和解と決意
屋上へは病室を出た廊下の、最奥の階段から昇ることができた。冬は終わりに近づいているというのに屋上を流れる風は肌寒く、コンクリートの床面だけが広がる屋上を尚いっそう冷たく感じさせた。息咳切って階段をかけ昇った俺は、屋上の手すりに身体を預ける六花を見つけることができた。
駆け寄る俺の足音は聞こえてる筈だ。しかし六花は相変わらず手すりの向こう側を向いている。幻滅しているだろう、拒絶されるかもしれない。だけどそれがどうした。六花は永年俺を信じて頑張ってくれていたんだ。俺は素直に謝りたいと思った。
(よし!)
躊躇う気持ちをぐっと押しやり、誠意を込めて名前を呼んだ。
「六花」
すると名前を呼ばれた六花は、苦笑いをしながらゆっくりとこちらを向いた。
「遅いよ」
「ごめん」
「和人くんは直ぐ追いかけて来てくれると思ったんだけどなぁ」
「許してやれよ。彼からも謝ってくれと言われてるんだ」
「ふーん…… で、お兄ちゃんは何か言うこと有るんじゃないの?」
「おっおう」
俺は襟を正すと、六花に向かって深々と頭を下げた。
「何も知らなかったとはいえ、酷いことを言って申し訳なかった。駄目な兄貴でごめんな」
しばらく静寂が訪れた。心臓の鼓動だけがドクンドクンと響いている。六花の衣服の擦れる音を聞きながら、黙って頭を下げ続けることに注力した。
「ほんと駄目なお兄ちゃんだよ」
「すまない」
「謝ってばかりでは話が進まないよ」
「ああ…… 芳川さんの事聞いた。亡くなっていたんだってな」
「芳川のおじさん、お兄ちゃんの事凄く心配していたんだよ。それをコキ使えだなんて…… おじさんが許しても私が許さない」
「ああ、全くだ」
「和人くんのことだって、結構失礼な事言ってたよね」
「俺はちゃんと謝ろうとしたぞ。本人がボンボンだと認めて、気にしないって言ってたけどな」
「和人くん認めたのッ!?」
それはそれでこの先思いやられるかもと、頭を抱える六花。でもこの僅かなやり取りでも、六花と三好君の関係がなんとなく伝わってきた。
「良い奴じゃないか…… 彼。ボンボンだけど」
「うん、とても優しくて頼りになる彼だよ。ボンボンだけど」
お互いに笑った。和人くんには申し訳ないけど、二人の共通認識は《《良い意味で》》ボンボンなのだ。
「でも彼がこの街で有名な〖MIYOSHI〗の息子だなんて最近まで知らなかったんだけどね」
「そうなのか?」
この街で〖MIYOSHI〗といえば、黒塗りで有名な超高級外車のカーディーラーだ。圏内に幾つも店を構える地元の名士だが、コマーシャルでは外車のブランドしか謳わないので、車や地元の経済界に興味のない女の子達が気づかないのも仕方がないのかな。
「普段はそんなに高そうな服も着てないし、持ち物だって普通だよ。今日みたいに改まった席に出てくる時はびっくりするけどね」
うちの親に挨拶に来た時に、素性を知らされたそうだ。それで良いのかと少し心配になった。
「だっていきなりア○マーニを着て、G○ーゲンで乗り付けて来たんだもん」とは六花の弁。なるほど、当日は大騒ぎになったんだなと想像に難しくない。三好君の隠蔽スキル完璧じゃねーか。
「合コンを断り続けてボランティア活動に力を入れてる変な奴がいるって聞いて、興味本意で会ってみたら、《《こうなりました》》」
「はいはい、お惚気けご馳走様です」
薄々勘づいてはいたが、三好君は思っていたよりも良い奴なのかもしれない。
「六花」
「何?」
「俺…… 継ぐよ、会社」
「良いの?」
「今まで散々手伝ってきたんだろ?」
「……うん」
「だったら次は…… 俺の番だ」
六花は黙っていた。両手が冷えてきたのだろう、顔の前で掌にはぁ〜っと白い息を吐いた。
「結構…… 大変だよ」
「……だろうな」
「どうしたのお兄ちゃん? 僅かな間に老け込んだ顔して」
「老け顔で悪かったな! まぁ、その、なんだ…… まだ間に合うかなと思って。……かっこいいお兄ちゃんを見せるってやつ」
「う〜ん…… どうかな? ぎりぎり間に合うかもってところじゃない?」
「そいつは急がないと不味いな」
「うん…… 急いでよ。大遅刻だよ。六花さん、待ってまーす! 待ち過ぎて婚期を逃しそうで〜す!」
「そんときゃ三好君に下取りしてもらえよ」
「うわっ、ひっどーい!!」
「フハハハハッ!」
「フフっ…… アハハハハハ」
いつの間にか曇っていた空は晴天に変わっていた。風は冷たかったけど、久しぶりに二人で大笑いをした。