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時計台  作者: 人です
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金属と心

 巨大な時計台は、静かに時を刻んでいた。漆黒の空には一つの星もなく空虚な実像だけを晒し続けるだけである。常闇の世界を唯一照らす人工衛星『moon』は今もなお青白く冷たい光で地表に僅かな豊と営みをもたらし続け、貧相な大地を前に人類は同族同士の争いを止め共通で強大な敵を前に苦難しながらも共和と貧困の淵をさまよっていた。そんな事を知ってから知らずか、荒野の果てでは今まさにその敵は脈打つように秒針を走らせている。


 秒針が刻まれる音に注意深く耳を傾ける。小さな歯車がかみ合い少しずつ軋む音に合わせて異音を感じ取る。

  違和感の正体が捕捉できて安心する気持ちと、不安を同時に抱えて梯子を駆け上がり上段の歯車の方へ向かい、更に奥の奥へと突き進む。

  無数の部品の摩耗は日々進んで行くのだから彼女の仕事に終わりは無い。この巨大な時計台は約3億個もの歯車と1億個もの構成部品で構成されているのだから仕方の無い事だろう。

  異音を見失わないよう注意して?み合う歯車に巻き込まれないギリギリの道のりを慎重に奥に進む。

  小さな体はまるでこの時計の一部のように快調に進むのだがこれほどにこの中の機械部を熟知した彼女にすら、この時計の動力は一体何で動いているのかは全く見当が付いてはいない。

「よし・・・」

 小さな腕で四つん這いになり進んで行くと歯が摩耗したギアを発見した。

「今日の相手はこの子かあ・・・だいぶ疲れてるね・・・」

 この時計台の歯車はいくつか壊れても動き続ける事ができるのだが、一つの歯車の故障はいずれ大きな故障に繋がる。

「お姉ちゃん、見つけたよ!306区画の動力を停止させて!」

 何もない空間に声をかけると今度も何もない空間から返事が来る。距離感も測れなければ声量もおぼろげで不明確である。

「はいはい。また落っこちて死んだりしたら次の満月まで短針送りだからね!」

「ううう・・・それだけは勘弁を・・・」

「じゃあ仕事に集中しなさい。止めるわよ」

 目の前のギアが停止した。

「よし・・・集中していこう!次死んだらお姉ちゃんに何と言われるか・・・頑張るぞ!」

 歯車の軸に着くスナップリングに特大プライヤーを差し込み慎重に広げる。

「こんなスナップリング一つダメにしてもお姉ちゃんに怒られるんだからさ・・・」

「なんか言いたいことが??」

 何もない空間からいきなり声が響く

「?っ・・・何でもないよ!?今日もお姉ちゃんが元気で嬉しいな・・・って」

「ふーん。よろしい」

 声はふっと消える

「聞いてたのか・・・」

 今度は声に出すか出さないか分からない程度に呟く。スナップリングを慎重に外して手元に保管して問題のギアを引っ張り出す。役目を終えた鉄片に手をかけて声をかける。

「君はよーく頑張ったぞ!休ませてあげるから落ちないでくれよー」

 ギアを回転軸から引っ張り出してから新しいギアを注油してから差し込む。ギア同士が?み合う位置まで押し込むと先ほどのスナップリングを押し込んでプライヤーで完全にはめ込む。

「よし!お姉ちゃん動かしていいよ!」

「はいはーい。じゃあ巻き込まれないように気を付けてねー」

「うん!」

 ギアが鈍い音で回りだすと先ほどよりも円滑な作動音に胸をなでおろす。

「いい感じ・・・」

 暫く異音無く駆動するギアに見とれていると時計台の下、直線距離離300mの距離で誰かが歩いてくる気配がある。

「ん?また襲来?懲りないな・・・向こうの軍隊も再編成するのも大変だろうに」

 下から向かってくる何ものかの気配に意識を集中した。

「一人だけ?いつもはもっと多いのに・・・」

「マルク誰か来たよ。」

「お姉ちゃんも気づいた?」

「うん。でもおかしいね。軍隊じゃない。」

 下からくる気配は歩いているにしては進行速度が遅すぎる上に人数も一人である。

「勇者気取りのおバカだったらやりにくいんだよな・・・」

  面倒くさそうに呟く。

「本当ね。50年に一度くらい来るのよね・・・ああいうおバカ・・・」

 お姉ちゃんは呆れた声で言う

「50年前の彼なんて死ぬ目際まで抵抗して来て・・・そんな苦しむならこなきゃいいのに」

 私には一切理解できないことであった

「まあ・・・立場とか?名誉?とか?人間っていろいろあるんじゃない?」

 虚空から適当な口調で返される。

「うーん。私には分からない話だな〜」

 下から接近する者の気配に集中していくと、その人物にはまるで殺意や害意が全く無いように感じられた

「うーん。なんだか戦いにはならなそう?迷子ならさっさと道教えて近くの集落まで行かせちゃう?」

 暫く考え込むような間をおいてお姉ちゃんの声が聞こえる

「私もそう思うわね・・・今回は血が流れずに済みそうね・・・でも軍隊の斥候ってことも考えられるから気を付けて接しなさい。以前のこともあるし・・・」

「うん!・・・分かった。」

 返事をすると、歯車の隙間を抜けて梯子を降りて塔の螺旋階段を駆け下りる。時計台の古ぼけたドアを開けると見渡す限りの荒野。100mほど先に倒れた人間を確認する

「・・・大丈夫?・・・ですか?」

 かなり弱った様子の老人であった。老人は虚ろな表情でマルクを見つめると掠れた声で言う

「水を・・・」

「水ですか・・・お姉ちゃん・・・水ある?」

「何?また知らない人間に余計な事するの?」

 お姉ちゃんはめんどくさそうに答える

「でも・・・この人は戦に来たわけじゃない・・・」

「またそんな事言って・・・カナタの時の事忘れた訳じゃないでしょうね?」

 彼の声が僅かに響いた気がした

「それは・・・でも助けなきゃ・・・」

「マルクが時計台に選ばれた時点で人間に手を貸す必要なんてないのはわかるでしょ?適当に追い返しなさい」

「でも・・・僕は助けたい・・・この人は私と戦っているわけではないでしょ?」

「無駄な情が沸いたら面倒だって言ってるのよ。貴方はただ寂しいだけかも知れないけどね・・・私はあの時とは違うのよ・・・」

「そんな・・・でもあの時とは状況も違うでしょ?」

「・・・わかったわ・・・貴方に実体があるのは今あなただけだからね・・・マルクに任せるわ」

 お姉ちゃんは渋々了承した。

「お水は出せる?」

「909区画の1508番の開閉弁を操作しなさい。」

「ありがと・・・」

 先ほどのドアからまた時計台に入り、909区画のある奥を目指す。周囲の歯車の音を聞きながら大型の歯車の歯の位置とタイミングを読んで潜り抜け、その先の螺旋階段を駆け上がる。ここから先は水力が一部の動力として動作しておりパイプを辿り1508番の水圧調整用の開閉弁を掴み回すと水圧のメーターが下がるのと同時に排水用のパイプから排水が開始される。

「よし・・・えっと何で運べば・・・」

 辺りを見渡す

「あ・・・」

 近くにあるブリキのバケツに飛びつき水を注ぐ。

「よし・・」

 バケツを持ち下に駆け降りる。老人は相変わらず横たわっていて今も途切れそうな呼吸を続けている。

「どうぞ・・・」

 バケツの水を慎重にさしだすと老人は少しずつ手ですくい飲み始めた。一通り飲み終わると彼は尋ねた

「ここは?ワールドエンドなのか?」

「・・・あなた達人間はそう呼んでるからそうだと・・・思う。」

「なぜ人類の敵が私を助けた?」

 マルクは少し考えこみ答える

「少なくとも僕の敵ではないと思ったからかな?」

 老人は不思議そうな顔で見つめる

「人間は数百年に渡りここを攻撃して来たのにか?」

 マルクには理解できなかった

「貴方は軍人なの?」

 老人はか細い声で言う

「いや・・・私はただの農夫だった。」

「じゃあ私の敵じゃないと思う。あなたは銃も無ければ通信機器もミサイルの発射権限があるとも思えない。敵じゃないなら死なせる必要もないんじゃない?」

 老人はあっけにとられている

「戦闘員でなければ殺さないのか?」

「私の仕事はこの時計台を守る事で人を殺すことじゃないんだよ。でも人は直ぐにここを侵攻してくる。」

 老人は驚きの顔を見せるも直ぐに自分を納得させるように言う。

「そうか・・・私のような田舎者には人々と時計台の関係なんて分からないものなのだな」

 老人はよろよろと立ち上がった。

「大丈夫ですか?」

 それを見て直ぐに肩を貸す

「すまない・・・」

「いえ。」

 老人は辺りを見渡して言う

「所でここから私の村まではどのくらいかかるのだろうか?」

 考えたのちに答える

「一番近い集落はたぶん400km程度だと思う」

 驚いた後に呟く。

「到底歩いて帰る事は出来ないか・・・」

「そもそもどうやってここまで来たの?」

 肩を支えて訪ねる。

「分からない。気づいたらここまで来ていた。」

「ああ・・・鳥の仕業だね。何か都合が悪かったってことかな・・・」

 老人は不思議そうな顔をした

「詳しく説明すると長くなるけど、すっごく大きくて怖いやつなんだよ!」

 肩を支えながらもう片方の腕をいっぱいに伸ばす。

「分からないことは多い物だ・・・」

 


 ひとまず老人を引きずるように時計台の奥へ進むと古びた装飾品をあしらった大きなドアが現れる。ドアを開けると長い廊下が広がりその突き当りは見えない程に長い。壁には無数のドアがあり、いくつもの部屋があることがわかる。超巨大なホテルやマンションのような外見に老人は小さく息を?む。

「ここは僕たちの生活するお部屋があるんだけど・・・どのお部屋がいいかな?お姉ちゃーん。どの部屋が空いてるの?」

 暫く間をおいて声が聞こえる

「さあ?そんなの自分で探しなさい。」

 少しすねた声で返事が帰ってくる

「もう!まだ文句があるの?」

「べーつにー任せるって言ったじゃない?」

 マルクはため息をつくとポケットから小さな手帳を取り出す。

「うーん。体持ちの僕なんかよりずっとお姉ちゃんの方が速いのにな・・・」

 のろのろとした視界に苛立ちながら分厚い手帳から空室を探す。

「B―3500号?だよね・・・B―3500!」

 マルクが唱えると視界が一瞬だけ歪む感覚があり直ぐに元に戻る。老人が不思議そうに辺りを見渡すと背後の入口のドアは遥か後方に見えなくなっていて、廊下の中腹部の何処かに移っている事に気付き驚愕する。

「B―3500?ここかな?」

 部屋番号を確認した後にドアノブを捻る。

「ん?あれ?」

 ドアノブは動かない。軽くノックをしてみると部屋の中から苛立った様な音でコンコン!と音が帰ってきた

「あああ!すみません!」

 どの向こうに軽く謝り、手帳を確認する。3499に空室と記入されている。

「ずれてた・・・ごめんね!こっちのお部屋だった!」

 老人は気になり訪ねる。

「ここには誰かが住んでいるのかい?」

マルクは表情を変えずに返した。

「神様だった物だよ。僕に知識と概念と体を与えた親?みたいな物?かな?」

 老人は不思議な顔をする。

「君は?一体何なのだい?」

マルクは淡々と話す。

「働き手ってお姉ちゃんが言ってたかな?この人達に選ばれて、体を与えられてこの時計台を守る代わりに命と全ての概念に接続できるんだ。詳しくは分からないけどね」

 3499番の部屋のドアノブを捻るとドアが開く。内装はベッドとトイレとシャワーという簡易的なホテルのようになっている。

「ここで体が落ち着くまで休んで行けばいいよ」

 老人を部屋に案内する。

「ああ・・・ありがとう。人生の最期にこんなことが起こるとはね・・・」

 老人が独り言のように言いながらそっとベッドに腰を下ろした。

「君はここでどのくらい暮らしているのかい?」

 老人が息を整えながらに訪ねる

「うーん・・・わからないくらい永遠に?かな?何年とか何時間とかって僕の感覚では薄いのかも知れないね。ただ時計が指し示すからここに居るだけ?かな?」

 疑問点が膨らむのに耐えかねて、老人は先ほどから残る疑問を投げかけた。

「・・・失礼だが、お嬢ちゃんは何歳なんだい?すまないが古ぼけた私の目には14歳かそこらにしか見えないのだが・・・」

 マルクは老人の疑問が理解できない

「え?僕の見た目ってそんな子供に見えてるの?」

 老人はコクと頷く

「へえ・・・僕は兵隊と迷子の人しか見たことが無かったから全然気にしたこと無かったよ!僕はたぶん一番古い時間感覚記憶700年前だから・・・700歳以上?」

 曖昧な答えで返す

「そう・・・なのか。では君から見たら私は若者もいいところだね」

「若者?本で読んだけどどんな人のこと?」

 老人は少し考えて答える

「私のように老いぼれていない人間のことだよ。」

「じゃあここに来る兵隊さんみたいな人たちのことだね」

 老人はまた訪ねる

「700年もの間他の人間とまともに干渉した事がないのかい?」

「ないね・・・ここを離れた事も無いし関わるのは軍隊と時々来る旅人とか迷子とかだね。でも何となく概念が言葉とか色んなものを運んでくれるよ。」

 老人は複雑な表情を浮かべた気がしたがその理由はマルクにはわからなかった。

「そうか・・・私ももっと長い寿命が欲しい物だ。」

 遠い目をした老人は言う。

「寿命?人も歯車と同じように終わっちゃう日が来るの?」

 老人小さく頷く

「君にはその概念も分からないのだね・・・羨ましい。私達の常識じゃあ形のあるものは全て壊れて消えてゆくものだよ。私たちが最も嫌い拒絶する死と言うものだよ。」

 マルクは訪ねる

「人間は死んでしまったらダメなの?僕は記憶にある限り3回は死んでしまっているよ?この前だって作業中に落っこちて頭が潰れちゃったけどまだここに居るし!」

  へへっと小さく笑う。

「私たちとはやはり大きな違いがある様だね。私たちの言う死は本当に完全な終わりなんだよ。体も心も記憶すらも全て動くことはない。壊れた部品の様なものさ。」

 マルクは想像する。自分自身の体がスプロケットやギアのように体が擦り切れて小さくなり、?合わなくなるように衰えて空回りしていずれ取り換えられて行く姿を。

「なんだか・・・怖い気がする」

 老人は優しく微笑んだ。

「きっと君は私のずっと後になるだろうから心配する事はない。その心と覚悟を決めるための期間が毎日の些細な時間なんだ。」

「今はまだ回り続けるだけ。」

 かつて、お姉ちゃんが非実体になる日に言った言葉を思い出す。

「そうだよ。そうして行くうちに気付くものだよ・・・私は愚かしいが来世に期待してその時を待つことにしたんだがね。これが私の導き出した一つの諦めだ」

 マルクは聞く

「来世?ってどんなものなの?」

 老人は考える

「さあね。生まれ変わると言うことだけど、その先に何があるのかなんて誰も分からない。出来ることなら私はこの世界をもっと知りたかった、今日も見せつけられたが私には知らない事が多すぎる、もっと世界を旅して多くを学びたかったな。私の思い描く来世は旅人か渡り鳥かだね・・・。」

「寿命が来たらまた生まれ変わるってことか・・・歯が飛んじゃった歯車を溶かして型に流して新しいパーツを造るってことだね!」

 老人は苦笑いで答える

「そんなところかも知れないね。私の来世で旅ができたらきっと君にもう一度会えるのかも知れないな」

 マルクは笑顔で答える

「うん!でも!兵隊さんとして来ちゃダメだよ?」

 老人は笑う

「ふふふ・・・そうか来世でも忘れないようにするさ。」

「でも何で旅人になりたいの?」

 老人は懐かしむように語る

「昔私の村に来た旅人がいてね。彼は星を集めていたんだ。古代の天文学の文献からそのさらに昔の神々の創生神話まで様々な面から生れた星の情報を集めてこの何もない暗黒に星を復権させようと言う馬鹿げた夢を持つ旅人がいた。」

 老人は小さな明かりの揺れる天井を見渡して語る

 老時は胸に手を当て大袈裟な語り口調で唱える。

「古代の戦争以来この世界から星が消え、この地球だけが残ってしまった。明かりを失った人類は巨大な光源衛生『moon』を打ち上げて自らの文明を延命した。」

 マルクの心が震えるのを感じた

「だが、つねに星々は人類の導き手であった。時には旅路の方角を示し、時には科学技術の究極の到達点と定めてきた。それを失ってしまった人類は何処に向かうべきだろうか?」

 マルクの口から老人の言葉の続きがこぼれ出た。

老人が軽く驚くそぶりを見せる。

「・・・君も会ったことがあるのかい?空の旅人に。」

 老人は驚き訪ねる

「うん。僕も忘れない。50年前に・・・」

「そうか・・・世界は意外と狭いのかも知れないな。私も今から50年近く前に出会い彼の星の天体ショーを妻と見たんだ。それはもう美しかった古代の人類が技術の到達点と定めた理由も納得できたよ。そして若い私の心には大きな希望と羨望を残していった、彼のように世界を旅して美しい世界の痕跡を辿り死にゆくことができればきっと幸せなのだろうと思った。」

 マルクは不思議そうに尋ねた

「どうして旅に出なかったの?」

 老人は優し気な表情で返した

「その時には既に私の役目があり、村人や妻に必要とされていたからね。遅すぎたのさ」

「じゃあお爺さんは幸せじゃなかった?」

 老人はゆっくりと考えた

「・・・幸せだったよ。ただ時間が足りなかっただけでね。」

「時間?今からじゃあダメなの?」

 老人はゆっくりと笑った

「さあ・・・どうだろうね。妻もこの世にじゃいないし仕事も息子が継いでいるからね、昔ほど私を縛るものはない。でも私には寿命がある事を認めなければならない。私は十分に幸せを享受したのだからこれ以上は求めても得られないと思うよ。」

「難しいんだね。」

 老人は少し笑って言う

「人には一人ずつやれることと動ける時間が決まっている。君にとってはまだ先のことなのかも知れないけど君にもきっと出来る事の量と時間はどこかで限界が来るかもしれないね。後悔の無いように生きるべきだよ。」

 老人は小さな少女を見つめて微笑む

「後悔の無い生き方って?どうすればいいの?」

 マルクには想像ができなかった毎日時計台の整備に明け暮れて700年近くが過ぎた中でも後悔や想いのこしなど何処にも無いと思っていたのだ。

「そうだね・・・私には答える事は出来ないけど君が思うような。幸福を何処かに探せばいいのさ。今まで見てきた物と聞いて来たことから知らない内に後悔や夢が生まれて行くのだから君の思い出に聞くしかないだろうね。」

 マルクは考え込んだ。一体自分自身は何処に向かっているのか。ただ記憶がある頃にはひたすらに仕事をしてただ生きてきたのだから心残りになる物なんて無いだろうと思っていた。

 考え込むマルクを見て老人は優しく言うのだった

「まあ・・・今すぐに分かるものでも無いよ。人生の内の些細な目標や感動はたまた約束なんかがそれらを知らぬ間に示すものさ。」

 マルクの心に何かが痺れる感覚があった事に気づいた

「約束?」

「ああ。そうだよ・・・。何か誓いや約束なんてものは時に人生を示す地図となり呪いともなるんだ。君にはそんな思い出があるのかい?」

 マルクは小さく頷いた。

「空の旅人・・・」

「君はあった事があると言ってたね。何か約束をしたのかい?」

 マルクは思い出しながらに言った

「星図盤が完成したらここに来てもう一度プラネタリウムをして見せるってね。カナタ君は言ったんだ。だから僕は絶対も一度会おうって約束したんだ。」

 老人はただ静かに頷いた

「でも、きっとまだここに戻ってこないって事は、星図盤が完成してないんだと思うんだ。だからすっごく大きくていっぱいの星達が描けるまで、僕はここで待っているんだ!・・・あれから50年くらい経ったから僕が見た時よりもきっともっと大きくて綺麗な星図盤になってるだろうからね・・・だから楽しみに待っているんだ!」

 老人は話を聞くと少しうつむいた。彼女には想像出来ない事実なのかも知れないが彼女の約束が果たされる確率が限りなく低い事を悟ってしまったのだ。

「そうか・・・」

 マルクは懐かしい思い出に浸りながら語った。

「僕のお姉ちゃんがまだ体を持ってた時にね・・・すっごい大きな喧嘩しちゃったんだ。そのときにカナタ君が来て大きな星図盤を見せてくれてね!空に住んでる神様のお話とか・・・いっぱい話してくれたんだ!凄く面白かったから毎日聞きに行ってた!」

 思い出を語る度に老人の表情が少し陰っている事にマルクは気づいた。

「どうしたの?」

 老人の顔を覗き込む

「いいや。君は気づいていないのかい?空の旅人と出会った時が何年前でその時彼は一体何歳だった?少なくとも私も君と同時期か近い年に彼にあっているが当時20代でそこから50年の月日が流れている。この意味は君にわかるかい?」

 マルクは先程の会話を思い出し、焦燥感を感じる

「時間・・・。」

 お爺さんは申し訳なさそうな顔でマルクを見つめる。

「君と私たちには大きな時間の感覚のズレがある。それはもう人とカゲロウの寿命の差何て些細な物に感じられる位に大きな差がある。」

 マルクは理解してしまったのだ。彼がここに戻ってくる時間と彼が動けなくなるまでの時間にそう大きな差はないと

「じゃあ・・・僕はカナタに会えないの・・・・?」

 老人は残念そうな顔をするが希望的な可能性にかけてこう続けた。

「君から会いに行く事も出来るんじゃないかい?」

 マルクの心は大きく動いた

「僕が・・・時計台を離れる?でもお姉ちゃんが居る・・・僕は・・・」

 老人は優しく言う

「今すぐに決めることじゃあないさ。でも、私達と君のズレを考えれば何年も経ってしまわぬ内に決めた方がいい。私にはこんな助言しかない出来ないがね。」

 マルクは強い焦りを感じた。記憶がある限りは時計台を直し、侵攻して来る軍勢を抑え、何も考える事もなくひたすらに700年間働いて来た記憶の中で唯一の不思議な温かみと心地よさのある記憶がカナタと過ごしたたった数日間である事を自覚していたのだ。

   彼は戻ってくると約束してくれた。だからまたいつかあの不思議な甘い感覚に浸れるのだと心のどこかで信じていたのだ。

「僕は・・・」

 己の無知さに今更になって後悔が湧いてくる。

「君にはまだ時間がある。きっとまだ会いに行く事もできるさ。」

 マルクの頬に涙が伝い、小さな手が震えていた

「でも・・・」

 老人はマルクの頭をそっと撫でた

「今日は疲れただろう。よく眠って明日になってまた考えるんだ、私の人生の大半は後回しと遠回りで解決したものだよ。」

 マルクは小さく頷いた。

「私が言うのも変だが一人で戻れるかい?」

 マルクが無言で一歩下がり老人から離れると、足元に方から炎が上がり彼女を包み閃光と共に消えて行った。何もなくなった虚空見て先ほどの奇妙な光景に老人は溜息をついた。

「本当に私の人生は短いのだな。」

 老人は溜息をついた

「本当に短いね。」

 何もない虚空から声が聞こえた

「・・・貴方は?」

「私はマルクの姉よ」

「そうかい・・・姿は見せてもらえないのかい?」

 老人は虚空に尋ねる

「私は概念でしか存在してないから体は無いの」

 少しツンとした口調で答える

「そうなのかい。もう驚きも尽きたようだな・・・」

 老人はどこか諦めた様子で呟く。

「そうね。貴方はそう長くないからね、これ以上感情に余力はないでしょう。」

 声だけの女性は淡々と言い放つ

「その言い方は気遣いか。となると私は本当に長くないのだね。」

 老人は虚空に漂う気配をたどりながら答えた。

「その時が近ければ周りの人間よりも本人は落ち着いてるものよ。私の気遣いもきっと杞憂でしょう。」

「そう思ってもらえるだけ貴方はいい人なんだろうね」

「さあね。正直私は貴方を恨んでいるわ。」

「あの子の事かい?」

「ええ。私の妹を泣かしたわ、どんな理由でも許せない。あの子に迷いを吹き込んだのは罪以外の何ものでも無い。」

 老人は寂し気に言う

「この世の舞台から降りる者が起こる者に託し、問いかける事は悪いことかね?」

「知らないわ。でも姉として許せないってだけよ。」

 老人は考えた

「そうか・・・でも彼女に考える時間を与えてあげるのもその役目だと思うよ。君にとっても悪いことは無いと思うよ。姉妹で迷えばいいと思うさ。」

 虚空の先の気配は大きく溜息をついた

「はあ・・・精神年齢は生きている年数じゃあないのね。老人は勝手なことを言ってくれるわ。」

 彼女は老人に問いかける

「貴方はそれでいいの?人生の最期を迎えてるのに私達の事ばかり気にしてて。」

 老人はゆっくりと答える

「どうだろうね。ここまでくると迷う若者達を見過ごせないものさ、君たちがどんな存在なのか分からないが、心は私達の物と近いように感じてね。妻も向こうに行ってしまって息子も独立して私はもう十分な暮らしをしてきたのだから、せめて君たちの時間の分岐点になれればいいと彼女を見て思えたよ。永遠の寿命の中でただ働く事は私には耐え難い苦痛だと感じた事もあるがね。」

「勝手なものね。勝手な同情と勝手な事情で私達をかき乱されても困るのよ。」

 老人は苦笑いを浮べた。

「この世の中の生き物の全てが勝手に動き勝手に死ぬものだからね。私の良心なのか自己満足なのかと言えば自己満足以外の何でも無い。せいぜい死にゆく老人のささやかな自己満足で君たちなりの自己満足を探してくれればいいさ。」

「そう。じゃあ自由にさせてもらうわ。時間が無い中でどうもありがとうございました」

 老人は小さく笑った

「そうしてくれればいいさ。」

「じゃあ。お休みなさい」

 彼女の声はすっかり消えてしまった。何とも言えない満足感と寂しさのを抱えてベッドの中で目を閉じると最も簡単に彼の78年を裏返すように深い眠りに就いた。


 マルクは深く迷った。カナタを探すために時計台を離れるべきなのか、お姉ちゃんから離れる恐怖とカナタに二度と会うことのできない恐怖に怯えていた。まだ時間があると言う希望的な観測は目の前の真新しい墓標が強く否定している。花一つ自生する事を許さないこの大地に無骨な墓標は闇に姿を晒し、ただそっと針金細工の花を手向けられるだけであった。

「お爺さんの時間はここで止まってまた動いてる。僕の時間はまだあるのかな」

 たった一日のたった数時間語らっただけでありながら、マルクの記憶の中で最も大きな課題を突きつけた男は勝手にも死に去るのだった。

「僕は・・・」

 感じた事も無い焦燥感に苛立ち声を上げた

「お姉ちゃん・・・」

「ここから離れるなんて許せないよ。」

 返事は一切の間を置かずに帰ってくる

「でも・・・」

 言葉は詰まるばかりだ

「貴方がここから離れればこの時計台の管理は誰がやるの?」

 追い詰めるように投げかけられる。

「でも・・・」

 お姉ちゃんは更に続ける。

「それに・・・貴方がここを去れば私は一人になる。私はどうすればいい?」

 僅かに声が震えている

「・・・でも・・・カナタ君は・・・死んじゃうかもしれないんだよ?今だってもう・・・」

 お姉ちゃんの声は長い間をおいて帰ってきた

「人と私達の命の時間は違うの。私達の感覚で人に合わせてたら何度も悲しむことになるし何度もお別れしなければならない。もう知らない方が幸せなのよ」

 彼女の声は妙にはっきりと必要以上に強く投げかけるようであった

「・・・答えになってないよ。カナタ君とはどうするの?お姉ちゃんだってまた会いたいでしょ」

 虚空の声は心を潰したように答える

「・・・あの人はまた会いに来ると言った、でもあの人の寿命じゃあそれを守れなかった。約束を破ったのはあの人なのよ・・・裏切られたも同然なのよ。」

 マルクには声が震えているのが直ぐにわかった。

「?つき・・・」

 マルクは彼女に届くように呟いた。

「・・・私にだって彼に会いたい気持ちはある・・・少なくとも貴方以上に・・・」

 声の震えは強くなって行く

「だから・・・僕が行くよ。」

 虚空の声は、マルクの言葉にとうとう声を荒げた。

「貴方が会いに行くのじゃ意味が無いじゃない!!私は50年も待ってたの・・・貴方と違って人の寿命も理解してたし、時間が無いことなんてわかり切っていた!でも私はあの人に会っても・・・・」

 マルクは返す言葉を失いそして後悔した。お姉ちゃんがカナタに抱いている想いは自分の持っているそれとは大きく違っていて、特別なものである事を密かに理解していたつもりであったのだ。

 マルクなんかよりもずっと強く再開を望んでいる事を感じていながら、マルクは古い思い出の楽しさに充てられて彼女の想いを感じる事を忘れていた。マルクの持つ想いはきっと友情であろうが、お姉ちゃんはそれよりも大きく深い所に想いがあるのだ。マルクにはこれを表す言葉が分からなかったが、理解はしていた。だからこそ後悔の気持ちが大きくなる。

「ごめん・・・・」

 沈黙は暫く続いた。が小さく深呼吸をする気配の後に声が聞こえだす。

「私ね・・・たぶんカナタ君のこと忘れられないの。」

 お姉ちゃんはは小さく言う。

「うん。」

 マルクは、ただ頷くことしか出来ない。

「馬鹿げた話よね。自分より早く消えてしまうものに強い執着と固執と情熱が沸いてしまうなんて。」

 お姉ちゃんは自嘲的に言う

「でも・・・僕だって忘れられないよ」

 お姉ちゃんが、少し間をおいて話す。

「わかってる。貴方は寂しかったんだよね・・・」

 マルクは小さく頷く

「うん」

「私も同じなの。貴方と実体的な別れを告げた後もずっと・・・。私いいお姉ちゃんじゃないからさ・・・あなたがカナタ君に会いに行くって言い出したら凄く悔しくて・・・ごめんなさい・・・」

 マルクは少し申し訳なさを感じながら言う。

「うん・・・わかってた。僕なんかよりもずっと沢山の事を思っているのはお姉ちゃんの方だってわかってた。僕もごめん・・・。」

「いいえ・・・マルクは悪くない。死に際かも知れない古い友人の所に向かいたいと思うのは当然の心・・・私がただ嫉妬してしまっただけ・・・私の非実体化が50年遅ければ、あるいはカナタ君があと50年前に来てくれていれば・・・私じゃなくてマルクが先に非実体になっていれば、カナタにも一度触れられたのかも知れない。もう一度・・・沢山の星々を見れたかも知れない・・・・そう思ってしまった。」

 彼女は黙り込んだ。

「・・・僕は行くよ。」

 マルクは小さな声で言った。

「僕がカナタに会う。そして連れてくる、そしてお姉ちゃんに会わせてみせる」

「・・・それじゃあ意味が無いのよ・・・だって私が概念体でしかないのよ・・・」

 悔しそうな声を震わせる

「なんとかする・・・するしかない!!この世界には僕が知らない事が沢山あるらしい・・・だからきっと・・・何とかできるかもしれない。お姉ちゃんの実体を取り戻す事もできるかもしれない。だから私が行ってカナタを連れ戻してお姉ちゃんに会わせる!」

考え込む様な間を置いてから返事が返って来る

「もし・・・ダメなら?」

 マルクは答える

「分からない・・・でも、全力でやれば何か見えてくる物が必ずある・・・きっとそうだよ。僕は全力で頑張ってみる・・・だからお姉ちゃんも全力で頑張ってみてよ・・・」

「・・・信じる・・・しかないのね。」

 マルクは短く答えた。

「うん」

 彼女の意識は強く震えていた。最愛の妹にすら晒すことが出来なくなった醜い肉の塊をただひたすらに震わして様々な気持ちを締め殺し、あるいは解放して高揚した気持ちを悟られぬ様に握りしめて初めてそれがかつて拳であった物だと理解して更なる不安を感じるのであった。





 白銀の砂が薄く覆う鋼鉄と岩石の中間のような質感の地面に青白い月明かりが照らし込む。ガタガタと覚束ないハンドルを握る腕はすっかり痺れ切ってしまっているが何日ぶりか分からない、遠くの町明かりが見えている以上は休憩しようなんて全く浮かんでは来なかった。

 時計台を出発して数日間かつて軍人が進行してきた時に乗っていた車の廃品を集めて組上げた四輪のみすぼらしい乗り物は時おり煙を吹きながらもどうにかマルクを町まで運んでくれたのである。おかげで、積み込んできた予備のパーツ類は底を尽きたのだが。

「あそこが人の住む町・・・」

 僅かにぐらつくアクセルを踏み込んで加速させようと踏み込むとエンジン内部から金属のきしむ音と強烈な白煙と共にエンジンが鼓動を止めると同時にマルクの顔面に黒いオイルを噴射した。

「あっつ!!!」

 慌てて袖の端でオイルを拭き取り惰性に任せて車を転がした後に停止したエンジンを覗き込む。

「シリンダーブロックからオイル・・・割れてるか・・・」

 マルクは肩を落とした。もちろん修理できるパーツなんてもう何処にも無いし他に移動手段もない。

「うーん。」

 困り果てたマルクは大きな脱力感と共に車にもたれるように座り込んで考えた。恐らくこの距離間だと軽く60キロ近くあるだろうか?徒歩で行けば丸一日以上はかかってしまうし、そんな体力も食糧も持ち合わせてはいない。

「どうしようかな・・・」

 そんな事を思いながら辺りを見渡すと、遠くで光が僅かに動いているのが見えた。光は時折見えなくなったり、僅かに移動したりを繰り返している。光源は方向転換と移動を繰り返しているのだ。

「誰かいる・・・呼べる・・・かな?」

 マルクは車のバッテリーを前照灯に繋いで点滅させると遠くの光がこちらに方向を変えて向かって来るのがわかった。

「よかった・・・」

 数分待つと3台ほどのエンジンの音が聞こえ初めてマルクは大きく安堵した。

「大丈夫ですか?」

 接近して来た三台の二輪車から若い男が降りて来て問いかける。

「僕は・・・無事だね。」

 煙を上げる不格好な四輪車を横目で見ながら苦笑いをした。

「君は・・・見ない顔だけど鋼鉄街の住民なのかい?」

 若い男がマルクの格好を見渡してから問いかける

「え・・・っと・・・」

 時計台から来た事ははぐらかしなさいと、出発前にお姉ちゃんから釘を刺されたのを思い出して考える。

「まあ・・・遠い国からきたんだけどね?」

 男が何かを察したように言い返す

「まあ・・・このご時世で旅人って事は何か事情があるんだな。言いたくなければいいよ。取りあえず疲れただろう?どうだい?この車お引き取る代わりに滞在中の君に宿と食を保証するというのは?無償でも構わないけどそれだけじゃ信用に足らないだろ?ちょうど俺たちは遺物探しに出ていた所さ。俺たちはいい獲物が手に入って、君もゆっくり次の旅の準備ができる。この遺物はそのくらいの価値はありそうだ。」

 マルクは首を傾げた。

「この壊れた車が?」

 マルクの言葉に男も首をかしげる。

「この遺物は十分に状態がいいじゃないか・・・。先ほど前機関も生きていたようだし」

 マルクは彼らの価値観が自分の物と大きく違うことを直感しながら答えた。

「うーん。でもこれ僕が手を加えないと動かないよ?エンジンもシャシーも全部規格が適合してないし全部無理に組上げただけだからね・・・大きな価値があるか僕には分からないよ?」

 男は驚きながら車の各所を覗き込む。

「本当だ・・・規格違いのパーツを加工して辻褄を合わせてる!急拵えな粗さはあるが精巧で合理的な組み方だ・・こんな状態で相当な距離を走ったのか・・・。」

マルクは苦笑いでたずねる。

「これでも買い取ってくるの?」

 男はしばらく考えた様子を見せたが首を縦に振った。

「まあ…いいさ。このサイズの遺物で有れば機能しなくてもある程度の価値があるはずだ。引き取る準備をするから先に戻るよ…えっと?とりあえずバイクしか無いから後ろでいいか?」

 マルクはコクと頷いた。


  彼の背中越しにマルクは巨大な黒い塔を見上げた。鋼鉄の塊を繋いでいる骨組や各所にはさまざまな技術を注ぎ込まれた人工物であることが窺える。

「すごい…」

  小さくつぶやいた。

バイクの走る道は先ほどの白い砂と岩石の混じりあった荒地ではなく、綺麗に舗装された道として成り立っていてその道沿いには店らしいものが沢山ならでいるがその全てが機械や乗り物を販売しているようだ。

 しばらくその先に進んでゆくと大型のトラックが複数台走っていて荷台からは黒色の建築資材の様な物がいっぱいに積み込まれていた。恐らくあの塔の建材なのだろうと想像をしながら様々な人々の往来に少し胸を躍らせた。

 しばらく走るとバイクは停車して小さな工場に到着した。正面にはいくつか二輪車が並んでいて値札を下げられて小綺麗に掃除がされているが奥から覗く工場の重苦しいオイルの匂いがその印象を押し流す。

「悪かったな。本当はトラックで探索したい物だけど、場所によってはプレートが抜けててな…なにかとバイクの方がいいんだよ。俺たちは道を確保して輸送車を出さなきゃ行けないから店の奥で休んでてくれ!」

 手短に説明をすると男は再びバイクにまたがった。

「わかったけど…居間はどこ?」

 マルクは雑な説明に対して疑問をぶつけた。

「ああ…わり。中に親父がいるから聞いてくれ!」

 またも丸投げされてしまった。

「ええ…」

かなりの勢いで走り去る単気筒エンジンの音に困惑しながらもマルクは工場の奥に入っていった。

「なんだよ。湿式クラッチの方が、耐久性が高いのは古の常識だとは思うがよ・・・そこを敢えてだな・・・」

 苛立った様な声が工場の奥で聞こえる。

「ああ・・・っと?モンキーどこだ?おい!!ガキ!モンキーどこやった!!」

 突然怒鳴りつけられビックっと肩を揺らすが、視界の片隅にモンキレンチを発見して声の主に手渡した。

「はい!どうぞ・・・」

 こちらに全く視界を移さずレンチを受け取る男は、ボロボロに色褪せたツナギを着た還暦近い人物であった。

「おお!!悪い!んっと・・・こいつが組めれば・・・」

 男は、独り言をぼやきながら作業を再開した。

「バイクの修理ですか?」

 立ち尽くすのも気まずくなり声をかける。

「ああ?また文句かようるせ・・・・。うおお!!」

 男がそのまま後ろに軽く飛び上がる。

「え?」

 男が混乱した表情でこちらを見る。

「え?」

 マルクの頭もつられる様に混乱する。

「え?」

 男が口を開く

「あんた・・・誰だ?」

 僅かに混乱していたが取りあえず名乗ってみる

「ああ・・・すみません!僕はマルクって言います。さっきこの町の外でお兄さんに拾われてここに来たんだけど・・・」

 男は、少しの間を置いて名乗り返す。

「俺はマモラだ、ここの工場長をやっている。となるとあのガキは何の説明も無しにお客を置いていきやがったな・・・えっと悪いな!取りあえずそこにでも座れや。」

 男が指さした先に古くなったタイヤが3つほど重ねられた上に簡易的に板が置かれたイスのようなものがあった。座ってみるとしたのタイヤが沈み込み案外悪くない座り心地になっている。

「ここに居るって事は何か買物か?修理か?」

 男が作業を再開して尋ねる。

「えっと・・・さっき車をあげる代わりに次の町に行く準備が出来るまでここに居させてくれるって言われたんです。」

 男はざっくりとした事情を理解して聞き返す。

「旅の足しにってわけね。ということは、製作品じゃなくて遺物からの生成品か・・・いいのかい?そんな高価な物をポンポン渡してしまって。」

 マルクは逆に聞き返した。

「生成品って何ですか?」

 男は作業の傍ら少しだけ驚いた顔をしたが手を止めずに返した。

「価値が分かってなきゃ取引は危険だぞ?あんたがダメならすぐにでも返してやるがね、生成品ってのは時計台が勝手にこの世の何処かにひっそりと全盛文明の道具を出現させた道具のことだよ。世界の何処かに突然現れるからそれを探して利用して人間は生きているのさ。」

「じゃあさっきのお兄さんはそれを探して?」

「そうだ。」

「なるほどね・・・じゃあおじさん達はそうやって暮らしているの?」

 マモラは苦笑いを浮べて言う。

「俺たちが遺物を探して回るのは技術を学ぶためだよ。古代の誰が作ったのか分からない物じゃなくて生きている俺たちが今作ったもので世界を回したいのさ。この町の人間はそんな奴しかいねえよ。他の町はどうか知らんが俺たちは遺物を探してばらして真似を繰り返して完璧に学びきったら他の町に売り飛ばすのさ。俺の本物の仕事はバイクを作って売る事が俺の仕事だ。」

「すごい!じゃあここにあるバイクもおじさんたちが?」

 マモラは誇らしげに答える。

「俺たちは皆この乗り物に魂が取りつかれちまった大馬鹿さ!今にすっげえもん見せてやるさ。」

 マルクは自分に少し近い感覚を感じた。

「僕もちょっとだけわかるかも・・・僕も結構長い間色んな機械を治す仕事をして来たんだけどいい仕事が出来た時の嬉しさとかお姉ちゃんが喜ぶ声を聞いてすっごく嬉しいんだ!」

 マルクは目を輝かせた。

「おお・・・若いのにわかるのか!」

 マルクは嬉しそうに頷いた。

「うん」

 続けてマルクは質問した。

「そのバイクは今つくっているところなの?」

 マモラは目の色を変えて語った

「これは俺の人生最高傑作になる予定のマシンだよ。俺の人生はここに集約されていると言っても過言ではない!乾式クラッチ採用の600cc空冷単気筒OHVのロングストロークエンジンを使用した超耐久型のエンジンに極太のトレリスフレームを採用した。側車付きモーターサイクルだ!こいつならどんな辺境の奥地でも走り切れるさ!!!」

 バイクのエンジンからフレームとタンクを誇らしげに撫でる。

「すごい!でもわざわざOHVにする必要ってあるの?SOHCとかDOHCならもっとメリットが多い気がするんだけど・・・」

 マルクは何処からともなく漂い流れ込む疑問を投げかける。

「わかちゃいないな!パーツ点数を減らす事に意味がある!カムチェーンで引き回すような駆動方式は耐久性に欠ける。それにしても君はエンジンの知識があるのか?」

 マモラは不思議そうに尋ねた。

「うーん・・・まああると言うか・・・繋がっていると言うか・・・まあ昔から触ってたから覚えたのかな?」

 マルクは自分の知識の出所を隠した。マルクには時計台と概念にリンクして様々な古代の情報や技術に干渉出来るのだがそれを言う事はお姉ちゃんの約束に背くことになる。

「わけありか!!まあいい俺もそんなもんさ!」

 マモラは大笑いした。

「俺にはわかるぞ!あんたが機械が好きで仕方がない事も油の匂いに惹かれる奴だって事も!」

 マルクは苦笑いした。

「まあ・・・そうかも?」

 マモラは笑いかけた。

「案外こう言う暮らしが好きなんじゃねえの?まあ・・そりゃあこの町が決めるもんか!あんたは何で旅に出てるんだ?」

 マルクは心の底から答えた。

「お姉ちゃん・・・僕たちの友達を探しに来たんだ!」

 マモラは少し笑った。

「いいね・・・若いじゃねえか。」

「まあ・・・ね・・・おじさんはずっとここでバイクを作っているの?」

 マルクは話題を軽く逸らした。

「まあ・・な!そいつを見ろよ。こいつは俺の相棒と作った第一号機だ。」

 マモラが指さした先に古びたミニバイクがあった。

「こいつは相方とバカやってた時代に組上げたもんだ。遺物から掘り出した部品を組み付けては壊してを繰り返して作った。あのバカと来たら限界までショートストロークで作れば超高回転型のエンジンができるとか言って勝手に壊しやがった!見てみろ!!ひどいだろ?腰上からでっかい風穴が空いてやがる!!」

 バイクのエンジンをよく見ると上部のドロドロに溶けた金属の跡とピストンが露出する程の穴が空いている。

「これを受けて俺たちは研究しては組合せて更にぶっ壊すなんてのを日が暮れるまでやって来たら以前の町の連中がこの町への居住権を叩き付けてきやがった。」

 マモラは目をらんらんと輝かせて思い出を語り、マルクはそんな彼の様子がとても幸せそうで心地よく想い聞き入った。

「まあ・・・俺たちのいた町は時計台と正面から戦争しようとしてる脳筋しかいない町だったから俺たちみたいな純粋な技術屋は要らなかったんだろうな。俺たちも喜んで移住したらもうここは天国でな。住民の全てが何かしらに精通した生粋の技術屋で図面を作って放り投げれば腕のいい加工オタク連中が想像を遥かに超えた精度で鍛え上げて来るし、金属を作らせれば製鉄オタク連中が思い通りに仕上げてきやがるから俺たちがモーターサイクルの思考錯誤をするには完璧すぎる環境だった。体のいい村八分みたいな別れだったがそのおかげで俺達は最高の人生が送れたのさ。」

 マモラの目が次のバイクに映る

「だが・・・こいつが来るまではな!忘れもしない、あいつが5年かけて仕上げた。並列6気筒DOHCの4ストローク1200ccエンジンで最高回転数19000回転を発揮する超高回転型エンジンをあのバカが仕立ててきた。」

 今でも生き生きと悔しそうに語るマモラはバイクを見つめる。

「それから俺たちの開発戦争は激化しもんだ。俺はその後に作り出したこいつで対抗した。」

 マモラが指さす。

「これは3年で仕上げた。2ストローク600ccのV型エンジンを搭載して17000回転まで押し上げながらも、トルク特性で勝負した。6気筒の超ショートストロークエンジンよりもトルク特性が強く仕上がったから奴のバイクよりもずっと速いエンジンになった。だが完成度ではあいつの足元にも及ばなかった。すぐにキャブレターが汚れて動かなくなるしそもそも燃料とオイルを消費しながら走るから気を抜くとエンジン内部が直ぐに傷だらけになってしまうから、こまめにエンジンをばらさなければ不調に繋がる。速さ以外で勝った点は無い。あいつのバイクは年々改良されて遂に完全に完成度で勝る事はなかった。」

 マモラは懐かしそうとも悲しそうとも悔しそでもある表情でうつむいた。

「その人は今どうしてるの?」

 マルクは率直に聞いた。

「死んださ。二年も前に」

 マルクは返答に困りつつ尋ねた。

「じゃあ・・・決着は?」

 マモラは寂しそうに言った。

「あいつが逝く3年程前にあいつが先に降りた。」

「なぜ?」

 マルクは尋ねた

「奴なりの事情があったのさ。」

 マモラは寂しそうに目の前バイクのフレームをなぞった。

「どんな天才の情熱も情やら心やらには勝てないんだろうな・・・俺もそうだがな」

 マモラは立上り、バイクから数歩離れて背を向けるとポケットからタバコを取り出して火を付けた。

「時間がないのさ」

 マモラが呟きタバコを吸う。そして暫くの間を置いて外から聞き覚えのあるエンジンの音が聞こえて来る。

「戻ったぞ」

 先ほどの若い男の声が響く

「遅いぞガキ!!」

 声に対して怒鳴り声で応じる。

「ああ?帰宅早々に怒鳴ることねえだろ??」

 マモラの声に怒鳴り返す。

「何だとガキ!!そもそもお客を置いて店を出るなんてありえねえだろ!!」

 マモラも負けじと怒鳴った。二人のやり取りは本気で言い合っていながらも敵意や怒りはそう強くない事がよく伝わってきた。

「仕方ねえだろ・・・黄昏に見つかったらせっかく貰った遺物が回収されちまうんだからよ!!そもそも・・・・」

 男の目線が中途半端に投げ出された工具と作業途中のバイクに移る。

「ジジイ・・・また作業してたのかよ。」

 マモラはタバコを咥えたまま男に背を向けて小さく呟いた。

「俺の勝手だろうが。」

 その呟きを聞いた男は今までとは違った声色で更に怒鳴り付けた。

「暫くは休むって約束だっただろ!?なんでここで作業してるんだよ!!」

 マモラがタバコを大きく吹かして言う

「ガキが分かるかよ。」

 男は素早くマモラの手からタバコを取り上げて低く言い放った。

「お客もいる、変なことはしないでくれ。俺はバラストの作業当番に出る・・・寝てろよ。あと・・・君はどうする?ここで休んでてもいいし、俺について来て町でも回ってみてもいいぞ。」

 マルクは少し考えて答えた。

「じゃあ・・・僕も行ってみていいかな?」

 男はニコッと笑って言う

「よし!じゃあ行くか!あと名前言ってなかったな。俺はミックだ。」

「僕はマルク!よろしくね。」

 軽く自己紹介を終えると工場から出ていくミックに続いた。ミックが工場の裏手に回ると古びた四輪車がありその助手席を指差し「そこに。」と言うのでドアに手をかけた。屋根が簡易的な布製の幌になっていて車内も至る所にフレームパイプや無骨な溶接跡が残りながらも工業の町の名に恥じぬしっかりとした拘りが感じられる。

 ミックは運転席には向かわずに車の後方の幌をガバっと開くとZ字の角が直角に曲がった様な奇妙な道具を取り出してボンネット前面に突き刺した。どうやらスターティングハンドルのようだ。

「うお!」

 ミックの唸りと共にスターティングハンドルがぐっるっと一回転すると、エンジンのピストンが上下して車体が僅かに震える。

「いいっ!!」

 ミックは重たそうなハンドルに体重を載せながら引き続き回し続けた。年間の最高気温が10℃を下回るこの地表ではエンジンをかけるという作業をするだけで一苦労なのだろうと、概念の流れから彼の苦労を察する。

 ハンドルの動きが段々とリズムよく回り始めるとエンジンの中から小さくボコ!ボコ!と燃料を吸気・圧縮・爆発・排気を繰りそうとする鼓動が響き次第にそのリズムは早くなり安定したアイドリングに変化した。

「よし!」

 少し息を切らしたミックは笑いかけると運転席に座ってアクセルを吹かしながら発進した。

「すまんな。ウチのポンコツが。」

 ミックは少し申し訳なさそうに笑った。

「こんな寒いんだからしょうがないと思うかな・・・」

 マルクは苦笑いで答えた。

「ああ?ああ。こいつもポンコツだけどジジイのことだよ。」

 ミックは呆れ顔をしながら前を見つめる。

「え?いや!ぜんぜん!マモラさんのお話面白かったし!ところでなんでマモラさんは作業していてはいけないの?」

 ミックは表情を無くして答えた。

「まあ、ちょっと体壊しててな、本来休んでいるべきなんだよ・・・。」

「大丈夫なの?」

 ミックは未だに表情を出さずに答えた。

「うん。そのうち治るさ・・・」

 少しの間が開き、車が曲がり角を曲がると巨大な黒い塔が前方に広がった。

「おお!ほら!バラストが見えたぞ!」

 ミックはわざとらしく話題を変えたが、マルクは見えた瞬間からその巨大な黒い塔に意識が取られて気付かなかった。

「すごい!この建物は一体何をする建物なの?」

 マルクは町に入った時に見た巨大な塔に興味が吸い寄せられた。

「うーん。意味はないな。しいて言うなら俺たち技術屋の腕の披露会場とかライバルと競ったり技術を盗む為の交流場所みたいなものだ。この町の住民は皆この塔に誇りを持ってる。何と言っても自分達が日々努力した成果をここに刻んで残すことができるんだからな。」

 マルクはフロントガラスに映る塔を眺めて呟いた。

「似てる・・・」

 心の奥底にこびりついて離れない美しく誇らしげな駆動音がマルクの心を躍らせた。

「あそこには皆の時間が刻まれているんだね。」

 ミックは誇らしげな顔で頷いた。

「そうだ。あの塔はこの町の顔で唯一のルールなんだよ。」

 マルクは首を傾げた。

「ルール?皆あの塔が好きで作ってるんじゃないの?」

 ミックは少し笑った。

「まあ・・・そうなんだけど大本は全然違うんだよ。俺たちの町のルールでは自分達の技術を見せ合う事はしてよくても別々の組織に対して直接技術を教えてはならないんだ。」

 マルクは不思議に思った。技術を高めるのが好きなこの町の人々ならもっと交流をしあうのは当然ではないかと。

「教え合ってはいけないの?」

 ミックは頷いた。

「まあ・・・そうだな。それがこの町に課せられた天命なんだよ。」

 マルクは更に不思議に思い尋ねる

「天命?」

 ミックは少し驚いて説明する。

「知らないのかい?天命というのは一つの町に与えられた使命やルールなんだよ。町の外から定期的に木馬が来るだろう?あの水や食糧を運んでくる醜い動物の群れだよ。」

 マルクは全く理解できずに車の揺れと共に首を傾げた。

「えっと・・・?」

 ミックは不思議そうに聞いて来た

「君は一体どこから来たんだい?この世界の仕組みを全然理解してないじゃないか。」

 マルクは返答に困った。

「えっと・・・僕は・・・」

 少し沈黙してしまうが、ミックが慌てて口を開く

「わるい!言いたくない事くらいあるよな。まあ本当に知らないみたいだし説明だけでもしとくよ。」

 マルクは自分の鈍間さを少し悔いながらも話に戻った。

「この世界はずっと昔・・・何年だっけな?えっと?・・・千・・・一万・・・まあいい!とにかく昔だ!大きな戦争ってのがあったらしいんだが、どうやら一度全部の文明が滅びたことがあるらしい。そこで二度と戦争を起こさないように世界のバランスを保つ為のシステムが造られて今に至るとかだ。」

 ミックは自分の記憶を必死に思い出そうとしている様子で時おり握りしめたハンドルを指先でコツコツと弾きながら話を続けた。

「んで!時計台を通じて世界のあらゆる意味でのエネルギーを測定して余りにも強いエネルギーを発すると時計台に吸収されてしまうが最低限のエネルギーであれば決して絶やされる事の無いように世界が勝手に維持してくれるのさ。木馬がその例でこんな薄明りしか差し込まない世界では植物なんて育たないらしいんだが、木馬が清潔な水と食糧をぴったり人数分町に運んでくるし遺物の形成もある程度発生してくれる。つまり俺達は大きく発展するような事をしなければ一生生きていけるのさ。だけど俺たちみたいに何もして無い人生を嫌った馬鹿な先人達は、バランスを崩さないように慎重に色んな人格や適正を測って世界中の至る所に人口を分散させて、夢やら希望やらを永遠に追いかけられる楽園を作ろうとしたわけだよ。そのバランスを保つための決まりが色んな町にいろんな形で定着しているのさ。」

 マルクは概念体が自分の中で暴れている感覚を僅かに感じた。概念体がこれを聞く事を拒んでいる或いは拒むように操作されている様な気がしたが、マルクの好奇心はそれを無視して話に聞き入った。

「ルールを破るとどうなるの?」

 ミックは少し笑いながら答えた。

「俺も見たことはないけどどうやら木馬から食糧の運搬が止まったり、とても恐ろしい災害が起こると言う話だ。皆はこれを調整と呼んでいる。」

 マルクは底の知れない恐怖を感じるのと同時に流れ込んで来る概念体が今まで感じた事が無い位に張りつめているのを感じた。

「そうなんだ・・・じゃあここの町のルールってどんなルールなの?」

 マルクは頭の中で張り詰める何かを振りはらうように聞いた。

「この町の特徴はとにかく技術バカが集まった集落でね。必然的に発展が速いから調整が起こりやすい。だからご先祖の馬鹿野郎が思いついたのは生活と技術研鑽に必要なもの以外全部このバラストにつぎ込む事で調整を避けてきたわけだ。簡単なルールを言えばこの、町では複数の組織で合作する事は発展が大きく進んだとみなされて危険だから禁止されている。他にも遺物から未確認の技術情報が確認された場合は自警組織の組合長に一度許可を取り付けてからじゃないと仕様が出来ないこととがこの街特有な物だな。」

「そうか・・・この街の人達は本当に何かを作ることが好きなんだね!」

 マルクは目を輝かせた。

「まあ。そうだな、時には本当に嫌になることも沢山あるけど俺達は俺達よりも寿命が長い物を作りたいだけなんだと思うね。」

 ミックは目の前の巨大な塔を眺めてハンドルに力をこめた。

「人の時間・・・ってやつだね・・・」

 マルクは一瞬だけ小さく佇む墓標に想いを馳せた。

「まあ。そんな難しい事は俺にはわかんないな。ただ今が楽しくて仕方が無い。」

 マルクはミックに尋ねた。

「ミックさんもバイクを作ってるの?」

 ミックの頬は少し吊り上がった。

「ああ!っと言ってもまだ自分で完成させられたのはないんだけどさ。マモラのジジイに教わりっぱなしの半人前だよ。」

 マルクは少し意外に思った。

「そうなの?僕には凄く仕事ができそうな人だと思ってたけど・・・」

 ミックは苦笑いした

「直球だな・・・でも言い訳したいんだけどあんなにバカみたいにバイクを組める奴なんて早々居ないんだぞ?この街は6000人以上の機械バカがいるのにあんな風に設計から制作までこなせる奴はせいぜい2〜30人程度だ。俺も必死に目指しているけど足元も見えない。そもそも育ってきた環境が違いすぎるしな。俺はこの街で生まれたけどマモラジジイと俺の親父は戦の街って呼ばれる兵器産業と研究がかなり進んだ国から来てるんだ。バイクどころか下手すりゃ飛行機だって組み付けちまうようなジジイなんだぞ。」

 ミックは尊敬とどこか懐かしさのある表情で語った。

「そっか。やっぱりすごい人なんだね!ミックさんは何でバイクを作ってるの?」

 ミックの口角は少し上がった。

「そりゃあ…俺の親父に負けないためとか色々あるけど、単純な機構の機械なのに少しこだわるだけで大きく性能を広げられるから機械屋としては魅力的なもんでね。拡張に未だ自由が残された機械だからかな?」

 ミックは曖昧に語尾を濁した。

「あんまり自信がない?」

 ミックの歯切れの悪さに問いかける

「いや…自信もプライドもあるさ。でも多分これは建前で俺は単純に親父を超える様なすごいマシンを作り上げてやりたいかのも知れないな…」

ミックは瞳を輝かせていた。

「そうか…尊敬してるんだね!お父さんってマモラさんの親友だったって言うあの?」

ミックは頷く

「そうだ。俺はガキのごろ親父が作ったマシンの後ろに乗せてもらった事がある。それはもう別世界だった。唸り上がったエンジンが俺をどんどん未知の世界に引き込んで行くんだ。俺はあの時の感動を自分の手で作り上げたいと思ってる。」

 ミックのハンドルを握る手に力が入っているのをマルクは何となく感じていた。

「何だかいいね…ミックはどんなバイクを作りたいの?」

 ミックは少年の様に語った。

 「そうだな。俺は親父やマモラジジイを出し抜くために過給器の研究をしているんだ400ccクラスに過給器をつけて親父のマシンよりも動作と出力が安定したマシンを作りたいと思ってる」

  概念体がマルクに次々に情報を送り込む中でマルクは疑問をぶつけた。

 「それだとターボで過給できる燃料が少ないから出力特性が上げにくい気がするんだよね…」

  ミックは苦笑いで答える

 「そこなんだ!吸気量が少ないから必然的にパワーが上がらない。だけど排気量を上げてターボをつけてしまうと今度はエンジンの耐久性が落ちるとも考えられるから400ccで耐久性と出力を安定させてみるって考えだ!」

  マルクはなるほどと頷き、もう一つの懸念点を指摘した。

 「そうか…そうなるとターボラグが嫌な点だね。パワーバンドまで回ると突然急加速しちゃう…理想のタイミングで燃料を噴射できるスーパーチャージャーがあればいいかも知れいないけど。」

  マルクの指摘にミックは悔しそうに笑い声を上げた。

 「流石に鋭い!そうなんだ!くそー!以前航空機の遺物からスーパーチャージャーをコンパクト化する技術を見つけ出したんだけどここの筋肉タコゴリラみたいなアホボスに10年研究を停止する様に指示されてちゃってな!仕方ない事だけど悔しくて仕方がない!」

  ミックが車のハンドルをドンドンと叩きながら悔しがるが、「他に手はないか…やはりツインターボしか勝ち筋は…」と独り言を始めたのでそれに乗っかったマルクとミックは二人でかターボのセッティング談義で盛り上がり目的地に到着した。

 

 

 バラストを間近に見ると遠くで見た黒い巨塔の様な印象とは違い、所々で様々な素材や加工・建築技法が乱立した正に技術の寄せ集めの様な構造にマルクは驚いた。車から工具類を準備するミックはターボ話で盛り上がったおかげか何処か楽しげである。

「おー!ミック!おつかれー」

遠くから筋肉の塊の様な巨漢がミックに手を振った。勢いのある声にミックが振り向き手を振りかえす

「おつかれ!ソウ!様子はどうだ?」

ソウと呼ばれた男は油まみれのツナギを着て図面の様な紙と工具箱を持ちながらこちらに向かって来る。

「まあまあってところさ。今日は朝から加工屋の連中がアレをためさせろだの金属屋は居ないかだのうるさかったけど作業自体はいい感じに進んでるさ。」

ミックは苦笑いをうかべる。

「加工屋の連中は相変わらず変人揃いだな。まあこの街に変人以外は居ないけどな!」

ソウは派手な大声で笑った。

「間違えない!!毎度毎度その結論に至るからこの街はやめられねぇ!」

ミックとソウは笑い合った。

「んで?この子は?女にしちゃにちょい小さくねぇか?この変態」

ミックはすぐさま反論する。

「バカか。お客だよ、俺の作業ついでに観光さ。あと初対面の前でアホ言うな相変わらずのデリカシーの無さだな!この街のボスの後取りが出来ないのが納得出来るな!」

ソウは額に血管を浮かべながら言う。

「独身のバイクバカに言われる筋合いは無いぞ!!」

二人のやりとににマルクはフッと吹き出してしまう。するとソウはふっと振り返りマルクに声をかけた。

「あ…あーすまない。えっと俺はソウって言うんだ。一応この街の技術者集団を束ねてる…」

 先ほどの勢いと比べるとかなりトーンダウンしたギャップにマルクは少し驚きながら挨拶を返した。

「僕はマルク。一応旅人?をしてるんだ!よろしく!」

 対照的に元気よく挨拶を返す。

「おっし!挨拶も終えたし作業始めていいか?」

ミックが待ちきれないとばかり口を挟んだ。ソウは何か話したげに思考を巡らせてた様子であったが、ミックに遮られた事で我に返った。

「よし。とりあえず15000区画を頼む。図面通りは図面通りだが、いつも通り技術の研鑽も兼ねて色々やってみろ!」

 ミックは「アイヨ」と後ろ手に手を振って現場に向かって行く。その後に何となく続いてマルクも歩き始めた。

 しばらく歩くと塔の正面から見て左側面がの地面寄りの基礎の部分で立ち止まり、ミックが作業の準備を始めていたが、その横でマルクは構造と外観を見て驚愕していた。

「15000区画…似てる。」

マルクは自分の記憶の中に鮮明に残っている時計台の構造と目の前のバラストの構造を照らし合わせていた。

 意気揚々と支度をしていたミックはマルクの方をふと振り向き尋ねた。

「あ…わるい!この近くに商店街もあるしわざわざ付いて来なくてもよかったな…えっと来てもらって遅いけどその辺回ってきていいよ?俺も後で行って案内するし」

ミックは張り切りすぎてマルクの事を忘れかけていた事を謝ったがマルクからしたらどうでも良かった。

「ああ…いや!それは大丈夫なんだけど…このバラストって…」

 マルクが外側が不恰好な塔を見上げる。

「ああ…まあ時計台さ。」

ミックは淡々と言った。

「じゃあここではみんなで時計台を作っているの?」

ミックは目の前にある塔の建材を触りながら言う。

「いや。限りなく近いものを作ってるのさ。あんな超常的な力なんてこの塔には無いし、そんなものを作ったら本物の時計台の調整でこの街は消し炭さ。そもそも作れもしないしな。」

マルクは不恰好な時計台らしきものを見上げて返した。

「人はこれが嫌いなんじゃないの?」

ミックは一瞬だけ不思議そうな顔をして答えた。

「さあ…この街の以外の人間がどう思ってるかは知らないけど、少なくとも俺たちは目の前の超先進技術に対して憧れているだけさ。確かに面倒な規制を設けられてて煩わしいけど、俺たちよりもずっと技術力のある人間たちが作り上げた物なんだから疎ましく思うのは技術屋として野暮なもんさ。そんな規制を俺たちの技術でいつか…何て思えるのが俺たち技術バカの本能なのかもな」

 マルクは考えた後にミックに尋ねる。

「僕も手伝ってもいい?」

「いいのか?もちろん俺としてはいいぞ」

マルクは大きく頷いた。

「うん!」

 マルクが受け取った図面を見てマルクは感心した。超先進技術で構成された部分以外の通常の機械要素で組み込まれた部分は完璧に再現されていて、超先進技術の入る部分には様々な工夫を凝らした特殊品の機械類が詰め込まれており、様々な機構を作り出している。

 ミックの作業を少し見ると15000区画で最大の大型駆動ユニットである巨大シリンダーの整備作業を行なっていた。ミックが四苦八苦しながら部品を分解する様を見て声をかける。

「多分そこのYA80型のシリンダーは29番油圧チューブを先にまとめないと取り外しが難しいよ!」

ミックがこちらを見て少しキョトンとする。

「そこ!そこだよ!」

とマルクもシリンダーに上り極太の油圧チューブに飛びつき巨大な継手に工具をセットする。ミックがその様子を見て「なるほどと!」呟き継手の取り外し作業に手を貸す。ミックは少し驚いた様子で言う。

「詳しいな…どこかで時計台の情報を知れるのか?」

ミックは手際良く継手の取り外し作業を手伝いながら尋ねる。

「まあ…ちょっと勉強した事があってさ…」

マルクは不器用にはぐらかす。

「どこでそんな事が学べるんだ??」

 ミックは食い気味に聞いてくる。

「えっと…まあそこは後々にするよ!そこにあるポンプでチューブ内だけ空にするよ!」

ミックは少しだけ不服そうに返事をした。

「おっ…おおう。」

こうしてしばらくミックに時おり指示を飛ばす形で作業を進行した。

 しばらくの間作業に集中しているとミックを呼び止める声が聞こえてきた。

「おーい!ミック!」

ミックと同じくらいの歳の若い男が手を振っている。

「なんだ!チャールズか!」

ミックは手を振りかえしてそちらに向かう。マルクも何となくそちらに向かってみるとチャールズと言われた男の手には金属の板が握られていた。

「また新しく素材ができたのか?」

ミックが目をギラギラ光らせて聞く。

「そうなんだよぉ!今回もエンジンの製作にはいい感じの素材だと思ったから君に見せたくてねぇ?」

チャールズはニコニコ嬉しそうに素材をミックに見せる。

「どうだい?前回の素材よりも耐摩耗性が高くてさらに熱膨張が30%ほど抑え込めた!是非とも実験台…いや試作にどうかな?」

ミックは輝かせたまま喋る

「そうか!こいつなら新しいエンジンの素材に出来るかもな…ちなみに何だがどのぐらいの頻度で量産できる?」

 チャールズは自信満々に答えるたび

「君らが何台も組めるくらいは用意できる見通しさ。」

ミックは尋ねる

「なるほど…結構入手しやすい金属の合金なんだな、それは助かる。」

 チャールズは念を押すかのように言う

「含有物に関しては僕の口から言うとソウに殺されかねないので言わないでおくが量産も視野に入っているよ?是非とも僕の新しい素材を試して最高の性能を出してくれ!」

ミックが少し考えた後に言った。

「そうだな。俺としては結構アリかもしれないけどとりあえず加工屋連中とマモラジジイだな。特に加工屋だよ…お前の金属を削ったらフライスの刃が5本もダメになった挙句に本体のモーターが焼き付いたって青筋浮かべてたぞ!」

チャールズは悪びれる様子もなく言う

「ああ…超硬化鋼鉄の話なら散々怒鳴り込まれたよ?あんなもの加工できる前提の素材として持ち込ませるな!とか言われたけど金属の進化に犠牲は付き物と思えないのかねー?」

ミックは少しため息をつく。

「そのマッドサイエンティストな言動がマモラジジイの癇に触るって事をいつ理解できるんだ…」

 チャールズは反省する気配もなく笑った。

「さあね。マモラさんがそう言おうと僕達ほど素晴らしい鉄鋼職人は居ないんだから僕には関係無いね。」

 ミックはため息をつきながら思い出し言う。

「そういえば加工屋の奴らがお前を探してたらしいぞ。」

 チャールズは何かを思い出出したかのように表情を変えた

「すまないね。ついつい忘れたよ!それじゃ!!」

 彼はさっさと駆け出しまった。ミックはため息をつきながらマルクに振り向いて言う。

「この街はこんな奴らばかりだよ。さあ・・・作業も丁度いい感じだし腹ごしらえ程度に商店街でも回ろうぜ。俺が案内してやる!」

 ミックがニコッと笑った。

「うん。僕も少しお腹が空いてきたかな。」



 鋼鉄や簡素なコンクリートで包まれた殺風景で機能的な無駄のない街並みをオレンジの光が輝かせている様を窓越しに見つめるマルクは、言い知れぬ活力と安心感を感じながらその正体に気付くことができない。オレンジの光無数の街灯はマルクに残された僅かな本能的な部分に刺激を与えている事意外に感じ取れる事はなかった。

「この光なんか安心する。」

 マルクは小さく呟くとミックは不思議そうな顔で聞いて来た。

「陽光灯は初めてか?」

 聞きなれない単語が流れてくる。この単語には何故か概念体が反応しないことに少し苛立ちを感じたが素直に尋ねた。

「うん。この光は初めてかも。」

 ミックは少し驚いた様子を見せたが直ぐに説明を返してくれた。

「陽光灯は人に必要な光を発生させるための特殊なライトだよ。俺の聞いた話だとどの街にもたいていあるらしいんだけど君が居た所っが特殊なのかな・・・よく分からないけどこの世界の人口光源のmoonだと人間の体は本質的には目を覚まさないらしいんだけどある程度日中の生活圏にこの光を置くと人間の体は眠りから覚める事が出来るらしい。実際に結構心地いいよなこの光。」

 ミックはハンドルを握る片方の手を一瞬だけ離して手のひらに光をあてて見せた。

「うん。なんか安心するし体が動けるような気がする!」

 ミックも大きく頷く。俺達はたぶん人間と言う生き物として考えれば結構過酷な環境に居るんだろうな。ただ生きれていると言うだけで本当はもっとあるべき姿や暮らしがあるんだろうけど誰かの知恵でこの世界を回してしまっているのだから業の深いもんだな・・・」

 ミックは少し自嘲気味に言う。

「お!ここにするか。」

 ミックは鋼鉄の外壁で身を包んだ一軒の店先に車を止めた。

「ここは?」

 ミックは嬉しそうな顔で言う

「めしや。」

 マルクは怪しげな店先を眺めて言う

「ここでご飯が食べれるの?」

 ミックはニコッと笑いながら言った。

「とびきりがね。」

 ミックは鉄製の扉に手をかけてグイグイと押込み扉を開けた。外の冷気が冗談のように熱風と共に空気だけで旨味が感じられそうな程に濃厚な食材の匂いに腹が鳴ってしまいそうになる。

「おい!来たぞ!」

 ミックが店内に怒鳴るように声を掛ける。店の奥で少しバタバタしたり何かをガサガサと探す様子があったが直ぐに店の奥から背の高い人物が現れる

「うるさいね。本当この街の技術バカはやかましくてやってらんないわ。」

 店の奥から現れた人物は幽霊のように白く細い印象の女性だった。見た目の印象とは裏腹に鋭い目つきでミックを睨みながら丁寧にテーブルを拭き取り椅子を用意してくれる。

「なんだよ!お客だろ?もっと丁重に扱うのが基本だろ?」

 女性は鋭い表情をムッとさせてミックの顔のスレスレに顔を持って行き低くも綺麗な声で言い放つ。

「いきなり怒鳴りこんで来るアホは客じゃねえ。あと幼女趣味はなおさらだよ?どこからさらってきたこの変態。」

 ミックは急接近に動揺を見せ飛びのきながら言い返す。

「馬鹿か!お客だ!あといきなりそんな近づくな・・・ビビるから!!」

 女性は少しだけ口角上げながら言う

「なんだよ?なんか不都合でも?まあいい馬鹿相手にしてたらキリがない。」

 マルクの方に振り返ると女性は軽く挨拶した。

「紹介遅れてごめんね。私はリリだ。ここの街の奴らに飯を作る仕事をしてる。」

 色白で背が高く目つきが鋭いので幽霊のような印象だったが、実際に話す姿から何だか親しみ安そうな印象である事に気づいた。よく見ると小奇麗に整えられた黒髪に地味であるが少しだけフリルがついたエプロンを身にまとい女性らしい一面もある人で年中厚手のツナギを油まみれにしている自分も見習おうと思える程度には女性的な人物であると感じた。

「僕はマルク。一応旅人をしてる・・・ここはお姉さん一人でやっているの?」

 リリはマルク姿をまじまじと眺める。

「まあね、私は料理が好きで仕方ないのさ。しかし、こんなに若いのに旅か。まあわけがあるんだろうね。さぞ疲れてるでしょ?甘いものでも振る舞ってやろう。」

 リリが鋭いが優しい表情で微笑んだ。

「まじ?俺もくれる?」

 ミックが少し目を輝かせる。

「あ?」

 声と共にミックの顔面を一度も見ることも無かったが正確な起動で裏拳が炸裂する。

「待っときな。いつものヤツでいいだろ?」

 鼻を抑えるミックに目もくれず厨房に戻って行く。彼女の向かう先の棚に少しだけやれたエプロンがかけられており、いま彼女が着ているエプロンと比べるとかなり地味でありながらしっかり整頓された様子であった。普段の彼女の仕事着なのだろうか?とぼんやりと考えた。

  しばらくするとリリが料理を運びテーブルに置いた。

「おまたせ。ゆっくり食べてね」

リリはマルクの方に笑いかけると、さっさと歩いて行った。内容は簡単な穀物と干し肉を中心にした質素な料理でありながら節々にこだわりと丁寧さを感じる食材の風味に食欲がそそられた。

「おいしそう…」

 マルクがそう呟くとミックは何故か少し誇らしげに語った。

「そうだろ?リリの料理はこの街でもかなり人気なんだよ!自慢じゃ無いが俺はここの常連第一号だぜ!」

厨房奥に椅子にもたれるリリがフッと顔を逸らすのが見えた。

「そうなんだ…好きなんだねリリさんの料理」

ミックは大きく頷く。

「でもこの街って工業の街じゃないの?どうしてリリさんみたいな料理人がいるの?」

 マルクは湧き出した疑問をぶつける。

「そりゃあ!ネジで人間は生きていけるわけじゃないだろ?どの街にもこう言う料理バカ…料理好きは重宝されるのさ。」

マルクは少し考えてから慌てて聞いた。

「えっと?お代とかは…」

ミックが大きく笑った。

「ここでは技術を買う以外に金の価値は無いよ。食事は街に運ばれた木馬の資材だけだから俺たちの食いもんをうまい具合に料理してくれる役目ってだけさ。そのかわりこの街の決まりでは料理人にはいろんな形で恩返しをする決まりになってる。例えば…それとかな。」

ミックが指差した場所には小柄なバイクが置かれている。

「これはリリ専用に俺とマモラジジイが作ったヤツだよ。街中の移動とか木馬の資材受け取りに困ってたみたいだからな。アイツも大事に乗ってくれてて整備に来る俺も嬉しいもんだよ。」

ミックが一層誇らしげに語った。

「この街がちょっと好きになったかも」

ミックが大袈裟に笑みを作る。

「そうかい!冷めないうちに食うぞ!」

勢いよく食事を食べるミックにつられてマルクも慌ただしく食事を終えると、リリが奥から暖かいコーヒーと薄らと蜜の乗ったパンのようなケーキのような焼き物を持ってきた。

「ほら。簡単なもんですまないけど」

マルクとミックの分をテーブルに置いてリリは先ほどの厨房の椅子に戻って行った。




 咳き込む喉を無理やり押さえつけて目の前のパーツを丁寧に組み上げて行く。今度こそ上手く行くはずだ。親友が残した唯一未完成のフレームは未だ一度も地面を蹴らずに燻っている。

 今日という日に限っては親友への思いが強く蒸し返されてしまい、とても休んでいる気にはなれなかった。

 今日見たマルクと言う少女のあんな目を見てしまったのだから、まるで宇宙船を見るかのように輝き技術の到達点を知らないかのような眩しい瞳はかつての自分達を思い返さずにはいられなかったのだ。

「ヨシヒデに手向けてやらなければ」

 今にも俺の作業にお節介を焼いてくれないだろうか?俺のバイクにケチつけてくれないだろうか?吹け上がったエンジンに奇声を上げるアイツの大袈裟な喜びが今でも心に染みて拭えない。

「年甲斐も無いか…」

  時間と共に風化する事がどれだけ悔しい事なのか自分には計り知れないのだ。それが執着でしかないことも分かっているが自分自身に焼き付いてしまった時間はもうどうにもできない。

「人は死ぬ瞬間までは子供のままなんだよ」

 言い聞かせるように呟き立ち上がると、体中に痺れを感じて、バイクから大きく離れてタバコに火をつけた。鼻の奥に漂うヤニ臭さとリコリスとバニラのほのかな着香が自分の意識を更に深く掘り込み苦しみを浮き彫りにした。

 ため息と痛む心臓をなだめるように工場の奥を抜けて細い金属の階段を昇ると無骨な鉄板の廊下と部屋が4部屋ありそのうちの突き当りに入る。ドアを開けると、壁と天井に無数の工具とパーツがぶら下がっており奥に簡易的なベッドと出窓。街のほのかな陽光灯を写し出している。

 タバコを部屋の隅にある無骨な廃油ストーブに放り込むと勢い良く光が灯り部屋の中を温めた。

「はあ」

 ため息とともに出窓に肘をついて街を眺めた。

「変わらんな。」

 ここに来て何十年と経ったが、この街の風景は大きく変化した様子はないのだ。数十キロと続く無骨な鉄板とコンクリの街並みと巨大な塔は美しさと虚しさを感じてしまい嫌いになってしまいそうである。技術者の寿命とこの世界の流れには差がありすぎるのだ。

「お前は一体何を残したんだ?」

 呟きながら出窓の隅に飾られた写真立てに問う。もちろん返答は無い。写真立ては部屋の外側に向けられており写真を眺めることはでいなくなっているが、きっと写真の中のあの時の俺達はこの世界の果てを見つめていることだろう。

「お前はこの地平線を超えることが出来たのか?」

 その写真は地平線を眺めるだけで返事は無い。

「俺はどうすればいい。」

 青春だったあの日々に心は還りたがっているのを抑えられなかった。




 高く高く響き渡るエンジンの音と鼓動に心が踊る。4サイクルの金管楽器のような振動と2サイクルの雷鳴のような振動が同時に奏でる騒音は俺達の心を強く強く刺激した。

「いいか?バラスト輸送線のBルート二周だぞ!そこで勝負を決めるからな!!」

 相棒に二台の排気音に負けないように大きな声で叫ぶと奴は親指を立てて見せた。

「よし!」

 スロットルを吹かす。俺の体の下で激しい鼓動と強烈な白煙と油臭さが立ち込めて俺の意識は高ぶった。俺の隣でも甲高く響く憎いくらい甘美な排気音を奏でる相棒のマシンがあった。

「二人とも気を付けてね・・・」

 その横で心配そうな顔で二人を眺める車椅子の少女が声を掛ける。サラサラなショートカットを揺らしながら興奮する二人を見つめている。

「ミナ何言ってんだ!大丈夫だ!俺が勝つから!」

 的外れな返答を返すヨシヒデ。

「まあ。こうしなきゃ限界性能は比べられないからな。気を付けて行ってくるから見届けてくれよ!ミナ!」

 彼女に二人で馬鹿っぽく笑いかける。

「うん・・・気を付けて・・・」

 彼女は胸の前で小さく手を振った。

「行くぞ!ルート看板まで80キロ制限だぞ?」

 ヨシヒデが頷くのを見届けて俺達はエンジンを大袈裟に吹かしてクラッチを繋いだ。

 バラスト輸送線までは5分程掛かるのでそこまでタイヤを十分に温める必要がある。俺達は通行する車の隙間を縫いながら車体を左右に揺らしタイヤの端までしっかりと温度をあげる。僅かな衛星の光と陽光灯はコンクリと鉄板の無骨な建物を照らしては通り過ぎてゆく。

「ルート入るぞ・・・」

 自分に言い聞かせるように呟いた。閑静で無骨な住宅街に突然現れる巨大なトンネルが俺たちの心を高ぶらせた。トンネルに侵入すると先程よりもずっと強い陽光灯に体が晒される。数分程走行するとトンネルが大きく分岐している場所に差し掛かる。Bルートの案内看板を目印に俺達は加速した。

「うお!」

 自分のマシンながらその暴力的な加速に鳥肌が立ち加速を躊躇するとその隙からヨシヒデのバイクが抜き去って行く。

「あいつマジかよ。」

 歯を食いしばりスロットルを引き絞る。ガラガラと乱暴な音と白煙と共に俺のバイクのフロントタイヤが浮き上がりながら加速してゆく。一輪のみで加速するイレギュラーな感覚。

「ほおおおお!」

 柄にもない奇声を上げながらヨシヒデの背中を追う。メーターは既に200キロを超えている。陽光灯が次々に過ぎ去り背景が強烈な点滅をしている様な感覚を感じる。

「加速なら絶対負けないぜ。」

 加速感に体が馴染むと奴の背中に宣戦布告をした。タコメーターの針がグイグイと上がりこのバイクの最高のパワーと最凶の加速を地面に叩きつけるとヨシヒデの背中が大きくなってゆく。

「ははっは!」

 大きな笑い声と共に奴を追い越す。エンジンは現在6速全開のレッドゾーンを指している。これがこのマシンの本気。

 ヨシヒデのマシンが少しづつ離れて行く感覚に酔いしれる。だが勝負はこれからなのだ。あいつのマシンの恐ろしさはコーナリングだ。この先の連続するコーナーでどれだけ差が縮まるのか計算は不能なのだ。本来なら2サイクルのエンジンの方が軽量でに作りやすいのでコーナリングは得意なのだが、あいつは天才だ。フレーム設計からエンジン配置まで完璧で理想的なバランスを実現することで重い車体でも魔法のようにタイヤが食いつくのだ。

「勝負しようぜ!」

 Bルート最初のコーナーに差し掛かる。シフトダウンと同時にフロントブレーキをかけ、舐めるようにリアブレーキをかけてゆくとリアタイヤがズルズルと滑り出し、その動きに合わせて体を傾けてゆく。イン側のステップに全体重を載せアウト側のステップから完全に足を離した。地面と体がスレスレまで近づくと時折り膝を突き立ててバイクの傾きを確認する。小さく横滑りするバイクの後ろには薄くタイヤ痕が残る。

「はあはあ」

 とんでもない速度感と集中力に息が上がってゆく。コーナーの先を睨む視界の隅にはヨシヒデのバイクがピタリと張り付き離れないの確認する。

「手強いな。加速で勝負だぜ!」

 コーナーの出口が視界に広がるのと同時にスロットルを開く。フロントタイヤの感覚が薄くなるのを感じながら慎重にバイクの角度を起こしてゆくと再び強烈な加速感が体を貫く。

「ははは!」

 乾いた笑い声が漏れる。バイクのタンクに体を添わせて空気の壁を受け流しながら加速する。開けた直線道路を見つめるとトラックが数台走っているのが目に入るが構わず加速してトラックの隙間を高速で通過してピースサインを二人で叩き込むと呆れ笑いのような苦笑い混じりにクラクションを軽く返してくる、この街は最高だ。

 再び前を見つめるとBルートで最難関の5連続コーナーが覗いている。加速力で優れている俺のマシンだったがわざわざとヨシヒデのマシンの速度に合わせた。横並びになった俺の意思を察した奴は簡単なハンドサインをこちらに出した。目論見通り一騎打ちを受けるようだ。コーナーの侵入は読み合いである。本気で加速する俺の後方にしつこくへばりつく奴の選ぶラインを如何に先読みするか、或はどちらが先にブレーキを掛けるのか。

 コーナーの入り口に差し掛かり俺が先に仕掛けた。シフトダウンと同時にブレーキをかけて体を傾ける。

「おお!」

 ギリギリの場所まで引きずった進入で体に強い緊張が走るが構わずにバイクを傾ける。

「ここまで来れば・・・・・!!」

 タイヤは限界を超えてズルズルと滑り出している。これ以上はこのバイクの限界なのだ、物理と言う絶対の神が見放すその瞬間をすぐ側で感じながら歯を食いしばる。その時であった銀色の閃光が俺の前を横切った。タイヤから僅かに白煙を出しながら確かなバランスで俺の前を横切る6気筒の鉄の塊は俺の知らない到達点を見せつけるかのように過ぎ去った。



 いつもの工場でタイヤの上に板を置いただけの簡易的なテーブルで俺達はいつも通りの反省会をしていた。

「また負けちゃったの?」

 車椅子の上からゆっくりとコーヒーを差し出すミナは苦笑いを浮かべた。

「・・・まあ・・・な。」

 俺は渋々頷いた。

「また俺の勝ちだな!マモラ!」

 ヨシヒデはミナの入れたコーヒーをグイグイと飲みながら笑った。

「お前のマシンセッティングがおかしいんだよ!!マシンスペックが同等なら・・・俺のライディングの方が速いんだからな!」

 子供らしく素直に負け惜しみを叫ぶ俺は情けないと感じる一方本当にライディングならこいつに負ける気がしないと思っていた。

「俺たちはレース屋じゃなくて技術屋だぜ?マモラくーん!」

 ヨシヒデは俺の目を真っ直ぐ覗き込みゲラゲラ笑った。

「マモラをいじめちゃダメだよ・・・ほらコーヒーこぼれてるよ。」

 ミナは細い指先を指して指摘する。

「ああっつ!!」

 指摘されて初めて気づいたのかヨシヒデの反応が少し遅れる。慌てたヨシヒデの膝にさらにコーヒーが零れる。

「あつ!!!」

 さらにドタバタするヨシヒデにミナがそっと濡れた雑巾をあてがう。

「もう・・・大人しくコーヒーも飲めないの?」

 優しく??られるヨシヒデは小さく「すまん」と返す。

「本当バイク以外のことはダメなんだから・・・火傷してない?」

 俺が二人の様子を微笑ましく眺めている事にヨシヒデが気付き慌ててミナに言う。

「だ!大丈夫だ!火傷なんてしてないぞ!」

 ヨシヒデはミナから雑巾を取ると自分で拭き取って片付けに行ってしまった。

「忙しい奴だな・・・あいつバイク以外のことはホントにバカだからなんかあったら言えよ?」

 俺は苦労人であろうミナに言う。

「ううん。大丈夫!ちょっとかわいいくらいだよ。」

 俺は少し安心して笑った。不器用なヨシヒデの初恋なのだ、ライバルの俺とて応援してやりたいものだ。

「まあ・・・悪い奴じゃ無いような・・・うん。」

 ミナが少し笑う

「それ自分に言い聞かせてない?」

「多分・・・違う・・・多分。」

 ミナがまた笑った。

「ホントに仲いいね。」

 俺は黙ってコーヒーを飲み干した。

「それより体の調子は大丈夫か?」

 ミナは少し指先を眺めるようにして考えた後に答える

「最近は・・・平気かな・・・ヨシ君も気を遣ってくれてるから早く元気になれたらいいな。」

 俺は少し安心した。

「またお前の飯食い行くよ。」

 ミナは少しだけ明るい声で言った。

「うん。沢山作るよ!」

「うわあ〜シミ出来ちまった!」

 ドカドカと足音を立てながらヨシヒデが戻ってくる。

「俺の悪口言ってる奴はどこだ〜?てめえか!!」

 俺の首を掴みながらバシバシと肩を叩くヨシヒデを振り払う。

「なこと言ってねえよ。」

 ヨシヒデを振り払う。

「んで?今回の反省はあるかい?周回遅れのマモラ!」

 ヨシヒデを軽く睨む。

「そこまで遅くねえよ!バカ。今回の反省点としては・・・・」




 俺達は夜が更けるまで語り続けた。今思えばこれが俺たちの青春だったのだろう。出窓にもたれかかった老け顔のマモラは笑みを浮かべた。

「私は・・・星を見たいな・・・この地平線のずっと先まで貫く光の筋に大空の大河。この先のどこかにきっとあるんじゃないかな・・・」

 気づいたら私の隣りに記憶の中で出窓に頬杖をつきながら語るミナの姿があった。彼女の動かない膝の上には古びた星の本が置かれていた。

「俺がいつか連れていってやるよ!どこまでも走る最強のバイクで!」

 ギラギラ光る目を地平線に向けてヨシヒデが言う姿を思い出した。

「お前にできるかよ。でも・・・俺も手伝ってやらんこともないぞ・・・」

 しわがれた声で私は返事をした。部屋の中には誰もいない。

 この窓から夢を語り合ったあの日から10年後に彼女は

 日に日に弱る彼女を地平線の彼方にまだ見ぬ星を見せる為に、ヨシヒデはバイクを死に物狂いで組み立てたが彼女の寿命には間に合わなかった。俺達は何十年ぶりにバイクを共同で作った弱るミナにせめて地平線の果てを見せてやりたい一身で。俺達の勝負は結局あいつの勝逃げで終わり、ミナが旅立ってもせめて弔いのために開発を続けたが、どんな天才も心の闇には勝てなかったのだ。3年後にヨシヒデは後を追うように病気になり死んでいった。

 静まり返った部屋で涙も出ない孤独の日々は今も続いている。俺は出窓の天板を強く叩いた。





「よし。ボロ部屋ですまんけど上がってくれ。」

 マルクはミックの背中を追いながら細い階段をトントンと上がっていく。

「ミックはここに住んでるの?」

 ミックは廊下に転がる工具箱を乱雑にどかしながら答えた。

「いや。たまに止まるだけだよ。俺の両親が残してくれた場所があるんだ。と言うか俺の母さんがやってた食堂なんだけどさ。」

 マルクは先程のリリの焼き菓子の味を思い出しながら言う。

「また明日食べに行ってもいい?」

 ミックは少し笑った

「ここの飯が気にいったか?」

 マルクは大きく頷く

「うん!」

 ミックは嬉しそうに笑った。

「リリは俺の母さんの弟子だったんだぜ!こんど俺の家の本物の味を教えてやるさ!」

 マルクは目を輝かせた。

「そうか〜!リリさんの師匠の味か〜・・・・」

 ミックは苦笑いする

「今は弟がやってるから完全に母さんの味と言う訳じゃないけどな。じゃあ明日にでも行くか。とりあえずここで眠ってくれ。準備が整うまで自由に使ってくれていいぞ。」

 マルクを手前の小部屋に案内する。

「うん。ありがとう。」

 部屋に入り眺めると簡単なベッドとテーブルがあり先程の工場と比べれば比較的清潔な部屋になっていた。

「じゃあ俺は帰るけどなんかあったらマモラのジジイがいるから言いつけてくれよ。」

 マルクは大きく頷いた。

「ありがとね!!」

 ミックがそっと扉を閉じて部屋は静かになった。マルクは簡単に荷物をおろしベッドに横になった。

「はあ・・・」

 マルクは一日の疲労を感じながら考えた。この街から早く出てカナタの場所に行かなければならない。僅かな焦りを抑えて更に考える先ずは移動手段と旅に必要な道具であるが、そもそも行き先が不明確で何も思いつかないカナタの居場所を示すヒントをどこかで見つけなければならない。

「カナタ・・・」

 どこまでいったのだろうか?彼は星を探すために旅をしていた。ならば星を辿れば何処かで巡り合えるのだろうか?分からない。手当たり次第に情報を集める事も出来るが自分の不器用さでは時計台のボロを出しかねないこの街の人々ならともかく他の街でどんな待遇をされるのか分からないしお姉ちゃんの言いつけでもあるので下手には言えないのだ。

「どうしたものか・・・」

 行き詰った思考は眠りを誘いマルクはゆっくりと眠った。




 バチバチと火花が散る音にマルクは目を覚ました。衛生の光はまだ窓から僅かに差し込むのみで外はまだ薄暗く外の陽光灯は未だに灯っていない。

「溶接・・・の音?」

 概念体が流れ込み音の正体に大体見当をつける。そっとドアを開けて細い階段をゆっくり下る。作業服をきたミックの背中が見えてくる。

「はあ・・・」

 ミックは手元に様々な金属製のパイプを握り溶接機をあててはため息を付いている。バチバチと溶接した後に部屋に飾られた6気筒のバイクを眺めては溜息を付くのを繰り返していた。

「おはよう・・・」

 恐る恐るマルクが声を掛ける。

「おう。」

 短く返事を返したミックはゴーグルをはめて再び金属製片を溶接する。

「練習?」

 マルクはミックに尋ねた。

「ああ・・・そうだよ。遺物を探しに行く前に毎朝こうして溶接の練習とかいろいろやってるんだよ。」

 マルクは真剣な眼差しのミックに少し感心しながら聞いた。

「綺麗にできる・・・と思うけど?」

 ミックは首を振った

「いや。親父やマモラのやつと比べたら全然だ。精度も違うし何よりフレームの撓りを考えた理想的な熱のかけ方をしているからな。」

 ミックは悔しそうに手元の金属片を眺めた。

「マモラさんに教えてもらう事は出来ないの?」

 マルクは何気なく聞いた。

「2年前まではジジイは良く教えてくれたさ。でも親父が逝ってからあのバイクに付きっ切りでな。ジジイ自身も病気にかかってる癖にあのフレームに取りつかれちまってね。」

 ミックは寂しそうに言った。

「そうなんだ・・・」

 マルクは返す言葉を選んでいたがミックが先に声を上げた

「俺も親父のことは悲しいさ、尊敬してた二人のうち一人だったんだからな。でも一番辛いのはきっとジジイの方って事も俺にどうしようもない事も分かっている。俺としては昔の面倒見がいい兄貴分のジジイに戻って欲しいのは確かだけど同時に俺の親父と母さんの夢を載せたあのフレームを完成させて欲しいのも確かなんだ。でも、そのせいでマモラ爺さんも体を壊して欲しいはずなんて無い。このバイクは母さんの死に際に夢だった旅をさせてやりたくて作ったバイクだったんだけど、親父は衰弱する母さんのために無理してこのバイクを組もうとして体を壊したんだ。」

 マルクはできかけのバイクを眺めた。

「そうだったんだね・・・ミックが手伝ったらダメなの?」

 ミックは拳を握って悔しそうな顔をしながら震えた。

「俺が・・・俺がやったら・・・親父やマモラの作り上げた物を崩してしまいそうなんだ。二人が切磋琢磨している様子を間近に見て育った俺だからこれがどれだけ力が入った物でどれだけ思いが詰まったものなのか計り知れない。そんなものを俺が触るなんて恐ろしすぎるんだ。」

 マルクはミックの顔を見つめた。

「大丈夫だよ。きっと。僕はね人を探してるんだけど、どうやら残り時間がそう長くないらしいんだ。でも僕は旅に出た!可能性は低くても全力でやって行けばきっと見えてくる物はあるって僕は信じてるんだ。だからきっと大丈夫だと思う・・・」

 マルクは強く自分にも言い聞かせていた。

「ああ・・・そうなのかもな」

 ミックはつぶやいた。

「そういう僕もなかなか出来てないかもしれないんだけどね。」

 マルクは苦笑いを浮かべる。

「難しいもんだな。」

 二人で少し笑った。

「おう。」

 階段の上からマモラの声が聞こえる。

「おう。早いな。」

 ミックが雑に挨拶をするのを見ながらマルクも続くように挨拶をする。

「おはようございます!」

「はいよ。おはよう。」

 マモラは眠そうな声で二人に挨拶する。

「今日はどんな予定かね?」

 マモラはマルクに尋ねた。

「うーん。取りあえず旅に出る準備が必要だからね。僕はいろんな資材が欲しいし。あと旅をするにも足が無い・・・」

 マルクは現状の問題点を考えて答えるとミックが考えながら告げる。

「それなら市場にいけばいいさ。遺物やら製作品が買えるから丁度いい。あと・・・」

 ミックが意味ありげにマモラの方を見る。

「わかってるさ。」

 マモラは煩わしそうに返す。

「じゃあマルクの案内もいいか?」

 マモラが無言で手を振った。

「すまんな。マモラに案内してもらうように頼む。」

 ミックの方に目を向けずにマモラが外に出ていった。





 陽光灯は寝起きの体には眩しすぎるように感じ、少し目を逸らした。鋼鉄とコンクリが交互に混ざり合った様な街並みと巨大な塔は上りたての青白い光と街の陽光灯で彩られ怪しげな陰影を晒しては、車の脇をグイグイと抜けてゆく。

「うるせえガキが嫌いだ。」

 マモラが唐突に呟いた。

「ミックの事?」

 マルクが苦笑いしながら聞く。

「ああ。俺の体調が少し悪くなってからずっとあの調子だ。俺は別に死ぬ気は無いってのによ。」

 マルクは誤魔化す様に笑みを浮かべて答える。

「大切に思われてるんだね・・・・」

 マモラは溜息をついた。

「杞憂もいいとこさ。俺は親友との約束を果たすまでは死ねないし生き続けるしかない。」

 マルクは薄暗い闇に浮かぶ巨塔を眺めて聞く。

「あのバイクの事?」

 マモラは頷く。

「そうだよ。俺はあれを完成させるまでは死ねない。」

 マルクは素直に答えた。

「でもミックがかわいそうじゃない?」

 マモラはハンドルから片手をストンと落とすと聞く。

「あいつが?」

 マルクは正直な言葉意外が見つからずに不器用に言葉に出した。

「だって・・・マモラさんが今の自分よりも・・・自分のお父さんの陰ばかりを追い続けているのは少し寂しいかも・・・しれないかな・・・」

 マモラは小さくため息をつく。

「マルクちゃんは正直だね。?とか隠し事苦手じゃない?」

 マルクは苦笑いを浮かべて返す。

「そう・・・かも・・・」

 マモラはハンドルを握り直して語った。

「俺もあいつは息子だと思っているしヨシヒデやミナの残した宝である事は分かっているつもりだがな・・・。あいつが親父の残したあのバイクを手掛けたいと思っていることなんて分かっているし、あのガキには俺が必要な事もわかりきっていても俺は約束を破れるほど薄情じゃ無い事も事実だ。ヨシヒデの死に際に俺が必ず手掛けて手向けてやる事を誓ったんだ。」

 マルクは少し黙り込んでしまう。

「答えは出ない・・・きっと。」

 マモラはつぶやいた。

「でもきっと答え何てすぐに出さなきゃ終わっちゃうよ。時間は意外と無いのかもしれない・・・。僕は今、おじいさんになってしまった人を探しているんだけど、その人の寿命がどこまで続くのか解らないから実はあんまり時間が無いんだ。

 僕たちの事も忘れてしまっているかもしれないし、何処かでもう死んでしまっているかもしれない。何処かで他の幸せな暮らしを見つけて僕らの事を捨ててしまったかもしれない・・・でも僕は探しに行くと決めてしまった。今は相手が何をしていても何を考えていてもぶつかってみる意外に選択肢は無い・・・と思うから問題は全部とどめておいてはいけないと思うかな。」

 マモラは苦笑いをする。

「何だか俺より大人びた事が言えるもんだな・・・マルクちゃんはなんか普通の人じゃ無い事は俺にもなんとなく分かるよ。皆どこかに苦痛を持っているもんだな。」

 マルクは笑った。

「でも僕は幸せだよ。だって大切な友達のためにここに居られるんだ。こんなに幸せなことはないよ!」

 マモラは聞く。

「その人に会えなくても幸せなのかい?」

 マルクは少し首を傾げた。

「どうだろう・・・きっと生きていても死んでいても何処かにその人がいた事実はきっと変わらないし僕は僕なりに追いかける事が幸せなのかもしれないしただ夢中になってる自分に酔ってるだけかもしれないけどね。」

 マモラは少し黙り込んでから息を吐いた。

「そうか・・・」




 車は暫く進みいっそう怪しげな路地に入ってゆく。先程の鋼鉄とコンクリの建物とは違い、少し紫がかった黒曜石に近い色合いの岩でも鉄でもコンクリでもない不思議な質感の建物が並ぶ路地に入って行く。

「ここは?」

 マルクは目新しい風景に目を凝らした。

「この町の心臓と言っても過言ではない場合だ。時計台の管理区間とでも言うべきかな。」

 マルクはその景色をよく観察して理解した。

「心骨石・・・」

 長年管理をしていたマルクにはこの素材が何かをすぐに理解した。時計台の感覚器官の様な素材であらゆる意味での干渉をきっかけにしてあらゆる概念とエネルギーを吸収するための素材である。

「ちょっと用事があるから寄り道させてくれよ。」

 マモラが言う。

「こんなところに何の用が?」

 少し恥ずかし気な様子を見せながら答える。

「ちょっと診察。」

 そう言いながら数個角を曲がった先の建物に車を止めて入って行く。マルクも何と無くついてゆくと部屋の奥に異様な生き物の様な機械の様な存在がこちらを待っていたかのように手招きをしている。

「しゃれこべ先生頼むぜ。」

 マモラがその謎の存在に声を掛けた。それは人間の骨格がベッドと一体化したような見た目でベッドの枕の上に長く伸びた首の様な背骨が長く伸びていてその先端に頭蓋骨がついていて定期的に機械的な音を立てながらこちらの様子を伺っているが、その頭蓋骨には脳みそが収まる頭骨の部分が無く、脳みそのある部分から無数のケーブルが伸びて胴体であるベッドの下に繋がっている。中枢神経であるはずの背骨の周りには樹脂と筋線維が複雑に混ざり合った肉の様な何かが全体をくねらせマモラの様子を眺めた後にベッドになっている自分の体には座るように骨と樹脂と筋線維で出来たうでで促した。

「いつもどうも。」

 マモラは渋々そこに座った。その異形の医師は機械音と共にマモラの心臓に辺りに手のひらを当てると甲高い音が一定リズムで鳴り響き始める可聴域の限界に近い音が響き音の反響で内部の状況をスキャンしていると理解できた。音が止んで暫くするとベッドの下から錠剤を出してマモラに渡した。

「あいよ。どうも。」

 マモラのお礼に異形は深々と丁寧に頭を下げて手を振った。

「8000日はいける所だが1700日に調整しましょうか。」

 マルクの頭の中に概念体の呟きが流れる。マモラがさっさと出ようとする背中について行こうとする瞬間に微かに流れ込んだ異形の呟きに驚きを隠せず振り向く。

「え?」

「おや。こんなところに我が末裔がいるとはね。」

 異形が無いはずの表情筋を強く釣り上げたように感じた。

「あなたは・・・」

 異形は興味深そうにこちらを見ながら軽く拍手して見せた。

「状況が何にせよ広い意味で言えば私達は家族だよ。再会を祝おうじゃないか。姫は元気かい?」

 首を限界まで引き延ばして寄ってくる。

「どういう・・・」


「おーい」

 混乱する頭の中にマモラの呼び声が聞こえて振り向いた。

「行くぞ!」

 我に返るように踵を返すと概念体が流れ込む。

「また会いましょう。」

 異形は嬉しそうに手を振った。マルクは何とも表現できない不気味さと懐かしさを感じながら病院を後にした。

「さあ。何が欲しい?」

 マルクが車に乗り込むとマモラは問いかけた。

「うーん。何から揃えればいいのか・・・取りあえず食糧と・・・簡単な工具とか道具類と移動手段と・・・手掛かりかな・・・」

 マルクがポツリと思い出すかのように言う

「手掛かり?まだどこに行くか決まってないのか?」

 マルクは苦笑いした。

「まあ・・・ね。」

 マモラは考えながら問いかけた。

「そいつは目立つ人間なのか?先ずそこからじゃないか?見つけ方も搾れるだろ」

 マルクは車の揺れに体を委ねるながら答えた。

「その人は星を探しているだ。何となく少し有名だった様な話は聞いてるんだけどね。」

 マモラは少し目を見開いた。

「何だよ!空の人を探しているのか。ミックの母のミナがずっと昔に見たって俺たちによく語っていた。また見たいとか本物の星を見たいといと言い出したのはその影響が大きいらしいんだが俺にはようわかんないな・・・」

 マルクは興奮する心を抑えて呟く。

「そうか・・・やっぱりこの街にも来ていたのか。」

 マモラはパッとしない表情で呟く。

「随分昔の事だからな・・・」

 マルクは少し笑った。

「でも良かった。大きな手掛かりだよ!」

 マモラも少し笑顔を浮かべて仕切り直した。

「ほら商店街に着いたぞ。」

 車の窓から覗く風景には多くの人々が往来し、様々な取引を行っている。

「よし降りるぞ。」

「うん」

 車を降りると色々な音と匂いに満たされた空間があった。二人で暫く歩くとそこらじゅうで様々な商談や雑談の声に食べ物の匂いと油の匂いが混ざる。

「みんな楽しそう・・・」

 マモラはニコニコしながら相槌を打つ

「そうだよな!俺もここは好きだぞ。何でも手に入るし何でも食える。」

 道の至る所で露店販売や店が構えられている。

「ここではどうやって物を買うの?」

 マルクは目ぼしい店を探しながら尋ねる

「いろいろだ。交渉すれば貰えることだってあるし賭けで手に入れることも出来る。簡単なのは知識を売るか単純に金だな。」

 マルクはマモラに聞いた。

「僕でも今お金が無い・・・」

 マモラは大きく笑って答えた。

「この前マルクちゃんが乗ってった車がそこそこいい値段で売れてるからある程度は買えるはずだ。君は灯心端末を持っているか?」

 マモラはポケットから小さな装置を取り出しマルクに見せる。

「これは?」

 マルクが不思議そうに覗き込む。

「簡単に言えば俺達の存在記録を覗き込む事が出来る道具だ。詳しい事はよく分からないが俺達のあらゆる情報を表示したり記録したりしているらしい。」

 マモラの手の中には黒曜石の様な質感の四角い立体物がありその立体物を軽く指で触ると光が漏れだし手のひらには光の塊が現れる。

「この中に俺のあらゆる情報が入ってるらしい。」

 マルクが光に少し見とれる。

「これが・・・・」

 マモラは光をしまうとマルクに聞く。

「君は無いのかい?」

 マルクは少し困った様な素振りを見せながら自分の荷物を探る。

「うーん・・・これ・・・かな?」

 時計台を出る時にお姉ちゃんに渡されたバッグの中を物色した。

「これ・・・かな。」

 バッグの奥から小さな宝石の様な質感の立体を取り出した。マモラの物と違いマルクの物は複雑な形状になっていて、幾つかのパーツで構成されいている様に見える。

「おお・・・そんな灯心見たことがないな。」

 マモラが興味深そうに覗き込む。

「そうなんだ・・・実は使ったことがないんだ・・・」

 マモラが苦笑いしながら聞く。

「今までどんな生き方してきたんだ?」

 マルクは不器用の笑った。

「えっと・・・まあいろいろね・・・」

 マモラは光の灯心を掲げてマルクに言う。

「まあ・・・何でもいいか。とにかく俺と同じように使ってみな。」

 先ほど同じように指先で触り、マルクにも促す。

「えっと・・・」

 見よう見まねに操作をしてみるとマモラの光よりも大きく発光をした。

「おお・・・マルクちゃんは何かいろいろ普通じゃないね。じゃあ換金した通貨概念を送るから受け取ってくれ。」

 マモラが自分の手元から光を触ると触れた指先に光の一部が移り、そのままマルクの光の中に移す。

「おおー」

 マルクが少し歓声を上げる

「よし。これでいいだろ。」

 マルクは自分の光の中に灯った新たな光を見つめてマモラに聞いた。

「えっと・・・これでいくら分なのかな?」

 マモラは灯心をしまいながら答える。

「今は言った金の概念光を触って見ればわかるよ。」

 マルクは光の塊の中に指先を伸ばして新たに灯った光を触る。

「おお・・・・」

 マルクの脳内に現在のマルクの所持金情報が流れ込んでくる。

「なるほど・・・ちょっとお買い物してこようかな!」

 マモラはハハハと笑う

「よし。じゃあ行くか。」


 




 



 


 



 

 


 







「そうだな。俺達技術屋はいくらすげえ才能を持っていてもいずれ死んでしまう。俺たちがこうして毎日技術を磨いて何かを作るのは俺の子供とか孫かさらにその先に俺と言いう存在を誇れる様に頑張っているのかもな・・・」

 マルクは笑った。

 



 


 
















 







 




 






 


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