表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

12/71

第7話 禍を起こす神

一章最終話です。

 ナオクスヒメは紫宸殿ししんでんの屋根の上に腰掛け、オオマガツヒが来るのを待っていた。


 指先でそっと頬をなぞると、涙の痕に触れる。


 涙の理由が自分でも不可解だった。


 あの時、泣くほど悲しかったのか。

 図星を当てられたようで頭に来たのか。

 支えをほしがっているように見られたのが悔しかったのか。


 それとも、それを言ったのが、心を乱すただ一人の男だったからなのか――。


 不思議な男だ。


 ナオクスヒメの美しさに言い寄ってきた男は数知れないが、あんな風に言ってくる男は一人としていなかった。


 秋の乾いた風が舞い上がり、額髪ひたいがみを躍らせる。

 はらはらとこぼれ落ちる髪を頬に感じながら、なぜか心が温まるのを感じた。


 逢いたかった、か……。もそうだったのだろうか。


 ナオクスヒメはそんなことを考えながらそらを見上げた。


 深夜を過ぎて風が出てきたせいか、月は雲間に出たり入ったりと、手の中にある神剣クラノオハバリもそろって、現れたり消えたりしている。


 クラノオハバリはナオクスヒメが生まれた時、同時に生み出された剣。

 この世で唯一死霊を斬り、黄泉へ送ることができる。


 ただし、使い手のナオクスヒメの霊力ちからに呼応するため、月が出ている間しかその姿を現さない。


なれも役に立たぬな」


 ナオクスヒメは黒い刀身にそっと唇を押しあてると、手の中から消した。


「待たせたな」


 男の声にナオクスヒメが顔を上げると、そこにオオマガツヒがもとどりを外した髪をかき上げながら立っていた。


宿直とのいは終わったのか?」


「今宵は。お前のせいであらぬ嫉妬を受けるとは困ったものだ」


 困ったと言いながらも、彼がこの状況を楽しんでいるのはその表情から優に読み取れる。


「そう仕向けたのは汝だろうが。わざと戸を開けようとしただろう?」


「気付いていたのか」


「立ち聞きしていたのは気配で知っておったわ」


 オオマガツヒは「なんだ」と、つまらなさそうに口を尖らせながら、ナオクスヒメの隣に腰を下ろした。


「あれが左近陣さこんのじんに女を連れ込むとは前代未聞。どんな女かと思えばお前だった」


で悪かったな。汝を探しに行ったら捕まっただけぞ」


「それにしてはただならぬ空気を感じたが。恋でもしているのか? あれは本気のようだったが」


「恋など……!」


 ナオクスヒメはかっと赤く染まった顔を隠すように背けた。


「汝とたわむれるために呼んだのではない。単刀直入に聞く。そもそも実体のない汝が人の姿など借りて何を企んでおる? 三条の邸の屍はどういうことぞ?」


「企んでいるとは失敬な。ちょっとした人助けさ」


 オオマガツヒの飄々(ひょうひょう)とした顔を見る限り、真面目に答えているとは思えない。


わざわいを好んで起こすことしか頭にない汝が人助けとは笑止」


「まあ、面白くなりそうだと思ったのは否めないが。おかげで人が人を喰らうなどという、なかなか見られないものが見られる」


「あれを喰わせておるのか?」


「母の愛とはすさまじいものよ。子のためなら何でもする」


 そう言って、オオマガツヒは嫌な笑い声を上げた。


 悪趣味な、とナオクスヒメは思ったものの、オオマガツヒらしいそのやり方に反論する気は起きなかった。


 そもそもナオクスヒメが相手にするのは死霊であって、屍ではない。

 魂の抜けたうつわをどうしようと、どうでもいいことなのだ。


「ところで、カムナオビはどうした?」


「死んだ」


 予想をはずさなかった返事に、ナオクスヒメは小さく唸った。


「汝が殺したのか」


 なじるような口調で言ったのが気に入らなかったのか、オオマガツヒは眉根を寄せて軽く睨んできた。


文月ふみづきの洪水で自滅しただけだ。俺が殺したわけではない」


 文月の洪水というと、鴨川が決壊して、左京の一条、二条がかなりの被害を受けて死者すら出たものだ。


「……ちょっと待て。あの洪水はカムナオビが起こしたというのか? 汝がやったのではないのか?」


「本当に失敬な奴だな。全ての禍を俺のせいにするな」


 洪水を起こしたのがカムナオビだったということは、その目的は川の穢れを流すため。


 しかし、今宵見てきたところでは、河原は穢れであふれていた。

 つまり、カムナオビが全ての霊力を注ぎ込んでも、穢れを完全に浄化することはできなかった。

 そして、力尽きて死んだ。


 カムナオビが死んだということは、オオマガツヒの霊力が無限にも増え続けるということを意味する。


「して、余りある霊力をどうする?」


「どこかで消費するしかないだろう。禍を起こすことこそが、俺の唯一生きている意味だしな」


 楽しそうに目を光らせているオオマガツヒを見て、ナオクスヒメはやはり、と落胆を隠せなかった。


 禍が起これば人が死ぬ。

 予期せぬ死に人間はこの世に想いを残し、死霊になる可能性が極めて高い。

 そして、中には悪霊となる者もいるだろう。


 悪霊の番人、ナオクスヒメにとって嬉しい事態ではない。


「では、今上きんじょうの病は汝が原因か?」


「まさか。俺とて命は惜しい。日嗣ひつぎ皇子みこになど手を出すか」


「確かに天孫てんそんに何かあれば、アマテラスとツクヨミが黙っておらぬだろうが」


桓算かんざんいていたと、もっぱらの噂だろう?」


「いや、桓算はとうの昔に黄泉に送った。あの僧都そうず如何様師いかさましだ」


 憑坐よりましになった女官にょかんと共謀していたか、操っていたかのどちらかだ。

 桓算であるはずがない。


「今のところあれに悪霊の気配はない。原因は金液丹きんえきたんというところだろうな」


 成分、効用ともに怪しい薬が原因ならば、いくらアマテラスの末裔とはいえ、かみの加護は及びようがない。


 ふとオオマガツヒを見やると、彼は思い出したように笑っていた。


「何ぞ?」


「正直、驚いた。お前が後宮にきょを置いていたとは」


「仕方なかろう。他に勤め先が見つからなかったのだから。好きであのようなところにいるわけではない」


「男に抱かれるために人間のふりをしなくてはならないとは、憐れをそそる」


 ナオクスヒメはオオマガツヒを睨みつけ、その胸倉を掴んだ。


「汝、黄泉に行きたいか? すぐにでも送ってやるぞ」


 オオマガツヒはまあまあと、人好きのする笑みを浮べて、ナオクスヒメの手を制した。


語弊ごへいがあったのは認めよう。イザナキを探す、という大役のためだったな」


 明らかに皮肉の込められた言葉に、ナオクスヒメの苛立ちはいまひとつ収まらなかったが、オオマガツヒを突き飛ばすように放した。


 そろそろ大内裏だいだいり諸小門しょしょうもんを開く開諸門鼓かいしょもんこが鳴る時間になる。


 日が昇り、月の光が抑えられるまでは時間があるが、人は起き出し、動き始める。


 ナオクスヒメは立ち上がり、大きく伸びをした。


「さて、帰るとしよう。内裏で会う時は知らぬふりをしてくれるとありがたいが、汝に期待する方が無駄というものか」


「そうでなければ楽しくないだろう、美濃殿?」


 ナオクスヒメはもはや返す言葉もなく、身をひるがえして藤壺へ向かった。

次話より二章が始まります。


続きが気になると思っていただけたら、ぜひブックマークで。

感想、評価★★★★★などいただけるとうれしいです↓

今後の執筆の励みにさせてくださいm(__)m


カクヨムではすでに完結しております。

一気に読みたい方はこちらへ⤵⤵⤵

https://kakuyomu.jp/works/16817330650230093396

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ