迷宮ってすぐ身近にあったんだね
芳川さんに促され、後について行くことにしたのは良いけれど不味くないか? 彼はただでさえ浮世離れした金髪イケメンであり、世の女子達が見たら放っては置かない筈だ。ましてや会社の研修施設の中である。目立つことこの上なく、しかも社長秘書として見た事のある社員だっているだろう。そんな彼と新入社員の俺が連れ立って歩いていれば、あっという間に会社内に広まってしまう。
そんな旨を彼に言うと……
「大丈夫です。慎重に人払いを済ませてあります」
あ、俺が悪いわけじゃなかったのか。俺の周りだけ妙に人っけがなくて、避けられてるんじゃないかと心配してたんだよ。盛山がいなくても孤独のグルメを味わう事態は避けられそう?
「でもこのまま会社内を歩いていけば、自ずと目立ってしまいますよね」
この廊下は人っ子一人居ないけど、まだ会社内にはかなりの社員がいるだろうし。そんなことを考えているうちに、廊下の奥の突き当たりまでやって来た。ここは正面玄関から最も離れた最奥の場所で、用が無ければ誰も寄り付かない。そして目の前には二階へと続く階段が……
「心配ご無用です。こちらを使います」
「階段? 二階へ行くの?」
「いえそちらではなく……」
芳川さんは涼しい顔で階段の横にある扉を指した。クリーム色の壁を切り抜いた様に扉が埋め込まれている。
「これは…… 機械室?」
扉の真ん中より少し上の辺りにゴシック体で小さく機械室と書かれていた。
「ついてきてください」
言われるがままについて行く。機械室の中は薄暗くて、何かの操作盤や大きな機械が並んでいた。非常口を示す緑の光が薄暗い通路を照らしている。寒々しいコンクリートの床をしばらく歩くと、また扉があって芳川さんは躊躇なく中へと入る。
「お疲れ様です」
「失礼しまーす」
薄暗い機械室から一転、照明が眩い部屋に入った。モニターと操作盤が壁を埋めつくし、横長の机にもモニターとキーボードが並んでいる。その各々に数名の作業員が座っていて、俺達が挨拶をするとこちらを一瞥した。彼等は軽く会釈をすると、また何事も無かったかの様にモニターを注視しはじめた。
「ここから本社ビルの建物の中です。ここは防災センターとなっており、24時間体制で施設内の監視とビルメンテナンスを行っております。彼等は業務を遂行する関係上、この会社の《《色々なもの》》を見聞きする存在です。当然教育も行き届いておりますので安心して下さい」
「つまり彼等も《《こちら側》》という訳ですか」
芳川さんは特に足を止めるような事もなく、防災センターを横切り別の扉を開けた。その先には窓も無くかざりっけのない廊下が伸びていた。たぶん業務用の通路なのだろう。どうやら読みは当たりのようで、廊下を歩きながら芳川さんの説明を聞く。
「こちらは作業用の通路とかなっており、全館のほぼ全ての場所にアクセスできます。表の廊下とは繋がっておりませんので顔を見られる心配もないでしょう」
「へえ〜」
ここは忍者屋敷か? 何だか段々暗部に足を踏み込んで来てるような気がする。蛍光灯に照らされた廊下を少し歩くと業務用の巨大なエレベーターと、人用のそれが3基ほど並ぶ場所まで来た。
「ここからエレベーターを三度乗り継ぎます。乗るエレベーターを間違えると先に進めませんのでしっかり覚えてください」
芳川さんが右のエレベーターの釦を押した。扉が開いたのはこのエレベーターだけだったところをみると、どうやらこの3基は連携されていないようだ。
それより聞き捨てならないことを言っていたので、エレベーターが昇りだしたところで確認をとってみる。
「覚えろって言うことは、残業は今日だけじゃないとか?」
「はい」
「……ひょっとして今歩いてきた道程を全て覚えなくちゃいけないとか?」
「はい」
「後で地図とかメモとかをくれたりとか……」
「防犯上許されておりません。見取り図など一切、案内の書面にもネットにも載っておりません。当然メモも禁止です」
「…………後でもう一回教えてください」
何だか不穏な空気といきなり提示された課題に、既に余裕が消え去ってしまう俺だった。