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銀杏並木の見えるカフェ  作者: 二階堂真世
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第8章 相続で学ぶ金融リテラシー

慎一に一番欠けていたのは金融リテラシーだと愛子はにらんでいた。貧困家庭で育ったのだから仕方ない。薬学部を成績優秀で卒業したらしいので、頭は悪くはないようだ。しかし、経営者になるなら、経営学はもちろん、簿記の2級とファイナンシャルプランナーの3級くらいの勉強はして欲しい。どれだけ素晴らしい製品やサービスを提供しても、社員や関係会社が潤うように利益を出すことが大切だ。経理をしろと言うワケではない。ただ、高邁な理想や、人々に貢献できる製品を流通させることができても健全経営ができなければ、会社自体の存続が危ない。

特に、世界はボーダレス。それぞれの国の法律に乗っ取って、ビジネスを展開しなければならない。同時に日本の動向もリサーチしなければならない。国策に乗って、国の助成を受けて動かなければ、大きくなり過ぎた会社は足元をすくわれてしまう。慎一は父親に外面は似ていても豊ほど、臨機応変に、裏切りや理不尽なことをすり抜けられそうにもない。本当は、もっと早く探し出して、豊の元で、実際に学んでもらえばよかったと愛子は後悔する。真面目過ぎるのが、不安でもある。自分も杓子定規で物事を考えるたちなので、わかる。何度、楽天家で前向きな豊に助けられたことだろう。

「真実や正しいことがいいことだとは限らない」と言う豊の洒脱な声が聞こえて来そうだ。愛子は思わず苦笑して昔のことを懐かしむ。そう、出会った時の愛子はカリカリ仕事の鬼と化していた。「美人なだけに怖いね」と豊は言って、花束をくれた。「誕生日でしょう?どんな花が好きかわからなかったので、ピンクのバラを中心に花束作ってもらったんだけど、気に入ってもらえるかな?」と心配そうだった。花の嫌いな女性は、滅多にいない。バラの豊潤な香りは、何故か優雅な優しい気持ちにさせてくれる。「花束なんて、もらったことない。ありがとう」と言うと「かわいい。イメージは真っ赤なバラだったんだけど、ピンクのバラを持っている姿は少女みたいだ」と笑顔で言う甘い囁きに、つい赤面してしまった。「女たらしなんだから。愛子さん気をつけて下さいよ」と他の秘書たちからからかわれる。「本当に美しい花にはトゲがあるって言うけど、秘書のお嬢様方はお口が悪い」と、首をすくめる。愛子は自分の机に花束を飾って眺めている。オフィスにいる時間が圧倒的に多いので、この薫りに包まれて仕事をしたらはかどりそうだと思ったからだ。 

会議でも、喧嘩腰の議論に笑いを提供して場を和ませるのは豊の才能だった。不真面目だと怒る者もいたが、それでも笑顔を絶やさない豊はいつの間にか人気者だった。アフター5の飲み会で慰労も忘れない。「楽しくないと続けられない。どれだけ優秀でも、好きでやっている人には叶わないだろう。俺は、この会社や社員が好きなんだ。皆が仕事を楽しんでくれたら、業績は放っておいても上がるから。オフィスもバーカウンターとか作って、自由に情報交換できるようにしたらいいのにな」と言っていた。「豊社長は秘書課の女子ばかり誘って飲むつもりでしょう?」と若いメンバーがひやかす。「本当だ。社内で飲むなら断られないかな?」と三枚目を演じている。

だんだん若者が会社の飲み会に参加しなくなっている。飲みにケーションと言う親睦会で、言いにくい事も吐露できた時代が懐かしい。慎一には豊のような芸当は出来ないだろう。ふと豊のことばかり考えているのに苦笑した。慎一には豊に無い個性がある。昔のことばかり懐かしみ、豊のような滅多にいないタイプの人間を求めてみても始まらない。慎一は容姿が似ていても性格は全く違う。この才能を、どう活かし、育てて行こうか?まずは取締り役会議までに、スピーチの練習と会社組織と主要人物の情報を理解してもらわなければならない。しかし、慎一は一度も「できない」とか「無理だ」と言う言葉は発さない。何度も失敗しながら、次の日までには完璧にできるようになっている。自宅で、どれほど自主練習をしていることだろう。まるで、乾いていた土に見ずが吸い込むかのように、情報を与えると、すぐに吸収してくれる。「ネットでもいいから簿記の勉強はしていてね」と愛子が言うのも、素直に「はい」と返事をする。豊は行動力はあるのだが勉強嫌いで、どれほど簿記の知識が必要だと言っても愚痴ばかり言ってなかなかはかどらなかった。慎一は勉強が好きなようだ。基本さえわかってもらえれば、後は専門職に指示できる。優秀な人材も見分けられる。会社から引退を考えている愛子を、ずっと頼るワケにはいかないことを伝えているから慎一も必死なのだ。愛子がいるうちに、学び尽くしたいという意欲が感じられる。カンも良くて、経済にも強い。愛子の元で慎一は立派な後継者として逞しく成長していた。面白いくらい、変貌する。若いだけのことはある。

豊が亡くなって10か月以内に遺産相続の書類を提出しなければならない。まだ、慎一には告げていないことが多いのだが、今はそれどころではないので時期を見て話そうと思う。愛子と豊の子が、あと半年ほどで生まれる。人工受精で、冷凍保存していた愛子の卵子に豊の精子が入れられ、代理母のお腹の中で無事育っていると報告があった。相続人が一人増えることになる。しかし、個人資産が多すぎて、相続税免除内で分配できる。それでも有り余る資産は各種協会に寄付することは前もって豊と相談済だ。豊の財産の多くは会社名義になっていたので、手放さなくても済んだ。数年前から愛子が税理士たちと操作してくれたおかげだ。愛子も妻として二分の一は受け取ることができる。つまり、戸籍上、愛子と慎一は親子ということになっている。豊が死ぬ前に結婚届を出したことなど誰も知らない。慎一にも、この事実は告げないでいる。死ぬ前のあがきだろうか。愛子を妻の覧に書き、婚姻届を出してもらった。慎一だけで相続すれば、かえって税金に苦しむことになるからだ。土地やビルなどは会社名義なので、事業を続ける限り安心して後世に引き継がれるだろう。しかし、現金や株や証券だけでも相続税を随分払わなければならないのなら、寄付して名を残したいというのが豊の希望だった。医療のための財団法人も設立する予定にしている。

元より、慎一は愛子に遺産相続については一任しているし、欲しいとも言わない。父が育て大きくした憧れの会社を受け継いだだけで充分だった。父が築いたものだ。好きなように使ったらいい。弁護士が遺言書を読んでくれたが、慎一には興味も無かったのだが。ただ、慎一の育ての母に対しても同額の分配してくれているのには驚いた。父の豊が真実を知っているとは考えにくい。愛子さんにも、もちろん相続されるようだ。愛子と二人三脚で創り上げたものなのだから当然のことだろう。愛子は、この相続が慎一にとって、お金の勉強をするよい契機になると感じていた。生きている間に、相続や税金について経験できることは滅多にない。時代の変化によって、お金の価値も法律や税制も変わることだろう。その変化に、これから興味を持てるこの体験は、きっと将来役に立つ。

今なら、お金の価値も高かったし、物価も安かったので、5千万円の相続と保険金が手に入れば、かなり優雅な生活ができた。

金融リテラシーの低い日本人は実際親が亡くなった時にしか解らず、家を失ったり、相続税が払えなくて借金することになる。そもそも、日本は財産は3代で亡くなるようになっているらしい。どれだけお金持ちの家に生まれたとしても、自分で稼ぐ力が無いと、すぐに財産は無くなってしまう。

「お金を与えると人は弱くなる」と言う法則があるが、有り余るお金が人を堕落させることは、皆もよく知っている事実だ。金融リテラシーを勉強しようとしても、親も知らないし、法律もコロコロ変わる。どれだけ頑張って仕事をしても、お金を儲けても、たとえ貯蓄ばかりして欲しいものを我慢して買わなくても、賢くなければ垂れ流し。安心して老後まで生活できる人はどれだけいることだろう。

1年目にブレイクした歌手が2年目にはヒットソングを出せないで、一年遅れで来る税金がはらえなくて破産したり。アルバイト程度だと思って働き過ぎて、扶養家族から離れなければならなくなって、かえって利益が少なくなったり。税金を払わなければならない位稼いでいるのも知らずにいたら、とんでもない追徴税が請求されることも。実際延滞分が膨れ上がって、500万円も請求された主婦もいた。途中ワザと教えないで5年間放置することによって、稼いだほとんどを取られていくことなんて体験した人しかわからない。 

国民保険もかけなくても良い時代があった。なのに、まるで義務のように言われ、払えないと家財に赤紙を張られているシーンがニュースで報じられていた。生活保護のおかげで餓死したり、人間の尊厳の無い貧困生活をする人はいなくなった。好きでブルーシートで生活をしている浮浪者はいるが、基本住む場所は探せば確保できるのが日本だ。そこに目をつけて、中国や東南アジアなどの海外から日本に移り住む人も増えた。安全で貧困救済処置も完備されている理想的な国だが、同時にお金持ちには住みにくいところでもあるらしい。好きな国で済むことができるのなら、税金が安く、資産を増やせる国に移住したいのが人情だ。例えば、お金持ちに対する税金が高くなったフランスからは、お金持ちがいなくなってイギリスに移住したり。国のトップが変わる度に政策や税金も変えたがる。国民の票が欲しくて、富裕層を敵に回すと、税金が集まらず国の財政はひっ迫し、貧しい人のわだかまりと化す。だから、世界経済とお金持ちの動向は、いつも注目していないといけない」と愛子は言う。

「雇われ時間をお金に換えている間は、会社が様々な経理処理をしてくれているので気にならないだろうけど。一部の経営者や会社が経済を担っている時代はやがて無くなる。それぞれの資産を守り、増やし、家族を守る激動の時代、永遠に富を得ることなど、できないのだから。豊さんと私がいた一流製薬会社も、この金融リテラシーに疎かったせいで破産。経理の弱い企業は、どれだけ儲けてもいずれ破綻してしまう」。と。

経営者は、社員や関係会社に利益をもたらさなければならない。大きな会社になればなるほど、財政破綻は国や世界に大きな迷惑をかけることになるだろう。末端で貧乏生活していた慎一には、想像もできない世界だ。責任重大だが、父から託された夢を、担うことは男に冥利に尽きる。出来ないと言う言い訳など通用しない。むしろ、やりたくてムズムズしている。寝る時間ももったいないくらいだ。「成功者は健康管理が一番大事」と愛子が、発酵食品たっぷりの食事や、様々なフルーツの入った酵素ジュースを用意してくれる。「睡眠時間は頭の中の棚に情報をストックするために絶対に必要な時間なのよ」と十五分の昼寝を推進している。脳科学の勉強も役に立つ。昔のような根性だけの熱血サラリーマンは成果が出ないと失笑される。「時代によって、良いと信じられていたものが、毒だと言うことも多い。しかし、人間が長い歴史の中で、季節ごとに食した物は、意味があり口から取り入れた物でしか細胞は作られないのだから」と愛子は、日本の食を大切にしていた。


金融豆知識

ちなみに、2021年現在、相続税がかからないのは3600万円以下になっている。お金の価値が下がっている上に、物価は上がっていて、ほとんどの人が、これから相続税に苦しむことになるだろう。マンションひとつ取っても優に3千万は超えてしまう。家に住みたければ、相続税を払わなければならない。都心ならいいが、田舎なら物件を買ってくれる人もいない。

最近、土地と家屋は国に引き取ってもらえる法律に変ったらしい。都会で生活していて田舎の物件を重荷に感じていた人には朗報にも思われたのだが。基本、更地にする金額も、3年間の保証金も払わなければならない規則のようで、手放しでは喜べないらしい。法律や税制もコロコロ変わる。弁護士で遺産相続の依頼は、一生涯1件あればいいらしい。つまり、経験が無い税理士に当たる確率が多くなる。なので、相続に特化した優秀な税理士や弁護士を探してでも見つけなければ、悪くすると数億円の損をしかねない。

中途半端な情報に騙された例を挙げると、シンガポールは相続税が無いと聞いて移住したお金持ちがいたらしい。しかし、そもそもシンガポールは相続させてくれない。つまり、全額持って行かれるのに、知らずに移住している人はなげかわしい。そうならないためにも、使っている税理士や会計士の優劣で自分の大切な資産を守れるかどうかは決まるのだ。優秀な税理士なら、税務署から、例えマルサが来たとしても同席してくれて、相手を論破してくれる強い味方にもなってくれる。税務署から目をつけられて全く持って行かれないというのは、相手の顔を潰してしまうので、後々遺恨を残しかねない。しかし、実際五百万円の追徴税を五十万円にしてもらった例もある。税制を知り尽くした優秀な税理士にしかできないことだが。交渉能力のある天才的な税理士は現実存在する。そして、そういう人を税理士に迎えられたら、想像もできない位の節税ができることを、優秀な経営者は知っているものだ。

そういう意味でグローバル社会では、国際的に活躍している税理士を選ばなければならないことになる。特に豊の別荘や家は海外に数か所ある。仕事で行く時の滞在場所でもあるのだが。数年前より社員の福利厚生として会社名義に変えてある。大きな利益や現金は、社団法人を作り、医療チームの育成と新たな薬の研究開発のための資金として寄付することになっている。豊が遺したものは、お金よりも未来への夢。これから展開するであろう人類の病やウイルスなどの細菌の脅威から救ってくれる新たな薬や医療なのだから。気が遠くなるほどの2人で歩んできた道を慎一にバトンを渡すのは愛子の使命。壮大な夢。そして、ほんのスタートラインに過ぎないことを、伝えなければならない。


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