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第1話 美濃という女房

二章スタートです!

 頼通よりみちは午後の陣定じんのさだめの後、足取りも重く、妹の中宮の住まう藤壺に向かって渡殿わたどのを歩いていた。


 普段、頼通は殿上てんじょう公達きんだちと話していることの方が多く、弟の教通のりみちのように気軽に後宮へ遊びに来ることに慣れていない。


 急に訪問してもおかしくない口実をあれこれ考え、ようやくたどり着いた時に閃いた。


 中宮や女房たちの反応を覚悟しながら部屋に入ると、予想通り、中宮はからかい口調で出迎えてくれる。


「あら、本当に。兄様が来るなんて、今宵は初雪かしら」


「まあ、そう言うなよ」


 頼通は苦笑しながら用意された円座わろうだに座り、御簾の向こうにいる中宮と対面した。


「その、父上の五十賀ごじゅうがのことで少し相談をしようと思ったのだが。もうすぐだろう?」


 ちらりと東廂ひがしびさしの方に目をやると、御簾みすの下から色とりどりのいだぎぬが出ていて、女房がそこに大勢控えているのがわかる。


 『妹の宮』といえば、この中宮しかいない。

 昨夜の少女の言葉を信じるのならば、彼女は中宮付きの女房ということになる。


 この中にいるのか。


「あのう、兄様? それで相談とは?」


「ええと、その……」


 口実はあくまで口実。

 そぞろに辺りを気にしていると、言葉も上手くつづれない。


 突如御簾の向こうから聞こえる中宮の笑い声に、頼通ははっと我に返った。


「兄様、違っていたらお気を悪くなさらないで。もしかして、兄様まで美濃がお目当てですの?」


 なぜそれを、と思わず口をつきそうになり、慌てて扇を口元にかざした。

 同一人物かどうかは別として、確かにここに『美濃』と呼ばれる女房はいる。


 頼通は小さく咳払いし、そ知らぬふりをして笑みを浮かべた。


「私まで、とは?」


「いえね、今日は朝から女房たちが騒いでおりましたの。美濃にばかりおふみが届くから。教通のりみちといい、一樹いつき殿といい、噂を耳にするのが早いこと。美濃はこちらに来てまだ半月と経たないのに、彼女の美しさはあっという間に広まってしまったのね」


「そ、そう……」


 完全に出遅れたことを知って、頼通はあっけにとられていた。


 確かに左近中将さこんのちゅうじょうと彼女は知り合いだったが、教通まで文を送っているとは、思ってもみなかった。


「他にも美濃のおかげで御機嫌伺いに来る公達きんだちが多くなりましたのよ。兄様まで来られるとは、美濃様々ですわ」


「私は別に……」


「あら、違いますの?」と、中宮はいたずらっぽく笑う。


 頼通は恥ずかしさに赤くなる顔を隠すように俯いた。


 そんな居心地の悪さに居ても立ってもいられなくなり、それからじきに挨拶もそこそこに逃げるように出てきてしまっていた。




 ***




 六条のはずれの古びた小さな邸は、真新しい白い几帳きちょうや白い着物と、ありとあらゆるものが眩しいくらいに白に染められている。

 それらは使われる日を今か今かと待っているところだ。


 この邸の若い女主人、咲姫さきひめは腹心の女房の小夏こなつと話しながら、手入れの行き届いた庭を御簾越みすごしに眺めていた。


 満開の桔梗の花が篝火に明るく照らし出され、気まぐれに吹く風に乗って良い香りを届けてくれる。

 一年前の崩れた築地ついじも荒れ果てた庭も、今は見る影もない。


「あ、また蹴ったわ」


 咲姫は微笑みを浮かべて、大きく張り出した腹を優しく撫でた。


「本当に、一時はどうなることかと思いましたけれど、これで安心ですわね」


「願わくは姫が生まれますように、といったところかしら」


 父親が亡くなり、この先どうやって生きていこうかと途方にくれていた頃、それこそ神仏の思し召しともいえる左大将さだいしょうとの出会いがあった。


 もちろん、彼にはきたかたがすでにいたが、咲姫は気にすることはなかった。

 自分のような身分では、到底彼のような身分の高い男の正室にはなれないのだ。


 一夜の契りで懐妊したおかげで、もともと真面目な左大将は咲姫を捨てておくようなことはなかった。

 まめに物資を届けてくれるし、庭の手入れや家の修繕もしてくれる。

 ただ、訪れはほとんどない。


 左大将にとっては遊びだったのかもしれないが、少なくとも咲姫の方は違った。

 最近は愛されようなどと思うことはなくなったが、淋しく思う気持ちには変わりない。


 わたくしがどれだけ愛しても、彼の気持ちは北の方様にしか向けられないのかしら……。


 それでも、子が生まれれば、産んだ母親に対して見方を変えてくれるかもしれない。

 そんな淡い夢を抱いている。


 これが左大将にとって初めての子。

 特に摂関家のうじを継ぐ者には、入内できる姫の方が喜ばれる。


「何もかも上手くいくといいのだけれど……」


 咲姫は祈るような気持ちで呟いた。


「姫様なら大丈夫です。神仏が決して悪いようにはなさいませんわ」


「そうね。物事はよい方向に考えましょう」


 咲姫は頭の中の幻想を振り払うようにかぶりを振った。


 その時、部屋中の燈台とうだいの火が一斉に消えて、闇が全てを覆った。


「ちょ、ちょっと、小夏……?」


「嫌ですわ。風が入ったのかしら。今、紙燭しそくを持ってまいります」


 そう言って小夏が立ち上がろうとするので、咲姫は慌ててその袖をつかんで引き止めた。


「嫌よ、一人にしないで。誰か呼べばいいでしょう?」


「暗闇を怖がるなんて、姫様もまだまだ子供でいらっしゃること」


 小夏はくすくす笑って、それでも咲姫の言った通りに人を呼んだ。

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