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銀杏並木の見えるカフェ  作者: 二階堂真世
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第6章医療に駆ける愛子の夢

東大医学部を卒業して、医者として夢描いていた愛子の中途で諦めざるを得なかった純粋な夢のかけら。医者になるまで8年を要し、夢中で働いて医者として認められたら30歳を超えていた。健康を害し、子宮の手術をする前に、当時まだ試験中の卵子の冷凍を試みた。しかし、この人の子供が欲しいと思える男には出会えなかった。豊を愛していたかと問われれば、ビジネスパートナーの方がいいと思って何度もプロポーズされたが断っていた。自己中心で、我儘で、行動力はあるが頭はそれほど良くない豊のことを、やはり卑下していた。セックスフレンド?そうかも知れない今でもなぜ、あの時彼を誘って深い関係になったのか?わからない。酒に酔ったせい?それなら、一度だけで、関係は終わらせた筈だ。運命?血迷ったとしか思われない。あれから何度も後悔した。本気にならないよう自分をセーブするのは大変だった。あんな浮気者と一緒になっても苦労するだけだと頭ではわかっていたのに。腐れ縁とは、こういうものかも知れない。

無能な者とは話をするのも嫌だった。自分より優秀な男は滅多にいないし、いたとしても変人ばかりだ。「キチガイと天才は紙一重」と言う格言もあるが。頭脳明晰な愛子にとって、凡庸で好きなことしかできない、自分の欲求に直と言うか、何も考えずに突き進む豊をバカにしながら羨ましくもあったのだ。ただ一緒にビジネスをしているのはどうしてかわからないけれど楽しかった。愛子に無いものばかり豊は持っていたから。あの柔軟さ。考えずに行動できる。恐れも無い。頭の中には失敗の文字は無いようだった。人なつっこい性格。相手が怒っていても、やがては笑顔にできる人たらしの性格。いい加減で、逃げ足が速く、約束も守らない。悪さばかりをして、謝るけれど心から後悔してないことくらいわかる。腹が立つことばかりなのに許してしまう。交渉力とは言えないのに、何故か相手を納得させてしまう。どんなにプロポーズされても、結婚などは考えられない。

冷凍保存された愛子の卵に、あんな男の遺伝子など入れたくない。もっと優秀な遺伝子を取り込んで、自分が成しえなかった夢を叶えたい。人類を救える本当の医療。女だとかで差別されない。看護婦からイジメられたり、バカにされて理想の医療を施せなかったあの現実を変えたい。キュリー婦人のような偉業をやりたかった。後世に遺るような、人類の役に立つことを成し遂げたかった。子孫ができる可能性など無かったから。せめて、自分が生きていた痕跡だけでも欲しかった。医者を辞めても、自分の能力を認めてくれて活かせるのならと、製薬会社の秘書になった。製薬会社の社長とは、医者の時に出会った。辞めた時に、次が見つかるまでにと雇ってくれた。今まで知らなかった薬の勉強が楽し過ぎて、いつの間にか社長秘書として経営にまで力を発揮することが出来た。医療の様々な仕組みを知り、医者なんて、ほんの一部なのだと教えられた。バイリンガルで、グローバルに動く愛子は日本が、いかに世界から遅れているのかということを痛感。求めていた最新医療を実践できる職場を、自分の才能を活かせる場所を見つけることができたのだった。もっともっと権力を持ちたかった。

どうせ子供の産めない体。惜しげもなく、社長の愛情を利用して、自分の昇進のために体を捧げた。なのに、豊と出会い、道ならぬ恋に身をゆだね、愛憎の炎に巻き込まれてしまった。全ては自分でプロデュースしてきた人生だったのに。間違いなど無いはずだ。今も。後悔などしているワケでもない。

子育てに時間を取られなかった分、仕事に邁進できた。自分の可能性を豊と一緒に広げることが出来たことは感謝しなければならない。でも、豊そっくりの慎一と出会ってから、自分の子供が欲しいと思い始めていた。もう産めない年だが、冷凍保存している若い頃の卵がある。海外に行けば代理母も200万円もあれば頼める。ありがたいことに、海外には強いネットワークがある。不妊治療では世界的に有名な医師も知り合いだ。豊や優秀な学者の精子も冷凍保存してあった。最近の遺伝子による病気の確立の高さを測る研究や、障害を早期に知ることができるのも実用化されている。

科学の進歩はめざましいものがある。そんな時、【ネイチャー】という番組を見ていて驚いた。ホヤの研究者が発表したものだが、ホヤは子供の頃は自分に近い遺伝子のホヤと親しくしているそうだ。しかし、繁殖の時は、できるだけ遠い遺伝子のホヤと子孫を作ろうとするらしい。できるだけ遠い遺伝子を取り込む方が、優秀な種を残せることを知っているからだ。動物も近親相姦を忌み嫌う。DNAが違う方が障害や変異が無いということを知っているのだろう。だから人間も、どれだけ幼い頃、父親が好きで好きで仕方なくても、年頃になると疎ましくなる。それは、動物的なカンで近い遺伝子を遠ざけているためらしい。子供を産めるようになると、父親の体臭が臭くてたまらなくなるのは、臭いでDNAを嗅ぎ分けているから。できるだけ遠くの遺伝子を取り込むためなので、父親は悲しむことは無い。優秀な子孫を残すには、できるだけ遠い遺伝子と交わる方がいいのだと言っていた。それなら、自分と全く違う豊の遺伝子を取り込んだ方がいいのかも知れないと愛子は気づいた。理解できない、異邦人のような豊に何故体を許してしまったのか?愛子は、この番組を見て、初めてその理由がわかった気がした。頭では拒否しながら、愛子の動物的なカンは豊の遺伝子を取り込もうとして血迷ったのだ。きっとビジネスだってそうだ。同じ能力を持っていたならパートナーにはなれなかったと思う。男女は出ている所とへこんでいる所がマッチしてるからうまくいく。同じなら、きっと衝突して何も生まなかっただろう。几帳面な愛子と、適当な豊。頭で考えて行動する愛子とカンだけでコロコロ変わる豊。どちらが優秀で、どちらが劣っているのか?何という愚問だったのだろう。考えてみたら、その両方が功を成したのではないだろうか?

もうすぐ豊は、いなくなってしまう。悲しくはない筈なのに、涙が何故か溢れてくる。いつの間にか豊は自分の一部になっていたことに、初めて愛子は気づく。そして、豊には見せてあげれないけれど、確かに2人の遺伝子を引き継いだ命が産まれることを、教えてあげたい。そして、彼の最後のプロポーズにイエスを言おう。

「豊さん、今日は良い報告があるの。ゲイリー博士を覚えている?そう、人工授精の第一人者の。実は、私の冷凍保存していた卵子と豊さんの精子が細胞分裂を始めたらしいの。このまま行ったら、来年の春にでも、貴方と私のベイビーが産まれるって。」と耳元で囁いた。豊は酸素吸入していたにもかかわらず、飛び起きた。「本当なのか?愛子でかした」と言って。「男の子かしら?女の子もいいね。慎一さんに引き継いでもらったら、現役は退いて子育てしてもいい?」と恥ずかしそうに笑った。「愛子に育てられた子供は、凄い子になりそうだな。俺みたいなダメ男でも、ここまで成功させてくれたんだものな」と言って、しばらく寡黙になった。「なあ。その子に生まれ変わることはできるんだろうか?」と切ない目をして愛子を見た。「当たり前じゃない。そのために大金を出して、生まれてくるんじゃあない」と。酸素吸入機器をずらして、長いキスをした。消毒液や薬の臭いに包まれながら。豊の目から一筋の涙が流れて愛子の頬を濡らす。「ごめんなさい。もっと早く、あなたの妻になれば良かったのに」と豊を抱きしめる。「ずっと一緒にいてくれたじゃないか。キミは妻以上だ。こうなって初めて気がついた。謝るのは、俺の方だ。ごめんな。そして、ありがとう」と、

愛子の今までの苦労が、全て報われた瞬間だった。


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