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銀杏並木の見えるカフェ  作者: 二階堂真世
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第7章 希望を繋いでくれる子供たち

形式でやったDNA検査で、慎一は、やはり豊の子供で間違いないとわかった。愛子が教えてくれた。そして、早速息子として会社でも紹介された。会社の幹部連中はあらかじめ愛子の根回しがあったので、すんなり認めてくれた。見た目も、社長が若返って復帰したのかと見間違えるほどだったので、社員たちも直に歓迎していた。豊の病状が、慎一の出現で良くなったようにも見えたが、今も集中治療室で面会謝絶で、いつどうなるかわからない状態らしい。慎一も何度かお見舞いに行ったのだが、厚いガラスの向こうで、寝ている父を見ただけで会話を交わすことも、手を触れることもできなかった。それでも、一日に何回か愛子の携帯電話に連絡が入っているようだった。本人からなのか?病院の医師からなのか?慎一には、わからなかったが、今日も父が生きていてくれていることだけが、慎一の励みになった。

豊はうつらうつらしている病床で、愛子のことばかり考えている。「アゲマンという言葉があるとすれば愛子のことだと思う。世の中でこんなに頭脳明晰で美しい女性はなかなかいないと思う。どんな英雄にも影にはいい女がいて、その支えが無ければ、偉業は成し遂げられなかったというのは一理ある」と痛感している。豊は独身貴族で、女とお金には不自由しない生活。ただ、どんな遊びや美しい女でも埋められない。空虚な砂を噛んだような心は、夜の遊び場で放蕩を重ね埋めるしか方法を知らなかった。

愛子はつかず離れず、ビジネスでもプライベートでもパートナーとして豊を支えてくれた。結婚も考えないわけではなかった。何度か愛子にプロポーズもした。離婚によるトラウマを、いつの間にか克服できたのは愛子のおかげだった。しかし、豊のそんな申し出に愛子が頭を縦に振ることは無かった。3歳年上の愛子との間には子供ができなかったからだった。若い頃に子宮系の病気をしたせいだと本人は言うのだけど、詳しくは聞かなかった。結婚イコール子育てと考えているようで、豊には若い奥さんができて、ちゃんとした家庭を持つべきだと愛子は入籍を断固として拒んだ。豊のことを一番に考えてくれる愛子に甘えてばかりいた。好き放題なことをして生きて来た。何も悔いは無い。ただ、子供のいる友人たちが羨ましかったのは事実だ。明菜の子がいるなら、早く名乗って欲しいと願ったこともあった。それでも忙しさにかまけていたら日々は変わりなく繰り返されていく。接待に明け暮れ、経費で贅沢な物を食し、キャバクラでお金をバラまいても、どんどん孤独な闇が押し寄せて来た。時間が止ったように何も変わらない気がしていたのに、体は知らぬ間に老いていた。若いつもりでいたら利害関係のない若者に嘲笑され、鏡を見たら髪が薄くなってビール腹に酒ヤケしたオジサンになっているのに驚いた。気がつけば50歳も過ぎ、人生の黄昏時を迎えていた。地位や名誉はあるし、お金にも困らない。ただ、将来に夢を抱けない。50歳でも若い妻をめとって子供を作る者もいるが、豊の体は長年の不摂生でボロボロだった。無茶な深酒と仕事のストレスで、肝硬変や糖尿病などなど。病気の宝庫の上にアルコール中毒で入退院を繰り返し、臨終が近い時に探偵に頼み、明菜と子供の行方を探すよう依頼した。 

呑んで暴れて酔い潰れた時に、いつも愛子に話していたストーリー。もう良くならない。どれだけ治療しても、豊の病気は死に向かって元には戻れないとわかった時に、愛子が背中を押してくれたから。慎一と生きている間に会うことが出来た。本当は豊が死んで戸籍を見て初めて慎一は探された筈だった。なのに、どうしても自分の遺伝子を引き継いでくれている子供に一目でよいから会いたかった。愛子がどんな手を回して探り当てたのかは、わからない。どれだけの、お金を積んだのか?不可能でも諦めず、やり遂げるのが愛子なのだから。そして、その甲斐あって間に合った。慎一は、30代の好青年だった。「お父さんなんですか?」と慎一は目を赤くして言った。「お母さんは?」と聞くと「僕が5歳の時に亡くなったそうです。なので、どんな人なのか?全然記憶はありません。ただ、孤児院の先生から、貧乏暮らしで働き詰めだったと聞いています。体を壊して、僕を育てられなくなってしまい、人権保護団体の人が、僕を孤児院に入れてくれたそうです。僕はすぐに里親に引き取られ、何不自由なく育てられました。14歳になって養子縁組みしたんですが、義理の父と不和で、離婚してしまい、今は母と2人暮らしなんです。でも、育ての母が産みの母のことを良く知っていたみたいで、いつも、お父さんのことを話してくれていました。許されない恋愛だったけど、女一人でも僕を産み育てられて良かったと、いつも言って笑っていたそうです。母は、幸せだったと思います。僕が産まれて来ることを許してくれて、ありがとう」と言われて豊は積みの呵責に耐えられなくなって言った。「苦労をかけたね。本当にすまなかった。どんなに謝っても許されないのはわかっている。遅くなってしまって申し訳なかったけれど、父さんが全身全霊をかけて築いて来たこの事業と財産を受け取ってはもらえないだろうか?」と慎一の手を握って真摯に懇願される。慎一は「とんでもない。僕に、こんな超一流の会社を引き継げることなんて、できる筈などありません。そう思って頂けただけでも光栄ですが」と臆している。「大丈夫。豊さんの遺伝子、成功哲学を慎一君も生まれながらにして持っているから。私の目に狂いは無いのよ。立派な経営者に育ててみせるから豊さんは安心して」と愛子が初めて会話に口を挟んだ。豊は嬉しそうに笑った。「愛子が太鼓判を押すなら鬼に金棒だな。父さんも愛子に教育されて、ここまで成功できたんだ。実質、ここまでやれたのは愛子のおかげだ。厳しいぞ。でも、やってみてはもらえないだろうか?父さんの最後の願いだ。無茶なことはわかっている。でも諦めきれない夢があるんだ。悔しいけれど、もうそれを果たせるだけの時間も体力も無い。こうして、最後に息子にバトンを渡せたなら、こんなに幸せなことはないんだが」と目を伏せる。「お父さんだとは知らなかったけれど、ずっと憧れていました。こうして、お会いできただけでも夢のようなのに。わかりました。どこまで期待に応えられるか?わからないけれど、やってみたいです。ぜひ、ご教授ください」とまっすぐ豊の目を見て話す慎一を、頼もしく感じたのは豊だけでは無かった。愛子の顔にも希望の光が。そして、それが親子で語り合うことができた最初で最後の対面となった。

しかし、この情景は豊が夢うつつ見ていたことだったかも知れない。あるいは愛子が耳元で話してくれたことが映像化していたのかも知れない。なぜなら、慎一と出会えた時、豊は、こんなに喋れるほど、体力は残っていなかったからだ。夢うつつ、魂が体から離れて、愛子と話している様子を近くで見ていたような気もする。もっと早く出会えていたなら、こんな風に話したかったという理想もあったのだろう。どちらにしても、もう長くはない。こうなっては、愛子しか頼る者はいなかった。数えきれない女と寝たのに。思い出すのは、たった3人の愛した女性だけだった。純情でかわいくて夢中にになった高校生の直子。キズつけ不幸にしてしまった。後悔しても、し尽くせない。思い出す度に胸が痛む。今も、どこでどうしているのだろう?探して、もう一度抱きしめてあげたかった。

そして、騙されたかも知れないけれど、忘れられない。どこか捉えどころが無く、純情そうだったのも演技だったのか?それとも多重人格者だったのか?修羅のようでもあり、淫乱な風俗嬢でもあった。悪女なのかも知れないけれど、今も秘密のベールに包まれたままの明菜は本当に死んでしまったのだろうか?詐欺でもいい。嘘だと言って欲しい。そして、謝りたい。逃げ出したこと。慎一という子供の養育もしてあげられなかったこと。慎一も、父親が自分で無かったら、こんなに苦労することもなかっただろう。早く探せばよかった。色々話したかった。成長する姿を見てみたかった。いい加減で無責任な自分のせいで、大切なものを見失い、失ってしまった。本当の幸せな時は、もう取り戻せない。

もうすぐ愛子とも別れなければならないだろう。あんなに健康を気遣い意見してくれていたのに。言うことを全然聞かなかった。調子に乗っていた。まさか、こんなことになるなんて思いもよらなかった。まだまだ野心はあった。しかし、病気になって、そんなこと何の意味も無かったことに気づく。空気のように寄り添ってくれた愛子。いつも、そこにいて愛してくれていた。だから、安心して悪さをしていられたのだ。なのに、一人ぼっちで旅立たなければならないなんて嫌だ。ずっと離れたくない。今も、すぐ近くにいるのに触れられない。こんな最後は嫌だ。

豊は、その夜、3人のかけがえのない女性たちの思い出に泣いた。今更どうしようもないことは知っているのに。

病院では、何度も命の危険を知らせる警音が響き、看護婦や医師があわただしく点滴を変えたり、注射を打ったりと賑やかだ。「もう健康な状態に戻れるワケでもないのに。これだけの薬を投入したら、随分儲かるだろうな」と、職業柄、豊はつい考えてしまう。しかし、少しでも長く、意識は無くても息をしていなければならない。慎一が会社の役員たちに認められ、代表取締役社長に任命されるまでは。何もしてやれなかった慎一への最後の奉仕だ。体の節々の痛みも、もう感じない。モルヒネも、随分前から効かなくなっていたから、もっと強い痛み止めをつかったのだろう。もしかしたら、海外から輸入禁止の新薬を使ってくれているのかも知れない。臨床データー取れるなら、これからの医療に役に立つことができて嬉しい。

豊は消え入りそうな記憶をたどりながら、夢想していた。愛子と息子の慎一が、イキイキと活躍している様子を。昔の自分たちのように。そして、愛子との結婚式の夢を見る。愛子は出会った頃と、少しも変わらない美しさだ。自社のアンチエイジングのサプリのおかげだと胸を張って言える。愛子の腕には可愛い赤ちゃんが。「ああ、生まれたのか?女の子だって?なら俺には無理だ。愛子の元に生まれたかったけど、慎一の子供でもいいか。まだ慎一のところへ並んでいる子供は一人しかいない。きっと、また出会える。愛子なら、気づいてくれるだろう」また夢を見る。明菜の夢だった。出会った時の純情そうな姿が。銀杏並木の下を2人で歩いている。「ああ、この銀杏並木の下では、情念の炎も燃やすことはできないのね」と笑った。抱いても抱いても砂を噛んだような空虚な感じ。慎一は本当に明菜の子供なんだろうか?明菜が振り返る。その顔が直子に変る。セーラー服を着ている。胸がキュンとはねた。小指をからませながら、寄り添い歩く。心は満ち足りていた。胸には玉のように元気な赤ちゃんが抱かれていた。「俺にソックリな男の子だね」と言って、慎一を抱き上げる。耳元で直子の声がした。きっと空耳に違いない。「直子です。慎一は、あの時の豊さんの子供なんです」と言っていた。会った時から、気がついていたような気がする。いや、「そうであったらいいなぁ」と思っていたからか?言葉にならない感謝の気持ちが直子に伝わってくれることを願う。そこにいるのに、触れることもできない。そして、謝ることも、もうできない無力な自分。

臨終の時が来たらしい。明菜が迎えに来てくれるなんてことは、きっとあり得ない。今まで愛した女達、仕事で出会った仲間たちの笑顔がフラッシュバックする。突然、魂が重たい体から解き放たれたのを感じる。自分の遺体の横で泣き崩れている女性は誰なんだろう?慎一が病室に入って来て、その女性の方に手を置いて言う。「こんな所を誰かに見られたら、明菜さんに叱られてしまうよ」と言っていた。女性は目を泣きはらしていたが、見覚えがある。直子だ。老けてはいるが、間違いない。ずっと探していた。なのに、いつから諦めてしまったのだろう?天井から光の束が降りて来て豊の体を包む。安らかで満ち足りた感じで、溶けて行く。「ああ、自分の人生に悔いは無かったはずなのに。こうして家族一緒にいる奇跡。それだけで満たされている。涙がとめどなく溢れて虹色の光となってはじける。死とは、こんなに甘美なものだったのか?暗いトンネルを物凄いスピードで飛ばされている感じ。眩しいくらいの星たちが流れている。いや、自分が星々の間を俊足で飛んでいるのだということに気がついた。どこに行くのだろう?怖い。一人ぼっちの永遠の旅?生まれて来るのも死ぬのも一人。いや、生きていた時も、どれだけ肉体を重ねても孤独な魂は、いつも一人ぼっちではなかっただろうか?生まれて来た使命を、自分は果たせたのだろうか?この長い旅路の果てに花園があったとしても、また産まれるために、引き返すだろう。もう一度会いたい人がいるから。あの、温かい手に触れ、優しい笑顔に包まれたいから。


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