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銀杏並木の見えるカフェ  作者: 二階堂真世
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第12章 冷たい冬ほど、春になると綺麗な花を咲かせる

次男の純也は豊に良く似ていた。直子と出会った時と、同じ20歳になる。長男の司は東大の法学部にいる。道子の後輩に当たる。真面目で勉強が好きな司は、全然手がかからない学級委員タイプだった。純也は、兄と全く違う性格だった。むしろ豊にそっくりだった。幼い頃からやんちゃで、おしゃべり。直子にもリップサービスを忘れない。「おばあちゃま、今日もきれいだね。僕、大きくなったら、おばあちゃまと結婚したいな」と、幼い頃から甘えてきていた。成績も悪く、女の子とばかり遊んでいた。小学生になったばかりなのに「新しいボクの彼女」と紹介したりする。「まるで、祖父の豊のミニュチュアだ」と笑ってしまう。

直子は、慎一のために行っていた能力開発のセミナーで、気づいてしまった。周囲の人が、「社会貢献したい」とか「お金持ちになって、皆を幸せにしたい」などと大きな夢を語っているので、「この年でも、昔の夢を諦めないで大学に行きたい」などと、人前で宣言などしてしまったけれど、それは本心ではなかった。そのセミナーのトレーナーや参加者が、そんな言葉を欲しているような気がして、つい言ってしまった。案の定、会場内の皆が応援してくれた。年を取っても、新たにチャレンジする姿は多くの物に元気を与えたかも知れない。

直子も、その時には高揚して、心から思っているような錯覚に陥っていた。家に帰り、慎一に話すと目を輝かせて喜んでくれる。間違いなかったと確信できた。でも、数日すると、心が折れた。何ひとつ行動に移せない。自分の不甲斐なさに自己嫌悪。そして、また数か月たって、同じセミナーを受講する。この勉強は嫌ではなかった。慎一とこの話題で盛り上がるのが面白かったというのも、その理由かも知れない。「人間って、好きなこと。楽しいことしか頑張れないんだ」と言う慎一の言葉が、やけにひっかかる。

自分は本当に大学で薬剤師になる勉強がしたいのだろうか?たとえ、国家試験に受かったとしても、今更何年仕事が出来るのだろう?それ以前に、仕事は、あるのだろうか?その資格は活かせるのだろうか?自分の中に、沢山の「?」ばかりが増える。もしかしたら、「みんなに褒められたくて心にもない立派なことを言ってしまっただけなのではないか?」と。

この能力開発のセミナーは3日間、缶詰になって外界から遮断される。朝早くから、夜遅くまで時間なので、遠くから来ている人も、近くにホテルを取って、夕食などそこそこに眠り込んでしまうというハードスケジュールだった。初回の3日はテキスト代もあって、30万円ほどかかるが、それから6回までは3万5千円で、そのカリキュラムを受けることができるシステムになっている。その当時、高いと思っていたが、次々と目標を達成している参加者を見ていると、高くはないと納得できた。しかも、再受講の6回を受けて成功できなかった人には、かかった分のお金は全額返してくれるらしい。その強気な姿勢が、皆に成功を信じさせた。直子も2回、再受講した。そして思った。「こんなハードなセミナーを6回も再受講する位の根性があったら、どんなことだって乗り切ることができるだろう」と。実際、直子も途中で、諦めてしまったのだから。それには、もうひとつワケがあったのだが。それは、3回目の受講の時に気づいてしまったことがあった。自分の大切な人の覧を埋める作業があったのだが、ふと気づくとそこには家族の名前しかなかった。「ビジネスを成功するには、どれだけ社員やパートナーや顧客のことを大切に思っているかが肝心。10人書きだして、誕生日や、その人の好きなことなどの情報を埋めてみて下さい。どれだけ、そんな大切に思っている人のことを考え、相手が喜ぶことを。例えば誕生日を祝うくらいは、もちろんしているんだろうと思うのだけど。これが結構できないので。今リストアップして、心がけてみてください。自分が大切に思っている人を幸せにできなくて、何を成功と呼べるでしょう?」と、トレーナーの先生が言った。直子は慎一を一番に。そして、孫たちの名前を書いた。「この家族のために尽くしたい。皆の笑顔に囲まれていたい。そのためなら何でもできる」と。自分がしたいことは、大学に行くことでも、社会に貢献することでもないことに初めて気がついた。恥ずかしくて慎一には言えなかった。つまらない人間だと思われそうで黙っていた。そんな時、純也が言った。「おばあちゃまが、勉強に行くとさみしいよ。もう行かないで」と。直子はせき止めた思いが噴き出して、純也を強く抱きしめた。「痛い。苦しい。」と言って逃げ出した。おかげで直子の涙には気づかれずに済んで良かった。

あれから時間があっという間に過ぎて、幸せだった日々を懐かしく思う。久しぶりに、愛子が、家族全員で旅行したいと慎一と相談していた。そして、豪華客船の旅へと行くことになった。もちろん、初めての船旅なので、直子は怖がったのだが、孫の桜が大学一貫校の有名女子校に無事合格し、受験の呪縛から放たれた尾崎家の皆で「記憶に残る海外旅行をしよう」と道子が提案企画したのだ。

愛子も、キャリアウーマンで結婚しそうにない由香も一同に集まると言うので断りきれなかった。海外旅行は慎一の結婚式でハワイに行ってから、調子に乗って直子は何度も友人たちと行っていた。東南アジアなら、近くて値段もリーズナブルで、日本国内の旅行よりも安いこともあったからだ。しかし、70歳も過ぎると飛行機に長時間座るのも辛くなって、一緒に行ってくれる人もいないので久しぶりの海外。

ファーストクラスにも初めてだった。確かにエコノミーとは全然違う。今までだって、慎一が「お金を出すので、せめてビジネスで行ったら?」と言ってくれたのだが、いつも料金が何倍も違うのでエコノミーでしか行ったことがなかったのだ。この年になっても、貧乏性は直らない。「いざとなったら困らないように、できるだけ節約して老後のために貯めなければ」と言うと慎一が「老後って、何歳から?もう老後なんだから、今やりたいことはガマンしないで好きなように生きなきゃ。お父さんだって、浮かばれないよ」と笑う。「こんなに、おばあちゃんになってしまって、あっちの世界に行っても私だってわからないんじゃない?」と言うと純也が「大丈夫。お祖母ちゃんは、若々しいから、どうみても50代にしか見えないよ」と言ってくれる。こんな所も豊にソックリだと直子は思わず赤面してしまう。

スペインで合流した愛子も、80歳過ぎには絶対見えない。恐るべきアンチエイジングの進歩。さすがに二十代の娘の由香と並ぶと姉妹とはいかないまでも、親子で充分おかしくない。愛子も純也と久しぶりに会って、思わず豊と見間違えた位だ。「お父さんにソックリね」と声をかける。「お父さんに言わせると、お祖父ちゃんにソックリなんだって。凄い経営者だって褒めてくれるけど、周囲の人たちは、出来が悪かったって言うよ」と口をとがらせて不満気だ。「そうそう女好きなところもね。もう成人したんだから、自分の行動には責任持ってよ。いい?未成年に手を出したら犯罪なんだからね」と妹の桜が注意する。「桜ちゃん。随分見ないうちに、しっかり者になったわね」と愛子が驚きながら爆笑している。「だって、聞いて下さいよ。私の親友を次々にデートに誘って、いやらしいことばかりするんだから。もう、兄弟の縁を切りたい」と真剣に怒っている。「本当なのか?純也、ちょっとここに来なさい」と顔面を引きつらしているのは慎一だった。「大袈裟なんだよ。キスぐらい、幼稚園児でも、してるから」と純也はふてくされている。「もう、お兄ちゃんの周辺の女の子とは違うんだから。女子校だし。男子には免疫ないんだから。とにかく、私の友人達には、今後一切手を出さないで」と真っ赤な顔をして怒っている。慎一も「キスか。桜の行っている高校なら大問題になるだろうな」と純也をたしなめている。愛子も直子も目をそばだてて、純也の中に若かりし頃の豊の姿を見て微笑んでいた。

スペインではまだまだ建築中のサクラダファミリアなどの観光地を見学して大人たちは生ハムやスペインのスパークリンワインで有名なカバを飲んで盛り上がる。ビルほどの大きな豪華客船では24時間、様々な料理がいつでも好きなだけ食べることが出来る。その上、毎晩、ドレスアップしてフレンチのフルコースを思う存分楽しめる。食べ盛りの司や純也はメインディッシュを、あれこれ3皿もオーダーして完食。毎晩一番大きなホールでは今人気のミュージカルやシルクドソレイユのようなアクロバティックな出し物が楽しめる。船内のいたるところで繰り広げられるエンターテインメントやイベントは見逃さないよう気をつけなければならない。なにしろ船内は広すぎて、興味のあるイベント会場に行くのに20分も歩かなければならないこともある。なので、お腹いっぱい飲み食いしているにもかかわらず、運動が足りているらしく太らない。

スペインから一泊船で過ごしてフランスの港に着く。観光バスに乗って、ショッピングや観光を楽しむ。夕方には、また乗船して本日のドレスコードであるブルーの物を着用してレストランにむかう。女性はドレスアップに時間がかかる。直子も着物で作ったドレスに着替える。手描きの花々が咲き乱れ、見る物皆ため息をついた。練習して来たのだが、なかなか髪がまとまらない。しかも本日のレストランは部屋から一番遠い所にある。夕食だけは時間もレストランも決められている。次の時間までにコース料理を出さなければならないので、30分遅れたら入れてはもらえない。何百人ものお客を捌いているのだから、ルールは守らなければならない。自由にステーキとか日本料理を楽しみたいなら、空いていれば料金は別だが決まったレストランに行く必要はない。最初は食欲満点だった孫たちも、さすがに食べ放題とはいかないようだ。お腹が空いたらバイキング会場に行けば好きなものを好きなだけ食べられるのだから。レストランでは他の国から来た方々と歓談しながら会話を楽しむ。直子のドレスは、どこに行っても好評だった。特にフランス人は日本のものが好きなようだ。

とにかく広い船内には、クラッシックの演奏を楽しめるカフェがあるかと思うと若者たちが夜通し楽しめるディスコもある。子供たちのためのキッズエリアもあるし、エステやプールもあった。夜の社交場のカジノもあった。それぞれ別々に好きな所で楽しんでいた。直子は愛子と久しぶりにバーで飲んだ。アメリカンスタイルなのか?ヨーロッパなのでイギリスなのか?英語なら全てアメリカしかイメージしないのは日本人の悪いくせだ。「慎一さんは、もう押しも押されない立派な経営者になったわね。見た目は豊さんにソックリなのに、中身は直子さんに似て勤勉だから。ちょっと心配でもあるけれど。その分、奥さんの道子さんが天然だから、よくできたものね。たぶん、相手が突起していると、合わせてしまって任せちゃうのよね。長年連れ添えば。だから、子育ては、できるだけ手を出さないように気をつけているの。失敗しても、困っても、ずっと見ているだけって結構大変なのよね。ほら、元々、おせっかいなものだから。」と笑いながら、慎一をチラリと見る。「愛子さんはスパルタだからな。おかげ様で、逞しくなったでしょ?」と少し離れた席から声だけする。耳をそばだてているようだ。「親同士で話しているのに。無粋な子ね。でも、いつ見ても年齢を感じさせませんね。私にもいいものがあったら教えて下さいね」と直子の本心だった。「アメリカはアンチエイジングの研究は遺伝子レベルで凄いわよ。今度、発表するサプリ、試してみる?あと、脳が病気を作るっていう論文もあって、試作もあるから今度アメリカにも来ない?」と言われてワクワクした。英語は全然できない直子だったが、愛子さんがいてくれたら、鬼に金棒。付き合ってくれる友人がいなくても行けそうだと嬉しくなった。

次の朝はイタリアだった。その前に気になる所があった。部屋に帰り、体を動かせるドレスに着替えて慎一をさがす。

直子が気になったのは、社交ダンスのフロアだ。習い始めて、もう10年になる。生演奏で、年配の男女が踊っていた。さすが、ヨーロッパの歴史を感じる。まさか本場で踊れるなんて思いもよらなかった。孫たちは、踊れるのだろうか?慎一は「無理、無理」と言って、逃げてしまった。この時も、付き合ってくれたのは純也だった。しかし、目を離すと、純也が可愛い女の子に言い寄っている。そんな姿を見ると軽く嫉妬した。「純也。おばあちゃんと踊ってよ」と、無理矢理ホールに担ぎ出してジルバを躍る。社交ダンスなら習っている。「今の若い人には負けない』と9センチのヒールで回転する。純也は慎一や豊さんよりも背が高い。ずっとスマートで逞しい。ほれぼれする器量に、ひととき40年以上前のディスコでの情景を思い出す。「おじいちゃんと、この曲、一緒に踊ったことあるのよ」と直子が言うと純也が「覚えているよ」と言って笑う。声が豊のものと重なる。孫に抱き寄せられて、少女のように赤面して、夢の中で豊と踊った。


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