。
テレビ中継もされるので、史郎も見てるかな?
カーン。
開始のゴングと共に、会長の指示のとおり第一ラウンドは防御に徹し相手の様子をうかがう。
チャンピオンは素早くパンチを繰り出してくる。
『見える!見えるぞ!』
相手のパンチが非常によく見える。
何より史郎がスパーリングで披露してくれた相手の癖そのもので、初めて対戦した気がしないぐらいだ。
1ラウンド目は相手のパンチはすべて避けたりブロックしたりでき、一発ももらわなかった。
チャンピオンは自分のパンチがことごとく避けられるので焦り始めていたみたいだな。
カーン
2ラウンド目開始。
このラウンドは相手のパンチを見ながら攻撃も仕掛けてみる。
防御8割、攻撃2割だな。
って、あれ? 僕のパンチ相手に当たってるな?
相手のパンチを避けなながらのジャブ攻撃だったが、予想外に相手にヒットする。
2ラウンド目終了時には、ジャブとはいえ相手に何発もヒットしたのでチャンピオンはさらに焦っているようだった。
カーン
3ラウンド目開始。
ここからは積極的な攻撃だ。
あれ? 俺の右ストレートも結構ヒットしてる?
チャンピオンは防戦一方で俺が一方的に攻めている感じ。
おぉ! これっていけるんじゃね?
チャンピオンはたまらず必殺の右ストレートを放ってきたが、見えるぜ!
そのストレートを交わしてカウンターでこちらも右ストレートを放つとクリーンヒット。
チャンピオンはついにダウンし、10カウント内で立ち上がることができなかった。
つい先日までは圧倒的にチャンピオンの方が実力が上であり、観客やテレビ視聴者の大半はチャンピオン圧勝と予想していた。
僕自身も会長もそう感じていた。
ふたを開ければ挑戦者の僕の圧勝であり、しかも一発もパンチをもらわないでの3ラウンドKO勝ちという完全勝利だった。
史郎のスパーリングとマッサージ以降、俺の実力が急に上がった感じだ。
彼は俺の救世主だったのか?
会場を埋め尽くす歓声の中、僕は心の中で史郎に感謝するのだった。
正人選手は主人公と知り合えてラッキーでしたね。
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