タナビタ子爵バベラ
読まなくても本文には影響ありません。
バッド版のハミルが復讐する話で書き始めたのが何故か真犯人の取り調べで終わってしまいました。
「名前は」
「私がタナビタ子爵を継ぎキワサハ伯爵となるはずだった。だから、私はタナビタ子爵バベラだ」
取り調べを行っている騎士は、はぁと呆れた息を吐いた。この男が辺境領で名乗っていた名も偽名だったことが分かっている。
もともとタナビタ子爵位は亡くなったキワサハ伯爵が持つ爵位の一つだ。息子バベラが成人した際、譲位し領地経営を学ばせていた。
「お前の父親は闇賭博に手を出し、借金の形に見目のよい領民を売ろうとした。だから、廃嫡されたのだろうが!」
バン、と騎士が机を叩くが自称タナビタ子爵は涼しい顔をしたままだ。
「ああ、愚かな父は騙された。違法な賭博場だと分かった時には引き返せないほどのめり込んでいて借金も庇いきれないほど巨額だった、と聞いている」
淡々と冷たく話す自称タナビタ子爵は歪んだ笑みを浮かべた。
「まっ、騙された父が悪い。それは認める。だが、騙されたから、未遂だったから、と廃嫡と放逐で済ませたのはもっと悪い。野放しにしてはいけなかった」
「恩情が悪いと? そのおかげでお前は生まれたのだろうが」
自称タナビタ子爵はふんと鼻で嗤った。
「父は自分がキワサハ伯爵を継ぐはずだった、と死ぬまで言い続けていた。酒にすぐ逃げ、旨い儲け話にすぐ乗って金を騙し取られていた。母が必死で稼いだ金を」
自称タナビタ子爵は歪んだ笑みを深くする。
「母も妹も父の酒代のために娼館に売られた。妹は十二歳になったばかりだった」
取り調べの騎士は嫌悪感を露にして顔をしかめた。
「だから、妹と同じ年になったウェットダン公爵令嬢を辱しめたのか」
「いや、ローラル侯爵が国家予算一年分であの娘の純潔を欲しがったが、酷い加虐趣味で売るわけにはいかなかった。最初から傷だらけなのは価値が下がりすぎる。他に適任者がいなかったから私がいただいただけだ。調教も兼ねて、ね」
楽しげに語られた言葉に騎士の眉間の皺が深くなる。
「ローラル侯爵? 財務大臣の?」
「捕らえてあるのだろう? あいつにはたんまり儲けさせてやったから、しっかり搾り取ってやった」
長年財務大臣を勤めていたローラル伯爵も牢に入っている。見目の良い幼女を買いあさり非道な行為を行っていたからだ。
「もしかしたら、妹が公爵夫人となっていたかもしれない。そう思うとあの娘の存在が煩わしかった」
「なるわけないだろうが。父親が廃嫡にならなければ、お前も妹も生まれていなかった」
呆れた騎士の言葉に自称タナビナ子爵も頷く。親が決めた婚約者と婚姻し、行き倒れて田舎町の娘と出会うことなどなかっただろう。
「その通りだ。それでも思わずにはいられなかった。伯爵令嬢として生まれていたら、食うものも着るものにも困ることなく、寒い夜には私と一枚の毛布にくるまり震えながら眠ることもなかったのだと思うと、ね」
「それは気の毒だったと思うが、それはウェットダン公爵令嬢のせいじゃない」
「ああ、それも分かっていた。汚して穢して落としたのに綺麗なままだった。それがまた憎たらしくてね、こちらは落ちるところまで落ちたというのに」
取り調べをしている騎士も記録している文官も不快感を隠さず顔をしかめた。
ウェットダン公爵令嬢メッツアの悪名は彼女も被害者だったと公表されても払拭されなかった。民は高位貴族であった彼女が叔父とはいえ下位の者に操られていたと信じず、劣悪な牢で獄死したことやその遺体が晒されもせずに埋葬されることに不満の声をあげている。だが、本物のウェットダン公爵令嬢の遺体を広場に晒しても民が認めないのも分かっていた。検死の結果、悪行の限りを尽くした者と思えないほど痛ましい遺体だったと報告書が上がっていた。
だが、民の溜飲を下げるため誰か生贄を早急に見つける必要があった。
「ところで、キワサハ伯爵領の小麦畑を焼いたのはお前か」
「父が機嫌がよいときはキワサハ伯爵領のことをよく話した。収穫前にあの地方には強風が吹くため火事に一番警戒していた、と」
「だから、あの地方は道や用水路で延焼しないようにされていたはずだ」
村から村の境、町と村の境、幅広い道や用水路、消火器具が準備されており、火事が起こっても燃え広がりにくいよう対策はされていた。
「ああ、それでも火事は起こると父は酔いながら言っていた。条件が揃えばあの禍風が吹き大被害となる、と」
それを話しただけさ。
と何でも無いことのように自称タナビタ子爵は呟いた。
あの年、数十年に一度禍風と呼ばれる大強風が吹いた。家屋の屋根が飛び、木が抜け飛ぶほどの強風だ。小麦畑に点いた火はその強風に煽られ、瞬く間に辺りを火の海とし必死の消火活動も役に立たず大きな被害となった。その被害は元キワサワ伯爵領だけではすむはずもなく、国一番の穀物地帯での大火事は小麦の価格を高騰させ、民の暮らしにも大きく影響するはずであった。
「確か……、ローラル侯爵が自領が不作だったから、と前々年度から小麦を買い占めていたが、これにもローラル侯爵が噛んでいるのか?」
自領のための備蓄をローラル侯爵が献上したために価格の高騰は押さえられた。それで巨額の富を得たローラル侯爵は怪しまれたが、自然現象を予知できないということで無罪放免となっていた。
「私が話したのは別の男だ。まあ、客同士繋がりがあっても可笑しくはない。私は便乗して偽者たちを退治したが、火事には関わっていない」
「お前が偽者だろうが!」
騎士がドンっと机を叩くが、自称タナビタ子爵は素知らぬ顔をしているだけだ。
「ローラル侯爵に小麦を売った者センスター伯爵か? あそこの小麦はキワサハ伯爵領の物より質が悪く味が劣る」
「さあ? どんな小麦から出来ていても食べられないよりは食べられるほうがいい。どんな固くて不味いパンでも食べれた日は幸運だった」
進まない取り調べに騎士は苦虫を噛み潰したような顔をした。辛い過去の話など聞かされても同情など出来ない。目の前の男は一人の女性に全ての罪を擦り付けて殺したのだ。
元キワサハ伯爵領の次に小麦の生産量が多いセンスター伯爵も禁止薬物保持で捕らえてある。保持していた薬品の中に強風でも火が消えにくくするものがあった。それが元キワサハ伯爵領で使われたかもしれない。それは今から行うサンスター伯爵の尋問で明らかになるだろう。
「どちらにしろお前は極刑だ」
「そうか」
自称タナビタ子爵はそう言って何かに解放されたように穏やかに笑った。
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