口論、されど……
広い病室の空気が弛緩する。六花の応えは完全な否定だった。
「無理して家族を散々引っ掻きまわしてさ、駄目なサラリーマンになるために、あんな難関大学行ったわけ?」
その声色に俺に対する親しみは既に消えていた。まるで蜂の巣を突っついた様に罵詈雑言を浴びせてくる。俺は妹のパンドラの箱を開けてしまったのか。
何もかも自信に満ち溢れてそうな彼女に見透かされ、自分の生き様まで否定される。悔しいけれど返す言葉が出てこないのも確かだ。嗚呼、卑屈な自分がほんと嫌になる。腹の底からどす黒い感情ばかりがこんこんと湧いてくるんだ。
────やめてくれ……
「ああ悪うございましたよ、駄目な兄貴で。俺だってなぁ、必死にもがいて来たんだ」
「どうだか?」
────頼む、もうやめてくれよ……
「良いよなお前は、昔から要領だけは良かったもんな。学校の成績は遊んでてもトップクラス、誰からも慕われてる人気者で容姿端麗ときた」
「私だって頑張ってたし! ああそうだよね、お兄ちゃんは情けない自分を見られたくないから、この街から逃げたんだもんね」
────逃げ……た……
「この街から逃げたんだもんね」……その言葉が一番堪えた。妹からはそう見られていたのか。いいや彼女だけじゃない、この街の連中は皆そう思ってるんだ……
何かの糸がプツリと切れた。
「うるせぇ! リア充なお前には分からねえだろうさ」
好きだった子から見下されていて、並び立つことさえ否定された気分を。最難関の国立大学を必死になって卒業したところで、自分には何にも残らなかったと気づいてしまったあの時の虚しさを。八つ当たりだってことは分かっている。だけど今の俺には虚勢を張ることしかできないんだ。
「大方大学も遊び倒して、卒論まで軽く片付けてるんだろ。オマケにこんなイケメンのボンボンまで捕まえて……」
────黙れよ俺! ムキになって餓鬼かよ!
「そうだ! お前が会社継げよ、専務のおっちゃん…… なんていったかなぁ……」
母と妹から非難の目が向けられる。父は目を閉じて黙ったままだ。三好君は神妙な面持ちでじっとこちらを見ている。
────やめろ、それ以上は……
「お前可愛がってもらってただろ。あの人を独楽鼠の様に顎で使えば──」
正直言い過ぎたと思った。ほんとうに最低な事言ってるなと思う。誰にも分かって貰えないというひねた気持ちが余計に俺を卑屈にさせていた。長年燻っていた劣等感から来る妬み嫉みは、心の奥底をドロりとしたタールとなって蝕んでいる。
堰を切った言葉は汚水と見紛う程汚なくて、濁流の様に流れ出す。たとえどんなに相手を傷つけることになろうとも。
”パン!”
刹那、乾いた音と痛みが同時に俺の頬を襲った。六花に平手打ちされたのだ。
「痛ってぇ! 六花おまっ!?」
「お前」と言おうとしたところで絶句した。六花の目から大粒の涙がぽろぽろと零れていたからだ。
「かっこ悪いよ、お兄ちゃん……」
俯いた六花は消え入りそうな声でそう呟くと、パタパタと病室を飛び出して行った。