第3章 戸籍詐称から始まる壮大なストーリー
尾崎豊が29歳の時、お見合いで大手製薬会社の社長の娘と結婚式の日取りが決まった。2人の新居として、都内の一戸建てを決めた時、なんとなく取り寄せた戸籍を見て驚いた。妻の所には田中明菜の名前があったからだ。子供の欄には慎一との名前が掲載されていた。そして、随分悩んで父に相談した。父親は弁護士を呼んでくれた。あの時の子供に違いない。豊は、明菜と、また会えるのではないかと内心胸はときめいていた。
あれから5年ほど経つだろうか?子供の慎一は5歳になるのだろうか?今、どこでどうしているのだろう?シングルマザーで苦労はしていないのか?ただ、慎一を豊の子供として戸籍に入れたいがためだけに結婚届を出したのだろうと弁護士は言っていた。子供の名前は慎一となっていた。誕生6か月前に婚姻届が出された形跡がある。その後、出生届が出され、また半年後に離婚届が出ているようだった。「計画的だ。こんな結婚は認められない。」と弁護士も怒っていた。しかし、結婚が決まりそうな今、この事実を表沙汰にするのは賢明ではないと、話合っていた。
戸籍なんて、わざわざ取り寄せることは滅多にない。このまま知らんフリをして、バレた時に対応できるよう対策を取った方が賢明だという話になった。
しかし、豊は明菜のことを、あれから諦め切れずにいたため、もう一度会いたいと思っていたので「探して欲しい」と頼んだが無駄だった。「慰謝料を払って全ては終わっている。」と、この件に対して豊が介入することを頑なに拒んだ。豊が部屋の外に追いやられた後、父と弁護士は何やら難しそうな顔をして車でどこかに出て行ってしまった。
戸籍を見直すと、田中明菜とは離婚していることになっている。自分は結婚届にも離婚届にもサインした覚えなど無い。なので公文書偽造なのだから、弁護士は、この結婚も白紙に戻す術を知っているだろう。しかし、こんなに簡単に結婚届や離婚届は、本人が知らない間に受理されるものなのか?弁護士は、「子供を認知させるために考えられた絶妙な方法だ」と苦々しく言っていた。これから何かしらトラブルを生じるであろうことを予感してのことだろう。確かに気味が悪い。相手も見つからないのに、訴訟もできない。豊も、あれほど探してもみつからなかった、
あの切ない日々のことが思い出された。いずれ子供が名乗り上げて来た時、DNA検査しなくても、遺産相続する資格があり、豊に何かがあれば自動的に相続することができるらしい。「子供の認知などした覚えはない」と弁護士に言うと笑われた。結婚した後に出来た子供は自動的に嫡男だと表記されることになっているらしい。明菜の本籍地に問い合わせしてみたが、移転を繰り返しているようで、そこから先の住所がわからなかった。
そして、どうも死亡しているらしいと言うことも、小耳に挟んだ。そこから父も何も言ってくれない。「心配しないで、お見合い相手と結婚したらいい。」と、言うだけだった。
いつかバレるのではないかと心配していたが、その時結婚した妻とも3年後に離婚。それも豊の浮気のせいだったが。それ以降、父も弁護士も、この一見には触れない。豊も、パンドラの箱を今更開けるのは恐ろしくて、そのうち忘れてしまった。
豊の結婚生活は3年で終止符をうった。しかし、父のように多大な慰謝料を払うことなく、むしろ住んでいた豪邸をもらえたのは幸運だった。というのも会社の社宅扱いになっていたようで、元妻は「悪い思い出しかない家には住みたくない」と言うので、そのまま豊が住むことになっただけなのだが、それでも次の会社で都心のタワーマンションに変わるまでは、その邸宅に住まわせてくれたことはラッキーなことだった。さすがに他の会社にヘッドハンティングされた後にまで、そこに住む気にはなれなかった。
ローン返済が豊のお給料から払われていたことなどは、別の会社に変って初めて知った。なので、その金額で借りてくれる人か少し儲けが出る金額で買ってくれる人を不動産屋に探してもらった。場所が良かったことと、新築して3年しかたっていなかったこと。バブル前に購入したので買った時よりも値段が2倍以上になっていたことで、ローン返済もでき、ひと財産できたこともありがたかった。不動産で儲けた半分を頭金にして、残りは全部元妻に分配した。
この時期、以前いた会社は火の車だと噂に聞いたからだ。元妻が経済的に困窮しているのではないかと心配してのことだったのだが。お礼は副社長の先輩からあった。元妻は豊と口もききたくないのだろう。これが、財産分与になるのかどうかは、わからない。それからも、どれだけお金に窮していても、一切お金を要求してこなかった元妻のプライドの高さに改めて尊敬したものだった。
社長の愛人の愛子と手に手を取つての逃避行。他の会社にヘッドハンティングされたと言っても心安らかではなかっただろう。この一見で元妻の実家に大きな風穴を開けてしまったことは事実なのだから。なので愛子も豊も幸せになる権利を放棄しているところがあった。愛子は、『豊さんのことだから、いつか若い女の子に目移りして棄てられる運命』と思っている節もあった。同棲などは、いくら提案しても頭を縦には降らなかったし家事はしてくれるのに夜は必ず自分の家に帰っていた。捕えようのない不安が、付き合った当初にはあったが、いずれそれにも慣れて、一人でいる空間、居心地の良さに誰かと一緒に住みたいとの欲求は無くなった。
色々な女と付き合うほど、明菜のことが思い出されて、狂おしい夜を何日も過ごした。若気の至り。仕事の面白さにかまけていたら、40歳になってしまった。年齢的にも落ち着いたのもあって、結婚などは考えないようになった。
仕事は順調で業界1位になって、海外の製薬会社からも一番に新薬の売り込みがあった。いつまでも現役でいたい豊は自分の体で、それらの薬の効果を確かめずにはいられなかった。
確かに世界の皇帝たちが不老不死の薬として珍重してきたレイシや冬虫夏草、マカなどの秘薬。リコピンヤアントシアニン、ベーターカロチンやビタミン、ミネラルのような栄養素は豊に若さと健康をもたらしたと思う。ただバイアグラや怪しげな精力剤は血管の拡張収縮を無理矢理するために不具合も感じられた。しかし、モルヒネや覚せい剤もあるルートから入手できるようになり、愛子の忠告も聞かず、快楽を求めて使って体に負担をかけていた。
日本では禁止されている幹細胞による若返りと病気の回復を求めて東南アジアにも行った。ジャッキーチェンやエリツィンもやっているというサイトカイインによる幹細胞溶液の入れ替えは、当初素晴らしい体感があった。これでガンやほとんどの疾病が改善される。豊は嬉しくなって、ロシアの安い幹細胞溶液を台湾の研究室に輸入して、数人のセレブに対し、この治療を行い暴利を貪っていた。スイスでは認められている安楽死。それを望む一部の大金持ちに、特別安楽死のできるツアーを提供して、それも多大な利益を上げていた。
全くのベンチャー企業で、実際の社長は豊なのだが、若い医師団による予防医学学会なるものを設立して、日本国内では法的に認められていないものは、全てこの協会の資金として計上していた。研究室ということで、新薬の治験とデーター集めが表向きの事業なのだが、医師の精鋭部隊を各国に派遣して、世界の最新医療を学ばせ次世代の医療を担う人材の育成に貢献していた。「お金が無いから・法律的に認められないからと、諦めていたら救える命も犬死にするしかない」と怒りにも似た感情で、日本の医療と厚生労働省の対応の遅さに憤っていた。「いざ鎌倉という時にはわが社の精鋭チームが日本の医療を先見する」と言うのが豊の口癖だった。
しかし、いかに効果のある治療であっても、よく効く薬であっても使いすぎは危ないと言う愛子の心配には耳を貸さない。最新医学や薬学に依存して、生活習慣の改善は怠っていた。いやむしろ、お酒の量は若く元気になったせいで増えていた。仕事も精力的にやったが、遊びも寝るヒマも無く動き回っていた。「いくらなんでも、生物学的に無理がある」と愛子は豊のスケジュールをセーブするのだが。空いた時間にはバイアグラのような強い薬を飲んで女を抱き、深酒をする。
もはや、この世の春とでも思って、年齢も寿命も自分でコントロールでもできると思ってしまった豊を止める術は無かった。「薬の飲み過ぎ。クスリのリスクも知らないで、効果ばかり見て試すのは良くない。ほら、血管を広げる薬と委縮する薬を同時に飲んでいる。これでは、まるでアクセルとブレーキを一緒に踏んでいると同じ。しかも、この組み合わせで化学的に毒薬になっていないとは限らない。もう少し、くすりの量を減らして。」といくら愛子が言っても、その時だけいい加減な返事をするだけで、常用性のある薬も沢山飲んでいたせいで、頭も弊害が出ているように思えた。約束を覚えていない。言ったことを忘れてしまう。昔のことは明確に覚えているのに、最近のことは、すぐ忘れてしまう。体から薬の臭いがしている。最近、食事はちゃんと取っているのだろうか?ビタミン、ミネラルを手のひらにいっぱい呑んでいる様子を見ると、主食がサプリのようにも見える。
お酒は浴びるように飲んで、快楽に身を委ね、お金儲けに夢中だった。顔は青白く、筋肉は痩せ、変に目がギラついていた。そして、ある日、倒れて救急車で運ばれた。最初は胃潰瘍だと告げられたが、糖尿病もあるとリハビリセンターに運ばれた。そこはアルコール中毒者のためのセンターでもあった。手術でお腹を開けたら、ガンがあらゆる臓器を犯していて手の尽くしようがなかった。痛みも今まであったろうに、覚せい剤やモルヒネ、麻酔で誤魔化してきたらしい。広告塔である豊が病気になるわけにはいかなかったのだ。アンチエイジングのサプリをふんだんに飲んでいる豊は、いつまでも若々しく現役で女を抱き、浴びるようにお酒を飲んでも次の日はバリバリ働ける体でなければならなかったのだと思う。愛子には、それが痛々しくて仕方なかった。止められなかった。どこかで自分のせいだと後悔していた。極端から極端にしか動けない性格なのはわかっていたのに。
健康とは、普通に生活できること。アスリートのような体も、早くガタが来る。筋肉は必要だが、あまりトレーニングした人は長寿ではない。体は口から食したもので作られる。今健康なら、一年前の食べ物が良かったのだ。細胞はほぼ、一年で入れ替わるものだから。臓器の健康が、腸内細菌が健康の秘訣などと言うことは、ほとんどの人が知っている事実だ。そして、あらゆる病気は脳の指令によるものだとも言われている。遺伝子も解析され、ストレスや環境が病気の引き金になることは広く知られて来た。そんな初歩的なことをなおざりにして、医療や薬に依存し、短時間での効果ばかりを期待してオーバーヒートしてしまったのだろう。「太く短く生きるんだ」と言うのが豊の口癖だった。だから、こんな生き方、死に方が豊の望み通りになったと言える。だから泣かない。最後の豊の夢を叶えてあげるまでは。
戸籍にある慎一という子供の行方を、なんとしても探さなければならない。ネットでも、フェイスブックでも、調べ知り合いにも情報を求め、豊の父親の弁護士にも相談した。弁護士は、知っていた。ずっと探して、孤児院に子供を明菜が預けたことを調べ上げていた。そして、今、豊の子供らしい慎一は、割と近くにいた。ライバル会社だが、製薬会社に就職していた。
愛子は豊と会わせる前に、こっそり会いに行った。仕事の依頼と偽り、アポを取った。会って驚いた。豊に似ていたからだ。出会った頃の、若々しく自信に満ちた豊を思い出して胸がキュンとはねた。
商談していても頭の良さがわかる。性格は温厚で、真面目そうだった。何だかくすぐったくなって笑っていたら慎一が「何かおかしい所が、ありましたか?」と聞く。「いえ。顔が同じでも、随分性格が違うものなのね。実は、あなたのお父さんに頼まれて会いに来ました」と本音を告げた。「父ですか?いきなり言われましても。僕は孤児院に預けられて、今は里親になってくれた母親がおりますので。実の父親に勝手に会うことはちょっと」と困っている。「ごめんなさい。でも、もう長くはないの。最後に一目、貴方に会わせてあげたくって。無理を言ってるのはわかっているんだけど。もし、気が変わったら連絡頂けるかしら?」と名刺を渡す。出会って、すぐに名刺を渡さなかったのは、無能そうな男だったら縁を持ちたくなかったからだ。そういう意味では愛子のメガネにはかなったようだ。慎一は名刺を受け取り目を見張った。「えっ。この会社の副社長って、本当ですか?」と驚いた声を出すので、「そう、同業者なの。そして、会いたいと言っている貴方の父親が社長の尾崎豊よ」と。慎一は洪声のようなものをあげた。そして、せわしなくまばたきをして、出されていたお茶を飲むと「ぜひ、会いたいです。憧れていたんです。まさか、父親だったなんて。夢のようだ。友人から似てるって言われて、光栄だったけど。まさか」と興奮冷めやらない様子に愛子は噴き出してしまった。「病院に来れそうな日を教えて頂ければ、迎えをよこすから。」と言い終わらないうちに「今日はダメですか?」と聞かれた。即断即決できる男は好きだ。仕事のできる男はやるべきことを後に回さない。一期一会。チャンスは出会った時に掴まなければ、二度と手に入らないことの方が多い。「長くはないの」と言う愛子の言葉を聞き逃さないところがいい。成功者の気質を持っている。愛子は即座に慎一の能力を採点して、ワクワクした。何より出会った頃の豊に似すぎていたから。あの若かりし頃のことが記憶が胸を熱くする。
車の中でも慎一は雄弁だった。自分のプロフィールを簡単に説明した後、豊の状況に耳を傾ける。自分が、どのように豊と接すれば良いのか問いかけて来る。その会話には愛情が感じられて愛子は嬉しくなった。報いられる。今まで自分たちが一緒に創り上げて来たものが。この青年によって継承され、豊の夢が未来にも届くことを。愛子は夢想し、未来への希望が疲れた体を蘇らせてくれているかのようだった。