第6話 新しい女の影
「姫様、ずいぶんと御機嫌斜めですわね」
千鶴の冷やかすような言い方に、隆姫は鼻を鳴らして脇息に寄りかかった。
「珍しく帰ってきたかと思えば、そのまま風邪で寝込むなんて」
「よいではございませんか。やはり頼通様の帰っていらっしゃる場所は、こちらなのだということがわかりましたでしょう?」
昼過ぎに帰ってきた頼通は、薬師の調合した薬を飲んで寝所に籠もってしまった。
隆姫は千鶴と共に几帳の外で待っていたのだが、夕刻になっても出てくる気配がない。
「風邪をひいてしまえば、あちらには行かれないことでしょうよ。身重の方にうつしたら大変ですもの」
「姫様ももう少し素直になればよろしいのに。せっかくですから看病して、今までの溝を埋めたらどうです? いい機会ではございませんか」
「そうかもしれないけれど……」
「例の験が現れても、姫様との関係が変わらない限り、無意味になってしまいますよ」
千鶴は有無を言わさず隆姫の手を引っ張り、そのまま寝所の中に押し込んだ。
千鶴が部屋を出ていった後、隆姫は音を立てないように御帳台に歩み寄り、その枕もとに座った。
これだけ間近で夫の顔を見るのは、ずいぶん久しぶりのような気がする。
無防備な寝顔をさらしているところを見るのは、妻としてこの上なく幸せな気持ちになれる。
頼通は苦しいのか息が荒く、額には汗をにじませていた。
隆姫が腕を伸ばして、単衣の袖で額を拭ってやると、頼通は潤んだ目を開き、隆姫に目を留めた。
「お加減の方はどうです?」
隆姫が目を細めて微笑んだ瞬間、手首を掴まれ、転がるように頼通の上に倒れ込んでいた。
「……なぜ、あなたはわかってくれない? こんなに愛しいのに……」
頼通の吐息混じりのうわ言のような呟きが耳をかすめる。
隆姫がその熱い身体にうっとりと酔いしれていると、そのまま組み敷かれ、唇をふさがれた。
こんなに激しく求められたことがあっただろうかと思うほどに、今夜の頼通は何かに憑かれたかのように熱かった。
熱のせいだけではなく、何かそうさせるような大きな力が働いているような気さえした。
恍惚とした時間が通り過ぎ、やがて頼通は隆姫の首筋に腕を絡めたまま、ぐったりと目を閉じた。
「ようやく、あなたはわたくしのところに来てくれたのね。もうどこにも行かないで」
聞こえているのかどうか、隆姫が小さく囁くと、頼通はふうっと口元に笑みを浮かべた。
「ようやく見つけられたんだ。あなたのためならば、亡き具平親王も怖くない。死すらはばからない――」
頼通の甘やかな言葉に、隆姫の目の前は真っ暗になり、全身からは血の気が引いていく。
そのまま頼通の腕を振り解いて飛び起きると、着物をかき集め、逃げるように寝所を出ていた。
女房たちは皆、気を遣っているのか、近くに控えている様子はない。
未だ火の入らない暗い部屋の中、隆姫は一人、その広さに呑み込まれていた。
「父様が怖くない、ですって……? 捨てられるの、このわたくしが……?」
唇がわなわなと震え、身体までも震えてくる。
夫は誰をそれほどまでに愛しているというのか。
彼をあれほど熱くさせるのは、いったい誰なのか。
「千鶴!」
隆姫は単衣を羽織りながら、何度も千鶴の名を叫んだ。
それからじきに、彼女は妻戸の陰から姿を現した。
「どうなさったのです……?」
千鶴は恐れをなしたように、あらわな姿で立っていた隆姫を見つめてくる。
「すぐに調べて。また新しい女がいる。文の送り先、夜出かけて行った先、全てつきとめて」
「まさか……。いつものように一夜限りの戯れ事なのでは?」
「違うわ。今度ばかりはきっと……」
千鶴はしぶしぶのようではあったが、それでも「かしこまりました」と頷いた。
本気でわたくしを捨てるつもりなら、捨てられる前にあの人もその女も殺してやるわ……!
隆姫はぎりっと歯噛みして、拳を握り締めた。